新潮社の沿革

II 基盤

1946年~1967年

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第2代・佐藤義夫(1900~1967)

戦後出版界の形を作る

1946
(昭和21年)

第2代社長に義亮の長男義夫が就任

役員の交替を行い、佐藤義亮は社長を引退し、義亮を支えた中根駒十郎、小野田通平も役員を辞任。専務の佐藤俊夫は留任、副社長に義夫の長男亮一が就任。新取締役に齋藤十一が就任(同年より「新潮」編集長も務める)。
  

月刊児童雑誌「銀河」創刊(~1949年)

山本有三を編集顧問に迎え、新生日本の少年少女のための総合雑誌として創刊。

1947
(昭和22年)

「新潮文庫」(第四期)刊行開始

翻訳文学を中心とした第三期までとは変わって、昭和文学に主眼を置いた文庫として刊行を始める。第一弾は川端康成『雪国』。これが現在まで続く「新潮文庫」のスタートであり、『雪国』を「1」とした入稿番号はすでに11800を超えている(2023年末現在)。

月刊誌「小説新潮」創刊(9月号)

廃刊した「日の出」に代わる小説中心の新機軸の大衆雑誌として創刊。芥川賞受賞作家である石川達三の「風雪」が連載されるなど、時代物や伝奇物を中心としたそれまでの大衆小説とは一線を画した「中間小説」のジャンルを開いた。創刊編集長は佐藤俊夫専務。翌年には石坂洋次郎、舟橋聖一の連載が始まり好評を博し、発行部数を急激に伸ばす。

石坂洋次郎『青い山脈』、太宰治『斜陽』を刊行

1948
(昭和23年)

「川端康成全集」全16巻の刊行開始

新潮社としては戦後初めての個人全集。生誕50年を記念した企画であり、川端全集はこの後3回編まれることになる。

「島崎藤村全集」全19巻の刊行開始

島崎藤村と新潮社は大正年代から深い関係にあったが、1943年の死去を受けて、未収録の談話・講演・書簡なども収めた初の本格的な全集となった。

1949
(昭和24年)

石坂洋次郎『石中先生行状記』を刊行

「世界の絵本」の刊行開始

少年少女向けの中型版(A5)16冊、幼年向けの大型版(B5)19冊を刊行。

1950
(昭和25年)

月刊誌「芸術新潮」創刊(1月号)

矢代幸雄、和辻哲郎、小林秀雄、里見弴らの執筆陣を揃え、芸術の総合雑誌として創刊。見るだけでなく、読む芸術雑誌を目指した。創刊号にはルノアール、デュフィの原色版のほか、志賀直哉と杉村春子の対談、三好達治、林芙美子、井伏鱒二の随筆などが載り、他の美術雑誌にはない充実した内容で読者を得て、次第に大雑誌に成長していく。

「アンドレ・ジイド全集」全16巻、「ニーチエ全集」全12巻の刊行開始

1951
(昭和26年)

カミュ『異邦人』(窪田啓作訳)を刊行、大ブームとなりベストセラーに

「石坂洋次郎作品集」全6冊、「林芙美子全集」全23巻の刊行開始

創業者・佐藤義亮死去(享年73)

1952
(昭和27年)

「現代世界文学全集」全46巻の刊行開始

20世紀世界文学の傑作をほぼ網羅した戦後初めての本格的文学全集で、読売新聞に戦後初の1ページ広告を掲げるなど大宣伝を行った。各巻とも翻訳物としては驚異的な売れ行きを示し、各巻平均8万部、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』(豊島与志雄訳)は3巻併せて40万部に達し、カミュ『異邦人・ペスト』(窪田啓作、宮崎嶺雄訳)、リルケ『マルテの手記・ロダン』(大山定一ほか訳)も10万部を超えた。

1953
(昭和28年)

「カフカ全集」全6巻、「長編小説全集」全19巻の刊行開始

プルースト『失われた時を求めて』全7巻13冊、ボーヴォワール『第二の性』全5冊の刊行開始

「一時間文庫」の刊行を始める

新書判流行の機運にさきがけ、全集と文庫の中間をねらったシリーズとして試みる。クルト・ハス編『運命の下の青年―戦後ドイツ青年男女の手紙―』(高橋義孝訳)、ヘンリー・ミラー『性の世界』(吉田健一訳)などを皮切りに、カミュ・サルトル論争『革命か反抗か』(佐藤朔訳)、クリスチャン・ディオール『私は流行をつくる』(朝吹登水子訳)、トインビー『世界と西欧』(吉田健一訳)など多彩な内容で66冊を刊行した(~1956年)。

