
蕪村─「日常の美」の発見者─
1,925円(税込)
発売日:2026/08/26
- 書籍
- 電子書籍あり
俳句と絵画の両道を究めた蕪村。波乱多き人生とその真価とは?!
「菜の花や月は東に日は西に」「春の海終日のたりのたりかな」──誰もが知る数々の名句を後世に遺した与謝蕪村。絵師としても傑出した両道の異才だが、その人間像にはいまだ謎が多い。俗塵の中にあって、最期の瞬間まで己が芸術の道を究めた波乱の生涯と、尽きせぬ作品の魅力を、同じ俳諧の道を歩む著者が鮮やかに読み解く。
プロローグ
1 人生のパラレル
菜の花や月は東に日は西に/イカ巾きのふの空のありどころ
2 故郷想望
やぶ入や浪花を出て長柄川
3 岐路
鶏
4 丹後へ
夏河を越すうれしさよ手に草履
5 春惜しむ
春の海終日
6 後の世かけて
春水
7 生を写す
牡丹
8 余白を読む
ほとゝぎす平安城を筋
9 市井の女たち
青梅に眉
10 光と影
御手打(討)の夫婦
11 京の文人ネットワーク
草の雨祭の車過
12 京の年中行事
祇園
13 俳句と絵画に見る“幅”
学問は尻
14 蕪村の五月雨
五月雨
15 涼し
すゞしさや鐘
16 時間と空間
貧乏に追
17 コラボレーション
四五人に月落
18 「身体性」で詠む
秋来ぬと合
19 月の光
月
20 老いらくの恋
老
21 秋の暮
父母のことのみおもふ秋のくれ/門
22 辞世
芭蕉去てそのゝちいまだ年くれず/我も死して碑に辺
エピローグ
あとがき
主要参考文献
取材協力一覧
書誌情報
| 読み仮名 | ブソンニチジョウノビノハッケンシャ |
|---|---|
| シリーズ名 | 新潮選書 |
| 装幀 | 駒井哲郎/シンボルマーク、新潮社装幀室/装幀 |
| 発行形態 | 書籍、電子書籍 |
| 判型 | 四六判変型 |
| 頁数 | 256ページ |
| ISBN | 978-4-10-603949-2 |
| C-CODE | 0391 |
| ジャンル | 文学・評論、ノンフィクション |
| 定価 | 1,925円 |
| 電子書籍 価格 | 1,925円 |
| 電子書籍 配信開始日 | 2026/08/26 |
書評
「中動態の詩人」が示す、俳諧の本質
黛まどかが久しぶりに新著を出した。満を持してのことだろう。デビュー当時の気負いはもうないが、その後、国内外の巡礼や災害地への旅を重ねている。
ファンの層も広がり、大胆な視点もとり入れようとしている。蕪村の人生を芭蕉、一茶と比べて論じ、今思想界で話題の能動態、中動態、受動態をとりあげ、芭蕉は能動、一茶は受動、蕪村は中動態の詩人だったとする。気がきいているとも思われるが、どこからでも文句のつけられそうな枠組ではある。
蕪村は知られているように、俳諧師と絵師の二つの顔をもつ。その心の底にどんな扉をもつか、見極めがたいところがないではない。その秘密を若い世代にどう伝えるか、腕の見せどころだ。
その目論見が、目次立ての各章の工夫にあらわれている。
トランプ遊びで、キングやクイーンの絵札を扇を開くようにサッと開いてみせる。つづいてその章節を浮彫りにする代表句二句をそえる。これまた鮮やかな絵画的手法といっていいだろう。
「人生のパラレル」(1)、故郷想望(2)とつづけてそれぞれに代表句二句。以下、春惜しむ(5)、生を写す(7)、余白を読む(8)、市井の女たち(9)、蕪村の五月雨(14)、涼し(15)とつづき、文人たちとのつき合い、たわむれに及び、最後に、老いらくの恋(20)、秋の暮(21)、辞世(22)で終る。
その最後の「辞世」の代表句に下の二句の芭蕉を慕う作品をおいている。
芭蕉去
我も死して碑に辺
著者の筆は、「秋の暮」あたりからしだいに憂愁の気を深めていく。序破急の急転への坂をころげていく。すでに亡きご自身の父への悲傷、病に伏す母への嘆きの思いがそれに重なっていく。
俳句の道は奈落への一本道か、それともあの芭蕉翁のいう「一筋の道」へとつづくのか、思いは千々に乱れ、奈良時代の名僧、行基の歌へとしだいに引き寄せられていく。
父ありて明
父母
ちゝはゝのしきりにこひし雉
そして最後に行基にたどりつく。
山鳥のほろほろと鳴く声聞けば
父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ
そして著者の黛まどかもまた、俳諧の伝統の末端につらなって、芭蕉は、「滑稽中心だった俳諧に、わび・さび・しおり・細み・軽み・幽玄などを取り入れて芸術性を高めた」といい、
「大衆に迎合せず、自分の信じる道を歩んだ。それは西行が和歌に、宗祇が連歌に、雪舟が絵に、利休が茶に追求したものと一であった。芭蕉はその一筋に繫がる道をひたむきに歩んだ」
と語っている。
しかしこの芭蕉のメッセージはわが「俳壇」でほんとうに息づいているだろうか。現代の俳句共同体で真に求められているのか。本書を通読していて感じとったことだ。
そもそも「俳」とは何か、「俳人」とは何者だったのか。そこに封じこまれているコトバのエッセンスは、
「常人離れのヒト」
ということではないか。
このコトバに凝縮されていることに、誰でも気づくはずだ。手元にある辞書をめくれば、行ったり来たり一所不住、放浪の旅をつづける「わざおぎ」、つまり俳優たちの世界のことだ。
中国に起源をもつが、このニッポンではおなじみの「もどく」「かぶく」につらなる芸能系列のキーワードだ。場合によってはそこでヒトサシ舞ってタンカを切る、あの遊びと笑いの舞台をまきおこす。
その根っこには、伝統とか派閥とか、眼前の壁を超えていく非人情の世界が広がっている。
その嘆きの声が本書のあちこちからもきこえてくるが、それが目次立ての工夫からも立ちのぼっている。
月天心にかかり
日輪はるか春堤に落つ
蕪村がもうそこまで、やってきている。けれども蕪村翁よ! あなたの「老いらくの恋」の物語については、もうしばらくの時間がかかりそうだ……。
(やまおり・てつお 宗教学者)
著者プロフィール
黛まどか
マユズミ・マドカ
神奈川県生まれ。俳人。北里大学・京都橘大学・昭和女子大学客員教授。1994年「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞、2002年句集『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞を受賞。スペイン・サンティアゴ巡礼道、韓国プサン─ソウル、二度の四国遍路などを踏破。「歩いて詠む・歩いて書く」ことをライフワークとしている。2025年「俳句涅槃図」を建仁寺西来院に奉納、話題となる。句集のほか、随筆『私の同行二人』『暮らしの中の二十四節気』『引き算の美学』など著書多数。

































