おじいさんに聞いた話
1,980円(税込)
発売日:2017/08/25
- 書籍
- 電子書籍あり
「ハッピーエンドのお話はないの?」
「だってこれはロシアの話だからね」
サンクトペテルブルクに生まれ育ち、ロシア革命にともなってオランダに帰国した祖父が「ぼく」だけに語ってくれたこと。ゴーゴリの『外套』より悲惨、どこにも救いはないのに、なぜか可笑しく滑稽な人生の悲喜劇。『ハリネズミの願い』の作家テレヘン自身がもっとも愛する宝箱のような掌篇集。
ピロギ
詩人
年老いた男
散步
ユダたち
神と皇帝
二人の修道士
おとなしい少年
罪
地図帳
なにかが祖父を思いとどまらせていた
日常
死ぬこと
悪魔
中心
「なんなんだ?!」
フェーデ
犬
医師たち
テルへン
サイ
いとこ
織りまちがい
使用人の母
綱渡り師
涙の谷
小部屋付きの大広間
鳩墓地
ステフラー
ドヴィチェニー・サーカス団
馬
クマのお話
小さな魔女
裸の皇帝
手品
翼
葬儀
ステップ
書誌情報
読み仮名 | オジイサンニキイタハナシ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮クレスト・ブックス |
装幀 | Daisuke Soshiki/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 224ページ |
ISBN | 978-4-10-590140-0 |
C-CODE | 0397 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 1,980円 |
電子書籍 価格 | 1,980円 |
電子書籍 配信開始日 | 2017/09/22 |
インタビュー/対談/エッセイ
ハッピーエンドのお話はないの?
昨年刊行の『ハリネズミの願い』がベストセラーとなっているオランダの作家トーン・テレヘン。この夏に刊行された『おじいさんに聞いた話』は、自ら「もっとも愛着がある」と語る作品だ。テレヘンの祖父はサンクトペテルブルクに生まれ、ロシア革命の翌年、オランダに亡命。終生、望郷の念に捕われて生きた人だった――。
トーン・テレヘンの掌篇小説集『おじいさんに聞いた話』のおもな舞台は、〈おじいさん〉が生まれ育ったロシアのサンクトペテルブルク。孫である〈ぼく〉にロシアのことばかり語りつづけるおじいさんの姿には、作家自身の祖父が色濃く投影されています。
サンクトペテルブルクの貿易商
――サンクトペテルブルクという地名を初めて耳にしたのはいつごろですか。
覚えていないけれど、5歳くらいでしょうか。これまでに3度ほど行きました。初めて旅したのは1985年、43歳のときのことです。まだレニングラードと呼ばれていたころですね。
――ロシア革命前のサンクトペテルブルクには、オランダの貿易商がたくさん移住していて、コミュニティができていたそうですね。
18世紀からすでにオランダ人が住んでいました。ぼくの祖父の祖父の父がサンクトペテルブルクに開いた店に、ロシアの軍人で、エカテリーナ二世の愛人だったポチョムキンが竹のステッキを買いにきたそうです。1780年のことです。その店では、オランダ領東インドから竹を輸入し、アムステルダム経由でサンクトペテルブルクに運び、販売していたんです。竹や香辛料などいろいろなものを扱っていました。
――代々、貿易商だったのですね。
順にさかのぼって話してみましょう。ぼくの母は1909年に、祖父は1875年に、曾祖父は1835年に、高祖父は1798年に、それぞれサンクトペテルブルクで生まれました。高祖父の父、ぼくのひいひいひいおじいさんは1760年ころオランダで生まれ、若いときから商売でサンクトペテルブルクを訪れていた。やがて店を構えるようになり、そこにポチョムキンがやってきた。一族のなかには、彼より先にサンクトペテルブルクに行っていた者もいた。彼の父もそうだったかもしれない。
彼らはオランダから馬車でサンクトペテルブルクに向かったんですよ。ほかに交通手段がなかったから。バルト海に沿って、ドイツ、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニア……何週間もの行程だった。
