
私の日本古代史(下)―『古事記』は偽書か――継体朝から律令国家成立まで―
1,980円(税込)
発売日:2012/12/21
- 書籍
- 電子書籍あり
「中国・朝鮮との関係を見つめ、記紀神話の敗者に寄りそう――弱い者の立場に立つ“上田史学”の集大成」梅原猛
古代史とは「日本」の深層を探ること――日本という国号はいつ成立したのか? 大王家はなぜ天皇へと変わったのか? 万世一系に断絶はなかったのか? そして最大の謎、『古事記』は果して偽書なのか? 縄文以前から国家としてのシステムが整う天武・持統朝まで、通史として俯瞰し見えてくる新たな歴史像!
第一章 王権の動揺
第一章 仏教の伝来
第一章 改新の前提
第一章 日本国の登場
関連する略年表
書誌情報
読み仮名 | ワタシノニホンコダイシ2コジキハギショカケイタイチョウカラリツリョウコッカセイリツマデ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 320ページ |
ISBN | 978-4-10-603721-4 |
C-CODE | 0321 |
ジャンル | 日本史 |
定価 | 1,980円 |
電子書籍 価格 | 1,980円 |
電子書籍 配信開始日 | 2013/06/28 |
書評
一国史観の幻影を壊す豊饒の書
まだ若い頃に、上田正昭さんの『帰化人』を読んだときの興奮が思いだされる。帰化人という言葉が、その自明性をひき剥がされて、歴史の読み方が裏返されるような体験だった。この『私の日本古代史』という、上田さんが最晩年に書き下ろされた渾身の著書を、わたしはその若き日の読書体験の真っすぐな延長上で読むことになった。これはまさに、「アジアのなかの『古代史』の再発見」(「まえがき」)の書なのである。
この書では、「帰化」という用語の背景に、日本版の中華思想が存在したことが指摘されていた。これは「日本」という国号を掲げた古代律令国家の国際関係にも影を落としていた。「中国(中華)には必ず「夷狄」の存在が必要となる」という。実際にも、遣唐使が「蝦夷の男女」を伴って入唐したことがあるが、まさしく東の夷狄を小中華としての日本は必要としたのである。現代にも、帰化という言葉は生きているが、そこに中華思想は隠されていないか。
「天皇」の称号と「日本」という国号が天智期から天武期に誕生したことは、すでに通説であるが、上田さんはここでは、それをひたすら東アジア世界の歴史的景観のなかで追究している。これ以前には、大王はいても天皇はいなかったし、倭国はあっても日本国は存在しなかった。日本という国家の輪郭は、想像される以上に揺らぎをはらんでいる。国境はけっして自明なものではなく、倭人も半島の人々も、その幻想の国境をたえず跨ぎ越え往還していた。都の内や外には、数もしれぬ渡来人たちの影があった。渡来系の技術や文物が移入されただけではなく、その担い手である渡来系の人々が、朝鮮半島の政治状況を背にして渡ってきて、さまざまに活躍していた。大化の改新の背後にも、天武天皇や藤原不比等のまわりにも、歴史書の編纂の現場にも、大きな役割を演じた渡来人たちが見え隠れしている。彼らはたんなる脇役ではなく、影の存在でもない。この書を読んでいると、それが痛いほどに感じられる。
これまで日本という領土の内なる歴史のひと齣として(のみ)語られてきた事件が、激動する東アジアの政治や軍事をめぐる情勢のなかで、丁寧に読み解かれてゆく。とりわけ、朝鮮半島と倭・日本との交渉や戦争といった状況を視野に収めることなしには、日本の古代史を明らかにすることはできない。日本の古代史像はかつて、『古事記』や『日本書紀』などの文献の読解を核として、考古学的な遺跡や遺物を重ね合わせにしながら織りあげられてきた。上田さんはそこに留まらず、朝鮮半島の文献史料や考古遺物を博捜しながら、一国史観の幻影を壊してゆく。
上田さんならではの、新しい知見が惜しげもなく提示される。たとえば、三輪山の神婚説話について、三輪山の神が蛇体となって女を訪れ、糸をたどって神の正体が知られる苧環型の説話など、その類似の伝承が朝鮮半島にもある、という。あるいは、高千穂への降臨伝承には、朝鮮半島と筑紫との深いかかわりがあったのではないか、という。天孫降臨神話をめぐって、朝鮮の神話との比較研究が必要となる。そのうえで、決定的な違いも指摘されていた。
上田さんはいう。「新羅の始祖は村々の始祖たちの合議の要請にこたえて天降る」のであり、『三国遺事』が記すように、その降臨は『古事記』や『日本書紀』が描くような、「まつろわぬ葦原の中つ国を平定するための神話」ではなかった。いわば、天降る神の側ではなく、神を迎える村の長たちや民衆のほうに、「神話の主体がある」のだと論じられている。たしかに、日本の神話においては、降臨する神を迎える村の人々の姿は語られていない。視野の外に棄て置かれている。
