つくられた縄文時代―日本文化の原像を探る―
1,430円(税込)
発売日:2015/11/27
- 書籍
- 電子書籍あり
日本にしか見られぬ特殊な時代区分「縄文」は、なぜ、どのように生まれたのか?
「狩猟採集し、貧しくとも平等に集落生活を営む日本人の起源」――学校ではそう教わったはず。だが本当は、戦後、発展段階史観により政治的に作られた歴史概念だった?……。曖昧で多様な時間的・空間的な範囲、階層性を伴う社会構造、さらには独自の死生観、精神文化まで、最新の発掘考古学から見えてくるユニークな「縄文」の真の姿。
註
引用・参考文献
書誌情報
読み仮名 | ツクラレタジョウモンジダイニホンブンカノゲンゾウヲサグル |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 256ページ |
ISBN | 978-4-10-603778-8 |
C-CODE | 0321 |
ジャンル | 日本史 |
定価 | 1,430円 |
電子書籍 価格 | 1,144円 |
電子書籍 配信開始日 | 2016/05/13 |
インタビュー/対談/エッセイ
「縄文」とは、つくられた歴史概念であった
歴史の授業で習う「縄文時代・文化」という概念が、戦後の一国史を語る上で意図的につくられた政治的な側面を帯びたものであるということを、いままでどれだけの人が意識していたであろうか。
本書では、「縄文時代・文化」という概念が明治時代以降どのように形成されて来たのか、その来歴をトレースすることによって、「縄文時代・文化」が、発展段階的歴史観から戦後における新しい一国史を語るために用意されたものであったことを明らかにするとともに、「縄文時代・文化」という用語が一般化した一九五〇年代から六〇年代が、戦後の日本が真の独立国家として国際社会に復帰していった時期と重なり、その意味で「縄文時代・文化」が「日本が独自の歴史を語る」際に使用され、広まった概念であったことを指摘した。筆者は、従来の教科書等で使用されてきた「縄文時代・文化」とは、この二つの意味において、政治的な概念であったと言うことができると考えている。
一方で「縄文文化」が花開いた日本列島は、その差し渡しが主要四島だけでも、一五〇〇キロメートルを超え、その中には海岸地域や山岳地域などのほか、非常に様々な環境が存在する。自然環境に大きく依存していた「縄文時代」の人々は、これらの多様な環境に適応して、様々な生活様式を確立していた。したがって、現行の教科書やムック本などで説明されるような「縄文文化」像は、東日本を中心とした特定のモデルケースを取り上げてつくられた一イメージに過ぎず、その本質である多様な姿を描いてはいないと言える。
「縄文文化」とは、「日本の歴史において、狩猟・採集・漁撈による食料獲得経済を旨とし、土器や弓矢の使用、堅牢な建物の存在や貝塚の形成などからうかがうことのできる高い定着性といった特徴によって、大きく一括りにすることができる文化」という最大公約数的言説によって説明は可能だが、各時期の各地域において、それぞれ独自の地域文化を形作っていたという側面がある。それ故に、「縄文文化」とは決して日本全国等質なものではなく、各地の環境に適応しながら発達した地域文化の総体と捉えるべきであり、この呼称を使用する時点で、「一国史」的な括りを前提とするものであることを改めて指摘しておきたい。
なお、本書には「つくられた縄文時代」という挑戦的なタイトルが付されている。当初、筆者は「縄文とはなにか」というタイトルを予定していたが、編集者との数度にわたる議論の末、ようやく決まったものである。いろいろと考えるところはあるが、「まずは手に取ってもらうことが大切」との助言に説得されたところが大きい。願わくば、ぜひ本書をご一読いただき、筆者が意図するところを汲み取っていただきたいと思う。
(やまだ・やすひろ 国立歴史民俗博物館教授)
波 2015年12月号より
井上章一さん推薦
〈著名人が薦める〉新潮選書「私の一冊」(8)
「縄文時代」という呼称は、20世紀のなかば以降に浮上した。また、その時代像も、ここ数十年で大きくうつりかわっている。時勢に翻弄される考古学を、えがきだす。
(井上章一 建築史家・国際日本文化研究センター教授)
「日本経済新聞」2015年12月24日「目利きが選ぶ3冊」より
担当編集者のひとこと
くつがえった「縄文」の時代像
縄文時代といえば、「狩猟・採取をし、貧しくとも平等に集落生活を営む日本人の起源がいた時代……」と、そんなイメージはないでしょうか。私が高校生だった頃の歴史の授業では、確かそのように教えられた記憶があります。40代ぐらいまでの方々には、恐らく同じような縄文観をお持ちの向きが多いのではないかと管見いたします。でも、そのような縄文観が教えられていたのは、実は1980年代頃までの日本史授業にすぎません。現在の教科書で描かれる縄文人像は、「豊かで安定した生活」を送り、その社会は必ずしも「平等」なばかりではなかったとあるのだそうです。それは、三内丸山遺跡をはじめ、70年代から2000年代にかけて相次いだ縄文遺跡の発掘による新発見に基づく理由によるものでした。実は、縄文人たちは“その日暮らし”のような狩猟・採取を日々の糧としていたわけではなく、一年間の生活を計画的に考えて食糧を貯蔵していたようです。また決して収穫物を「公平」にわけあっていたわけではなく、特定の人が収穫を独占するような「不平等」が存在していたとも考えられています。つまり何らかの上下関係を伴う「階層」が存在したのではないかと――。
「縄文時代・文化」とは、明治時代以降に意図的に作られた、日本だけにしか存在しない時代概念であるということをご存じでしょうか? 戦後、日本が真の独立国家として国際社会に復帰していった時期に「日本が独自の歴史を語る」際に使用されることになり、さらに発展段階史観の影響から政治的に歴史像が色づけられていった時代区分なのです。本書では、そうした縄文の時代像がいかに形成されていったかを追うとともに、多様で多彩なその文化のありよう、そして独自の死生観を持ち、あるいは現代の私たちよりもよほど高度な精神文化を持っていたかもしれない“彼ら”の実像を明かしていきます。
2015/11/27
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著者プロフィール
山田康弘
ヤマダ・ヤスヒロ
1967年、東京都生まれ。国立歴史民俗博物館研究部教授。先史学者。専門は縄文時代を中心とした先史墓制論・社会論。筑波大学第一学群人文学類卒業後、筑波大学大学院博士課程歴史人類学研究科中退、博士(文学)。主な著書に『人骨出土例にみる縄文の墓制と社会』(同成社)、『生と死の考古学―縄文時代の死生観』(東洋書店)、『老人と子供の考古学』(吉川弘文館)など。