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昭和天皇 「よもの海」の謎

平山周吉/著

1,540円(税込)

発売日:2014/04/25

  • 書籍
  • 電子書籍あり

御前会議で読み上げられた明治天皇の御製、その解釈を巡る闘いが昭和史を動かした――。

「よもの海みなはらからと思ふ世に……」、それは本来言葉を発してはいけない天皇が、戦争を避けるためにあえて読み上げた御製であった。しかしその意思とはうらはらに、軍部強硬派による開戦の口実に利用され、さらに戦後の戦争責任にも影響を及ぼしていく……。御製はいかに翻弄されていったのか――知られざる昭和史秘話。

目次
はじめに
昭和天皇の「待った」/必ずしも菊のカーテンではなかったが
第一部 「よもの海」――平和愛好から開戦容認へ

第一章 「平和」がもっとも近づいた日 昭和十六年九月六日
「聖慮は平和にあらせられるぞ」/昭和天皇の肉声による昭和十六年九月五日/御前会議の出席者たち/懐中より取り出した明治天皇の御製「よもの海」/言及されなくなる「よもの海」
第二章 御製は大御心である
一日に四十首を詠んだ日露戦争時の明治天皇/欧州巡遊の際の竹下勇との君臣関係/セオドア・ルーズヴェルト大統領が感激した「よもの海」/英語に「超訳」された「よもの海」/知られざる宮廷歌人・千葉胤明/「明治天皇の平和を御愛好遊ばす御精神」/佐佐木信綱の謹解「戦争中にしてこの御製を拝す」/それは軍人の必携必読の本だった/陸軍記念日にその記事は出た/御前会議の秘密をさりげなく示唆する新聞記事/朝日新聞の「スクープならざるスクープ」/勝てば美談、負ければタブー
第三章 「よもの海」の波紋はいつ鎮まったか
東条英機、東久邇宮邸におもむく/一夜明ければ、東条英機は強硬派に戻っていた/武藤章の「戦争なんて飛んでもない」と「天子様がお諦めになって」/参謀本部の支配的空気は、天皇を啓蒙せよ/入江相政侍従のゆるやかな九月六日/「ことだま」は絶大であった/原四郎編纂官の『大東亜戦争開戦経緯』/態勢を立て直す杉山元参謀総長/陸軍への抵抗を弱める昭和天皇/「よもの海」の来歴と、昭和五十年の不思議な御言葉
第四章 「不徹底」に気づいた高松宮と山本五十六
「御前会議の不徹底につきてお話した」/昭和天皇の「御前会議改革案」/御前会議の演出家・木戸幸一内大臣/「原案の順序でよろしい」と「変更に及ばず」――九月五日夕方の「不徹底」/「別紙」の再検討もなかった/山本五十六が読みあげた、もうひとつの「よもの海」/『明治天皇御集』を愛誦していた山本五十六/他ならぬ佐佐木信綱と他ならぬ渡辺幾治郎の他ならぬ明治天皇の本/パロディになった「よもの海」
第二部 「よもの海」の戦後

