
経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く―
1,870円(税込)
発売日:2018/05/25
- 書籍
- 電子書籍あり
新資料が明かす「痛恨の逆説」。
有沢広巳ら一流経済学者を擁する陸軍の頭脳集団「秋丸機関」が、日米の経済抗戦力の巨大な格差を分析した報告書を作成していたにもかかわらず、なぜ対米開戦を防げなかったのか。「正確な情報」が「無謀な意思決定」につながっていく歴史の逆説を、焼却されたはずの秘密報告書から克明に解き明かす。瞠目の開戦秘史。
註
書誌情報
読み仮名 | ケイザイガクシャタチノニチベイカイセンアキマルキカンマボロシノホウコクショノナゾヲトク |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
装幀 | 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 272ページ |
ISBN | 978-4-10-603828-0 |
C-CODE | 0331 |
ジャンル | 日本史 |
定価 | 1,870円 |
電子書籍 価格 | 1,870円 |
電子書籍 配信開始日 | 2018/11/09 |
書評
保阪正康さんが選ぶ3冊!
戦後八〇年、あるいは昭和一〇〇年と言われるのだが、今年は節目の年にあたる。「歴史」という流れで見るならば、日本近現代史は言うに及ばず、人類史にはまだ多くの不透明、不鮮明の史実が存在する。近代日本の例を挙げるなら、1941年12月に日本海軍は、アメリカの真珠湾を奇襲攻撃して太平洋戦争は始まったわけだが、その因とされる日本の石油備蓄量はどの程度であったのか、当時も今も明確ではない。石油がなくなるから戦争という手段を選んだと言っても、実態は不明である。
ヒトラー政権が1939年9月1日にポーランドに進駐して、第二次世界大戦ははじまったとする。しかし実際には、独ソ不可侵条約の裏で、ヒトラーとスターリンはポーランド分割の密約を結んでいたことがわかった。そのために第二次世界大戦はスターリンとヒトラーによって始められたと今では訂正されている。史実の鮮明さや密約の分析などで、新潮選書の果たしている「史実解明」の動きに、私は敬意を表するのだが、こうした姿勢は日頃から「歴史の真実」を求める姿勢を持っているからであろう。
選書はこれまでおよそ九〇〇点近くが刊行されているようだが、歴史の不透明部分に切り込む編集姿勢は、私のような近現代史研究者にはたまらない宝の山である。あえてこの中から三点を選んでみろと言われたのだが、実は頭の中では七、八冊はすぐにでも挙げることができた。これまでに書評を書いたのも実際にその程度はあったといっても良いだろう。あえて今回指差すのは、昭和一〇〇年を意識しての選択である。
片山杜秀の『未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命―』は、私と同じような問題意識を持っていて、一読して共鳴と共感を覚えた。日本の軍人たちはなぜ戦争の本質を学べば学ぶほど神がかりになっていくのか、そのことを問い詰めていくと、軍人の中に近代日本のシステムを本質から見つめていく知的広がりが弱かったことが鮮明になる。第一次世界大戦での戦闘体験がないままに、ひたすらドイツ型の戦略、戦術に埋没していったのだが、注目すべき点は精神論で逃げた結果が太平洋戦争での戦い方にそのまま反映したのではないかと思われることである。この書の特長は近代日本から現代日本へ直結する各様の問題点を抉り出している点にある。
その視点は語り継がれるべきだ。
これも日米開戦を経済学者の目で分析した書になるのだが、牧野邦昭の『経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く―』も貴重な分析の伴った書である。陸軍にはいくつかの頭脳集団があり、そこでは開戦前には極めて内容の濃い開戦か否かの緻密な分析を行っていた。通称秋丸機関の枠組みに集められた経済学者たち(例えば有沢広巳など)は、実際の日米間の経済力(それが国力の現実なのだが)の開きに愕然として報告書をまとめている。これは私の調べになるのだが、軍事指導者はこういう報告をさほど信用していなかった。恐るべき官僚主義による楽観主義の空気は、経済学者の厳しい見方を内心で嘲笑ってばかりいたのである。