1954
(昭和29年)

「堀辰雄全集」全7巻、「坪田譲治全集」全8巻、「岸田國士全集」全10巻、「サマセット・モーム全集」全31巻、「武者小路実篤全集」全25巻の刊行開始

新潮文庫でモンゴメリ「赤毛のアン」シリーズ(村岡花子訳)全10冊の刊行開始

三島由紀夫『潮騒』を刊行

第1回新潮社三大文学賞の発表

新たに「新潮社文学賞」「小説新潮賞」「同人雑誌賞」を設け、「新潮社三大文学賞」として受賞作を発表。第1回新潮社文学賞は三島由紀夫『潮騒』。

「岸田演劇賞」を設ける(~1960年)

三大文学賞と併せ「新潮社四大文学賞」とした(1961年より白水社主催の岸田戯曲賞に統合)。

1955
(昭和30年)

新書判の新シリーズ「小説文庫」の刊行を始める

新書ブームの中、石坂洋次郎『霧の中の少女』を皮切りに小説でも新書判に参入。中山義秀『新剣豪伝』、井上靖『あすなろ物語』、竹山道雄『ビルマの竪琴』などがヒットし、五味康祐『秘剣』『柳生連也斎』は剣豪ブームを巻き起こした。37冊を刊行(~1958年)。

「小林秀雄全集」全8巻、「林芙美子作品集」全10巻の刊行開始

1956
(昭和31年)

「週刊新潮」創刊(2月19日号)

出版社による初の週刊誌として創刊。編集長は佐藤亮一、表紙絵は谷内六郎。東京と大阪では「週刊新潮」創刊の宣伝カーを走らせるなど、まさに鳴り物入りの創刊であった。文芸出版社としての伝統を活かした谷崎潤一郎「鴨東綺譚」、五味康祐「柳生武芸帳」、大佛次郎「おかしな奴」などの連載も好評を博し、週刊誌時代の先鞭をつける。創刊号30万部は完売。

石原慎太郎『太陽の季節』を刊行

前年下半期の芥川賞受賞作を単行本で刊行、この年のベストセラー1位になり、「太陽族」という新語や「慎太郎刈り」の髪型が流行するなど、社会現象となった。

「新編・日本少国民文庫」全12巻、「マルクス・エンゲルス選集」全16巻、「探偵小説文庫」全11冊、「シャーロック・ホームズ全集」全6巻の刊行開始

石川達三『四十八歳の抵抗』を刊行

三島由紀夫『金閣寺』を刊行

五味康祐『柳生武芸帳』全7巻、柴田錬三郎『眠狂四郎無頼控』全7巻の刊行開始

1957
(昭和32年)

「新版世界文学全集」全33巻の刊行開始

19世紀世界文学の古典というべき名作の中から定評のあるものを新訳・改訳して収録。20世紀作品の『チボー家の人々』『風と共に去りぬ』も全集初収録。

「ヘルマン・ヘッセ全集」全14巻別巻1、「石川達三作品集」全12巻、「源氏鶏太作品集」全12巻、「福田恆存著作集」全8巻、「三島由紀夫選集」全19巻の刊行開始

吉田茂『回想十年』全4巻の刊行開始

「週刊新潮」に連載して好評を博した「吉田茂回顧録」を全4巻にまとめた。

井上靖『氷壁』を刊行

1958
(昭和33年)

「カミユ著作集」全5巻の刊行開始

前年1957年のノーベル文学賞を受賞したカミュの全容を紹介。

「室生犀星作品集」全12巻の刊行開始

1959
(昭和34年)

「日本文学全集」全72巻の刊行開始

明治・大正・昭和の代表的名作を収録した全集で、編集は川端康成、河盛好蔵、伊藤整、中村光夫、山本健吉、平野謙。ハンディな特別判型は、普及し始めていたトランジスタ・ラジオの型からヒントを得たもので、大きな反響を呼んだ。『川端康成集』『太宰治集』『井上靖集』『三島由紀夫集』など8冊が30万部を超え、31冊が20万部を超えた。

「萩原朔太郎全集」全5巻、福田恆存訳「シェイクスピア全集」全15巻補巻2、「川端康成全集」全12巻の刊行開始

新潮文庫で「ルパン傑作集」全10冊、「モーム短篇集」全14冊の刊行開始

1960
(昭和35年)

