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文学は予言する

鴻巣友季子/著

1,760円(税込)

発売日:2022/12/21

  • 書籍
  • 電子書籍あり

小説から見通す世界の「未来」とは。圧倒的な文学案内!

トランプ政権誕生で再びブームとなったディストピア小説、ギリシャ神話から18世紀の「少女小説」まで共通する性加害の構造、英語一強主義を揺るがす最新の翻訳論――カズオ・イシグロ、アトウッドから村田沙耶香、多和田葉子まで、危機の時代を映し出す世界文学の最前線を、数々の名作を手がける翻訳家が読み解く。

目次
はじめに
第一章 ディストピア
1 抑圧された世界――ディストピア小説のいま
ユートピアとディストピアは表裏一体/リバイバルヒットするディストピア小説たち/ディストピア三原則/一、「国民の婚姻・生殖・子育てへの介入」/二、「知と言語(リテラシー)の抑制」/三、「文化・芸術・学術への弾圧」/「SF」から「やさしい日常」へ――ヴェルヌから川上弘美まで/一九一八年のフェミニズム・ディストピア/産む権利、産まない権利――セクシャル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ/「かがやく子ども」のディストピア
2 『侍女の物語』の描く危機は三十五年かけて発見された
当初は「あり得ない世界」だった/だれも信じなかった管理監視社会/アメリカの行方を変える中絶禁止法/被害者が沈黙させられる国家/もはや空想物語ではない
3 大きな読みの転換――『侍女の物語』と『密やかな結晶』
続編『誓願』はなぜ対照的な作風なのか?/一九九四年の大江健三郎評/翻訳による「後熟」が起こった/ファンタジーとディストピアの違い
4 拡張する「人間」の先に――ポストヒューマニズムとAI小説
『わたしを離さないで』が開いた地平/人に似せた創造物――『フランケンシュタイン』から『クララとお日さま』まで/人間の「生」の継続とは?/個人データという「魂」/「いいね」元年のSNSディストピア小説
5 成功物語の限界――メリトクラシー(能力成果主義)という暗黒郷
貴族社会と能力主義社会、どちらを選ぶ?/アメリカン・ドリームの終焉/自由の国アメリカの皮肉/東アジアのメリトクラシー――平野啓一郎、チョ・ナムジュ/「縦の旅行」をする
6 もはやリアリズムとなったディストピア
アメリカの図書館を襲う「撤去要請」/ディストピアに巻き込まれるディストピア小説たち/作家への弾圧――『小説禁止令に賛同する』/「散文」のもつ威力とは? 近代小説の誕生/『ジュリアス・シーザー』が発揮した情報戦争とナラティブ戦略/リアリズムで書かれたディストピア――『日没』
第二章 ウーマンフッド
1 舌を抜かれる女たち
『オデュッセイア』から続く口封じ/「声を聞かれる基本的権利」
2 男性の名声の陰で
ファム・ファタールというからくり/女性を型にはめる「聖と魔」理論――ゼルダ&スコット・フィッツジェラルド/精神的吸血鬼はどちらか?
3 シスターフッドのいま
