
海と山のオムレツ
2,145円(税込)
発売日:2020/10/29
- 書籍
生唾なしには読めない! 美味しい食を分かち合うことの歓び。
食べることはその土地と生きてゆくこと。舌を燃やし、思い出を焼きつくすほど辛い唐辛子、庶民のキャビアと呼ばれるサルデッラに腸詰サラミのンドゥイヤ……。南イタリア、カラブリア州出身の作家が、アルバレシュという特殊な言語と食文化を守ってきた郷土の絶品料理と、人生の節目における家族の記憶とを綴る自伝的短篇集。
アリーチェ岬での前菜
第一の皿と、そのほかの味覚
第二の皿と、そのほかの味覚
アリーチェ岬でのデザート
書誌情報
読み仮名 | ウミトヤマノオムレツ |
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シリーズ名 | 新潮クレスト・ブックス |
装幀 | Ulala Imai/ペインティング、新潮社装幀室/デザイン |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 176ページ |
ISBN | 978-4-10-590168-4 |
C-CODE | 0397 |
ジャンル | 文芸作品、評論・文学研究 |
定価 | 2,145円 |
書評
食という言語による文学
この世界において、日本ほどあらゆる世界の料理を口にできる国はほかに思い浮かばない。アジア圏はどこも外食産業が盛んではあるけれど、イタリア料理ひとつ取り上げても、日本ではシチリアにトスカーナ、そしてサルデーニャなど地域で細分されたレストランが存在する。日本の、情報収集に対する旺盛な意欲と開かれた意識が味覚の寛容さというかたちとなって現れているのかと感じているが、理由はともかく、日本に暮らす外国人にとってこの環境は悪くはないだろう。以前サルデーニャ出身のイタリア人と東京にある彼の故郷の料理店で一緒に食事をした時、「この店が無かったら日本には暮らせなかった」とサルデーニャの薄っぺらいパンを嬉しそうに頬張っていたが、味覚と嗅覚には、時として視覚情報よりも色鮮やかに、その食事の現場やそこにいた人々の記憶を脳裏に蘇らせる力がある。
私はアバーテの故郷であるカラブリアには一度しか訪れたことがない。ただ、カラブリア出身の友人は多く、10代半ばでフィレンツェで留学生活を始めた時に、最初にルームシェアをした大学生もカラブリアの女性だった。彼女は本書にも出てくる料理人モッチャと同じく、実家から送られてくる束で括られた唐辛子やニンニクがぶら下がった部屋に暮らしていた。しかも、同居人は家族ではなくても食事の時には共にテーブルを囲んで食べるという彼女のルールがあり、料理も住人の当番制になっていた。よって私がイタリアで一番最初に覚えた料理も、彼女に伝授されたカラブリア料理である。今も北イタリアの家族にその当時の料理を作ると「辛過ぎる!」だの「脂っこい!」だのと言われるが、私にとっては見知らぬ土地での心細さを支えてくれていたあの時代の安堵を呼び覚ましてくれる、掛け替えのない料理である。
この本を読んでいると、食事という味覚が内包する情報量の豊かさによって設けられた、盛大な宴に自分も参加しているような感覚に引き込まれていく。アバーテという作家を支えてきた郷里や移住先での数々の料理の描写から立ち込めてくるような味覚とにおいに混じって、その場にいた人々の、言葉と言葉が重なり合う快活な喋り声まで聞こえてくるような心地になる。人間の会話のない場面でも、食べ物は饒舌にその場の様子を語りかけてくる。味覚や嗅覚は細分化された言語と違って、どこに暮らすどんな人々とも感覚を共有できる効果があるからか、アバーテがこの作品に描き出しているカラブリアやドイツや北イタリアの様子が、湯気や炭焼きの燻った匂いなどによってリアルな立体像として頭の中に再現されるのだ。肉の焼ける匂いもパンに染みる肉汁も天国の蜂蜜のように甘いスイカも、そのままストレートに私たちの感性に届く表現である。おそらく食いしん坊な読者ほど、本書に描かれているアバーテの記憶が紡ぎ出す世界を色鮮やかに想像することができるはずだ。
