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半世紀前、後のノーベル賞作家はそのデビュー時から「短篇の女王」だった。

ピアノ・レッスン

アリス・マンロー/著 、小竹由美子/訳

2,376円(税込)

本の仕様

発売日:2018/11/30

読み仮名 ピアノレッスン
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
装幀 Hatano Hikaru/イラストレーション、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 326ページ
ISBN 978-4-10-590154-7
C-CODE 0397
ジャンル 文学賞受賞作家、文学賞受賞作家
定価 2,376円

行商に同行した娘は父のもう一つの顔を目撃し、駆出しの小説家は仕事場で大家の不可思議な言動に遭遇する。心を病んだ母を看取った姉は粛然と覚悟を語り、零落したピアノ教師の老女が開く発表会では小さな奇跡が起こる――人生の陰翳を描き「短篇の女王」と称されるカナダ人ノーベル賞作家の原風景に満ちた初期作品集。

著者プロフィール

アリス・マンロー Munro,Alice

1931年、カナダ・オンタリオ州の田舎町に生まれる。書店経営を経て、1968年、初の短篇集 Dance of the Happy Shades(『ピアノ・レッスン』)がカナダでもっとも権威ある「総督文学賞」を受賞。以後、三度の総督文学賞、W・H・スミス賞、ペン・マラマッド賞、全米批評家協会賞ほか多くの賞を受賞。おもな作品に『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』『ディア・ライフ』『善き女の愛』『ジュリエット』など。チェーホフの正統な後継者、「短篇小説の女王」と賞され、2005年にはタイム誌の「世界でもっとも影響力のある100人」に選出。2009年、国際ブッカー賞受賞。2013年、カナダ初のノーベル文学賞受賞。

小竹由美子 コタケ・ユミコ

1954年、東京生まれ。早稲田大学法学部卒。訳書にアリス・マンロー『イラクサ』『林檎の木の下で』『小説のように』『ディア・ライフ』『善き女の愛』『ジュリエット』、ジョン・アーヴィング『神秘大通り』、アレクサンダー・マクラウド『煉瓦を運ぶ』、ジュリー・オオツカ『屋根裏の仏さま』(共訳)『あのころ、天皇は神だった』ほか多数。

