昭和天皇 「よもの海」の謎
1,540円(税込)
発売日:2014/04/25
- 書籍
- 電子書籍あり
御前会議で読み上げられた明治天皇の御製、その解釈を巡る闘いが昭和史を動かした――。
「よもの海みなはらからと思ふ世に……」、それは本来言葉を発してはいけない天皇が、戦争を避けるためにあえて読み上げた御製であった。しかしその意思とはうらはらに、軍部強硬派による開戦の口実に利用され、さらに戦後の戦争責任にも影響を及ぼしていく……。御製はいかに翻弄されていったのか――知られざる昭和史秘話。
第一章 「平和」がもっとも近づいた日 昭和十六年九月六日
第五章 「平和愛好」へのリセット
あとがき
書誌情報
読み仮名 | ショウワテンノウヨモノウミノナゾ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
雑誌から生まれた本 | 新潮45から生まれた本 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 304ページ |
ISBN | 978-4-10-603745-0 |
C-CODE | 0331 |
ジャンル | マスメディア、日本史 |
定価 | 1,540円 |
電子書籍 価格 | 1,232円 |
電子書籍 配信開始日 | 2014/10/24 |
書評
波 2014年5月号より 「ことだま」の支配する国のあのとき
本書は「ことだま」の支配する国のあのときを丹念に調べ抜く。そう、あくまで丹念に。あの時代の人々の思考法や、持てる知識に寄り添って。後世の物差しにはめ込むのではなく。定説を信ぜず。素直な好奇心を忘れず。あのときの新聞を読み、書物を漁って。ひたすら足を棒にする老刑事のように。決してブリリアントな名探偵の作法にはのっとらず。
まさに執念の寄せ。神津恭介というよりは鬼貫警部であろう。鬼貫警部を笠智衆が演じている。そんな風情だ。評論や研究というよりもノンフィクション。いや、やはり推理小説の書きっぷり。著者が登場して資料を読んでゆく。そんな経過が継起的に書かれているから、その感はますます強い。
そうやって本書は「ことだま」の正体を追いつめてゆく。昭和天皇の思想と行動の核心にふれる。日米開戦の意思決定の重大な過程を抉っている。曖昧なる日本的政治原理を解明している。政治と文学の癒着という大テーマを提出する。つまりは天皇と和歌の問題である。明治天皇も召喚される。
多くのことが推測なのかもしれない。法廷なら証拠不足かもしれない。が、恐らくかなり当たりなのだろう。入念な思考に説得される。何度シャッポを脱いでも足りないくらい。これはもう日本近代史を書き替える本であろう。
本書の主役とも呼べるのは明治天皇の御製。「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」
一九四一年の日米開戦の是非を問う御前会議。昭和天皇は異例の行動に出る。この和歌を朗誦したのだ。よく知られた出来事である。「よもの海」は、明治天皇が日露戦争回避の意向を示した和歌ともされる。
上御一人であり大元帥である天皇が、歴史的御製を引き、日米戦争不可の意思を表明した。大元帥が明確に避戦と述べているのに軍が逆らうはずはない。仮に逆らいたくなったとしても相当に躊躇しないはずはない。陸海軍人の天皇への忠誠心とはそういうものだ。その時代の当たり前に照らすならば。軍人が天皇の平和宣言たる「よもの海」を無視して暴走できはしないだろう。ところが戦争は始まった。なぜなのか。戦後の歴史家たちはそのへんを曖昧にしてきた。
著者はそこに斬り込む。天皇が「よもの海」で避戦の決意を示したのに軍人がそれを無視したのではないとすれば、「よもの海」がそもそも避戦を意味していなかったのではないか。昭和天皇は日米戦争不可のつもりで「よもの海」を朗誦したとしても、そこに発せられた「ことだま」が戦争を許容する解釈を有していれば、その先は天皇個人の意思を超越する。そして昭和天皇は「よもの海」の解釈の多義牲について恐らく無知であった。カードを切り損ねた。かくして昭和天皇の思想と行動は「ことだま」に屈したのだ。そして天皇が一大覚悟を込めた「ことだま」はそう簡単に言い換えるわけにはゆかない。ずるずる行くのである。