そういう数字には戦争時の特異性(アメリカ軍は戦場の太平洋に出てくるのは大変だとか、さらには精神力では日本は他国に負けないと豪語していた)が考慮されていないというのであった。こうした軍事指導者には頭の痛い資料は敗戦時に焼却されたはずであった。しかし燃やされてはいなかった。こういう点が歴史の「意思」というべきであろう。
日本の情報将校は優れた分析力を持っていた。大本営情報部の将校の堀栄三は、アメリカの放送を傍受しながら、缶詰会社と製薬会社(マラリアの治療薬など)の株が上がると、ほぼ三ヶ月後に新たな戦線にアメリカ軍の兵力が投入されることに気がついた。堀のような優れた情報将校の一人であった小野寺信はあらゆる情報の裏を読み解く能力に優れていた。小野寺は1945年2月にヤルタで開かれたルーズベルト、チャーチル、それにスターリンの三首脳会談には、表面のステートメントとは別に公表されない密約があることを察知する。むろんさまざまな情報機関との情報交換でこのことを掴むのである。
岡部伸『消えたヤルタ密約緊急電―情報士官・小野寺信の孤独な戦い―』はその内幕を丹念に描写する。
ルーズベルトはスターリンに第二戦線を開くことを要求して、ナチス降伏から三ヶ月を目処にソ連は対日戦を仕掛けるというのであった。ほぼ正確にこのことを見抜いた小野寺の本省への極秘電報は全く無視された。日本の指導者がその情報を無視した罪は大きい。小野寺の天才的な能力は、それを受け入れる器を持つ人物不在のために生かされず、終戦への道は遠のいた。この書もまた日本社会の欠陥を示しているのである。
ここに挙げた三冊は、優れた史実発掘の書だが、実はこれに類する選書はまだまだ多い。私は新潮選書に「歴史に挑む頭脳」という見方を掲示したいと思う。今後も歴史の不透明、不鮮明、そして不誠実を打破する頭脳であってほしいと念じている。
たまたま三冊を挙げたが、他にも『日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」―』(森山優)や『戦後史の解放I 歴史認識とは何か―日露戦争からアジア太平洋戦争まで―』(細谷雄一)などもその視点、論点は重要である。戦後八〇年に読まれるべき書であることは言うまでもない。あえて記しておこう。
(ほさか・まさやす ノンフィクション作家)
「ゆがめられた通説」に挑む
近年これほど引き込まれて読了した経済研究者の著作はない。戦時中の経済学者の国策への関与を、新しく見つかった資料で明らかにする語り口には迫力があり、いつの間にか「真実」となってしまった通説と、人物の虚像・実像を検討していく筆さばきは見事だ。
本書の基本的な問いは、「なぜ日本はリスクの大きい米英との戦争に踏み切ったのか」、そして「開戦の決定に、経済学者による抗戦力の測定は影響を与えたのか」というものである。検討の対象となるのは、陸軍省主計課別班(通称「秋丸機関」)による、英・米、ドイツ、日本の経済力を調査分析した報告書と、その研究に参加した有沢広巳、武村忠雄らの役割である。
1941年夏の段階で、仮想敵国の政治経済の分析を行った秋丸機関の研究姿勢は、「常に客観的の実体を把握するに努め」「論拠を努めて計数に求め簡明直裁に推論する」ことにあった。この研究グループで主導的立場にあった有沢広巳の戦後の証言によって、「その調査結果を不都合とする陸軍によって報告書は焼却された」とする通説が信じられてきた。しかし研究機関の実態と研究の内容が明らかになるにつれ、関わった人々の証言の信憑性、その調査研究の国政への影響力について、この通説はゆがめられたものではないかと著者は考える。
本書執筆のきっかけは、秋丸機関が作成した『英米合作経済抗戦力調査(其一)』が有沢広巳の旧蔵資料中から発見されたこと、著者自身が四年前に『同(其二)』を古書店で見つけ購入したこと、さらに『独逸経済抗戦力調査』が静岡大学附属図書館所蔵であると知るに至ったことにあった。本書第四章はこれらの報告書の内容紹介とその情報価値の検討に充てられている。
英米については、両国を合わせれば巨大な経済力であるが、英国一国は数字から見ると日本が屈服させうる可能性はある。その場合、英国の軍需品海上輸送力が米英の弱点となりうるから、英国を助ける米国の船舶をドイツが大西洋でどれほど撃沈できるかがポイントとなる。かくて英国の屈服はドイツの経済抗戦力によって決まるから、『独逸経済抗戦力調査』(武村忠雄が執筆)が報告書の中で重要な意味を持つことになろう。