――4代も5代にもわたってサンクトペテルブルクに暮らしていらしたんですね。
ええ、とても長い歴史があるんです。
おじいさんに語らせる
――巻頭に「パブロフスクとオーストフォールネ行きの列車」という長い詩が一篇おかれています。祖父と母と〈ぼく〉が列車で旅をしている。向かっているのはオランダのオーストフォールネなのに、祖父は、車掌に行き先を問われると、ロシアのパブロフスクと答える。
パブロフスクに家族のダーチャ(夏の家)があったんです。ぼくはこの本全体を、「ぼくの祖父がぼくに話すことができたかもしれない物語」として書きました。祖父という存在の土台であるロシアでの暮らし、体験、さまざまな知識が出てきます。ディテールに時代的な齟齬がないよう細心の注意を払いました。
――小説内でのリアリズムということですね。
そう、まったくの作り話ではないんです。ストラクチャーはほんものです。その構造のなかで、祖父が孫の〈ぼく〉に話をする。子どもの〈ぼく〉には、その話が作り話かどうかわからない。でも皇帝がロシアじゅうの犬を集めて戦場に送ったという話(「犬」)、これはほんとうであるはずがない。祖父が孫に空想の話を聞かせているんです。ぼくが話をつくるのではなく、祖父に話をつくらせたんです。だからぼくには責任がない(笑)。
――この本はそもそも、お友だちに宛てて書いた手紙だったそうですね。
手紙の前に一つだけ、「鳩墓地」という物語を書いていました。オランダの月刊誌に掲載されたものですが、珍しい病気で死んだ人だけが入れる特別な墓地の話(笑)。かなり不条理な話です。それを読んだ兄が、「ぼくはおじいさんからこんな話を聞いたことがなかったな」と言ったんです。兄がほんとうのことだと思ってくれたことがとても誇らしかった。
それからずいぶんたった1997年のこと。夏のバカンスで南フランスに滞在中、友人の作家、ケース・ヘト・ハルトに手紙を書いていて、またおじいさんが話したかもしれないほんとうのような話を書きたくなった。
親愛なるケース様、今日は月曜日、ぼくたちはもうすぐ泳ぎにいくところ。買物もする予定。すばらしいお天気で、きのうは鹿を見た。ぼくの祖父からこんな話を聞いたんだ ……というようにお話を書いて、それからまた、いまから森を散歩してくる、と書いて、またお話……そんなふうにずっと書きつづけた。この本一冊分を書き終えたときには、120、30枚の束ができていました。
オランダにもどるとき、村役場でコピー機を借りてコピーして、元の手紙は友だちに送りました。オリジナルの手紙は彼がまだもってると思うよ。わからないけど(笑)。
――夢中で書きつづけたのは、おじいさんのことを、おじいさんのふりをして書くという発見がとても楽しかったからでしょうね。
まさにそのとおりです。毎日、ページがどんどん増えていって……あれは特別な時間だった。
これはロシアのお話だからね
――おじいさんは、おばあさんにいくら止められても、死をめぐる話や悲惨な話ばかり〈ぼく〉に語りつづけます。貧乏な下僕がいっそう不幸になって家族もろとも無残な死を遂げるとか。ハッピーエンドのお話はないの? と〈ぼく〉ならずとも思いますが、おじいさんは、「これはロシアのお話だからね」と言うばかりです。
ロシアの悲惨な話というと、ゴーゴリの『外套』を思い出します。あの主人公は幽霊になって恨みを晴らしますよね。でもこの本のお話は、外套を取られたと思ったら、そのあと帽子も靴もぜんぶむしり取られてぷっつり終わる、というような……。
それは、ロシアでの祖父の人生があるとき中断され、亡命を余儀なくされ、不幸な終わりを遂げたから。それが彼の人生だった。復讐したいと思っても、ソヴィエトに復讐することはできなかった。
――その無念が畳みかけるようにして響いてきます。そしてどんどん読んでいるうちに「これが人生なんだよ」と言われているような気がしてくる。でも、陰鬱な話をこれだけ生き生きと書かれているのは、そこに惹きつけられるものがあるからでは?
