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武士とは何か

呉座勇一/著

1,650円(税込)

発売日:2022/10/27

  • 書籍
  • 電子書籍あり

源義家から伊達政宗まで、中世武士の行動原理に迫る――!

平安後期から戦国時代にかけて、政治・社会の中心にいた中世武士。日常的に戦闘や殺生を繰り返していた彼らのメンタリティーは、『葉隠』『武士道』で描かれた江戸時代のサラリーマン的な武士のものとはまったく異なっていた。史料に残された名言、暴言、失言を手がかりに、知られざる中世武士の本質を読みとく画期的論考。

目次
はじめに
1 源義家「降人というは戦の場を逃れて、人の手にかからずして、後に咎を悔いて首をのべて参るなり」
2 平時忠「この一門にあらざらん人は、みな人非人なるべし」
3 藤原定家「紅旗征戎、吾が事にあらず」
4 平清盛「頼朝が首を切りて、我が墓の上に懸けよ」
5 源義経「関東において怨みを成すの輩は義経に属すべし」
6 源頼朝「日本国第一の大天狗は更に他の者に非ず候か」
7 畠山重忠「謀反を企てんと欲するのよし風聞せば、かえって眉目というべし」
8 源実朝「源氏の正統、この時に縮まりおわんぬ」
9 北条政子「その恩、既に山岳より高く溟渤より深し」
10 北条義時「君の御輿に向いて弓を引くことはいかがあらん」
11 後鳥羽上皇「およそ天下の事、今においては御口入に及ばず」
12 北条泰時「兄の思う所、建暦・承久の大敵に違うべからず」
13 竹崎季長「虚誕を申し上げ候わば、勲功を捨てられ候て首を召さるべく候」
14 金沢貞将「我が百年の命を棄て、公の一日の恩に報いる」
15 後醍醐天皇「朕が新儀は未来の先例たるべし」
16 足利尊氏「この世は夢のごとくに候」
17 北畠親房「一命を以て先皇に報い奉る」
18 一条経嗣「愚身ひとえに諂諛をもって先となす」
19 山名宗全「例という文字をば、向後は時という文字にかえて御心得あるべし」
20 細川政元「正体無き者は王とも存ぜざる事なり」
21 斎藤道三「山城が子共、たわけが門外に馬を繋ぐべき事、案の内にて候」
22 今川義元「自分の力量を以て国の法度を申付く」
23 毛利元就「ただただ三人御滅亡と思し召さるべく候」
24 上杉謙信「信玄ははかりごとある人にて、法師武者を大勢仕立ておかれ候」
25 織田信長「日向守(明智光秀)働き、天下の面目をほどこし候」
26 明智光秀「仏のうそをば方便と云い、武士のうそをば武略と云う」
27 森蘭丸「父が討死の跡にて候えば坂本を賜れ」
28 豊臣秀吉「秀吉若輩之時、孤と成て、信長公の幕下に属す」
29 黒田長政「今になりて、我等が分別、鑓先にあり」
30 徳川家康「万一負け候わば、弔い合戦すべしと人数を揃え上って能く候わん」
31 石田三成「大将をする者は命を全うして、後日の合戦を心に懸る也」
32 真田信繁「忠義に軽重なし、禄の多少によるべきや」
33 伊達政宗「奪うべき時節だに身に授からぬ天下なれば望みなし」
終章 中世武士から近世武士へ
あとがき
主要参考文献

書誌情報

読み仮名 ブシトハナニカ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 考える人から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 240ページ
ISBN 978-4-10-603890-7
C-CODE 0321
ジャンル 歴史読み物、歴史・地理・旅行記
定価 1,650円
電子書籍 価格 1,650円
電子書籍 配信開始日 2022/10/27

