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オヤジギャグの華

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その19 ベルサイユの傘、プレーボール!

オヤジギャグの華

 ガールフレンドのコジマが、またスマホにキスしている。
「LINE、大好き!」甘い声で彼女は言う。
 LINEとはむろん、東京で誰もが使っていると思えるメッセージ・アプリである。私以外、誰もが。
「スタンプも絵文字もカッコいい」コジマがペチャクチャ続ける。「あたしたちのヒップな友だち、学者のノリコも、メッセージに『ベルサイユのばら』スタンプ付けてくるのよ!」
「『ベルサイユのばら』? あのみんな長い金髪の、フランス革命とマリー・アントワネットのアホな漫画?」
「アホじゃないわよ!」コジマが鼻を鳴らす。「威張りくさったお爺ちゃんは知らないでしょうけど、絵文字とスタンプは、現代のコミュニケーションとカルチャーの楽しくて有用なツールなのよ! いい加減に頭入れ替えなさいよ!」
 LINEストアまであって、絵文字キャラクターのグッズや人形を売っている。原宿にあるのだ。
「見に行きましょうよ!」
 原宿に着き、新しいJRの駅を見て、私は呆然と首を振る。安っぽい陳腐な代物が、そのすぐ横にある、こぢんまりした由緒ある木造駅舎に取って代わったのだ。そして古い方は、いまにも解体されようとしている(いちおうあとで復元されることになっているが)。
「あの子いま、どこにいるかなあ」マスクを着けた私はため息をつく。「何年も前、僕たちが初めて東京に来たとき、すごいムスッとした顔であの忘れがたい写真を一緒に撮ってくれた、狂ったコートの原宿ガールは?」
「やめなさいよ、ため息つくの」コジマがブツブツ言う。
「待って!」私の目が大きくなる。「あそこ……あの子かな? ほら――あの黄色と青のコート? あのときのコートだ!」
 私は駆けよっていく。三十がらみの女性が歩道をこっちへ歩いてくる。
 つかのま、ものすごく気まずい場面が展開する。私は「ソーリー! ソーリー!」と連発しながら立ち去る。
「バッカねえ」コジマが言う。「さ、LINEストアに行きましょ」
 公式にはLINE FRIENDS FLAGSHIP STORE原宿といい、ガラス張りのショッピングセンターの三階分を占めている。絵文字の茶色い熊のキャラクター、その名も「ブラウン」の巨大なぬいぐるみを見上げながら私たちは店内に入っていく。ここはまさに日本の消費主義の宝庫、巧妙に商業化されたカワイさのひしめくアリババの洞窟、最低限の線で描かれたパステルカラー幼児的キャラクターたちのミニ王国だ。ウサギのコニー、おねむの水色コアラKOYA、いたずらっ子のチョコクッキーSHOOKY(KOYAとSHOOKYをデザインしたのはK-POPのボーイバンドである。あとで知ったがLINEのオーナーは韓国系企業なのだ)。
「なんかみんな、ロボットにされたアメーバみたいだな」私はブツブツ呟く。「人間が、ていうかティーンの女の子が、ハグしたくなるあらゆる品々がパッケージされてる」
「そうねえ、あんたここでずば抜けて最高齢の人類だものね」コジマがくっくっと笑う。「だけど、『ベルばら』グッズ、ないの?」彼女は不満げに言う。
「うんこマークもないねえ」私は辛辣に笑う。「絵文字のハリウッド映画があってさ、うんこマークの声はスターシップ艦長のパトリック・スチュワートがやってるんだよ!」
