オヤジギャグの華

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その14 ALWAYS二丁目の月光

オヤジギャグの華

「なんかこのところ、街が静かねえ」私のガールフレンドのコジマが言う。
 私たちは東京タワーのすぐそばに借りているアパートメントの、表側の小さなバルコニーにいる。七階下の、この時間ふだんなら車の往来も激しく、ヘッドライトが行き交う大通りは、目下ほとんど人影もなく、陰気な静けさをたたえている。キリコの描く夜の情景のなかの東京。昼間でも同じで、あるとき、いつもならスピーカーから壊滅的な騒音を発しながらやって来る極右翼の宣伝カーが、妙に大人しい音を出しながらのろのろ這ってきた。脅しの文句をブツブツ独りごちる頭のおかしい男みたいに。
 コジマと私は裏のバルコニーに回ってみる。こちらでは東京タワーが、さながら巨人が掲げる陽気にほのめく提灯のように、夜空に向かって巨大にそびえている。もしくは、陽気にほのめく提灯に変身させられた巨人のように、か。タワーと私たちのあいだには、わずかばかりの墓場と、心光院の小さな屋根がある。
「そしてタワーの横で月が輝く」と私は囁く。「ALWAYS二丁目の月光……」歌うように言う。
「へ?」とコジマ。
「だからさ、東京タワーが出てくる人気映画……誰だって知ってるよ」と私は小さく鼻を鳴らす。「で、ここ、二丁目だろ」
 私たちは黙り込み、ただ見つめる。
「散歩に行きましょ」コジマが出し抜けに言う。「なんかすごく神秘的で、魔法の国みたい。いまなら街を独り占めよ」
 私は彼女の顔を見る。「よし。でも気をつけないと、このごろは。それにきっと幽霊もいるよ」
「わざわざ言わないでよ」コジマがため息をつく。
 私たちはそっと用心深く外に出て、大通りを速足で少し行き、左に曲がって坂道を上り、郊外に作ったレプリカみたいに真新しく見える心光院の門の前を過ぎる。タワーは頭上で煌々こうこうと輝き、その強大な、地についた足は、空高くそびえるさなかにも、地上の現実を劇的に変えているようにも見える――なんだか混乱してくる。視覚上の謎みたいだ。
 あたりには誰もいない。
「タワーとかさ、このへんのものだいたいみんな、かつての徳川将軍家の墓の上に建てたんだよね」と私はコジマに講釈する。なぜか私はヒソヒソ声で喋っている。
「うん、知ってる知ってる」とコジマもヒソヒソ声を返す。そしてすばやく左右を窺う。
 私たちはタワーを過ぎて、カーブを描く人影のない通りを下り、また別の静まりかえった大通りを渡って、その向こうの細い、葉の茂った道をたどる。徳川家六人の将軍が埋葬されている増上寺が右手に広々と見える。月光の下、私たちは黙って進み、やがて境内に入っていく。大きな、翼型のひさしがある本堂が、もう少し小ぶりだがなかなか魅力的な、名高い黒本尊を祀る安国殿のすぐ向こうにそびえている。
 側面には、大枝の葉むらがまだらに月の光を通す下、陽気な赤いニット帽をかぶり赤いよだれかけを着けた、水子供養のための小さな石の地蔵がずらりと並んでいる。プラスチックの風車がそれぞれのかたわらで、夜風に吹かれて揺れる花びらみたいにくるくる回っている。頭上高く、私たちがいま来た方角で、東京タワーが煌々と照っている。
 と、私たちの周りの月光が、ちらちら揺れるように思える。小さな地蔵たちが笑っている気がする……ひどく小さな声で。そして、体を細かく揺すっているようにも。
 コジマと私はハッと息を呑み、目を見開き、魅せられたまなざしを交わす。