言語と味覚という二つのコミュニケーションツールは、この作品の軸になっている。成長とともに文学の世界へと耽溺するアバーテだが、“おいしい食べ物と同様、頭にも心にも栄養を与えてくれる”文学は、学生時代の彼の部屋の壁に貼られていたフランシス・ベーコンの“味見すべき本があり、丸呑みすべき本がある。そしてごく稀に、よく噛みしめて消化すべき本がある”という言葉から読み取れるように、食事とぴったり重なっていた。この
オスマン帝国の侵攻からカラブリアに逃れてきたアルバニア人によって築かれた村の出身であり、イタリア語や方言とも違う言語を話すアバーテは、イタリアにもカラブリアにも移住先のドイツにも帰属しない、南イタリアの歴史をそのまま体現したような存在である。文学者としてのアバーテの多元的な視野は彼の味覚や嗅覚とも連動するものであり、アバーテにとっての食事はつまり彼の文学を司るもう一つの言語だということを実感しつつ、最後まで読み終えた後、私は急に、姑の作る大雑把でたいして美味しくもないサルシッチャ(腸詰)の炭焼きが食べたくてたまらなくなった。
(やまざき・まり 漫画家)
波 2020年11月号より
単行本刊行時掲載
短評
- ▼Yamazaki Mari ヤマザキマリ
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それぞれの歴史的背景や風土によって育まれてきたその土地独特の味覚には、人間がどこへ移動をしようと、そこでどんな生活をしていようと、その食べ物を口にした場所の記憶を色鮮やかに蘇らせる力がある。本作品の著者アバーテの故郷の特異な個性を持った料理もまた、地元の人々の人生に深く根付いている。豚肉と肋骨を煮込んだトマトソース。乾燥した地中海の風に漂う炭火で焼かれた腸詰めの濃厚な肉汁の匂い。知られざるアルバニア系イタリア人たちの生き様が食べ物を軸に綴られるこの作品は、本というかたちにおさめられた賑やかな宴のようだ。
- ▼La Repubblica ラ・レプッブリカ紙
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これは食べ物とともに歩を進めていく成長物語だ。生まれ故郷であるカラブリアの小村カルフィッツィから、青年期を過ごしたドイツ、そして北イタリアのトレンティーノ地方と、それぞれに異なる食の伝統を持つ土地が、料理との出会いをちりばめた語りによって追憶されるだけでなく、随所にレシピも織り込まれている。
- ▼Il Gazzettino イル・ガッゼッティーノ紙
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本書において食べ物は、語りの原動力であり、記憶と感情の触媒なのだ。
- ▼Avvenire アッヴェニーレ紙
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この自伝的な短篇集から、あたかも極上の料理のような芳しい香りとともに放たれるのは、どこか物寂しい色合いを帯びながらも「喜びの味」に満ちた、生きることに対する称讃だ。
イベント/書店情報
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著者プロフィール
カルミネ・アバーテ
Abate,Carmine
1954年、イタリア南部カラブリア州の小村カルフィッツィ生まれ。少数言語アルバレシュ語の話される環境で育ち、イタリア語は小学校で学ぶ。バーリ大学で教員免許を取得、ドイツ・ハンブルクでイタリア語教師となり、1984年にドイツ語で初めての短篇集を発表。その後、イタリア語で執筆した『円舞』(1991)で本格的に小説家としてデビュー。『ふたつの海のあいだで』(2002)が高い評価を得て、『帰郷の祭り』(2004)でカンピエッロ賞最終候補に。2012年、『風の丘』で第50回カンピエッロ賞受賞。
関口英子
セキグチ・エイコ
埼玉県生まれ。翻訳家。訳書に、パオロ・コニェッティ『帰れない山』、カルミネ・アバーテ『風の丘』『海と山のオムレツ』、プリーモ・レーヴィ『天使の蝶』、アルベルト・モラヴィア『同調者』、ベアトリーチェ・サルヴィオーニ『マルナータ 不幸を呼ぶ子』など。『月を見つけたチャウラ ピランデッロ短篇集』で第1回須賀敦子翻訳賞受賞。