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彼女の思い出/逆さまの森

J・D・サリンジャー/著 、金原瑞人/訳

1,760円(税込)

発売日:2022/07/27

書誌情報

読み仮名 カノジョノオモイデサカサマノモリ
シリーズ名 新潮モダン・クラシックス
装幀 新潮社装幀室/デザイン
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 271ページ
ISBN 978-4-10-591008-2
C-CODE 0397
ジャンル 文学・評論
定価 1,760円

今なお話題のサリンジャーの煌めく才能。これが最後の「9つの物語(ナイン・ストーリーズ)」!

若い頃の留学先のウィーンを終戦後に再訪した男が行方を探す美少女、謎の女とともに行方不明になった天才詩人、少年が見てしまった悲劇の黒人ジャズ歌手。グラース家の物語の無垢、そして『ライ麦畑でつかまえて』の異議申し立て……サリンジャーが後年描いたエッセンスを湛えながら本国では出版されることのない幻の短篇集!

目次
彼女の思い出
ヴァリオニ兄弟
おれの軍曹
ボーイ・ミーツ・ガールが始まらない
すぐに覚えます
ふたりの問題
新兵に関する個人的な覚書
ブルー・メロディ
逆さまの森
訳者あとがき

書評

ロスト・ジェネレーションとしてのサリンジャー

川本三郎

 これまで知っているサリンジャーとはまったく違う。もう一人のサリンジャーが現われたような新鮮な驚きがある。
 1940年代に「エスクワイア」や「コスモポリタン」誌などに発表されながら、単行本に収録されなかった九編の中短編から成る。
 サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』の印象があまりに強いために、つい主人公のホールデン少年と同じような戦後に登場した世代と思ってしまうが、実はサリンジャーは第二次世界大戦に兵士として従軍した。戦争体験のある“戦中派”である。
 ヘミングウェイが第一次世界大戦を経験したロスト・ジェネレーションであるとすれば、サリンジャーは第二次世界大戦を経験したもうひとりのロスト・ジェネレーションといっていい。いずれも若き日に戦争を経験し、苛酷な戦場を見、そして理想の崩壊、失意を味わった。
 サリンジャーのロスト・ジェネレーションぶりは冒頭の「彼女の思い出」によくあらわれている。
「おれ」は、アメリカの裕福な家庭の子。1936年、学業の失敗を挽回するために父親の命で語学の勉強のためヨーロッパ各地を遊学する。ドイツ語を学ぶためウィーンに滞在した時、「彼女」、リーアというユダヤ人の美しい少女に会う。ドイツ語を学び始めたばかりの「おれ」と拙い英語を話すリーアが、それぞれ、たどたどしい言葉を交しながら親しくなってゆく。
 そのさまは実にういういしく、少年と少女の幼ない恋の物語になっている。
 しかし、1936年のウィーンといえばヒトラーの統治の直前。甘い恋の結末が用意される筈もない。「おれ」はリーアと別れ、アメリカに帰るが、ユダヤ人の彼女の行手にはどんな悲劇が待ち受けたのか。
 戦後、「おれ」がウィーンを再訪するところはリーアのその後を詳しく書き込んでいないだけにかえって胸迫るものがある。ロスト・ジェネレーションならではの作品。
 軍隊ものと呼びたい作品もある。『ライ麦畑でつかまえて』の作者としては意外。「おれの軍曹」では、「おれ」が軍隊時代に世話になった、叩き上げらしい軍曹のことを親しく思い出す。入隊したばかりの日、「おれ」は心細くなって兵舎のベッドでひとり泣いた。
 その「おれ」を思いがけない優しさで慰めてくれた軍曹がいた。武骨で醜男で女性にはもてない。その軍曹が、兵隊になったばかりで泣いている「おれ」に優しくしてくれた。軍曹はその後、1941年、真珠湾攻撃の時、仲間を助けて自分は死んでいった。「おれ」は、いまも軍曹のことが忘れられない。
 サリンジャーに、こんな戦中派としての深い思いがあったとは。サリンジャーの戦争体験を改めて知りたくなる。
「すぐに覚えます」と「新兵に関する個人的な覚書」も軍隊もの。どちらも、軍隊における新兵に対するしごきの厳しさを描いている。サリンジャーの兵隊時代の体験が反映されているのかもしれない。いずれも『ライ麦畑』の作者が、こんな小説を書いていたのか、という意外な面白さがある。どちらの小説も、オー・ヘンリーを思わせるような巧みな落ちがあるのも鮮やか。
 九編中では、もっとも長い「逆さまの森」は、裕福で知的な女性が主人公になっている。
 亡命ドイツ貴族の娘。子供の頃、学校で好きな男の子に会った。貧しい家の子。大人になって彼に再会した。知る人ぞ知る詩人になっていた。
 二人は結婚して幸せな暮しを送っていた。そこにある日、自分の詩を読んで欲しいという詩人の読者の若い女性が現われ……。
 この女性は実は結婚していた。カポーティティファニーで朝食を』の、ミスのように見えながら実はミセスだったホリーを思い出させる。カポーティはひょっとしたら、『ティファニー』を書くにあたって、サリンジャーのこの作品にヒントを得たのかもしれない。

(かわもと・さぶろう 評論家/翻訳家)
波 2022年8月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

J・D・サリンジャー

Salinger,Jerome David

(1919-2010)1919年1月1日ニューヨーク市生れ。1940年に短篇「若者たち」でデビュー。1942年陸軍に入隊し、1944年ノルマンディー上陸作戦に参加した。戦争を挟んで多くの短篇小説を執筆する。1951年に長篇小説『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を刊行、2022年7月現在までに全世界で6500万部を超える大ベストセラーとなった。1953年の『ナイン・ストーリーズ』刊行の後、ニューハンプシャー州コーニッシュに隠遁。『ナイン・ストーリーズ』所収の諸作品に始まる〈グラース家〉の物語を『フラニーとズーイ』(1961年)、『大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア―序章―』(1963年)と書き継いだが、1965年6月、「ニューヨーカー」誌にシーモア・グラースを語り手とする「ハプワース16、1924年」を発表以後、沈黙を続けた。2010年1月27日没。

金原瑞人

カネハラ・ミズヒト

1954(昭和29)年岡山県生れ。翻訳家、英文学者。法政大学社会学部教授。著書『翻訳エクササイズ』『翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった』『サリンジャーに、マティーニを教わった』のほか、サリンジャー『このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる ハプワース16、1924年』、モーム『月と六ペンス』『人間の絆(上・下)』、ヘミングウェイ『武器よさらば(上・下)』、カート・ヴォネガット『国のない男』、アレックス・シアラー『青空のむこう』など訳書多数。

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