「少女」はいかに誕生したか/『らんたん』が照らすシェアの精神
4 雄々しい少女たちの冒険
教育目的としての十八世紀「娘文学」/男性作家と女性作家が描く少女の“brave”/女はおろかで賢く、か弱くて強くあれ――『ファウスト』と『風と共に去りぬ』/超常世界と通じあう不思議少女の力/村上春樹が新訳した少女文学の現在形
5 からだとケア労働
ルッキズムと身体への侮り――ウルフから松田青子まで/代理母出産する側、させる側/オースティンの家庭小説は「視野が狭い」?/第二の性が支えてきた「第二の経済」
6 文学における女性たちの声
谷崎、川端、三島の時代は、いまや遠く/ポスト春樹の活躍/世界が注目する「生きづらさ」――『コンビニ人間』『夏物語』/女性の声を世界に届ける翻訳
第三章 他者
1 原作者と翻訳者の無視できないパワーバランス
アマンダ・ゴーマンの奇跡の詩/公共の場が育てた才能/「代弁者の資格」とは?/「黒人・女性」の「英語話者」――翻訳の政治性
2 パンデミックの世界に響く詩の言葉
二〇二〇年のノーベル文学賞/ペスト時代のロンドンでベストセラーになった詩集とは/アメリカで隆盛するアンソロジー/英米「詩小説」の秀作たち
3 リーダーの雄弁術
知性と理性を示すスピーチの力/オバマの演説を支える読書リスト/情動に訴えたトランプの「地下室の言葉」
4 盛りあがる古典の語り直し
「古典」は「古典」として生まれない/世界で盛んな「リトールド」――『イーリアス』も古事記も/審問としての語り直し
5 ますます翻訳される世界――異言語と他者性のいま
国際文学賞候補作の多様性/翻訳の営みを更新した『世界文学とは何か?』/戦争とは誤訳の極端な継続にほかならない――『翻訳地帯』/英語一強主義への抵抗――『生まれつき翻訳』/「オリジナル」がない小説たち/英米圏で翻訳者が隠される「言語的不均衡」/「大文字の文学」をひっくり返す試み/非母語の作家で英語世界は豊かになる
6 多言語の谷間に――多和田葉子
『献灯使』の描く反・反ユートピア/思索の遊歩者――『百年の散歩』/離散者(ディアスポラ)の言語――『地球にちりばめられて』三部作/ズレ、ヌケ、ボケの術/誤訳のポエジー/ネガティヴ・ケイパビリティがひらく境地/峡谷に留まる詩人/完結しない旅――「おくのほそ道」
7 日本語の来た道――奥泉光
近代日本語の歴史をたどりなおす『ビビビ・ビ・バップ』/反省しない日本の総括――『東京自叙伝』/翻訳を通してつくられた文体の頂点『雪の階』/日本語が内包する多言語的高揚感
8 小説、この最も甚だしい錯覚
小説は他の芸術とどう違うのか?/インクの染みが人間に見える「錯覚」/文学とは最も似ていない物真似(ミメーシス)/「みたい」(模倣)をめぐる小説『オン・ザ・プラネット』/作為性の排除は可能か?/アート=擬態は記憶の保管/補完
9 アテンション・エコノミーからの脱却――それは他者と出会うこと
なぜ青年はヘイトにはまったか?/『何もしない』ために/宙づりの時間を楽しむ/抵抗する人びと/文学がもつ遅効性の言葉/自撮りのような「読書」から離れて
おわりに
主要参考文献一覧
索引

