
日本人の精神I 権威と空気の構造
1,815円(税込)
発売日:2026/05/21
- 書籍
- 電子書籍あり
われわれの心の深層にある「独自の思考様式」はなにか?
日本人はなぜ「日本人論」が好きなのか? そこには西欧文明との遭遇によるアイデンティティの危機がある。この問題を出発点に、天皇と外来文化という二つの「権威」の交差と、それを「空気」として受け止める独自の社会構造から、日本人の無意識に作用する「見えざる原則」を探究する。渾身のシリーズ第一弾!
はじめに
第1章 日本における「権威」の構造
第1節 「日本型権威」のからくり
第2節 「ムラ共同体」とエリートの苦悩
第3節 「天皇制度」のからくり
第4節 「アメリカニズム」と戦後日本
第2章 「空気の支配」について
第1節 日本は果たして「同質社会」なのか
第2節 「空気の支配」をもたらすもの
第3章 「応報原理」と「日本教的自然法」
第1節 ハビアンの「ナツウラの教え」
第2節 「日本的応報原理」について
第4章 日本近代、ふたつのディレンマ
第1節 福澤諭吉のにがい「予言」
第2節 道義をもった敗者への愛惜
書誌情報
| 読み仮名 | ニホンジンノセイシン1ケンイトクウキノコウゾウ |
|---|---|
| シリーズ名 | 新潮選書 |
| 装幀 | 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀 |
| 発行形態 | 書籍、電子書籍 |
| 判型 | 四六判変型 |
| 頁数 | 256ページ |
| ISBN | 978-4-10-603945-4 |
| C-CODE | 0310 |
| ジャンル | 哲学・思想、思想・社会 |
| 定価 | 1,815円 |
| 電子書籍 価格 | 1,815円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2026/05/21 |
インタビュー/対談/エッセイ
変化しない「何か」の底を探る
このたび、新潮社から『日本人の精神』と題する三冊本を出版していただくこととなった。その第一分冊が『日本人の精神I 権威と空気の構造』である。
この三冊本は、私の集大成である。こういうと少し大げさかもしれないが、私の主観の上ではそういう気分である。
ふつう、集大成というと、これまでの研究成果の積み上げの上にその成果が一気に開花するかのような印象があるが、私の場合はそうではない。
50年前、すなわち1970年代には、大学院で経済学や経済思想などをやっていたのが、半世紀後には、「日本論」「日本人論」になってしまったのである。
専門的な学問的生活などというものは私には縁遠いものだが、それでも、知的関心でいえば、1970年代には社会科学の先端分野である数理経済から出発して、途中、政治学、社会学、西洋哲学などに出入りしながら、半世紀後には、「日本人論」へ到達するというのでは、どうみても研究成果の積み上げどころではない。横滑りである。専門の深化ではなく、専門の横断である。
しかし、当人からすれば、この横滑りには十分な理由があって、その結果が、『日本人の精神』という三巻シリーズなのだ。半世紀かけた放浪が、この本にたどり着いたということである。集大成ではなく、終大成というべきかもしれない。
私が大学院生であった時代とは、戦争が終わってまだ30年ほどしかたっていなかった。冷戦が終わって現在35年ほどだから、思えば、まだ十分に「戦後」であった。
経済学や政治学という専門分野はともかくとして、日本全体の論壇の関心は、敗戦後の日本の近代化、民主化、経済発展にあった。それが、うまくいかなければ、自由な資本主義よりも、ソ連型の社会主義の方が優位に立つ。
私自身の関心も、専門的な経済理論よりも、この「戦後日本の近代化」の方に向いていた。そして、いずれにせよ、日本の近代化とは、その先行モデルとしての「アメリカ」を学ぶことであった。経済学も政治学も国際関係論もその学習のためのテキストなのである。
にもかかわらず、そのことに対する違和感が私にはずっとあった。ひとつは、米国の社会科学は、あくまで当地の風土と文化と歴史の産物ではないのか。「科学」と称して普遍性を装っているだけではないのか。こういう疑問が膨らんでゆく。
そして、もうひとつ、「近代化」は本当に望ましいのか。米国は確かに「近代社会」だ。近代社会とは、人間の欲望や自由を無限に拡張する社会であり、そのためには、古いものを破棄し、新しい技術によって、社会を絶え間なく変化させる。明日は今日よりよくなっていなければならない。
こういう考え方そのものが、米国流であって、そもそも日本の文化や価値観とは違うのではないか。そのことが決定的となったのは、1990年代のいわゆる「構造改革」であった。この時、米国は、日本は、政治、経済社会の全般にわたって近代化していない、と批判した。だから日本の構造を変えなければならない、という。そして、日本の政治家、官僚、知識人など、こぞって米国に賛同したのだった。この光景を前にして、私は、「日本とは何か」という問いに向き合うべきだと強く思うようになる。
「日本とは何か」などといっても、テーマそのものが無茶苦茶である。ただ、二つのことが私の強い関心であった。ひとつは、どうしてわれわれは、かくも簡単に海外の(特に米国の)価値観を受け入れ、一見、それに付き従ったかのような顔ができるのだろうか。しかも、構造改革にしても、決して本気で変えようともしないのだ。いや、改革の合唱にもかかわらず、変化しない何かが残るのである。
第二に、この変化しない「何か」の底を探ってみると、そこにこそ「日本的なもの」が見えてくるのではないか。それは、「近代化」や「欧米化」などによっては決してかすめ取られない、われわれがほぼ無意識のうちに持っている価値観であり、一種の宗教意識であろう。そこに、日本文化の深層とでもいうべき、自然観や死生観や歴史観があり、結局、日本人は、この「目にみえない価値」によって動いているのではないだろうか。
この二つの問いは、別々のものではない。重なり合っている。いずれにせよ、この問いに私なりの暫定的な解答を出すことが、この三巻本の役割である。仏教には以前から関心はあったが、日本文化も日本の古典もほぼ素人である。しかし、本当は、「日本」を語るのに、玄人も素人もないだろう。「日本」を理解することは「私」を理解することだからだ。結局、学問というものは、己を知るために学び続けるということ以外の何ものでもないのであろう。
(さえき・けいし 思想家)
著者プロフィール
佐伯啓思
サエキ・ケイシ
1949(昭和24)年、奈良県生まれ。社会思想家。京都大学名誉教授。東京大学経済学部卒。東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。2007年正論大賞。『隠された思考』(サントリー学芸賞)『現代日本のリベラリズム』(読売論壇賞)『「アメリカニズム」の終焉』『反・幸福論』『経済成長主義への訣別』『死と生』『近代の虚妄』『西田幾多郎』『死にかた論』『神なき時代の「終末論」』など著作多数。


































