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源氏物語の世界

中村真一郎/著

1,760円(税込)

発売日:2023/05/25

  • 書籍
  • 電子書籍あり

華麗に花開く王朝文学の世界へ――稀代の作家が誘う名随筆。

千年の昔、一人の女性の手で書かれた五十四帖の壮麗な物語。宮廷ゴシップ、恋愛模様、権力闘争――ほの暗い御簾の陰に潜む人間ドラマと、失意と孤独を抱えた作者・紫式部その人の内奥に、名うての読み巧者が光を当てる。『枕草子』など同時代の傑作も縦横に併せ論じ古典を読む悦びを語り尽くす、知的興奮に満ちた文学案内。

目次
I 紫式部と『源氏物語』
紫式部の肖像/現実と小説/恋愛と好色/小説と現実/世界と文学
II 『源氏物語』の世界
作者の環境と生い立ち/『源氏物語』の小説観/平安朝の貴族社会「後宮」/平安朝の下層社会「下町」/野の宮/学者グループ/「須磨・明石」の特異性/『源氏』における「死」の美学/日常生活/宇治十帖/物語の外の世界
III 『源氏物語』の女性像
1 藤壺―永遠の女性 葵の上―六条御息所/2 空蝉―夕顔、末摘花―源典侍/3 紫の上―明石の上―女三の宮/4 愛人―その様ざまなタイプ/5 内大臣の娘たち/6 宇治の三姉妹
IV 『竹取物語』と幻想
『竹取物語』はおもしろいか?/写実主義/幻想小説/幻想の意味/日本的幻想/現実と超現実
V 王朝のエッセー
『土佐日記』/『蜻蛉日記』/『更級日記』/『枕草子』/『方丈記』/『徒然草』
VI 『狭衣物語』の再評価――二つの変奏曲――
VII 『堤中納言物語』
VIII 『今昔物語』――武士を頂点とする庶民の世界――
IX 『とはずがたり』による好色的恋愛論
1 父性的恋愛/2 感傷的恋愛/3 社交的恋愛/4 情熱的恋愛/5 趣味的恋愛
X 平安朝の女流文学
1 『源氏』についての無用な饒舌/2 『源氏』の女たち/3 『源氏物語』螢の巻/4 ウェイレーと『源氏物語』/5 ひとつの清少納言論/6 王朝女流日記/7 王朝の女流作家たち/8 デカダンスの今日性/9 『浜松中納言』讃/10 王朝文学と現代
あとがき
初版刊行時の推薦文 円地文子
解説 澤田瞳子

書誌情報

読み仮名 ゲンジモノガタリノセカイ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 224ページ
ISBN 978-4-10-603898-3
C-CODE 0393
定価 1,760円
電子書籍 価格 1,760円
電子書籍 配信開始日 2023/05/25