 それから、私たちはふたたびギョッと驚いて、こそこそと近くの木蔭に隠れる。髪の毛が逆立つ。ちらちら揺れる姿の一団が、地蔵たちの向こう、徳川将軍家墓所の方からゆっくりこっちへやって来るのだ。厳めしい様子の、ずんぐりした小柄な男たちが、黒い着物を着て黒い冠を被っていて、まげを納める巾子こじが黒い舌のようにまっすぐ上に突き出ている。花柄の着物を着た妻たちがそのあとからしずしずとやって来る。妻たちの額には二つ目の眉が描いてある。コジマと私が唖然として見守るなか、幽霊たちは地蔵たちの許にたどり着く。そして身を乗り出し、地蔵たちにくーくーと、孫を可愛がる祖父母のように甘い声をかける。地蔵たちもピーピー声を上げ、よちよちと寄っていく。
 突然、騒動が生じる。醜い、爬虫類のような姿が地面から飛び出してくるのだ。そいつらが、地蔵のかたわらに丁寧に積まれた石を蹴倒しはじめる。
「何なんだ?」私はささやく。
「生まれなかった子供が来世でもっといい場所へ行くには、石を積まないといけないのよ」とコジマがささやく。「で、悪霊どもはそれを壊したいわけ」
 私は目を白黒させて彼女を見る。「どこでそんなこと、知ったんだ?」
「あんたがYouTubeでヤクザ映画に見とれてるあいだ、ちゃんとリサーチしてる人間もいるのよ!」
 だが悪霊どもは将軍の一団の敵ではない。将軍たちは扇でさっさっと叩いて彼らを追い払う。それから、石を積み直そうとかがみ込む。
 と、地蔵たちがにぎやかに声を上げ、指さす――東京タワーの方を。
 将軍たちとその妻たちは顔を見合わせてため息をつく。そして肩をすくめる。すっかり興奮した、赤い帽子をかぶった小さい者たちを彼らは招き寄せ、子らの望みどおり、輝かしく光る東京タワーを見に行く。
 突然、彼らはぴたっと立ちどまる。それぞれが、縦にのばした指を一本ずつ、自らの頭の左右につののように立て、先祖代々の安らぎの場所をかくも無礼にけがした高き侵入者にあっかんべえをしてみせる。誰もが嬉しそうに笑い声を上げる。やがて全員がふたたび通りを進んでいく。
 彼らが立ち去るのをコジマと私は見守る。私たちは回れ右して、ぶらぶらと増上寺の境内に入っていき、大殿だいでん本堂の前を通っていく。その堂々たる屋根が、月の光を浴びて暗い、二層の翼を妖しく広げている。その向こうの夜空にタワーが煌々とそびえる。私たちはしっかり手をつなぎ、長い階段を参道に降りていく。前方には正門たる、赤い荘厳な三解脱門がそびえている。華麗なる二層の屋根の下に格子がめぐらされたこの門は、東京で最古の木造建築物であり、かつてのもうひとつの苦しみ多き時代を――戦争の恐ろしい日々を――生きのびた境内唯一の建物である。
「すごく不気味ねえ」コジマが呟く。「周りに誰もいなくて」
 いや、それが……三つに分かれた門の方に、ちらちら揺れる姿が二つ見えるではないか。
 またしても幽霊。
 私たちは恐るおそる近づいていく。二つの姿は言い争っているように見える。一方の、もじゃもじゃの山羊ひげを生やした方は、眼鏡をかけて白衣姿。もう一方の、荒々しい美男子は、派手な縞模様の上着を粋に着こなし、一九四〇年代後半のヤクザといった風情だ。
 彼らの言い争いはますます熱を帯びていく。突然、二人の正体を私は悟る。
「三船と志村喬だ――『酔いどれ天使』の!」
「え、誰? 何?」コジマが言う。
 私が答える間もなく、三船が志村を絞め殺そうとするかのように、その喉に掴みかかる。志村は抵抗して身を振りほどき、どこからか幽霊の酒瓶を掴んで、態勢を整えもせず三船に投げつける。三船はひょいとよけ、ゲラゲラ笑う。

