
脂肪と人類―渇望と嫌悪の歴史―
2,200円(税込)
発売日:2025/01/23
- 書籍
- 電子書籍あり
神への捧げものか、健康の敵か。魔性の栄養素の謎に迫る。
脂肪は命そのものだ。私たちの祖先は肉よりも、脂肪たっぷりの骨髄や脳、内臓を求めて狩りをした。それが忌避すべき栄養素になったのはなぜか。著者は世界各地の脂肪料理を味わい、神話のなかの乳を追い、酪農や畜産の歴史を調べ、味覚や健康の面からもアプローチ。石器時代から続く脂肪と人類の複雑な関係を描き出す。
序文 脂肪――命と欲望
第一章 ホワイトチャペルの怪物
――世界を虜にしたロンドン下水道の「脂肪の山」
展示された怪物/大悪臭
コラム ファラフェルの廃油が石鹸に/怪物の断面図/スウェーデンのファットバーグ
第二章 骨髄
――祖先たちの飽くなき脂への欲求
骨の中の脂肪/脂肪飢餓とウサギ飢餓/脂肪は女より男に/現代の石器時代ダイエット/クリーンな女性、ダーティーな男性/石器時代の人は赤身肉を求めなかった/縄文時代の人が好んだ海洋性脂肪/ヴァイキングの発酵サメ/マッコウクジラの鯨蝋と鯨油
コラム 骨髄たっぷりレシピ/日本のヴァイキングに料理が並ぶ/トナカイ脂と「老人のソーセージ」
第三章 バターとチーズ
――神の食べ物、女性の苦労の結晶
エチオピアのニテル・キベ、モロッコのスメン/神話の中の牛と乳/女性の労働の産物だった乳製品/スウェーデンの酪農場から追い出された女たち/女性を苦しめた“白い鞭”/バター、魔女、セクシュアリティ/大聖堂を建設した免罪符/バターの奇跡/皿の上にバター百グラム/マーガリンを推奨するスウェーデン食品庁/牛乳――国民の家の白いドリンク/ノルウェーのバター危機
コラム 白いクリームが黄色いバターに/バターでパンを焼こう/歯のバター/パンなしで塗るものだけ食べる/焦がしバターとキャラメルの味/バター入りコーヒー/パスタの境地/バターが投入されたソース/リノベーションされたバター
第四章 だから脂は味わい深い
脂肪は六番目の基本味か/嘔吐を誘発する遊離脂肪酸/神の足の香り/蠢くチーズ/風味を増強させる脂肪
コラム バターの味/分布は細かく、室温で
第五章 豚肉、ナショナリズム、アイデンティティ
サロの彫刻/傷口にラードの絆創膏を/鼻から尻尾までルネッサンス/フロットの作り方/従順ではないのが豚/アメリカから始まった工業養豚/デンマークにおける伝統的な職人技の復興/本物のベーコンとは/豚肉が国家主義者の振り回すバットに
コラム ホメロスのソーセージ/ラルド――アナキストの脂っぽい食べ物/デンマークのおばあちゃんの脂と太った伯爵
第六章 かくも恐ろしき脂肪
犯人にされた飽和脂肪酸/すべてトランス脂肪酸で解決?/デンマークの脂肪規制の結末/結局、廃止された脂肪税
コラム 三つの姿をもつ脂肪/飽和脂肪酸はどれくらい飽和しているのか/ケトーシス――身体を脂肪で走らせる/脂肪は体内でこのように役立つ/脂肪の代替品で便失禁
第七章 熱帯の木に生えるラードと大豆ロビイスト
――植物油を巡る熱い闘い
菜種油の発見/固体の植物性脂肪ココナッツオイルの再評価/大豆ロビイストの暗躍/パームオイルのネガティブイメージ
コラム 植物油で揚げるのはよくない?/波に菜種油を流す時
第八章 結局、脂肪を摂ると太るのか痩せるのか
既存の金持ちだけが得をする/燃焼の謎/世界にダイエットを広めた葬儀屋/悪者になった脂肪/高脂肪で栄養失調に?/飽和脂肪に賛成、食品庁に反対/低脂肪・脂肪カットの時代/神の最高のダイエットテクニック
コラム 何をやったかは大事なのか? 体重と遺伝と環境/就職差別をされる肥満
第九章 どれも同じくらい脂っこいわけではない
――しかし多様性で脂肪は最高の存在になる
オメガ6の過剰摂取/放し飼いの牛から採れる、きらきら光る美味しい脂肪/良いものに決めさせよう
脂と料理のヒント もっと脂を使った美味しいレシピとテクニック
訳者あとがき
出典・インスピレーション・お勧めの文献
書誌情報
読み仮名 | シボウトジンルイカツボウトケンオノレキシ |
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シリーズ名 | 新潮選書 |
装幀 | 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀 |
発行形態 | 書籍、電子書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 240ページ |
ISBN | 978-4-10-603921-8 |
C-CODE | 0340 |
ジャンル | 歴史読み物、歴史・地理・旅行記、サイエンス・テクノロジー |
定価 | 2,200円 |
電子書籍 価格 | 2,200円 |
電子書籍 配信開始日 | 2025/01/23 |
書評
嫌われ者「脂肪」の価値を再発見する