書評

武士の本懐とウィル・スミス

河野有理

 男はやおら席から立ちあがり壇上に向かうと、司会者にビンタをお見舞いした。観客は一瞬狼狽し言葉を失う……。やがて事情が明らかになる。司会者は彼の妻を侮辱したのだ。
 ご記憶だろうか。俳優ウィル・スミスがアカデミー賞授賞式で引き起こした騒ぎの顛末だ。賛否両論、議論が湧き起こったが、公共の場での暴力に「ゼロ・トレランス」の態度で臨む米国では、ウィル・スミスの謝罪と授賞式などへの出席禁止で一応の落着をみた。だが、割り切れぬもやもやが残った人も多いのではないか。かくいう評者もその一人である。
 彼が妻を「代弁」したことが事態をややこしくした。妻は夫の所有物ではない。妻に代わって殴るなど有害な男性性の発露そのものではないか。その通り。だが、では、妻自身が殴っていたらどうか。それは称賛に値する行為なのか否か。依然として問題は残り続けたはずなのである。
 本書『武士とは何か』を読んで評者はこのビンタ騒動を思い起こした。何を言っているんだと思われるだろうか。本書は、中世武士やその周辺の人物が残した(とされる)名台詞の実際を解き明かしていくものである。一次史料の精査と先行研究の整理、その手さばきはいつもながら見事だ。だが本書の魅力は、著者がすでに定評のあるその手堅い「実証」の手法を踏み越えて、武士の「メンタリティー」に迫ろうと試みたところにある。そして、著者の見るところ、武士の「メンタリティー」の核心は残虐性と名誉感情にある。つまり、武士の本懐は、「舐められたら殺す」(漫画『バンデット』より)にあるというのである。
 著者自身認めるように、最近の研究ではこうした武士像の評判は高くない。洗練のすえに軟弱化した京都の貴族に対し、草深い坂東の田舎で多少は野蛮だが活力のある武士が挑戦するという図式――大河ドラマをはじめとするフィクションの世界ではいまだに根強い――は、少なくとも学問の世界では、反省を迫られて久しい。武士の起源は京都にあり、その存在形態やアイデンティティーは京都の制度や権威に深く依存していた。最新の研究潮流はそう教える。だが、と本書の著者は反問する。最近の研究潮流は、従来の通念の問い直しに急なあまり武士の起源論に傾斜しすぎてはいないか。なるほど起源において武士は確かに「京都」の影が濃いとしても、その後、実力を蓄え独自の気風やエートスを育んでいったのは確かである。「武士とは何か」を考えるにあたって重要なのは、むしろこうした気風やエートス、つまり「メンタリティー」の方なのではないか。
 後鳥羽上皇や後醍醐天皇の言葉も紹介されている本書であるが(それはそれでとても面白く興味深いのだが)、本書の白眉はしてみるとやはり、「謀反を企てたと噂されるのは武士としてむしろ名誉だ」と嘯いた畠山重忠、刑死を待つ身の上ながら「身体に悪い」と勧められた干し柿を拒否してあくまで後日を期す気構えを見せた石田三成であろう。自分の誇りや信ずる大義のためならば、たとえ成功の目算は低く逃げた方が合理的な状況であっても、戦うことを選ぶ。フィクションの世界で、(無論理想化され美化された)アウトローの美学や矜持にそれは通ずる。現代の作家が、まるでヤンキーや不良、ごろつきのように中世武士たちを描くのは、おそらく正しいのである。アウトローの美学は、「ごろつきの道徳」(折口信夫)としての武士道からやはりそう遠くはないのである。
 ウィル・スミスに戻ろう。自力救済が当たり前だった中世の武士と、文明社会にして法治国家に住むわれわれとは異なる。この現代社会で、気に食わないからといって暴力に訴えることは無論、許されない。有害な男性性は排除されてしかるべきだろう。
 だが、自分の大事な人が、あるいは自分の心のなかの柔らかい部分が踏みにじられた時、私たちは黙って引き下がるべきなのか。落ち着いて冷静に抗議するべきなのだろうか。本当にそれでよいのか。そういう冷静な人間ばかりで世の中はよくなるだろうか。
 ここには「権利のための闘争」として知られる重要なジレンマがある。我々の文明社会ではすべての人にあまねく人権が認められている。だが、人権の行使はしばしば割に合わない。あからさまな不正を蒙っても、反撃しないことが合理的なことは実によくある(だって、あとあとめんどうだし)。しかし、そうした人ばかりでは人権は形骸化してしまう。そう、人権は実は目先の利益を度外視した「舐められたら殺す」の心持に支えられているのである。「武士とは何か」が投げかける問題は、その意味で、私たちの現在と無縁ではない。

(こうの・ゆうり 法政大学教授)
波 2022年11月号より

著者プロフィール

呉座勇一

ゴザ・ユウイチ

1980年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。専攻は日本中世史。2022年10月現在、信州大学特任助教。主な著書に『戦争の日本中世史』(新潮選書、角川財団学芸賞受賞)、『応仁の乱』(中公新書、48万部突破のベストセラー)、『陰謀の日本中世史』『戦国武将、虚像と実像』(いずれも角川新書)、『頼朝と義時』(講談社現代新書)、『日本中世への招待』(朝日新書)、『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)、『日本中世の領主一揆』(思文閣出版)など。

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