そのドイツが対英長期戦に耐えうるためには、ソ連の生産力が利用できなければならない。ドイツを助けつつ、ドイツに対する日本の立場を強めるためにも、そして独ソ開戦によって不可避となる連合国の包囲を突破するためにも、ドイツと共にソ連と戦う北進論(消耗戦争)ではなく、資源を獲得するための南進論(資源戦争)を選ぶべきだという戦略が導き出されるのだ。
しかし同時にこの報告書は、長期戦になれば米国の経済動員で、日独の勝利の機会はない、とも述べている。つまり「どうとも解釈される」書きぶりなのだ。したがって対米開戦を決意していた陸軍上層部には都合の悪いものだったからこの報告書が「焼却された」という有沢証言を鵜呑みにするわけにはいかない。報告書に記されていた情報は、当時の「改造」などの総合雑誌の読者や政軍関係者には広く知られていたもので、特段の機密事項ではなかったからだ。
著者は慎重に「現時点で」と断りながら、「杉山元参謀総長が秋丸機関の報告書の焼却を命じ報告書はすべて焼却されたという有沢証言は事実を述べたものではないと考えている」と結論付ける。
秋丸機関の「独逸に関する報告書」は、南進を主張した陸軍省軍務局の意向を反映したものであり、その意図はともかく、南進を支持し北進を批判するための材料となりえた。事実としては、石油を絶たれた日本は、八月初旬に昭和一六年中の北進を断念し、九月六日の御前会議で、対米(英・蘭)戦争を辞さない、という決意を固めるのだ。
この決意によって、北進でも南進でも戦争は避けられないとしても、北進を選ばなかったから、昭和二〇年八月まで米・英・ソの三国と「同時に」戦うことを回避できたことは確かだ。終戦に尽力した(鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長)迫水久常の、「日本の陸軍のたった一つのとりえは、ソ連の実力を正当に評価しておったことである」という言葉の意味は重い。日本が北日本と南日本に分断される可能性を避けえたということだ。
第五章「なぜ開戦の決定が行われたのか」は、国力の差を十分認識していたにもかかわらず、なぜリスクの大きい開戦を選択したのかを論じている。行動経済学からの数値例を用いて、個人の非合理的とも見える行動を合理的に説明しているが、その説得力は限定的なものであろう。むしろ、その後に続く「集団の結論」は個人が意思決定をおこなうよりも極端になる場合が多いという社会心理学の「集団意思決定」の理論の方が、「どうなるか分からないからこそ指導者たちが合意できた」という本書の議論の枠組みに合うように評者には見える(この点はT・シェリングがすでに半世紀以上前に「差別行動」に関して論じている)。
いずれにしろ、日本は統一的な戦略を持てず、陸軍はソ連陸軍を、海軍はアメリカ海軍を仮想敵とする従来の思考法から抜け出すことができなかったことになる。確かな推論と明晰な語り口でその経過を丹念に描き出した本書は、高いスコラシップを示す傑作と言えよう。
(いのき・たけのり 経済学者・大阪大学名誉教授)
波 2018年6月号より
エリートは「暗愚」だったか
本書は近来にない快著である。最近読んだ本で、最もスリリングで面白かった本ともいえる。どこがそんなに面白いのか。著者が、大きな謎に焦点をすえ、それをぐいぐいと解いていくからである。それも正確な実証に基づき、斬新な方法に拠って進めて行くので安定感と斬新さの両方が満たされるのだ。
昭和史の最大の謎は1941年の日米開戦である。この決断が、今日にまでつながる巨大な結果を導いたことはいまさら説明するまでもないだろう。
その場合、アメリカのルーズベルト大統領の意向が問題になることがあるが、これがどうあろうと日本の真珠湾攻撃で始まった戦争であることはまちがいない。どうして日本は攻撃を仕掛けたのだろうか、とりわけ日本とアメリカの国力差が圧倒的なことは明白なのにどうして日本は戦争を始めたのだろうか、これが最大の謎となる所以である。
その場合、この圧倒的な国力・経済力の差を日本の指導者たちは知らなかったという見方もある。これは、開戦を中心的に導いた軍人たちの「暗愚さ」とともに戦後ずっと語られてきた。
しかし、さすがに少しでも歴史の書物を読む人の間ではこうした見方は減っており、現在では、明白な数値差がありながら開戦回避という合理的な判断をなぜ下すことができなかったのかという問題として語られることの方が多い。