その14 ALWAYS二丁目の月光

 彼らは呆然と見ている私たちに気づく。二人の動きが止まる。
「三船さん! 志村さん!」私は叫ぶ。「二人とも黒澤映画の有名スターだよ」と私は早口でコジマに耳うちする。「アル中の医者と、肺病病みのヤクザの映画なんだ」
「わお」とコジマ。
 幽霊二人が私たちの方を向く。「お。オウ。よう、ハイ、こんちはゼア」と三船が訛りのきつい英語で言う。目をパチクリさせ、騒々しく鼻をすする。酔っ払っている。志村も同じだ。
「私たちはある場面を再現しているのです」と志村が英語で宣言する。「『酔いどれ天使』における結核は、悲しいことに、今日東京が直面している大きな脅威を想起させます」
「あ、ええ、そうですよね」私はしどろもどろに言う。映画界のわが英雄二人を前にして私は圧倒されている。
「ミズネってすごくハンサムね!」コジマが囁く。
ミフネだよ」私も囁く。「黒澤さんもここにいらっしゃるんですか?」と私は声を上げて訊く。
「いんや、またどっかで北野武とペチャクチャやってんだよ!」と三船が鼻を鳴らす。
「きっとまた、ウイスキーのコマーシャルの案練ってるんですよ、いつだってそうなんだ!」志村がくっくっと笑う。
 私は志村の立派な英語を褒める。
「私ね、学校で英語が大の得意だったんですよ」と彼は答える。「文芸誌に文章も載りました。詩を翻訳したんです。たとえばジョン・キーツ――

