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沈黙の勇者たち―ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い―

岡典子/著

1,925円(税込)

発売日:2023/05/25

  • 書籍
  • 電子書籍あり

潜伏ユダヤ人とドイツ市民の〈知られざる共闘〉を描く。

ナチスが1943年6月に「ユダヤ人一掃」を宣言した時点で、ドイツ国内に取り残されたユダヤ人はおよそ1万人。収容所送りを逃れて潜伏した彼らのうち、約半数の5000人が生きて終戦を迎えられたのはなぜか。反ナチ抵抗組織だけでなく、娼婦や農場主といった無名のドイツ市民による救援活動の驚くべき実態を描き出す。

  • 受賞
    第27回 司馬遼太郎賞
目次
はじめに
序章
あるユダヤ人一家の体験/ユダヤ人迫害の経過/ドイツ国民への締め付けと密告社会化/迫害の三つの分岐点/国内に取り残されたユダヤ人/潜伏
第一章 出会い 1933-1943
1 分断
ユダヤ人ボイコット事件/沈黙させられた「善意」/ユダヤ人とドイツ人の分断/ラルフ少年を守った尼僧院長の「親切」
2 差別から迫害へ
逮捕、収容、連行のはじまり/「水晶の夜」事件/事件当日の「行動」/財産没収と国外追放/亡命先を求めて/強制労働、第二次世界大戦
3 生きることを選んだ人びと
運命に身をゆだねることを拒む/絶対に収容所には行かない――ルート・アブラハム夫妻/「駅にコートを置き忘れた!」――フリッツ・ヴァルター/子もち女性との結婚――ダゴベルト・レヴィン
4 救援者との出会い
あなたを助けたい――ルート・アブラハムとマリア・ニッケル/娼館の女主人と売春宿のおかあちゃん――フリッツ・ヴァルターと救援女性たち/善意か、契約か――ダゴベルト・レヴィンと「ブラウン博士」
第二章 もうひとつの世界 1941-1944(1)
1 ユダヤ人の「消えた」ドイツ
追放から殺戮へ/強制移送の開始とユダヤ人組織の関与/移送の進行/ドイツ人は知っていた/移送の順番/工場経営者による移送猶予の訴え/ユダヤ人団体職員たちの「自助」/ユダヤ人の「一掃」
2 地下に生きる
潜伏生活の開始/出産から三日後の移動――ルート・アブラハム夫妻/友人たちに助けられて――ノイマン姉弟/ゲシュタポを振り切って――ハンニ・ヴァイセンベルク/さまざまな隠れ家/潜伏発覚、ベルリン帰還――ノイマン姉弟/生活物資と食料を分け与える/救援者との出会いの場となった闇市/偽造身分証明書/隠れ家にゲシュタポが現れた――ルート・アブラハム夫妻/潜伏者の子どもたち/私たちにもうひとりの子どもを――ダゴベルト・レヴィン夫妻/空襲と防空壕/屋根の真下の隠れ家で――ルート・アブラハム母子/「ドイツ人」として働く/医療/私も「完全な」アーリア人ではないんですよ――ルート・アブラハム母子
3 救援者たち
ユダヤ人に手を貸した人びとは何者か/せめて誰かひとり救おう――マリア・ニッケル/大切な人を失ったかわりに/多様な動機/障害者たちに匿われて――ダゴベルト・レヴィン夫妻/「限界」のなかでできることを
4 非常時下の「日常」
ナチス崩壊を信じて/命の誕生/家族と過ごす時間のために――ルート・アブラハム夫妻/苦難のなかで思いあう家族に――ダゴベルト・レヴィン一家/青春の輝き/学問の扉/ドイツ人との助け合い
第三章 連帯の力 1941-1944(2)
1 救援者たちのネットワーク
見えざる手となった人びと/打ち明けるべきか、沈黙すべきか/協力者を増やすことの功罪/さまざまな救援グループ/救援者たちの連帯はユダヤ人に何をもたらしたか/救援者のネットワークに守られて――ノイマン姉弟/教え子たちとともに――エリザベート・アベック
2 二千キロの逃避行――クラカウアー夫妻
二百人に助けられた夫婦/流浪の始まり/ポンメルンでの潜伏生活/危険な長距離列車での移動/ヴュルテンベルクの救援ネットワーク/シュツットガルト中央駅での尋問/救援者から救援者へ/救援者たちの役割分担
3 ユダヤ人による自助と救援――カウフマン・ネットワーク
国内最大級の救援ネットワーク/ユダヤ人弁護士カウフマン/法律家の覚悟/救援活動の開始/身分証明書偽造という「錬金術」/クラカウアー夫妻が出会ったカウフマン/自助・共助・救援/不正のなかの正義/ユダヤ人による量産体制/加工作業の手順/ドイツ人による後方支援/ドイツ人協力者ヘレネ・ヤコブスの隣人愛/ユダヤ人の誇りを守るために
第四章 守るべきもの 1943-1945
1 善意の代償
密告/囮/カウフマンの最期/カウフマン・ネットワークの壊滅/ユダヤ人捕まえ屋
2 命をかけて「ナイン」と言う
戦局の悪化/命がけの引き揚げ――マリア・ニッケル母子/助ける者と助けられる者の逆転――ルート・アブラハム夫妻/「ドイツ人」になる――ノイマン姉弟/発覚/アグネス・ヴェントラントの逮捕/収容所の変化/空襲下の脱走/教誨牧師ペルヒャウのもとへ/覚醒/「否」行動
3 終戦
ダビデの星を身に着けて――ルート・アブラハム夫妻/僕らはふたたび自由になった――ノイマン姉弟
終章
それぞれの再出発/ユダヤ人救援活動が現代に示すもの/語り継がれる「沈黙の勇者たち」
おわりに
主要参考文献一覧

