新潮社の沿革

I 創業

1896年〜1946年

一覧

初代・佐藤義亮(1878~1951)

文芸出版の雄として

1896
(明治29年)

創業者・佐藤義亮が文芸雑誌「新声」を創刊

「新声」は小説や詩歌から人生論、社会論、思想まで幅広く扱った総合文芸雑誌で、当時としては斬新な内容であった。新声社の出版活動は順調であったが、代金回収が思うにまかせず経営難に陥り、7年で会社譲渡を余儀なくされる。しかし義亮の出版活動の原点は「新声」にあることから、創刊号発行の1896年を新潮社の創業年としている。

1904
(明治37年)

「新潮」創刊、新たに新潮社を創立

日露戦争が勃発し、国を挙げて戦争に没入する時代に文学書でもあるまいと忠告する人も少なくなかったが、義亮は「このような時にこそ文学が必要である」と新たな文芸雑誌の創刊に踏み切った。

1909
(明治42年)

ツルゲーネフ『父と子』(相馬御風訳)を刊行し、翻訳出版に乗り出す

1913
(大正2年)

「近代名著文庫」全8編の刊行開始

ダヌンツィオ『死の勝利』(生田長江訳)に始まるこの叢書によって、「翻訳出版の新潮社」の定評を得る。

1914
(大正3年)

「新潮文庫」創刊

ドイツのレクラム文庫にならって創刊された。第一期(1914年~1917年、43冊)は現在の文庫本より少し小型の四六半截判で、定価は25銭。一部専門家の間でのみ親しまれてきた泰西名著を一般に普及すべく、正確な全訳を期した。第一編はトルストイ『人生論』(相馬御風訳)で、新潮文庫によるロシア文学の紹介は文壇に大きな影響を与えた。

「代表的名作選集」全44編の刊行開始

国木田独歩、夏目漱石、田山花袋、島崎藤村ら明治から大正初期にかけての近代文学の集大成を試みたもの。1920年10月時点で総発行部数150万部に達した。

1916
(大正5年)

「文章俱楽部」創刊(~1929年)

「トルストイ叢書」全12冊、「ニイチエ全集」全10編の刊行開始

「トルストイ叢書」の刊行を機に、月刊誌「トルストイ研究」も創刊(~1919年)。

1917
(大正6年)

「ヱルテル叢書」全18冊の刊行開始

中編の恋愛小説を集めたこの叢書によって、若い世代の翻訳小説読者をつかむ。

「新進作家叢書」全45冊の刊行開始

「代表的名作選集」に対して新進作家の代表作を収めた。芥川龍之介、佐藤春夫の新潮社初刊行作品もこの叢書からで、ここに名を連ねれば「文士の看板」を得られるといわれた。

1919
(大正8年)

島田清次郎『地上』第一部を刊行

徳富蘇峰らの激賞をきっかけに読書界を席巻する反響を呼び、ベストセラーに。

1920
(大正9年)

「世界文芸全集」全32編の刊行開始

新潮社による翻訳出版の集大成として企画された。このうち第七編として刊行されたゾラの『ナナ』(宇高伸一訳)は大正期翻訳小説の大ベストセラーとなり、1928年4月時点で205刷に達した。

1922
(大正11年)

新潮社マークを公募し、「潮」の文字を図案化した作品を当選作と決定

1923
(大正12年)

新社屋完成

鉄筋コンクリート4階建ての新社屋は8月に竣工、9月1日午後にお披露目の式典を予定していたが、そこに関東大震災が襲う。しかし新社屋は無事であった。屋上に立った義亮は社員たちに「東京はどんなことになろうとも、それが全日本にどんな影響を及ぼそうとも、文芸出版は大丈夫だ」と言った。「国民は決して文芸と離れるものでないという私の信念」が言わせたのだと義亮は後に述懐している。巷間「ナナ御殿」と呼ばれた新社屋は昭和の戦禍もくぐりぬける。

1924
(大正13年)

「演劇新潮」創刊(~1925年)

編集主幹は山本有三。ヨーロッパの新しい演劇を紹介し、岸田國士ら新しい才能を世に出したが、営業的には成り立たず。

1925
(大正14年)

「現代小説全集」全15巻の刊行開始

「婦人の国」創刊(~1926年)

マルクス『資本論』完訳版(高畠素之訳)、全3巻4冊の刊行開始

1926
(大正15年・
昭和元年)

「社会問題講座」全13巻の刊行開始

1927
(昭和2年)

「世界文学全集」全57巻の刊行開始

改造社が前年企画発表した「現代日本文学全集」によって円本全集時代が幕を開ける。新潮社は『レ・ミゼラブル』第一巻に始まる「世界文学全集」第一期全38巻、続いて第二期全19巻を刊行、全57巻として1932年に完結。これによって文学の出版社としての地歩を固めた。

1928
(昭和3年)

「現代長篇小説全集」全24巻の刊行開始

日本作家による「新潮社第二の円本」として評判を呼び、24万8000部の予約者を獲得。

「新潮文庫(第二期)」刊行開始(~1930年、19冊)

1929
(昭和4年)

「有島武郎全集」全10巻の刊行開始

「文学時代」創刊(~1932年)

1930
(昭和5年)

「世界現状大観」全12巻の刊行開始

1932
(昭和7年)

『日本文学大辞典』全3巻別巻1の刊行開始

島崎藤村『夜明け前』第一部を刊行

「新作探偵小説全集」全10巻の刊行開始

月刊誌「日の出」創刊(~1945年)

大衆文芸の分野への進出を目指して企画され、創刊号は30万部でスタートしたが5割近い返品となり、売れ行きは振るわなかった。

1933
(昭和8年)

「新潮文庫(第三期)」刊行開始(~1944年、495冊)

「一人三人全集」全16巻の刊行開始

林不忘、牧逸馬、谷譲次の筆名を使い分けた長谷川海太郎の全集。

1935
(昭和10年)

「日本少国民文庫」全16巻の刊行開始

山本有三が「少年少女の感性の陶冶と知性の訓練に役立つ書物の作成」を期して責任編集に当たり、吉野源三郎、吉田甲子太郎、大木直太郎、石井桃子が編集同人を務めた。山本有三『心に太陽を持て』、山本有三・吉野源三郎『君たちはどう生きるか』もこの叢書から刊行され、「良心的な児童読物」として当時の子どもたちに多大な影響を与えた。『世界名作選』は美智子上皇后も幼少期に愛読されていた。

定本版「藤村文庫」全11篇の刊行開始

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』を刊行

1936
(昭和11年)

創立40周年を迎える

文壇・出版界から佐藤義亮の胸像を贈られる。創立40周年を記念して「新潮社文芸賞」を設ける(~1944年)。胸像は現在の本館ロビーに置かれている。

1937
(昭和12年)

「新選純文学叢書」全19冊の刊行開始

尾崎士郎『人生劇場』(上・下)を刊行

1938
(昭和13年)

「江戸川乱歩選集」全10巻、「吉屋信子選集」全11巻の刊行開始

石川達三『結婚の生態』を刊行

1939
(昭和14年)

「昭和名作選集」全30冊、「新日本少年少女文庫」全20篇の刊行開始

1940
(昭和15年)

新潮社の創立記念日を5月10日と定める

1941
(昭和16年)

吉川英治『新書太閤記』全9巻の刊行開始

1943
(昭和18年)

山本有三『米・百俵』を刊行

一覧に戻る