立ち読み:新潮 2016年11月号

受賞者インタビュー
何度も味わいたくなる悲劇を/鴻池留衣

――受賞作「二人組み」は自意識が強い男子中学生・本間と意思表示ができない同級生女子・坂本ちゃんの関係性の変容を描いた物語です。この小説が生まれた背景を教えてください。
 はじめは中学生の男女の話にしようという漠然とした考えだけがあって、本当に描きたいことは書きながら見つけたというのが実感です。冒頭のクラスでの合唱シーンを書いたら本間がどんな人物であるのかが見えてきて、次にラストシーンを書いたら、坂本ちゃんが生まれました。
 合唱の場面は僕の中学時代の記憶に深く残っていたから出てきたんだと思います。皆が揃って、それぞれの意思とは無関係に、同じことをやらされる。だから最後は、学校や教師という自分を管理しようとするものへの抵抗として、それは周りから見れば実にささやかなものでしかなかったとしても、本人は一大決心をしてそこに至ったかのように描けたら、と思って書いていました。そのなかで「自意識の強い中学生男子にとって、本来ならば他人に最も見られたくないものを見せるに至るまでの物語にできないか?」と考えついたんです。

――主人公・本間がこの作品のなかで示した「抵抗」とは、鴻池さんの意識にも深くあるものなのでしょうか?
 そうですね……。学校であれ組織であれ、自分を抑圧するものをいつも犯人捜ししているような感覚と、なぜか自分は常にその被害者側の立場でいたいという気持ちがあります。
 書き終えてから気づいたことですが、本間って僕自身なんです(笑)。僕にはどんなときも物事や自分自身を酷く客観視してしまうところがあって、学生時代はずっと「しっかり中学生を演っちゃってるな」とか「学校なんて通ってしまって恥ずかしい」と感じていたりもして。大学を中退し、就職しないままの僕を見ている周りの人たちの表情がどんどん不安げになっていくのも、「面白いなあ」と思って見ていました。
 いつも何かを演じているようなところもあって、たとえば「努力をしているふり」をしたいんです。努力が苦手なのに、それが格好悪いことだとも思っているから、「本当は隠れて努力をしているんですよ」と演出してみる。ダメな自分でも精一杯、格好良いダメを演じているんです。
  強いものに弱く、怖いものは怖い――、だけど本当は逞しくありたいんです。本間を含め男性が目指しているのって共存共栄です。彼は周りを見下してはいるけれど、他を蹴落とそうとは思っていないんです。すべては自分の名誉を回復するためにやってるんです。

――恋愛とも呼べない微妙な関係性を緻密に描く筆力と冷静さがあるという選考委員の声が寄せられました。
  ありがとうございます。いわゆる「男女の会話」というものを排除したところに物語を展開できたら、と考えていました。どんなに言葉を交わしても人間関係が途切れてしまうことはあって、ならばいっそ会話がないところに育つ関係性を書いてみよう、と。
  本間と坂本ちゃんの関係は恋愛とも呼べないものですし、僕自身も未だに恋愛感情と呼ばれるものの正体がわかりません。この年頃の男の子は肉体と心の欲求を混同していて、本間の坂本ちゃんに対する感情は、第一に「胸を揉みたい」です。ただ、本間は自ら孤独を選んでいるにもかかわらず、満足ができなくて、心のどこかで同類を、つまり秩序からはみ出す仲間を求めていた。そこに自分の性的嗜好に合う異性がたまたま現れたから、近づいてしまった。

――坂本ちゃんがほとんど言葉を発しないのに対して、本間の心情は非常に細かく描かれています。一人称のほうが書きやすかったのではないかとも思いますが、なぜ三人称を選択されたのでしょう?
  僕は書く時も読む時も、一人称で語られるものは、主人公のなかであらかじめ準備されてから差し出されたもののような気がして上手く馴染めないんです。僕の考えが足りないところも大いにあると思うのですが、一人称だとつい「主人公は小説を書かないよな?」って考えてしまったりもして。登場人物に言い訳が許されない三人称ならば違和感がない。でも、自分にとって違和感がない一人称をいつか見つけたいとも思っています。