  明るい星よ、汝のごとく不動でいられたら
  夜空高く 孤高に光り輝くのではなく――」

 三船が彼の胸をばしんと叩く。「気取るんじゃねえ!」三船はうなるように言う。うめき、歯を剥き、袖で口を拭う。「さあ、もういっぺんやろうぜ!」と胴間声を上げる。
 三船は構えに入り、ふたたび志村の喉に掴みかかる。一進一退の取っ組みあいがくり広げられる。ほとんどリアルに思える。コジマと私はごくんと唾を呑んでたがいを見る。
 鋭い、低い、叫び声がアクションを凍らせる。
 さらに二つ、幽霊の姿が、門のすぐ外で止まった。一人は背の高い、派手にあごひげをのばした、三十代後半のヨーロッパ人である。もう一人は、しなびた日本人のご老体。どちらもゆったりした柔道着を着けて、明治風の山高帽をかぶっている。
 叫んだのはどうやらヨーロッパ人の方らしく、今度は三船に向かって、さらに何か鋭い一文を投げつける。三船は目を白黒させ、荒々しい驚きの、いかにも彼らしい表情を浮かべる。歯を剥いて何か言い返す。
「この阿呆、俺にやめろって言うんだ!」と三船はコジマと私に英語で伝える。蔑みの念に鼻を鳴らす。
「医者をそんなふうに無礼に扱うものではない」とヨーロッパ人が、ドイツ訛りの英語で言いはなつ。
「私たち俳優なんです、昔の場面を再現してるんです」と志村が、これも英語で、取りなすように言う。
あんた俺たちのこと知らねえのか?」三船が凄み、胸を張り、睨みつける。
「知らんね、私はヘア・ドクトル・エルヴィン・フォン・ベルツ、日本に西洋医学を広めた功労者だ。君らのやってるのがただの演技だろうと同じこと、医学に携わる者をそんなふうに扱ってはいかんのだ、たとえ作り話のなかでも。いまこの都市が味わっている苦しみを想えばなおさらではないか」。指を一本振って、さらに言う。「そもそもこの大きな三門を通る者は、貪り、怒り、愚かさの罪から解放されることになっているのだ」
 三船は両手を腰に当てる。相当カッカと来ている。「なぁにが怒り愚かさの罪だ」と、キーキーからかう声で言う。「なら、あんたとそこの爺ちゃんとでどうするつもりだ?」と彼は問いつめる。「え?」
 あごを突き出し、いつもの表情で睨みつける。
「こちらの立派な紳士は」とドクトル・フォン・ベルツは答える。「千葉の戸塚先生であらせられる。この方のご指導を得て、私は柔道を日本に広めた。君たちは知らんかもしれんが」
 三船は騒々しく鼻をすする。仰々しく一歩前に出る。「へえそうかね」と彼は歯を剥く。そしてあははと笑い、侵入者たちの山高帽を叩き落とそうと、縞模様の腕を棍棒のように振り回す。
 祖父のごとき戸塚はしなやかに身をかがめ、三船の通り抜けていく袖を掴み、ぐいと腰を回して彼を地面に投げ飛ばす。
 志村がゲラゲラ笑い出す。
浮腰うきごし」とフォン・ベルツが判じる。
 三船はなかば呆然として体を起こす。それから胴間声を上げ、凄まじい剣幕で立ち上がり、戸塚老人めがけて突進していく。戸塚は脇へよけ、ふたたび三船の袖を掴み、その体をくるっと回転させて、一気に肩に背負い、地面に投げ飛ばす。
「背負い投げ」とフォン・ベルツ。
大外車おおそとぐるま」を経て、締めくくりは壮麗に「俵返し」。
 三船はぶざまに横たわり、文字どおり呆然自失、目も寄り目になっている。志村はひどく面白がってくっくっと笑い、額をさする――のちに『七人の侍』で賢者の侍を演じるときにやるしぐさだ。
「これで思い知ったかね」とドイツ人医師は言ってのける。そして重々しくうなずく。それから戸塚とともに山高帽を整え、二人は音もない大通りを悠然と歩いていく。
 志村が寄ってきて、三船を少しずつ立たせてやる。三船は痛そうに肩を回し、去っていく山高帽二つの方を睨みつける。志村が三船の背中をばしんと叩き、ニヤニヤ笑って、もう帰ろう、と回れ右させる。「それじゃ」志村はさっと手を振り私たちに別れを告げる。「黒澤さんのところへ行って、ウイスキー分けてもらいますから!」
 叩きのめされた相棒を引っぱって、志村は立ち去る。
 コジマと私は、目を丸くして顔を見合わせる。月光の下、私たちもアパートメントに戻っていく。地蔵たちはまだ帰ってきていない。東京タワーの下まで来てコジマと私は地蔵を探すが、空高くそびえる光がまぶしくて、その姿は見えない。心光院の前を通りかかったところで、私たちはしばし止まる。幽霊と思しき若い女――きっと女中だろう――が墓石から墓石を歩いて回り、優しい慣れた手つきで石を拭いていく。私たちは彼女と目を合わせ、手を振り、親指を突き上げる。彼女はとまどった顔で見返す。是認を表わす私たちの普遍的なしぐさにまごついている様子。
「最後は妙な締めくくり方だったね」と私は、無事アパートメントに帰りついてからコジマに言う。「親指上げサムズ=アップのしぐさ、知らない人なんているのかな?」
「十七世紀のお女中、お竹は知らないでしょうね」とコジマは、ベッドでMacBookと睨めっこしながら言う。「お竹とはすなわち大日如来である。大日如来とは深遠なる叡智を有する仏様であり……」
 私たちはハッとしてたがいを見る。あわててベッドから飛び出し、大日如来を祀った祠と周りの墓地を見下ろそうとバルコニーに飛んでいきかける。が、結局そうはしない。二人ともベッドのなかに戻る。月光の下での出来事は、もう一晩分たっぷり見たのだ。

(つづく)
FLOWERS OF OYAJI GYAGU by Barry Yourgrau
Copyright(C)2020 by Barry Yourgrau
波 2020年6月号より

著者紹介

バリー・ユアグローBarry Yourgrau

南アフリカ生まれ。10歳のときアメリカへ移住。シュールな設定ながら、思いつきのおかしさだけで終わるのではなく、妙にリアルで、時に切なく、笑えて、深みのある超短篇で人気を博す。敬愛する作家・アーティストはロアルド・ダール、北野武ほか、また「ヒッチコック劇場」「トワイライトゾーン」などのTV番組にも大きな影響を受けたという。著書に『一人の男が飛行機から飛び降りる』『セックスの哀しみ』『憑かれた旅人』『ケータイ・ストーリーズ』(以上、柴田元幸訳)『ぼくの不思議なダドリーおじさん』(坂野由紀子訳)などがある。

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