プリニウス最後の勤務地にて
翌17日にはミセヌムに向かった。リゾート地だが、ミリスコーラ海岸は今でも軍関係の人たちの保養地としても使われており、かつてプリニウスが歩いた道も残っているはずだ。この日は天気が悪く、強風が吹き荒れ、ヴェスヴィオの山容ははっきり見えない。司令官の家は上の方だろうと丘の上に行くと軍の施設があり、立ち入り禁止区域になっていた。
T「この距離だと、噴火ははっきり見えますが、火口や山腹で本当に何が起こっているかはわからないでしょうね」
やっぱり、博物学者ならば海を目指すでしょう。かたや甥の小プリニウスが「私は勉強していたいと答えました。たまたま、叔父が私に書くよう命じていた宿題があったのです」という言い訳めいた文章を書いているのも面白い。
H「考えてみると、小プリニウスの手紙、自分は現場に行っていないんですから、誰が見たことを書いたんでしょうね?」
Y「おそらく被災地から逃げ出すことのできた奴隷や兵士などから、話を聞いたんでしょう」
T「でも、噴火している最中に、そこへ向かって船を漕ぎ出すのは、部下は嫌だったでしょうね」
好奇心旺盛な上司を持つと大変だ。
「とまれ火の山の驚異の中には、一晩じゅう燃えているエトナ山のごときものもある。全山雪をいただき、吐き出す灰も霜におおわれる冬においてさえ、この山は何百年という昔から、その火を燃やすための十分な糧を見出しているのだ。しかし自然が荒れ狂い、土地を業火でおびやかすような山は、このエトナ山のみではない」(『私のプリニウス』澁澤龍彦)
『博物誌』の一節である。たくさんの火山の名が紹介されているが、現在ではヨーロッパでも代表的な活火山であるヴェスヴィオの名は挙がっていない。この項を執筆している時は、自分自身がこの地で死ぬとは想像していなかっただろう。
港の近所には海軍の非常用水を貯めておく驚異のプール(ピッシーナ・ミラビレ)がある。25メートル×70メートルの広さで、深さは15メートル。別名「地下の大聖堂」と呼ばれ、アウグストゥス帝時代の建築とは信じられない高い技術が用いられている。当時、ナポリ近辺は水が浸透しないコンクリートの産地であり、それを使うことによりインフラ整備能力は飛躍的に上がったそうだ。
ピッシーナ・ミラビレ(驚異のプール)内はとても涼しい
Y「プリニウスが海軍提督だった頃にもあった施設ですね」
H「必ず近くまで視察に来ていますよ」
ものすごく貴重な遺跡のはずだが、こちらも近所のおばちゃんが管理人で、案内してくれたのはその家の娘さん。どうもチップで運営されている様子だ。
Y「イタリアの遺跡は大らかでしょう」
少しナポリの方に戻ると、バイアエの浴場と呼ばれる遺跡がある。実は『テルマエ・ロマエ』の最終巻に登場するハドリアヌス帝臨終の地のモデルとなった、ヤマザキさんにとって思い入れの深い場所である。かつては、山の斜面のかなりの部分がみんなお風呂で、日本の著名スパリゾートを軽く越えるスケールを誇るお湯のパラダイスだった。
もちろん温泉で、「豪華千人風呂」「ドーム風呂」「貸切り露天風呂」、かけ流しの足湯やサウナもあるし、これでもかと言わんばかりに風呂関連の建物が続く。この場所にどんなお風呂があったのか、想像できるのは同じような温泉リゾート施設に馴染んでいる日本人だけだろう。
バイアエの浴場「ドーム風呂」でくつろぐ
Y「これほど素敵な場所はありませんよ! 大金持ちになって、元通りの古代ローマ風呂群をここに復元できたらいいな」
T「不可能ではないかもしれませんけど、いったい何億部売るつもりですか」
バイアエの浴場には逆さイチジクの木がある。洞窟の中にさかさまに木が生えているのが愉快である。すっかり温泉気分になり、続いてソルファタラと呼ばれる火山のクレーターを訪れた。噴煙が湧き上がっており、強い硫黄の臭いがする。
ソルファタラは硫黄の臭い
T「霧島っぽいな」
Y「大湧谷や後生掛、登別なんかも思い出します。日本人には親しみの湧く場所ですね。ここ、岩盤浴ができるぐらい岩が暖まっていますよ」
ヤマザキさん、岩の上に座って至福の表情である。普段はほとんど人がいないはずの場所なのに、今日は中学生たちが見学に来ており、大賑わいだった。われわれも中学生に紛れて、白い煙に包まれた古代の蒸し風呂に入る。石造りの建物そのものもいい感じで暖まっている。本日は擬似温泉尽くしの1日になった。