書誌情報

読み仮名 チンモクノユウシャタチユダヤジンヲスクッタドイツシミンノタタカイ
シリーズ名 新潮選書
装幀 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-603899-0
C-CODE 0322
ジャンル 歴史読み物、歴史・地理・旅行記
定価 1,925円
電子書籍 価格 1,925円
電子書籍 配信開始日 2023/05/25

書評

真の人間的な連帯を問う「沈黙の勇者たち」

芝健介

「新しい戦前」という言葉が今年に入って盛んに聞かれるようになった。再び戦争が自明のものとなりつつあるかのように危機の空気が充満する現在を表現しているのであろうが、筆者のような戦後生まれの「団塊世代」には「反戦」ないし「非戦」を公言することが許されなくなったかつての日本を間違いなく連想させる言葉でもある。
 1933年のヒトラーの政権掌握から九〇年を迎えたドイツでは、いま「沈黙の勇者たち」という言葉が、市民の間で広がりつつある。この言葉に初めて接する方は、反ナチ抵抗運動参加者、特に反逆の汚名を着せられ処刑された犠牲者たちのことをおそらく想像するのではなかろうか。1944年夏のシュタウフェンベルク大佐ら国防軍将校たちによる反ヒトラー・クーデター(7月20日事件)や、1943年2月に壊滅させられた、ミュンヒェン大学のショル兄妹を中心にした抵抗グループ「白バラ」は、今日では世界中に知られるようになってきた。表題の「沈黙の勇者たち」は、身命を賭して戦ったこれら抵抗闘士たちと比較すれば、戦後今まで殆ど忘れられた存在であり、それこそ「物言わぬ」、否むしろ語られてこなかったといわなければならない人びとである。ここで具体的に含意されているのは、ナチ総力戦体制下、潜伏する以外にサバイバルの道を断たれた国内のユダヤ人を秘かに援助した無名の一般ドイツ人救援者たちのことであり、ようやく新しい歴史用語としても定着しつつあるといえよう。
 ヨーロッパ・ユダヤ人のほぼ六〇〇万人を大量虐殺したナチ体制によるホロコースト犯罪に関して、免責されたいドイツ人の多くは、「外地占領地でおこなわれていた戦争犯罪についてわれわれは何も知らなかった」と戦後、弁明を重ねてきた。行動選択の幅を問う若者に対しても、ナチ独裁下の生活は、絶対服従・完全同調か死を覚悟した抵抗かの二者択一しかなく、「何も反対できなかった」と弁解を繰り返すのが常で、いつの間にか眼前から消えたかつての国内ユダヤ人の運命がどうなったかについても、ユダヤ人救援に関わった同胞市民がいたという事実についても関心らしい関心を寄せてこなかったといわざるをえない。
 国家に対する「裏切者」の烙印をおされていた反ナチ抵抗運動復権の試みは1960年代末以降、ナチ体制打倒をめざした軍民社会エリートの活動を対象にようやく本格化する。その重要な契機となったのは、首都ベルリンの中心部、旧国内軍総司令部(参謀長シュタウフェンベルクが軍の反乱を最後まで指揮した)跡での国市共立反ナチ抵抗運動記念館設置・常設展示開始である。折しもベトナム反戦運動が世界的に酣の1967~1968年のころであった。