それはつまり……陰鬱な人びとをめぐる物語は陽気な人びとの物語よりずっと面白いからですよ。文学のテーマはいつでも争い、悲しみです。人生を楽しんでいる人びとの話はつまらない(笑)。
――そうですね(笑)。もうひとつ、とても印象的なのは「ロシア語には〈罪〉を示す言葉が十一もある」と始まる「罪」という掌篇。おじいさんが、「正直に言えば、わたしは罪が好きなんだ」と言う。「罪をもたない人間は好きではない。罪なしに栄えるものはない」と。
ぼくは実際には一つも〈罪〉というロシア語を知りません(笑)。ロシア語は話せないんだ。でも祖父が陰鬱な人間であったことは事実です。生まれ育ったロシアを去らなければならず、息子二人を戦争で亡くした。よくため息をついていた。長いあいだ、ロシアに帰ることだけを切望していました。
――もし帰っていたとしたら、おじいさんはどうなっていたでしょう。
それはわからない。同じように陰鬱だったかもしれない。祖父がロシアでもっていた財産は、株やパブロフスクの別荘など、すべて共産党に没収されました。共産党政権下のロシアに残っていたら、貿易商だった祖父は収容所送りになっていた可能性が高い。だから、祖父がロシアにもどることはぜったいに不可能だったんです。
お話とほんとうのこと
――物語はすべて「創作」でも、おじいさんとおばあさん、テレヘンさんと思われる〈ぼく〉、そしてお母さん。それぞれの人物像はテレヘンさんのなかにある実在の彼らのイメージなんですね。同じ経験をなさったおばあさんが、まったく陰鬱ではないのが印象的です。
そう、祖母はいつもエネルギッシュで前向きでした。息子が五人に娘が一人――この娘がぼくの母です――、祖母は思ったんでしょう、沈み込んでいる暇はない、働かなくちゃ、家をきりもりしなければと。祖母のオランダ語には訛りがありました。彼女はオランダ人でもロシア人でもなかった。たくさんいる姉妹たちは、スイスやドイツなどいろいろな国に住んでいた。祖母はお金がなかったから、一度も旅行には出なかったけれど、ジュネーブなどから姉妹がライデンに訪ねてくることはあった。ぼくも子どものころ、母のいとこたちをたずねて、パリやロンドンをよく訪れたものです。
祖母の名字はブレシェー、スイスのフランス語圏の名です。祖母の母はブランケンベルフという名字で、バルト三国の出身でした。ドイツ人ではないけれど母語はドイツ語で、祖父ともドイツ語で話していた。祖母の父の父は、1812年、ナポレオンとともにロシア遠征をし、ナポレオンがフランスに引き揚げたあとも、現在のラトビアの首都、リガに留まったという話を聞いています。
――テレヘンさんのおじいさんは、貿易商でなければ詩人か植物学者になりたかったそうですね。おじいさんが書かれたロシアをめぐるエッセイが出版されていますが、その遺稿を見つけたとき、どんな感想をもたれましたか。
これはすごい、特別なものだと思いました。祖父がオランダに逃れてきてから10年程たった1929年ごろ、ぼくが生まれるずっと前に書かれたもので、これを読むと、まだしっかり人生を歩んでいるエネルギッシュな男の姿がうかがえます。ぼくが知っている陰鬱な祖父とは別人のようでした。
祖母が捨てようとしていた原稿を母が救いあげ、そのまましまい込んでいたものをぼくが見つけました。祖父がそれを書いてから50年が経っていました。
医師として働いているときだったので、夜の時間を使って祖父の手書きの草稿をタイプで打ちなおし、スペルミスを修正しながら数週間かけて完成させました。その後、長いあいだ眠らせたままだったのですが、あるときシャルル・ティマーという著名な作家・詩人で、ロシア文学の翻訳者でもある人物に見せたんです。すると彼は、これはとても面白い、出版すべきだ、と言ったのです。この祖父の回想録は、ロシア語を学んだ妹といっしょに監修し、『ロシアの記憶』というタイトルで、2004年にケリド社から出版されました。
――さいごの3つの掌篇「翼」「葬儀」「ステップ」からは、とりわけ強くおじいさんへの哀惜が感じられました。