書評

良き先達による愛情深い案内書

酒井順子

 源氏物語の世界は広大であり、読み方は人それぞれである。現代語訳であれマンガであれ、どこから入ってもめくるめく道程が待っているわけだが、「先達はあらまほしきことなり」と兼好法師も書いていた。良き案内者がいれば、山頂はまだ先なのにもう着いたものと勘違いして引き返す、といった事態は避けることができよう。
 中村真一郎『源氏物語の世界』は、源氏物語を読んで、中途半端に「知っている」という気持ちを抱く私のような者にとって、「その先がある」ということを示す先達のような書である。
 たとえば源氏物語をはじめとした平安の女性達が書いた作品群ばかり読んでいると、平安時代とは極めて女性的で貴族的な時代であったと思いがち。しかし本書では男性の世界を描いた『大鏡』、庶民の生活を描いた『今昔物語』と対比することによって、源氏物語の位置を明示する。読者は、一歩引いたところから源氏物語を見る機会を与えられるのだ。
 また著者は、プルースト失われた時を求めて』等の世界文学と源氏物語とを並べて、その共通点を指摘。時代と国境を超越する源氏物語の普遍性を明らかにする。
 性別、時代、国境といった様々な境目を超えて物語を論じる一方で、著者は登場人物一人一人の表情をつぶさに眺めるという、自在な視線のズームをも披露している。たとえば女三宮についての、
「彼女は駄目な女というより、世代の異なる女だった」
 という記述に、私はどきりとさせられた。
 光源氏が中年になって後、先帝である兄のたっての頼みで結婚した女三宮。年若い彼女はなにかにつけ未熟であり、源氏にとっては魅力に乏しい存在だった。
 突然現れて紫の上を悲しませる女三宮を、紫の上贔屓の読者もまた「つまらない女」と思いたがっている。しかし光源氏にとっての女三宮は「世代の異なる女」なのだとの指摘によって、私は自分がいつの間にか、光源氏の視点で女三宮を見ていたことに気づかされたのだ。
 源氏物語をよく読めば、女三宮は決して魅力の薄い女ではない。若い世代の柏木は、結果的に命を落としてしまうほど女三宮に恋い焦がれるのであり、彼の愛情の強さは、女三宮の魅力を表していよう。潔い出家の仕方もまた見事だというのに、多くの読者は彼女の人間性を見ようとしないのだ。
 登場人物一人一人に対する著者の平等な視線は、広く深い教養と、源氏物語に対する愛情から来るものであろう。そんな著者と源氏物語のなれそめについても、本書には記されている。
 学生時代、夏には長編小説を読むことにしていた著者がある年に選んだのが、源氏物語。まだわずかしか読まないうちから、心を奪われている自分に気づく。
 さらに読み進めるうちに、紫式部が「物語」というものについて抱く感慨が書かれた文章に出会い、著者は衝撃を受けるのだった。
「驚くべきことには、この王朝の宮廷女性は現代の小説家たちと、全然、同じ小説観の所持者だった」
 と。
 この経験によって著者は、小説を書く仕事に人生を捧げる自信を得る。彼にとって紫式部は、「職業的守り神」となったのだ。
 著者のように人生を変えるほどの衝撃ではないにせよ、王朝文学を読んでいる時に、人はしばしば強い共感や驚きを覚える。千年前の人と、なぜこれほど心が通じ合うのか。千年前にも、このようなことがあったとは、と。その共感や驚きは、千年前の書き手や文学に対し、恋愛や信仰に近い感覚を呼び起こすのだ。
 源氏物語には「人生いかに生くべきか」などということは全く書かれていないし、枕草子に深い思想を見ることはできないと、本書にはある。古典には立派なことが書いてあるはず、という感覚が強すぎるあまり大きな声では語られないが、それは厳然たる事実。
 だというのに日本人がこれらの文学に千年もの間、恋愛や信仰にも似た感覚を抱き続けてきたのは、なぜなのか。著者の心の動きは、その謎を解き明かすヒントを与えてくれると同時に、決して変わらない日本人の文学的好みのようなものを指し示している気がしてならない。

(さかい・じゅんこ エッセイスト)
波 2023年6月号より

著者プロフィール

中村真一郎

ナカムラ・シンイチロウ

(1918-1997)1918(大正7)年、東京生まれ。東京大学仏文科卒。1942年、福永武彦らと新しい詩運動「マチネ・ポエティック」を結成。1947年『死の影の下に』で戦後文学の一翼を担う。「春」に始まる四部作『四季』『夏』(谷崎潤一郎賞)『秋』『冬』(日本文学大賞)、『頼山陽とその時代』(芸術選奨文部大臣賞)『蠣崎波響の生涯』(読売文学賞、日本芸術院賞)『私のフランス』など多数の著書と訳詩書がある。『源氏物語の世界』のほか『王朝の文学』『王朝文学の世界』『私説 源氏物語』など平安期文学についての著書も多い。1997年没。

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