「世界文学全集」全50巻の刊行開始

過去の世界文学全集から主要作品を選び、全巻改訳、新訳した決定版全集。「日本文学全集」と同一判型で、「日本」の赤箱に対し、「世界」は黄箱の体裁をとった。

「井上靖文庫」全26冊の刊行開始

「新潮」に掲載された北杜夫「夜と霧の隅で」、三浦哲郎「忍ぶ川」がそれぞれ上半期(第43回)と下半期(第44回)の芥川賞を受賞

1961
(昭和36年)

「純文学書下ろし特別作品」の刊行を始める

「第一線の作家たちが、現代のもっとも重要な文学的課題と取り組み、書下ろした本格的長編シリーズ」として、石川達三『充たされた生活』を皮切りに刊行開始。函入りの豪華装幀で話題作が続々と登場した。2000年の島田雅彦『彗星の住人』まで63作品が刊行されている。

「ポケット・ライブラリ」の刊行を始める

新書ブームのなか、小説とノンフィクションの両分野を包摂する新書として松本清張『歪んだ複写』を第一弾にスタート。山本周五郎『さぶ』、伊藤桂一『悲しき戦記』、三原脩『三原メモ』など、幅広いジャンルの68冊を刊行した(~1965年)。

住井すゑ『橋のない川』全7冊の刊行開始

海音寺潮五郎『二本の銀杏』、星新一『人造美人』、松本清張『わるいやつら』を刊行

この年、「週刊新潮」の発行部数が100万部を突破

1962
(昭和37年)

大江健三郎『遅れてきた青年』、石川達三『僕たちの失敗』、安部公房『砂の女』(純文学書下ろし特別作品)、北杜夫『南太平洋ひるね旅』(ポケット・ライブラリ)、三島由紀夫『美しい星』を刊行

芹沢光治良『人間の運命』全14巻の刊行開始

1963
(昭和38年)

「新潮」700号記念特大号(8月号)を発行

伊藤整は「戦後新潮談」を寄せ、「創刊以来新潮社がこの雑誌で利益を挙げたことはない、とも言ふ。(中略)それでもこの雑誌が新潮社の全出版事業の核心であるといふ事情には変りがない。この雑誌が存在してゐるから、いい作家がここに集るのであり、またその通俗版としての『小説新潮』、『週刊新潮』も拠り所を持つて繁栄してゐるものと考へる」と記した。

「週刊新潮」12月2日号より山口瞳「男性自身」が始まる(~1995年)

1964
(昭和39年)

「室生犀星全集」全12巻別巻2の刊行開始

レイチェル・カーソン『生と死の妙薬』(青樹簗一訳)を刊行

公害問題が顕在化する遥か前に農薬の公害を厳しく告発した書で、新潮文庫収録(1974年)に際し、邦題を原題の『沈黙の春』に改める。

北杜夫『楡家の人びと』、深田久弥『日本百名山』、大江健三郎『個人的な体験』(純文学書下ろし特別作品)を刊行

子母沢寛『勝海舟』全6巻の刊行開始

1965
(昭和40年)

「ヘンリー・ミラー全集」全13巻、「正宗白鳥全集」全13巻、「人類の美術」全43巻、「柴田錬三郎時代小説全集」全26巻の刊行開始

山崎豊子『白い巨塔』、岡潔・小林秀雄『対話 人間の建設』、阿川弘之『山本五十六』を刊行

司馬遼󠄁太郎『国盗り物語』全4巻の刊行開始

創立70周年記念出版『新潮国語辞典 現代語・古語』を刊行

この年「新潮」で、井伏鱒二「姪の結婚」(後に「黒い雨」と改題)、小林秀雄「本居宣長」、三島由紀夫「春の雪―『豊饒の海』第一巻―」の連載が始まる

この年より、新たにS字をデザインしたマーク(樽Sマーク)の使用を始める

1966
(昭和41年)

新社屋が完成し、現在の「本館」の形となる

1957年に本館南側が竣工、1959年に第一倉庫が竣工、これに続く本館北側の増築で、同じ特殊タイル外装の堅牢な「本館」が整った。増築部分のロビー壁面には彫刻「人類の文字」が設えられた。

「石坂洋次郎文庫」全20巻、「大江健三郎全作品」全6巻、「梅崎春生全集」全7巻、「日本詩人全集」全34巻、「福田恆存評論集」全7巻の刊行開始

山本周五郎『ながい坂』(上・下)、遠藤周作『沈黙』(純文学書下ろし特別作品)、吉村昭『戦艦武蔵』、柴田翔『贈る言葉』、井伏鱒二『黒い雨』、司馬遼󠄁太郎『関ヶ原』(上・中・下)を刊行

創立70周年記念出版『新潮世界文学小辞典』を刊行

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