第五章 「平和愛好」へのリセット
いち早く復活した「よもの海」/東久邇宮首相の施政方針演説での「復活」/「五箇条の御誓文」もいち早く発信されていた/元「ミスター朝日」の緒方竹虎が演説草稿を書いた/「よもの海」は国内よりも海外を意識していたか/日本再建の家長は天皇陛下である/昭和十七年三月十日の記事掲載の最高責任者は緒方だった/「よもの海」復活の仕掛け人は誰か/東京裁判で九月六日はいかに語られたか/中国撤兵拒否だったと証言する木戸被告/「よもの海」に言及しない東条被告
第六章 映画『明治天皇と日露大戦争』の「よもの海」
「御製で明治天皇の感情を表現する」/アラカンの明治天皇が物思いにふけるシーンで/昭和天皇も鑑賞、歴代総理大臣も感激/徳富蘇峰の「明治天皇の開戦反対は天祐」
第七章 明治百年の『明治天皇紀』公刊
唯一の読者だった昭和天皇へ奉呈された『明治天皇御紀』/「明治天皇の日露開戦反対」をめぐる昭和天皇と金子堅太郎との暗闘/原田熊雄の単刀直入、木戸幸一の「正確」/湯浅倉平の危惧が昭和十六年秋に顕在化する/『明治天皇紀』の明治三十七年二月四日開戦決定/『明治天皇紀』に「よもの海」がなぜないのか/金子堅太郎の「いじめ」に、三上参次は明治天皇の御製で耐え忍ぶ/支那事変を憂慮する金子堅太郎/西園寺公望の「明治天皇は決して御悧巧な御方ではない」/明治天皇の御親裁ぶり/若き昭和天皇と歴代総理大臣との冷たい緊張感/明治憲法下、天皇には拒否権があった/渡辺幾治郎編修官の「建白書」/『昭和天皇実録』への不安と懸念
第八章 アメリカで蘇える「よもの海」の記憶
ホワイトハウスの前で「波風の立ち騒いだ不幸な一時期」/昭和五十年訪米の荘厳たる野外劇場/注目は「私が深く悲しみとする、あの不幸な戦争」に集まる/通訳官・真崎秀樹の「豈朕が志ならむや」の英訳/質問の焦点は日米戦争の開戦責任だった/記者会見場に初めてテレビカメラが入る/「言葉のアヤ」「文学方面はあまり研究していない」/入江侍従長の危惧は皇后さまへの質問だった/茨木のり子の直観の恐ろしさ/最後の靖国参拝記事の小さな扱い/額ずく靖国の遺族の前を御料車はゆるゆると進む/「お年のせいでブレイキがきかなくおなりになった」
第九章 御集『おほうなばら』と御製「身はいかに」
昭和天皇の和歌一万首/昭和天皇の御歌の大きさ/『おほうなばら』は波静かな太平洋である/「むねせまりくる」に戦争の影/昭和に入って不安な気配が歌われる/四首のリーク候補/『おほうなばら』に収録されなかった御製「身はいかに」/太平洋を眺めると思いは戦争へ/「神がみ」が十年後には「人々」に/例大祭ではなく八月十五日が歌われる/瀕死の床で推敲を続けた御製「身はいかに」
第十章 杉山元の「御詫言上書」
「寡黙の人」徳川義寛が口を開く/修史を意識した徳川侍従の日記/杉山元帥夫妻自決に、理由のお尋ね/上聞に達した「御詫言上書」/「陛下が開戦は已むないがと、懇々と御訓示」/「其の罪万死するも及ばず」/責任問題に三度触れた自決二日前の夜
第十一章 東京大空襲と歌碑「身はいかに」
小津安二郎が生まれた町で/堀田善衛の昭和天皇巡幸との遭遇/「日本ニュース」の「脱帽 天皇陛下戦災地御巡幸」/「鬼哭啾々の声」を聞いた朝日新聞の記事/鈴木貫太郎の息子が揮毫した「身はいかに」の歌碑/宮中の目で見た昭和天皇・マッカーサー会見/「身はいかに」と「国体護持」の矛盾/富岡八幡のもうひとつの碑「天皇陛下御野立所」/「君民を裸のまま接触させることは輔弼の大臣の勤め」/大達茂雄の「世紀の警鐘」/大達内相の「身はいかに」
第十二章 八月十五日の「よもの海」
『戦史叢書』という歴史書/強硬派・田中新一の生史料/昭和二十一年に書かれた「石井秋穂大佐回想録」/事務方から見た九月六日の御前会議/「回想録」に残された墨塗りの自己検閲の跡/石井秋穂の昭和天皇論/「親政でないようで強い御親政だった」/「空気による御親政」を上回った明治天皇の御製の力/石井秋穂の私信まで残した原四郎/一流の史書を一流の読み手が批判する/「一切の感情を捨てて唯真相を遺す」/「白紙還元だけでは不徹底」/ひとつの記憶
主要参考文献
あとがき

書誌情報

読み仮名 ショウワテンノウヨモノウミノナゾ
シリーズ名 新潮選書
雑誌から生まれた本 新潮45から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 304ページ
ISBN 978-4-10-603745-0
C-CODE 0331
ジャンル マスメディア、日本史
定価 1,540円
電子書籍 価格 1,232円
電子書籍 配信開始日 2014/10/24