書評

アリス・マンローの正確な手付き

津村記久子

 これは書く(描く)価値があることなのか? という作り手の高みからの選別は、物語を創作することにどうしてもつきまとう行為だと思う。ひどい場合だと、選別の過程すらなく、もう始めから書かれるべき登場人物の属性も作中の行動もいくつかのパターンが決まっていて、その順列組み合わせのみで物語が作られるということもあるだろう。そしてそれが人から好まれないということもない。
 それでも、見えにくいながら「書かれることを待っている」物事を発見する作り手の視点や手つきには常に敬服する。世間にあまねく俗情や凡庸な物事が、ある書き手が見つけて文章にすることによって、かけがえのない人間の一部分を切り取った物語に昇華される。わたしにとっての優れた作家の資質の一つは、冒頭に書いた選別をなるべくおこなわない方に向かっていることだ。そして「書かれることを待っている」物事を正確に発見し、余さず決めつけずその本質を平易な言葉で切り取ることだ。
 アリス・マンローはきっと、世界一というレベルでそれができている作家なのだと思う。マンローが小説に拾い上げた無数の物事は、どんなみじめさやままならなさや些細なことであっても輝いている。そこで味わう感慨は、たぶん誰もが持っている、言葉にはできないけれども記憶に残っている何かだ。
 どの小説でも、読み手はすれ違う誰かの人生のほんの一瞬を鮮やかに垣間見る体験をする。「乗せてくれてありがとう」という話で語り手の少年は、大して仲の良くない従兄と車で出かけた先で渋々声をかけたアデレードとロイスという女の子たちとデートのようなことをする。服を着替えたいロイスは自分の家に語り手を連れて行く。なんの事前のしらせもなく、その日会った女の子の家族と会うことや、生活のにおいのする他人の家に踏み込むことの緊張が精細に思い出される。主人公とその家族の経済状況について見透かしたような口調で語り、ロイスの父親に起こった事故について滔々と打ち明けるロイスの母親について語り手は「この人たちは生まれつき狡猾で、惨めで、訳知りなのだ」と考える。そういう人々に突然会わされることにまつわる身の竦む思いのあと、ロイスの祖母は語り手に「うちの孫娘は好きにしていいよ」とあけすけに言う。そして十代半ばで退学して働いているというロイスは、どこまでも世慣れてひねくれた態度を崩さず、語り手に自分の手持ちの服を自慢する。その後二人の間に起こることと、「乗せてくれてありがとう」というロイスの言葉の対比は、あまりにシニカルで乾いている。しかし同時に、自分はこういう体験をしたことがあるとも思うのだ。わたしは少年であったことなんかないのに。
「仕事場」という作品では、小説を書こうとしている一家の母親である語り手が「薬局と美容室が入っている建物の二階」に仕事場を借りることで、家主の男に精神的につきまとわれるという体験が描かれている。語り手のあらゆる隙をうかがい、不要な物を贈り、戦利品を獲るように小さな干渉を繰り返すミスター・マリーという人物にも、やはり出会ったことがあるような気がする。誘惑や略奪に表出されることはなくても、人は人から何かを奪おうとするという事例が、誘惑や略奪でないからこそ強烈に身につまされるものとして描かれている。ものすごくおもしろい。
「蝶の日」では、弟の面倒をみなければいけないがために孤立しているマイラという同級生と、ほかの女子と同じように彼女を遠巻きにしつつ、ある出来事をきっかけに話すようになる「わたし」のぎこちない関わりが描かれる。あの子としゃべっているのがばれると自分が仲間うちで気まずくなる、という典型的な子供の葛藤の中、マイラは「ハッツ病」で入院することになる。まとわりつくような自分と同年代の子供の不幸を知覚しながら、マイラへの不実さを盾に子供時代を生き残ろうとする「わたし」の弱さと薄情さもまた、誰の身にも覚えがあるだろう。
 普通の人々が交錯する妙なる一瞬。表題作にして最後を飾る作品である「ピアノ・レッスン」の冴えない女のピアノ教師が、語り手に半ば呆れられ同情されながらも周囲の推測の外にある巡り合わせへと入っていく様子は、その閃きを感動的に象徴している。何も起こらないようでいて、何かは起こり得る。その火花のような兆しを、本書は圧倒されるほど無数につかまえている。

(つむら・きくこ 小説家)
波 2018年12月号より
単行本刊行時掲載

目次

ウォーカーブラザーズ・カウボーイ
輝く家々
イメージ
乗せてくれてありがとう
仕事場
一服の薬
死んだとき
蝶の日
男の子と女の子
絵葉書
赤いワンピース――一九四六年
日曜の午後
海岸への旅
ユトレヒト講和条約
ピアノ・レッスン

訳者あとがき

短評

▼Tsumura Kikuko 津村記久子
小説を読む贅沢の一つに、登場人物が現実にいたら語らないかもしれない秘密を知ることがあると思う。進んでは発信されないある些細な真実を、小説を通して垣間見る時、読者は他者の持つ世界の奥深さにふれる経験をする。そこには不思議と、自らが経てきた感情のような懐かしい手ざわりがある。十五の小説で描かれる思いのどれかは読者自身のもので、どれかはすれ違う誰かのものだ。普通の人々が交錯する時の、妙なるとしか言いようがないこの世の巡り合わせを次々と見せてくれる本書には、読書の根源的な愉悦があふれている。

▼Globe and Mail グローブ・アンド・メール紙
マンローの感性によって、子供のパーティーやハイスクールのダンス、巡回セールスマンや青い恋の陳腐な悩みといったありふれた体験が、生きることについてのユニークだが普遍的な作品となっている。

▼Daily Telegraph デイリー・テレグラフ紙
マンローの短篇は静かだが、見事な観察力と穏やかな深遠さに満ちている。

▼Kingsport Times - News キングズポート・タイムズ・ニュース紙
普通の状況にある普通の人々を観察し、人々を結びつける絆を描き出す術に、マンローは長けている。余分な言葉を使うことなく鮮やかな情景を描き出し、見事な簡潔さで人物をくっきり立ち上げる。人々の普遍的な営みを、ときに面白おかしく、また悲しく、あるいは啓示的に見せてくれる。

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