だが、開戦の決定をしたリーダー達というのも帝国大学・陸軍大学校・海軍大学校など当時の最高学府を出たエリート達である。これくらいの判断すらできなかったのであろうか。よく考えてみればこの説もなにやらおかしい。しかし、日米開戦を決めたエリート達というのは、戦後の日本から見れば否定的な対象である。内面に踏み込んで考察するなどという面倒なことをしてうっかり同情でもしていると思われたら大変だ、こうして彼らは「暗愚で非合理的な」人々ということにして今日にまで至ったともいえよう。
それに対して「待て」と声をかけ、開戦の適否判断の根拠となる国力・物量=経済を専門とする立場から果敢に真実を明らかにしていったのが著者である。
著者は開戦決定の際の判断のもとになるデータ作成を行う陸軍の経済力調査機関について、その前史から徹底して調査していく。調べてみると有沢広巳という治安維持法違反容疑で検挙され保釈中のマルクス主義経済学の東大助教授をリクルートして調査機関(秋丸機関)の中枢に据えていたのだから陸軍も実は「暗愚」どころではなかった。当時、国民経済全体を扱うマクロ経済学は体系的には存在しなかったのでマルクス経済学の「再生産」の考えを分析に用いていったわけである。
しかも、有沢は、戦後“自分の作った調査報告では、日本はアメリカに負けるという結論だったので陸軍に都合が悪く採用されず焼却された”というようなことを言っていたのだが、著者はその発言をも丹念に調べ上げ突き崩していく。
1941年の夏にアメリカと日本の国力差を二〇対一とすることを基本にした報告書が出されているが、それは焼却されてはおらず大部分は残っており、著者により発見されることになるのである。また、驚くべきことにその内容の大部分は当時の雑誌などに掲載されており、秘密でも何でもなかったのだった。そうしたものは無数に出ており誰にでも見ることができたという。
ということは、当時の日本の指導者は誰でも国力差を知っていたのである。そんなことを今頃初めて知らされる我々もうかつで、当時とあまり違いがないように思われ、戦後日本のいいかげんさが恥ずかしくなってくるが、総力戦研究所というところから出たこうしたレポートの一つが唯一無二のように言われたこともあったわけだから、私らはいわばずっとだまされてきたわけである。
では、それほどの国力差を理解していながら、指導者はなぜ開戦に傾いて行ったのか。
「開戦すれば高い確率で日本は敗北する」からこそ「低い確率に賭けてリスクを取っても開戦しなければならない」という思考になって行ったのだと著者はいう。「必ず三〇〇〇円払わなければならない」か「四〇〇〇円払わねばならない可能性が八割あるが、一円も払わなくてもすむ可能性が二割ある」という選択肢の時、ほとんどの人間は堅実な前者よりも損失回避性志向から後者を選択するという。
これは、行動経済学のプロスペクト理論というものによるのだが、人間は損失を被る場合は誰しもこうしたリスク愛好的行動をとるのだ、日本の指導者たちもそうしたのにすぎないと、著者は言う。
尤も、これだけではまだわかりにくい読者もいるかも知れない。詳しくは、本書をぜひ実際に読んでもらうしかないが、昭和研究会、企画院事件、独ソ戦、南進論・北進論の対立、近衛ルーズベルト会談構想、ゾルゲ事件、「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」策定、など日米開戦に至る昭和史上の重要事件がこの問題の考察に絡んで来て叙述は縦横厭きることがない。
経済学というかたい学問を組み込みながらこれだけ面白い推理小説のような歴史叙述を書くことのできた著者の手腕は並大抵ではない。反論もあろう。反響が今から楽しみだ。
(つつい・きよただ 歴史家・帝京大学教授)
波 2018年6月号より
著者プロフィール
牧野邦昭
マキノ・クニアキ
1977年生まれ。東京大学経済学部卒業。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。博士(経済学)。2018年5月現在、摂南大学経済学部准教授。専攻は近代日本経済思想史。著書に『戦時下の経済学者』(中公叢書、第32回石橋湛山賞受賞)、『柴田敬―資本主義の超克を目指して(評伝・日本の経済思想)』(日本経済評論社)。共著に『昭和史講義―最新研究で見る戦争への道』(ちくま新書)など。