書評

波 2014年5月号より 「ことだま」の支配する国のあのとき

片山杜秀

三十一文字の解釈が国家の命運を決する。五七五七七の読み方ひとつで戦争と平和がひっくりかえる。『万葉集』の時代の物語ではない。『古今和歌集』でもない。現代だ。昭和だ。それも日米が開戦するかしないかという決定的局面での話だ。そのとき大いなる役割を果たしたのは和歌であった。しかも和歌というカードを切った現人神のつもりを離れて、和歌は勝手に歩いていった。何しろ「ことだま」である。現人神さえ和歌の「ことだま」を自由にできない。逆に制せられる。零戦が飛行しようが戦艦大和が航海しようが、この国の主役は機械でも人間でも哲学でも、ついに現人神でもなかった。「ことだま」であった。嗚呼、神秘なる国柄よ!
本書は「ことだま」の支配する国のあのときを丹念に調べ抜く。そう、あくまで丹念に。あの時代の人々の思考法や、持てる知識に寄り添って。後世の物差しにはめ込むのではなく。定説を信ぜず。素直な好奇心を忘れず。あのときの新聞を読み、書物を漁って。ひたすら足を棒にする老刑事のように。決してブリリアントな名探偵の作法にはのっとらず。
まさに執念の寄せ。神津恭介というよりは鬼貫警部であろう。鬼貫警部を笠智衆が演じている。そんな風情だ。評論や研究というよりもノンフィクション。いや、やはり推理小説の書きっぷり。著者が登場して資料を読んでゆく。そんな経過が継起的に書かれているから、その感はますます強い。
そうやって本書は「ことだま」の正体を追いつめてゆく。昭和天皇の思想と行動の核心にふれる。日米開戦の意思決定の重大な過程を抉っている。曖昧なる日本的政治原理を解明している。政治と文学の癒着という大テーマを提出する。つまりは天皇と和歌の問題である。明治天皇も召喚される。
多くのことが推測なのかもしれない。法廷なら証拠不足かもしれない。が、恐らくかなり当たりなのだろう。入念な思考に説得される。何度シャッポを脱いでも足りないくらい。これはもう日本近代史を書き替える本であろう。
本書の主役とも呼べるのは明治天皇の御製。「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」
一九四一年の日米開戦の是非を問う御前会議。昭和天皇は異例の行動に出る。この和歌を朗誦したのだ。よく知られた出来事である。「よもの海」は、明治天皇が日露戦争回避の意向を示した和歌ともされる。
上御一人であり大元帥である天皇が、歴史的御製を引き、日米戦争不可の意思を表明した。大元帥が明確に避戦と述べているのに軍が逆らうはずはない。仮に逆らいたくなったとしても相当に躊躇しないはずはない。陸海軍人の天皇への忠誠心とはそういうものだ。その時代の当たり前に照らすならば。軍人が天皇の平和宣言たる「よもの海」を無視して暴走できはしないだろう。ところが戦争は始まった。なぜなのか。戦後の歴史家たちはそのへんを曖昧にしてきた。
著者はそこに斬り込む。天皇が「よもの海」で避戦の決意を示したのに軍人がそれを無視したのではないとすれば、「よもの海」がそもそも避戦を意味していなかったのではないか。昭和天皇は日米戦争不可のつもりで「よもの海」を朗誦したとしても、そこに発せられた「ことだま」が戦争を許容する解釈を有していれば、その先は天皇個人の意思を超越する。そして昭和天皇は「よもの海」の解釈の多義牲について恐らく無知であった。カードを切り損ねた。かくして昭和天皇の思想と行動は「ことだま」に屈したのだ。そして天皇が一大覚悟を込めた「ことだま」はそう簡単に言い換えるわけにはゆかない。ずるずる行くのである。
天皇に訪れた次の機会は、恐らく昭和二十年八月の御前会議であった。そのとき天皇はもう非合理な「ことだま」に頼らなかった。プラグマティックな言葉で、別の解釈の可能性を封じるかたちで意思を示した。軍人も今度は従った。都合のいい別解釈ができなかったからだろう。これを聖断という。
日本の戦後は政教分離の原則をうちたてた。現人神というのは政治宗教である。政教を分離すれば現人神は機能せず、日本は民主化され、合理的思考が行き渡る。そう考えられたのだろう。が、本当の問題は天皇と和歌、政治と文学ではなかったのか。そこには日本語の構造、日本人の美学、意思疎通の作法も介在するだろう。「政文分離」ということがもっと意識されるべきなのだ。今も「ことだま」はこの国を飛び交っているのではないか。そのことが身に染みていたのは昭和天皇だけだったのかもしれない。本書を開いていると、手に汗を握りつつ、そういう思いにばかりとらわれる。
ことだまを操るつもりが操られ何時の間にやら負け戦かな。