――最後に「両想い」に至ったようにも映る本間と坂本ちゃんですが、二人は今後どうなると思いますか?
  僕の想像では2パターンの展開があって、まずは、中学を卒業したあとに交際を始める。もう一つは、本間が他の女性に目移りして破局してしまう。彼は自尊心を満たしてくれる女性を求め続けるけれど、年をとれば坂本ちゃんのことを何度も思い出してしまう気がします。
  一方の坂本ちゃんは、案外簡単に本間のことを忘れると思います。僕は、坂本ちゃんのように意思表示ができない女性って結構いると思っているんです。一四歳までを生きてきた彼女は彼女なりに自分の歩幅で成長しているから、彼女にとって本当に魅力ある相手はいずれ現れるはずです。そもそも本間は、見た目からして坂本ちゃんの好みじゃないんです(笑)。

――「二人組み」は何作目の小説ですか?
  百枚以上の、ある程度まとまった枚数で最後まで書き通すことができたもので数えると六作目です。
  書くことが楽しいと初めて思ったのは、大学三年のときでした。小説家になりたいという気持ちがもとからあったわけではなく、きっかけはSNSで「日記以上に面白いことが書けないかな」と思って千字くらいの掌編を書き始めたら、いつの間にか夢中になり、毎日、更新するようになっていました。
  六作を書いて気づいたのは、「僕はありとあらゆる男性を書きたいんだ」ということ。いつか女性が出てこない小説を書いてみたいとも思っているんです。淀川長治は「男しか出てこない映画に駄作無し」と語っていて、女性って単体で絵になるし、女性の写真ならずっと眺めていられるじゃないですか。だからズルい!
  可哀想なだけの人は書きたくないという気持ちもあります。三島由紀夫は『文化防衛論』のなかで「文学においては、自己を弱者と規定すると、とってもやりやすくなるんだよ」と批判していますが、実際に書くようになって、共感は強まりました。

――どんな小説を読まれてきましたか?
  特に好きな作家は谷崎潤一郎、それから三島由紀夫、大江健三郎ジャン=ジュネです。谷崎の『春琴抄』はもう、いつも傍に置いておきたいと思うくらいに好きです! 筋は研ぎ澄まされているのにどこかうっとりとしていて、でも作者はうっとりとしていないその距離感が好きなんです。語り手が佐助の残した文書を読んだり、彼を知る老女から話を聞いたていで書かれていますが、それだけではわからないはずのことや、佐助本人しか知らないことがさらっと含まれていて、小説としてはとても不思議です。心理描写もなく、ただ出来事だけが並んでいる。谷崎は「凡そ文学に於いて構造的美観を最も多量に持ち得るものは小説である」「筋の面白さを除外するのは、小説と云う形式が持つ特権を捨ててしまう」と語っていて、それを証明したのが『春琴抄』ではないかと思います。
  ジュネで最も印象に残っているのは『花のノートルダム』です。ジュネは三島に通じるところがあって、汚いものを文体で綺麗に見せることができてしまうのが驚きでした。

――次回作がとても楽しみです。
  実は最終候補作に選んでいただいたとのご連絡を受けた翌日から書き始めています。その通りに進むかはわかりませんが、男しか出てこない小説です。
  男性の存在って、僕が男だからなのか、どこまでも謎めいている。実態は女性が想像する通りだと思いますし、それは男性が想像する女性像よりも正しいものだと思います。でも女性がいくら男性を理解したとしても、絶対に入っていけないところがある。女性には入っていけない世界で女性抜きに何かが起きること、あるいは、男性が女性の想像の域を超えることをしたら面白いなと思います。
  僕は人間が他者と関係した時にしか生じない「嫌だけど嫌じゃない」という現象や、悲劇でしかないはずなのに何度も味わいたくなる悲劇――、どこかクセになるような小説が書きたいです。生きていくなら必ず他者と関わらなくてはいけない。僕はそのことに絶望したことはなくて、たとえ嫌な出来事が起きても、思い返してみると気持ち良かったりするもの――それを小説のなかで純化していけたらと思っています。

[→第48回新潮新人賞受賞作 二人組み/鴻池留衣]