この書にはまた、出雲・吉備・筑紫・東国・東北についての考察がくりかえし見いだされる。とりわけ、玉作りの文化をめぐって、「北ツ海文化圏」に触れた箇所には心惹かれた。北ツ海とはむろん、日本海の古名である。上田さんはここで、古代史における高句麗使や渤海使の重要な意味に触れながら、「船が停泊しうるラグーン(潟湖)のありよう」に注意を喚起していたのである。震災後に、柳田国男の潟をめぐるエッセイを起点に、この潟湖に眼を凝らしてきたわたしには、見過ごせない一節であった。
折口信夫への言及が随所に見られる。たとえば、関東大震災における朝鮮人虐殺をテーマにした「砂けぶり」の一連の歌(――折口は「非短歌」と称した)について、上田さんは「折口を悲憤と絶望に追いやったのは、朝鮮人虐殺の「やまと」の本質であった」という。そして、「折口学における朝鮮は、ついに未完だった。そしてその死角となった」とも指摘していた。それは真っすぐに、上田さん自身が抱え込んでいた、「日本にとっての朝鮮とは何であったか。朝鮮にとっての日本とは何であったか」というテーマへと繋がっていた。
上田正昭という歴史家の最晩年の書の豊饒さに、わたしは心打たれている。
(あかさか・のりお 民俗学者)
我も彼も生きるための「必生」の古代史
日本史の、それも古代史というサブジェクトに沿う叙述が、社会的に果たしうる役割、つまりは読む人々にもたらすものとは何であろうか。千年とか千五百年とかも前に起きた出来事で、起こったことへの好奇心、つまりは自分で確かめることのできない事象を知ることができたという満足のほかには、そこから暮らしに役立つ具体的な何かを学べるというわけでもない。
ではそれはただ過ぎ去ってしまった時間であり、我々とは無関係なのかというと、そうではない。著者が古代史研究に情熱を燃やし続けて現在にいたっている理由でもあるのだが、それは過ぎ去った古代を「生ける古代」として構築することである。ある意味楽でもある象牙の塔的世界に閉じこもることなく、得た成果の社会への還元をたえず目指して、本書は「列島文化のあけぼの」から「国家のシステムがととのう」八世紀ころまでを対象として叙述されている。たしかにこの時代ははるかなる古代ではあるが、それは「現在の日本国家のありようにつながっている」のであり、今の国家や社会の原点となっており、この時代を見極めることが現代・未来を築くためのエンジンになるという確信のもとでの執筆であるといえよう。
叙述の態度は、極めて実直かつ公平で、根拠のない推測、いわゆるロマンなどとはもとより一切無縁である。それは著者の終始一貫する研究態度であるが、本書に則して例示すれば、まずは国際的環境への広く深い視野があろう。今や常識だが、先鞭をつけたのはまぎれもなく著者であった。本書でも朝鮮・韓国史や中国史の成果が正確に吸収されており、周到な眼差しが注がれている。尽きることのない飽くなき探究心と知識欲がそうさせるのであろうが、よくもここまで国内外の調査・研究情報に目を配り得たと思えるほどである。日本の古代は海外、特に東アジア世界との豊かな交流・交渉のもとで形成されてきたが、それがただ理屈のみでいわれるのでなく、実証によって語られている。珠玉の古代史といってよい。
神話・伝承についても豊富な叙述がなされている。歴史研究者がともすれば避けがちなこの課題に著者が早くから取り組んだこともよく知られているが、それを史実の反映、あるいは逆に空想所産と単純に見るのでなく、透徹した史眼でもって神話・伝承と史実の行き交いの様相が分析される。
ところで著者はまたこの度の戦争に大きな負債感を持ち、戦後沖縄について「いったい幾人が、その痛みをわが痛みとしてうけとめることができたか」と述べ、終戦時の「十九歳の虚脱と懐疑をスタートとして」、つまりはその克服から始まった歴史研究であることを正直に告白している。古代にけっして沈潜・耽溺することなく、たえず現在におけるその社会化に渾身の力を今もささげ続けている著者の、我も彼もが必ず生きようとする覚悟をこめた文字通りに「必生」の作品であろう。
波 2013年1月号より
著者プロフィール
上田正昭
ウエダ・マサアキ
(1927-2016)1927年兵庫県生まれ、歴史学者。京都大学文学部史学科卒業。京都大学教授、大阪女子大学(現大阪府立大)学長、島根県立古代出雲歴史博物館名誉館長などを歴任。東アジア全体を視野に入れた古代史研究で知られる。著書に『日本神話』(岩波書店)、『上田正昭著作集 全八巻』(角川書店)、『私の日本古代史 上下』(新潮社)など多数。2016年没。