米国では、新たな肥満症治療薬が非常な反響を呼んでおり、その年間売上は3兆円に及んでいるという。飲食に大金を払って脂肪を身にまとい、また大枚をはたいてその脂肪を削り落とすのだから世話はない。脂肪は命を縮める厄介者とは知りつつ、油をたっぷり使った食品の誘惑は、誰にとっても逃れがたい。
体重増加の傾向が進むのは米国だけではなく、中国ほか先進各国でも肥満は急速に増えている。偉そうに書いている評者自身、腹についた脂肪をどうにかせねばと、ドタバタと情けなく運動を繰り返す毎日だ。
人類にとってなくてはならぬ、それでいて最も疎ましがられる存在。本書『脂肪と人類―渇望と嫌悪の歴史―』は、その脂肪についての文化史、そして科学について綴られた一冊だ。その巻頭に登場するのは、大都市の下水道で発見された怪物「ファットバーグ」(脂肪の氷山)。トイレに流された使い捨てウェットティッシュの繊維が芯となり、料理店などから流れ込んだ油脂が固着して、地下水路に成長した硬く巨大な脂肪の塊だ。2017年にロンドンで発見されたファットバーグのサイズは、なんと長さが二五〇メートル、重さは一三〇トン。下水管が詰まる原因となる上にひどい悪臭を放ち、恐ろしい病原菌の巣でもある。この怪物退治のため、水道会社は清掃人八人を九週間かかりきりにさせる必要があったという。つまはじきにされた脂肪の呪いというべきか、それとも文明の動脈硬化というべきだろうか。
かくも嫌われ者になった脂肪だが、実は白い目で見られるようになったのはせいぜいこの数十年のことだ。人類はその長い歴史の中で、ほとんどの期間を軽い飢餓状態で過ごしてきた。歴史上の人物の肖像画を見ると、でっぷりと太った人物はほとんどいなかったことに気づくだろう。基本的に、肥満は健康と富の象徴であり、人にうらやまれることであったのだ。実際、「目が肥える」「肥えた土地」など、肥えるという言葉はポジティブな意味合いで使われてきたし、「痩」という字にやまいだれが含まれていることからわかる通り、痩身は病的な状態を意味していた。スリムな体型が尊ばれ、太った体躯が怠惰と不健康の証拠と見られるようになったのは、せいぜいこの数十年のことに過ぎない。
脂肪は化学構造としては石油などに近いものであり、極めて効率の高いエネルギー源となる。また、タンパク質などと違って細菌による腐敗も受けにくい。このため、食料の乏しかった初期の人類にとって、脂肪は生命のガソリンともいうべき貴重な栄養源であった。著者ダムベリ氏の出身地スウェーデンを含め、冬季には十分な食料の確保が難しかった地域では、食材としての脂肪の貴重さは日本の比ではない。二〇世紀に入ってもエスキモーは、冬に備えてトナカイの背中や内臓の脂肪を備蓄し、骨の中の骨髄まですすっていたという。
また本書では、あまり日本では知られていないスウェーデンの食文化もたっぷり紹介されており、巻末には脂肪を生かした料理のレシピ集まで収録されている。確かに、紹介されている製法のベーコンやラードは実に美味そうで、これを一度味わうと工場で量産された既製品は食べられなくなるだろうなと思える。
チーズなど乳製品についても、多くのページが割かれている。保存がきき、強い旨味を持つチーズは、まさに神の恩寵ともいうべき食べ物だったのだろう。科学的に見ても、チーズは旨味成分とカロリーの塊というべき食べ物だ。東洋でも、牛乳から作った酪や醍醐は至高の味とされてきたが、西洋のチーズ文化はやはりはるかに深い。
こうした食文化の他、脂肪の科学的側面についても詳しく記述されている。脂肪はそれ自体の旨味とともに、水には溶けにくい香り成分を溶かしてその風味を強化してくれるというあたり、化学屋としてはなるほどなあと深くうなずかされる。飽和脂肪酸や不飽和脂肪酸、そして心臓病のリスクを高めるとして一時期騒がれたトランス脂肪酸などの是非についても論じられており、健康を気にする人には参考になるだろう。
和食ではさっぱりした味わいが中心であり、食文化を語る際に脂肪が前面に押し出されることはあまりなかったように思う。しかし本書を読むと、和食においても和牛から背脂ラーメンに至るまで、脂肪の果たす役割は実に大きいことに改めて気付かされる。著者ダムベリ氏は来日経験もあるということだが、今度来ることがあったら、ぜひ上記の和食や、日本のアイスクリーム、チョコレートなども味わってもらい、感想を聞いてみたいと思う。日本の誇る大トロやスイーツの味わいを、彼女は何と評するだろうか。
(さとう・けんたろう サイエンスライター)
著者プロフィール
イェンヌ・ダムベリ
Damberg,Jenny
ジャーナリスト・作家。スウェーデンの主要朝刊紙に寄稿。デビュー作の『いただきます! 新しい定番料理の知られざる歴史』がスウェーデン食事アカデミーの「食にまつわるエッセイ」の部で最優秀賞を受賞したほか、食文化関係の著書多数。
久山葉子
クヤマ・ヨウコ
翻訳家、エッセイスト。神戸女学院大学文学部卒。スウェーデン大使館商務部勤務を経てスウェーデン在住。訳書に『スマホ脳』『サルと哲学者』『メンタル脳』『最適脳』など多数。著書に『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』がある。