(かたやま・もりひで 評論家、思想史家)

担当編集者のひとこと

昭和十七年三月十日の新聞記事に見つけた「昭和史の謎」を解く鍵

 それは特に目立たぬ、ささいな記事でした。著者の趣味は、近現代史の史料を渉猟すること。近所の公立図書館に出かけては、過去の縮刷版新聞記事を読むことも習慣としていました。そこで偶然見つけた、戦中における皇室の記事――昭和十七年三月十日付の朝日新聞、タイトルは「明治天皇御製に/偲び奉る日露役」、そして記事本文を読み進め、著者は思わず驚いたと言います。それは、これまでの昭和史の通説を覆す、ある事実が書かれていたからです。
「よもの海みなはらからと思ふ世に……」、昭和史に関心のある方ならご存知の向きも多いでしょう、この歌は昭和十六年九月六日、開戦間際の御前会議において昭和天皇が読んだ明治天皇の御製です。本来言葉を発してはいけないはずの天皇が、戦争を避けるためにあえて読み上げた祖父の和歌でした。しかしそれにもかかわらず、わずか三ヵ月後の十二月八日に日米は開戦。戦争に向かっていく歴史のうねりは、「上御一人(かみごいちにん)」である昭和天皇の意思をもってしても止められなかった事実として記憶されています。ただ、この昭和天皇が読んだ明治天皇の御製の話、長らく昭和史の解けない謎とされてきました。なぜ、異例にもかかわらずはっきりと昭和天皇が避戦の意思を示しながら、何の効力も発揮せず、まるで無視されたかのように消え失せてしまったのか……?
 著者が偶然見つけた新聞記事には、その謎の答えとなるヒントが隠されていたのです。三月十日は、当時、陸軍記念日でした。記事は、その記念日に引っ掛け、日露戦争時に詠まれた「よもの海」の御製についてのエピソードを語る内容でした。著者が驚いたのは、この中で語られる明治天皇の御製が、平和を願い詠んだ歌としてではなく、日露開戦決定後に詠まれたロシアへの戦闘決意を表明した歌として紹介されていたことです。「よもの海」の御製が明治天皇の戦闘決意を表明する歌であるとするなら、昭和天皇が御前会議で読み上げた意味も全く反対の意思として取られてしまいます。なるほどそう考えれば、昭和史の謎であった、この御製がまるで無視されたかのように消えていった理由も分らないではありません。著者はこのヒントをもとに、軍部強硬派による「ある画策」を仮説します。そして、昭和史の謎であったジグソーパズルのピースが次々と解き明かされてゆくのです――。

2014/04/25

著者プロフィール

平山周吉

ヒラヤマ・シュウキチ

1952年東京都生まれ。雑文家。慶応義塾大学文学部卒。雑誌、書籍の編集に携わってきた。昭和史に関する資料、回想、雑本の類を収集して雑読、積ん読している。著書に『昭和天皇「よもの海」の謎』(新潮選書)、『戦争画リターンズ―― 藤田嗣治とアッツ島の花々』(芸術新聞社、雑学大賞出版社賞)、『江藤淳は甦える』(新潮社、小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(芸術新聞社、司馬遼太郎賞)がある。boid/VOICE OF GHOSTより刊行中のKindle版『江藤淳全集』責任編集者。近刊として『昭和史百冊(仮題)』(草思社)がある。

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