天皇に訪れた次の機会は、恐らく昭和二十年八月の御前会議であった。そのとき天皇はもう非合理な「ことだま」に頼らなかった。プラグマティックな言葉で、別の解釈の可能性を封じるかたちで意思を示した。軍人も今度は従った。都合のいい別解釈ができなかったからだろう。これを聖断という。
日本の戦後は政教分離の原則をうちたてた。現人神というのは政治宗教である。政教を分離すれば現人神は機能せず、日本は民主化され、合理的思考が行き渡る。そう考えられたのだろう。が、本当の問題は天皇と和歌、政治と文学ではなかったのか。そこには日本語の構造、日本人の美学、意思疎通の作法も介在するだろう。「政文分離」ということがもっと意識されるべきなのだ。今も「ことだま」はこの国を飛び交っているのではないか。そのことが身に染みていたのは昭和天皇だけだったのかもしれない。本書を開いていると、手に汗を握りつつ、そういう思いにばかりとらわれる。
ことだまを操るつもりが操られ何時の間にやら負け戦かな。
担当編集者のひとこと
昭和十七年三月十日の新聞記事に見つけた「昭和史の謎」を解く鍵
それは特に目立たぬ、ささいな記事でした。著者の趣味は、近現代史の史料を渉猟すること。近所の公立図書館に出かけては、過去の縮刷版新聞記事を読むことも習慣としていました。そこで偶然見つけた、戦中における皇室の記事――昭和十七年三月十日付の朝日新聞、タイトルは「明治天皇御製に/偲び奉る日露役」、そして記事本文を読み進め、著者は思わず驚いたと言います。それは、これまでの昭和史の通説を覆す、ある事実が書かれていたからです。
「よもの海みなはらからと思ふ世に……」、昭和史に関心のある方ならご存知の向きも多いでしょう、この歌は昭和十六年九月六日、開戦間際の御前会議において昭和天皇が読んだ明治天皇の御製です。本来言葉を発してはいけないはずの天皇が、戦争を避けるためにあえて読み上げた祖父の和歌でした。しかしそれにもかかわらず、わずか三ヵ月後の十二月八日に日米は開戦。戦争に向かっていく歴史のうねりは、「上御一人(かみごいちにん)」である昭和天皇の意思をもってしても止められなかった事実として記憶されています。ただ、この昭和天皇が読んだ明治天皇の御製の話、長らく昭和史の解けない謎とされてきました。なぜ、異例にもかかわらずはっきりと昭和天皇が避戦の意思を示しながら、何の効力も発揮せず、まるで無視されたかのように消え失せてしまったのか……?
著者が偶然見つけた新聞記事には、その謎の答えとなるヒントが隠されていたのです。三月十日は、当時、陸軍記念日でした。記事は、その記念日に引っ掛け、日露戦争時に詠まれた「よもの海」の御製についてのエピソードを語る内容でした。著者が驚いたのは、この中で語られる明治天皇の御製が、平和を願い詠んだ歌としてではなく、日露開戦決定後に詠まれたロシアへの戦闘決意を表明した歌として紹介されていたことです。「よもの海」の御製が明治天皇の戦闘決意を表明する歌であるとするなら、昭和天皇が御前会議で読み上げた意味も全く反対の意思として取られてしまいます。なるほどそう考えれば、昭和史の謎であった、この御製がまるで無視されたかのように消えていった理由も分らないではありません。著者はこのヒントをもとに、軍部強硬派による「ある画策」を仮説します。そして、昭和史の謎であったジグソーパズルのピースが次々と解き明かされてゆくのです――。
2014/04/25
著者プロフィール
平山周吉
ヒラヤマ・シュウキチ
1952年東京都生まれ。雑文家。慶応義塾大学文学部卒。雑誌、書籍の編集に携わってきた。昭和史に関する資料、回想、雑本の類を収集して雑読、積ん読している。著書に『昭和天皇「よもの海」の謎』(新潮選書)、『戦争画リターンズ―― 藤田嗣治とアッツ島の花々』(芸術新聞社、雑学大賞出版社賞)、『江藤淳は甦える』(新潮社、小林秀雄賞)、『満洲国グランドホテル』(芸術新聞社、司馬遼太郎賞)がある。boid/VOICE OF GHOSTより刊行中のKindle版『江藤淳全集』責任編集者。近刊として『昭和史百冊(仮題)』(草思社)がある。