「葬儀」の一部は祖父のお葬式で実際に体験したことそのままです。オランダでは、葬儀で涙を流して悲しんでいた人たちが、そのあとみんなでコーヒーを飲みはじめると、とたんに陽気な雰囲気になることがよくあるんです。長く会っていなかった人たちが誰かの死の機会に集まるわけですからね。まだ幼かったぼくは、その陽気さがすごく嫌だった。祖母を見ると、ひとり悲しみに沈んでいました。誰もそんな祖母を気にかけていなかった。ぼくも祖母に話しかけなかった。そのことを、ずっと忘れられずにいました。
ぼくの長兄のベンは祖父のことを、いつもため息ばかりついているつまらない男だと言っていました。ぼくはいつも祖父の肩をもった。「だってあれほど多くの悲惨な体験をしたんだから。ぼくだってそんな体験をしたら、ため息をつくと思う」と言って。ベンは聞く耳をもちませんでしたが(笑)。
――読み終えると、〈ぼく〉とテレヘンさんのおじいさんへの鎮魂の思いが、しみわたるように伝わってきます。
(2017年6月11日、アムステルダム)
波 2017年9月号より
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トーン・テレへンさん動画メッセージ
著者の言葉
『ハリネズミの願い』をすでに多くの方が読んでくださったことを
わたしはとても嬉しく誇リに思っています。
『おじいさんに聞いた話』はわたし自身、とても愛着を感じる本です。
祖父のこと、母のこと、子どものころ間近で見ていた
彼らの人生についての本だからです。わたしがいちばん好きな本です。
みなさんにも楽しんでいただけますように。
心をこめて。
短評
- ▼Ishii Shinji いしいしんじ
-
祖父は語る。ロシアでは、どんな列車もけして目的地には着かないと。祖父は語る。嘆きながらロシアすべてを食べ尽くす、悲しい熊の話を。語りながら祖父は、幸せかもしれない。夏の海のように目を輝かせ、その話にのめりこむ孫が、目の前にいるのだから。ふたりは翼をもっていて、誰も知らない夜に、この世の果てまで飛びまわる。祖父の語る「ロシアのお話」には、終わりがなく、救いが見えないかもしれない。しかしそれは、渾身の力をふりしぼった人間の手品だ。だから、どこを切っても、傷口からユーモアがにじんでくる。
- ▼NRC Handelsblad NRCハンデルスブラット紙
-
不思議な時代の不思議な人びとについての不思議を物語。一つひとつが不思議な美しさに満ちている。罪と罰、飢餓、悲劇、不幸、病気、死、狂気、恐怖政治といった苦悩がひときわ色濃く描かれている。だがテレへンの軽やかで自然な語り口によって、物語は単に悲しいものであるだけでなく、意外性、感動、笑いに満ちている。
- ▼de Volkskrant デ・フォルクスクラント紙
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テレへンは祖父の物語を語りなおしただけでなく、それらの物語に祖父自身は見出すことのできなかった意味をあたえた。ほとんどすべての物語の終わりで、祖父はパイプをほじり、祖母が紅茶をもって台所から出てくる。そのディテールはテレへンの物語の構築法であるとともに、〈物語る祖父〉自体をおとぎ話にしている。
著者プロフィール
トーン・テレヘン
Tellegen,Toon
1941年、医師の父とロシア生まれの母のもと、オランダ南部の島に誕生。ユトレヒト大学で医学を修め、ケニアでマサイ族の医師を務めたのちアムステルダムで開業医に。1984年、幼い娘のために書いたどうぶつたちの物語『一日もかかさずに』を刊行。以後、どうぶつを主人公とする本を50作以上発表し、文学賞を多数受賞。オランダ出版界と読者の敬愛を一身に集めている。『ハリネズミの願い』で2017年本屋大賞翻訳小説部門受賞。おもな作品に『きげんのいいリス』『キリギリスのしあわせ』『おじいさんに聞いた話』。
長山さき
ナガヤマ・サキ
1963年神戸生まれ。関西学院大学大学院修士課程修了。文化人類学を学ぶ。1987年、オランダ政府奨学生としてライデン大学に留学。以後オランダに暮らし、2023年12月現在アムステルダム在住。訳書にトーン・テレヘン『ハリネズミの願い』『きげんのいいリス』『キリギリスのしあわせ』『おじいさんに聞いた話』、ハリー・ムリシュ『天国の発見』『襲撃』、ペーター・テリン『身内のよんどころない事情により』、サンダー・コラールト『ある犬の飼い主の一日』ほか。