書誌情報

読み仮名 ブンガクハヨゲンスル
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 考える人から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 304ページ
ISBN 978-4-10-603893-8
C-CODE 0390
ジャンル 評論・文学研究
定価 1,760円
電子書籍 価格 1,760円
電子書籍 配信開始日 2022/12/21

書評

物語の効力と危うさの両方を「予言」する

小川公代

「物語の力」というものはシェイクスピアの時代から、あるいはもっと昔から、情動に訴えるものであるという位置づけがなされてきた。『ジュリアス・シーザー』ではシーザーを暗殺したブルータスによる理性的な演説よりも、友アントニーのローマ市民の感情に訴える演説が彼らの心を動かし、「暗殺者たちを殺せ! という言動として爆発していく」さまが描かれている(一○二頁)。意外なことに、著者は友愛の人アントニーの語りをドナルド・トランプに、またブルータスの演説をバラク・オバマらのそれに例えている。決して雄弁ではないトランプと、自分には「知恵も言葉も権威もな」いと言いつつ、大衆の感情を揺さぶるアントニーの二人には「一脈通じるところがある」というのだ(一〇二―一○三頁)。物語の効力と危うさの両方を文学はまさに「予言」する。
 また、マーガレット・アトウッドの『侍女の物語』や続編『誓願』(著者訳)を彷彿とさせるポーラ・ヴォーゲルの戯曲『ミネオラ・ツインズ』に描かれる社会と妊娠中絶の是非をめぐる論争は、トランプ政権よりも以前に発表された作品であるにもかかわらず、それ以降のフェミニズム、LGBTQ+の人権運動などへの保守派によるバックラッシュの情況と驚くほど重なる。著者によれば、妊娠中絶禁止法の合憲性をアメリカの連邦最高裁が認めた昨年のことを振り返ってみても、これらの作品には「今」が書かれているのだ(三七頁)。
 本書はこれまでに著者が書いて発表した原稿に加筆修正がなされたものであると説明されているが、それが信じがたいほどの精度で書かれている。考えてみれば、著者は『嵐が丘』『灯台へ』『風と共に去りぬ』といった古典作品の新訳のみならず、『誓願』やJ・M・クッツェーの三部作などの訳を手がけた日本屈指の翻訳家であり、かつ優れた文芸評論家でもある。そんな練達の書き手が、書評や時評を執筆しながら思い浮かんだ三つの主題で本書は構成されている――有機的に一冊の本に束ねられていても不思議はない。
 第一章「ディストピア」は本書の白眉である。「われわれの文明の課題」となりうる問題を、「少女小説的感性」を用いて表現する小川洋子の『密やかな結晶』とアトウッド作品を結びつけながら論じている。また、マイケル・サンデルのメリトクラシー論を援用しつつ、カズオ・イシグロの『クララとお日さま』、マルク・デュガンの『透明性』、平野啓一郎の『本心』などを分析することによって、「今の目で」文学を読むことの意義を打ち出している。第二章の「ウーマンフッド」では、十八世紀の古典文学から最近話題を呼んだメアリー・ビアードの『舌を抜かれる女たち』まで幅広く取り上げている。たとえば、レイプ被害を受けた女性が咎められ「沈黙させられる悪しき風習」(一一○頁)の象徴であるメデューサの物語が「今」のアクチュアルな女性の問題と接続される。キャロライン・クリアド=ペレスの『存在しない女たち』やカトリーン・マルサルの『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』において光が当てられる、聞かれない性、あるいは「見えない性」としての女性や彼女らのケア実践にも注目している。
 そして第三章「他者」では、レベッカ・L・ウォルコウィッツの『生まれつき翻訳』などを参照しながら、いかに翻訳文学と「他者」理解が繋がっているかを論じている――「国、文化圏、言語間の大いなる対話は、翻訳という行為を通して可能になる」(一九三頁)。著者はまた、2021年に米大統領就任式でアマンダ・ゴーマンが朗読した英詩を邦訳したり、ドイツ語と日本語の両方で創作する多和田葉子を評したりすることを通じて、言葉の政治性を実践してきた。本書でもっとも炯眼なのは多和田が用いている「旅」の意味をめぐる議論である。ドイツ語の「旅」(reise)は、「『どこかに行って帰る』までの間」を意味する日本語の「旅」とは異なり、「完結しなさ」に力点が置かれているが、それが多和田作品における「旅をしているのが常態」(二三五頁)の説明にもなっている。
 多和田の完結しない「旅」に似ているのが、物語への逡巡を表す「ネガティヴ・ケイパビリティ」という能力/常態である。読者の反応が全体に「速く」なっている背景には、ネット空間の「拡散速度」(二七三頁)もあるが、それ以外に著者は「共感至上主義」を挙げている。しかし「答えを得ずに宙づりになりつづける」力(二三○頁)があれば、シングルストーリーにのみ込まれることは妨げられるだろう。たとえば、本書は多和田文学に見られる「言葉のズレやヌケ」を「社会通念や固定観念、先入観や差別意識」を脱臼させていく妙技として捉えている(二二八頁)。
 二言語の間で宙づりになりながら、言葉を選びとる“翻訳”に従事する著者がルイーズ・グリュックの「平易な語彙で日常を綴るその詩」に「遅効性の言葉」(二七七頁)を見いだすとき、本書の読者もまたその感性や情動にゆっくり、じんわり感染する。

(おがわ・きみよ 英文学者)
波 2023年2月号より

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著者プロフィール

鴻巣友季子

コウノス・ユキコ

1963年東京生まれ。翻訳家、文芸評論家。訳書にJ・M・クッツェー『恥辱』(ハヤカワepi文庫)、M・アトウッド『誓願』(早川書房)、A・ゴーマン『わたしたちの登る丘』(文春文庫)等多数。E・ブロンテ『嵐が丘』(新潮文庫)、M・ミッチェル『風と共に去りぬ』(全5巻、同)、V・ウルフ『灯台へ』(『世界文学全集 2-01』所収、河出書房新社)等の古典新訳も手がける。著書に『明治大正 翻訳ワンダーランド』(新潮新書)、『熟成する物語たち』(新潮社)、『翻訳教室』(ちくま文庫)、『謎とき『風と共に去りぬ』』(新潮選書)、『翻訳、一期一会』(左右社)等多数。

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