「『ベルばら』に興味あるんだったら、すぐ近くでコマーシャルか何か撮ってるよ」紫色の髪の女の子が英語で教えてくれる。「あたし、たったいま前を通ってきた」
 東京――コマーシャルの街。
 女の子に教わったとおりに、私たちは原宿の裏道に入っていく。何分かすると、目印にするよう言われたParapluiesのロゴを掲げたバンが二台見えてくる。フランス語の「傘」。どうやら傘のコマーシャルらしい。
 バンのうしろに、元倉庫とおぼしきスペースの入口が見える。警備員が立っている。
「オスカル!」コジマがキンキン声を上げる。
 警備員はマスクの向こうから愛想よくウインクを送ってよこす。滝のように流れる金髪のかつら、颯爽さっそうたる異性装、まさしく『ベルばら』の兵士ヒロイン。
 報道関係者パスがここでも役に立ち、警備員は私たちを通してくれる。
 中に入ると、撮影は休憩中らしい。照明とカメラが待機している。どの機材カートにもカラフルな傘が積まれている。オスカルのかつらをかぶってマスクを着けたいろんな男たちがのんびり休んでいる。みんなピンストライプの野球ユニフォームを着ていて、入っているチーム名はParapluies
 ParapluiesのTシャツを着た、かつらをかぶってマスクを着けた陽気そうな若い女性が英語で私たちに声をかけてくれる。広報担当、名前はミチコ。
「なんでみんなオスカルかつらなの?」コジマがマスクの陰でニタニタ笑う。
「うん、傘売るのに、なんで?」私も言い足すが、野球を無理矢理取り入れたところも気に入っている。日本人は本当に野球が好きだ。
「『シェルブールの雨傘』は日本ですごく人気があるんです」ミチコが説明してくれる。「私たち日本人、ナンバーワン・ファンなの! で、あの名監督ドゥミさんは『ベルばら』の実写版も撮ってるんです。タイトルは『レイディ・オスカル』(邦題『ベルサイユのばら』)。それで、このコマーシャルの監督の北野さんが――」
北野武?」私は思わず口走る。
 東京――北野武のコマーシャルの街。
 それで野球のユニフォームも、いっぺんに納得が行く。北野は大の野球狂なのだ。
「そうなんです」ミチコも言う。「それで北野さんが、ドゥミさんをコラボに誘ったんです」
 私は目を白黒させる。「ジャック・ドゥミが――ドゥミの幽霊が――ここにいるの?」
「もちろん。北野さんのコラボってすごくクリエイティブで、すごく楽しいんですよ」
 と、そばで大きなうめき声が聞こえる。
 私たちはそっちを向く。傘をどっさり積んだ機材カートに半分隠れてカンバス地のディレクターズ・チェアがあり、うめき声はそこに座った、ちらちらゆらめく男から発している。やはりかつらをかぶったこのヨーロッパ風の幽霊紳士、背を丸めて座り両手で頭を抱え、たっぷりした金髪のオスカルかつらを左右に振っている。
Quelle catastrophe!(何てこった!)」男は一人うめいている。そして絶望したようなしぐさで周りを指し示す。「Quelle abomination! Pourquoi, Jacques, pourquoi?? Idiot! Idiot!!(何てひどい! なぜだジャック、なぜなんだ?? 阿呆! 阿呆!!)」
「お気の毒にドゥミさん、気分がすぐれないんです。時差ボケかしら」ミチコが言う。
「あたしもかつら着けたい!」コジマが叫ぶ。
「いいですとも!」ミチコが応える。
 私もかつらをかぶる。
「で、北野さんはどこに?」金髪をふわふわ膨らませながら私は訊ねる。
「もう来ると思いますよ」ミチコが言う。「そろそろリハーサルを再――」
危ない!」誰かが英語でわめく。