 1990年代以降になると、反ナチ抵抗運動をヒトラー暗殺計画やクーデター未遂といった衝撃的な事件だけでなく、人びとが日常生活の中で示したささやかな反ナチの意思や行動にまで広げて捉えようとする考え方が徐々にドイツ社会で認められるようになってきた、との重要な指摘が本書冒頭にある。変化のきざしは、反権威主義のベビーブーマー世代(ベトナム反戦世代)が学校で社会史教育を推進担当するようになり、ナチ時代の市民の態度についても、抵抗と完全同調(ないし積極的抑圧迫害)の両極の間のグレーゾーンには抗議・反抗・不参加・非同調・不作為・消極的協力・順応等、多様な選択肢がありえた点を注視していったところに滲み出ていた。2013年1月27日、アウシュヴィッツ解放六八周年の連邦議会招待記念講話で、ベルリンの“地下”潜行生存者一五〇〇名の一人インゲ・ドイチュクローン(当時九〇歳)は、国民の集合的記憶からは除外されたままの「沈黙の勇者たち」をまさに今度は忘却の淵から救い出し、深い感謝と敬意を表したのだった。2018年には、「沈黙の勇者たち」のフロアが抵抗運動記念館に新設されたのも象徴的であった。
 一方、世代のことなるユダヤ人の間では、ホロコーストへと追い詰められていった当時のユダヤ人の対処について、ワルシャワゲットー蜂起やパルチザンに参加したごく一部のユダヤ抵抗組織を除けば、おしなべておそろしく従順で絶滅収容所への強制移送にも全く無抵抗だったとする解釈をベースに、ユダヤ人の一人ひとりの決断や行動そのものの具体的な実相は長らく無視されてきた。
 本書では、生き残るための闘いを続けて戦後を迎えられた潜伏ドイツ・ユダヤ人が全国で五〇〇〇人いたと見積もられ、かれらのために隠れ場所を提供し、食物や衣服を与え、IDカードを偽造し、考えうる限りの非合法手段を講じて匿った、あらゆる階層から成る救援者はドイツ全土で二万人をこえると著者は指摘している。八方塞がりのユダヤ人に対面し見て見ぬふりができなかった市民たちは、「つかまったら最後」という、恐怖の強制収容所システムと監視密告社会に定礎された民族共同体のリスクを大なり小なり直接背負うことになったのである。私たちに真の人間的な連帯とは何かを問いかける「沈黙の勇者たち」の歴史がこのような形でまとめられた意義は限りなく大きい。

(しば・けんすけ 歴史学者)
波 2023年6月号より

著者プロフィール

岡典子

オカ・ノリコ

 1965年生まれ。桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業。筑波大学大学院一貫制博士課程心身障害学研究科単位修得退学。博士(心身障害学)。福岡教育大学講師、東京学芸大学准教授などを経て、筑波大学人間系教授。専門は障害者教育史。著書に『視覚障害者の自立と音楽 アメリカ盲学校音楽教育成立史』(風間書房)、『ナチスに抗った障害者 盲人オットー・ヴァイトのユダヤ人救援』(明石書店)。 

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