その19 ベルサイユの傘、プレーボール!


「伏せて!」ミチコが叫ぶ。
 野球のボールが二つ、私たちの頭の横をすごいスピードでかすめて行き、ずっと向こうの機材にまで弾んでいく。
「ごめんごめん、ソーリー、ソーリー!」北野武が声を上げる。紛れもない本人が、突如私たちの前に現われ、マスクのうしろでクスクス悪戯っぽく笑う。手にはボールが一杯入ったバケツを持っている。オスカルかつらをかぶって、Parapluiesのユニフォームには派手な房飾りのついた肩章が縫い込まれている。オスカル流に太腿まであるブーツが、ずんぐりしたガニ股の脚をきっちり包んでいる。さらに何度か謝罪の言葉を発してから、北野はケラケラ笑い、必死によける「チームメート」にボールを次々投げつける。
L’horreur … l’horreur!(ひどい……ひどすぎる!)」ドゥミの声がうめく。
 そこへもう一人幽霊らしき姿が、北野の十五メートルくらい向こうに現われる。この亡霊、ベルサイユ風に優雅な銀髪の男物かつらをかぶっていて、野球のユニフォームにはLe Roi(王)と書いてある。逞しい両脚はぴっちりした絹のストッキングに包まれ、ビロードの靴にはバックルが付いている。そして幽霊は左打者の構えをとり、バットの代わりに畳んだ傘を立てる。北野が彼めがけてボールを投げると、幽霊バッターはあの独特の、フラミンゴのごときスタイルで右足を持ち上げ、それからひょいとかがんで、頭に飛んできたボールをよける。ボールはすごいスピードで頭上を通り過ぎていく。
 北野がからからと笑う。
 私は息を呑み、目を丸くする。「あれ――王貞治の幽霊だ!」
「だぁれ?」コジマが例によって訊く。
 だぁれ? 日本のハンク・アーロンその人じゃないか!
「このコマーシャル、『Parapluiesなら大ヒット間違いなし!』っていうんです」ミチコが説明してくれる。
 北野はすっかりご機嫌で、王めがけてメチャクチャに次々ボールを投げている。
「信じられない」私は口から泡を飛ばす。「僕も――僕も王さんに投げるぞ!」。私はミチコに、僕にも投げさせてくれと北野さんに頼んでくれとせがむが、彼女がそうする間もなく、私は名監督に向かって直接狂おしく叫んでいる。
「北野さん! 私、ずっと前から大々ファンなんです、ニューヨークに住んでる作家でして、もう何年も前に一度、『HANA-BI』についてあなたにインタビューしたことがあります、ひょっとして覚えてらっしゃるでしょうか、で、私、スティックボールではエースだったんです、スティックボールってのは野球の路上版っていうか、ニューヨークで日曜日に作家や画家が集まってテニスボールと箒を使ってやったんです、どうせじきに飲み屋になだれ込むんですけど――あの、王さんに一球投げてもいいですか?」
 北野は面喰らってポカンと私を見ている。が、やがてクックッと笑い出し、「ニューヨーク! ニューヨーク!」と叫ぶ。
「イエス、ニューヨーク!」。私は王を指さし、投げる真似をする。
「ニューヨーク! ニューヨーク!」北野は唱え、みんながコーラスみたいに加わる。北野がボールをひとつ私に差し出す。私は飛んでいって受けとる。ボールはゴムで出来た偽物だ。
「行けぇ、バリー!」コジマが叫ぶ。
 私は偉大なる王貞治に一礼する。王が礼を返す。私はぶるぶる震えて、いまにもぶっ倒れてしまいそうだ。それに、大きなかつらとマスクを着けて投げるのなんて全然慣れてない。何とか震えを止めようとするが、心臓はドキドキ高鳴っている。私はスラーブを投げることにする。左打者の手元に食い込む変化球だ。独特のフォームで振りかぶり、投げる――ボールが王に向かって飛んでいき、王はバックルの付いた靴をフラミンゴ式に持ち上げ、傘を振る――まるっきりの空振り
 私はもう有頂天、文字どおり宙に舞い上がる。大喜びでコジマの方を向く。みんな口々に「ニューヨーク! ニューヨーク!」と叫んでいる。
「あのバッター、北野さんに目配せしたわよ」コジマが私に言う。「あんたのこと、からかってたみたい」
 恥ずかしくて頬に火が点くのを感じながら、私は北野のバケツからもうひとつボールを掴む。いかめしく息を吸い込む。今回はカットボールだ、サイドスローで――かつてはこれで鳴らしたものだ、バッターの手前で鋭く、鋭く変化するのだ。
 振りかぶり、投げる。王がフラミンゴ式に足を上げる。傘が武士の刀のようにキラッと光る。
 ボールがものすごいスピードで戻ってきて、私が頭を一センチ回す間もなく、かつらのなかにボールは飛び込む。
 私は小さな部屋のカウチの上で目を覚ます。オスカルかつらをかぶって看護師の制服を着た女性が私を見る。ミチコが隣にいる。
「ここは撮影の応急手当室です」ミチコが言う。
「かつらのおかげで大怪我を避けられたんです」看護師が英語で教えてくれる。
「お連れの方から、コスチュームデザイナーと一緒にかつら見てるから、とことづかってます」ミチコが言う。「北野さんと王さんは撮影中で、これをお見舞いにって」
 お見舞いのプレゼントのひとつは、偉大なるホームランバッターがベルサイユ風に着飾ったサイン入り写真。もうひとつはオスカルかつらをかぶった北野で、サイン以外にも何か書いてある。
「『ボール頭で受けるんじゃねぇぞ、ニューヨーク!』って書いてあります」ミチコが説明してくれる。「あなたの写真もありますよ、そこの撮影記念ギャラリーに」彼女は陽気に言い、壁に留めた写真の列を指す。私の写真は、はためくかつらにボールが当たった瞬間を捉えている。その隣に、馬鹿っぽい顔の年寄りの男が、これまた金髪のかつらをかぶった頭をひょいと下げ、涼しい顔でボールをよけている。
 この顔……なんとなく……見覚えが……
「ちょっと待って……」私は呟く。まだくらくらする頭でがばっと起き上がる。「あれ、誰?」
「あー、なんか変な、鬱陶しいお爺ちゃんです」ミチコが肩をすくめる。「北野さんの悪ふざけの大ファンなんです。コマーシャルの撮影があると、ときどき出没するんですよ。いつもつまんないジョーク飛ばして」
オヤジギャグってこと? やっぱり――あの床屋だ! 床屋文芸誌の男だ! いまどこにいるんです? ここにいるの?」
「たったいま、出ていくところ見えた気が」ミチコが言う。
 私はよたよたと立ち上がる。ドアから外に飛び出し、三歩進んで、狂おしくあたりを見回す。
Ah, merde! ... Merde!(ああ、いかん!……いかん!)」ドゥミのうめき声が聞こえる。
危ない!」英語で誰かがわめく。
 私はふたたび応急手当室で目を覚ます。
 コジマが私を連れて帰る。彼女はひどく上機嫌だ。とてつもなく巨大なマリー・アントワネットかつらと、傘をもらったのだ。彼女はかつらをアバターに使い、LINE仲間に大受けしている。

(つづく)
FLOWERS OF OYAJI GYAGU by Barry Yourgrau
Copyright(C)2020 by Barry Yourgrau
波 2020年11月号より

著者紹介

バリー・ユアグローBarry Yourgrau

南アフリカ生まれ。10歳のときアメリカへ移住。シュールな設定ながら、思いつきのおかしさだけで終わるのではなく、妙にリアルで、時に切なく、笑えて、深みのある超短篇で人気を博す。敬愛する作家・アーティストはロアルド・ダール、北野武ほか、また「ヒッチコック劇場」「トワイライトゾーン」などのTV番組にも大きな影響を受けたという。著書に『一人の男が飛行機から飛び降りる』『セックスの哀しみ』『憑かれた旅人』『ケータイ・ストーリーズ』(以上、柴田元幸訳)『ぼくの不思議なダドリーおじさん』(坂野由紀子訳)などがある。

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