立ち読み:新潮 2017年11月号

第49回新潮新人賞 受賞者インタビュー
答えのない問いの中で/佐藤厚志

――受賞作「蛇沼」は宮城県の田園地帯を舞台に、少年時代に巻き込まれた監禁事件を、まるで沼の底に溜まった泥のように抱え続ける青年・恭二を主人公にした物語です。本作誕生の経緯を教えてください。
 この作品に結びついた流れがいくつかあります。
 私はサラリーマンの息子として仙台市の街中で生まれ育ったのですが、父の本家が作品の舞台になった宮城県亘理郡で米農家をやっていて(ただし主人公が暮らす「たいら町」は架空の土地です)、子供の頃から、田んぼがあって近くに沼や溜池があったりする田園地帯に馴染みがありました。私の原風景のひとつで、いつかそのような場所を書きたいという思いは前からありました。
 そして、生に違和感があったからこそ、「生きている」ということに自覚的な主人公とその家族を書きたいという思いがありました。主人公は「生きていることはそれ自体が無条件に幸福なことだ」という考えをどうしても受け入れられない人間です。だからこそ逆に、彼は生きることに自覚的にならざるをえません。自分は何のために生れてきたのか、生きていてもいいのか、そんな答えのない問いの中であがく主人公を描きたいと思いました。

――心の底に沈んだ鬱屈が燃料であるかのように、恭二はしばしば怒りや暴力を炸裂させます。
 人と人が出会い、ぶつかり合うと何かが起きます。特に作品舞台の平町では人たちの思念が入り乱れていて、出会いが暴力的なことに到りやすい気がします。家庭内暴力も多く、強者が弱者を食い物にする場所でもあります。そういう場所で虐げられた人間がアクションを起こした時、暴力が噴出してしまうのだと思います。
 ちなみに、私自身が暴力的なわけではありません(笑)。確かに、父はけっこう手をあげる人だったし、僕が育った小中学校でも体罰はひどく、生徒間の喧嘩は絶えませんでしたが、自分自身が暴力を振るうというタイプではありません。
 でも、目の前に不条理が存在していて、それを消化しきれないことへの怒りはあります。たとえば、隣の県で原子力発電所が爆発したのに、誰も責任をとらず、事故自体が忘れ去られ、被害にあった人たちの多くは放置されている――そういう不条理が当たり前のこととして目の前にある。それを忘れていいこと、無かったこととして扱わず、真正面から向き合いたいという気持ちがあります。

――選考会では、恭二が弱者として虐げられているだけでなく、他者を虐げている側面についても議論されました。
 確かに、恭二の被虐性と加虐性は反転します。彼は突発的な感情に任せて誰に対しても暴力的になってしまう危うい存在です。彼が浮浪者にものを投げつけるのは、商店街で出会ったサラリーマンを殴るのと等価で、弱い存在だけを狙って虐めてやろうという意志はありません。ただ、そのような場面を書く時、無闇にペンを振り回すことを戒めなければならないと思います。単語の一つ一つまで、書き手の責任はあるはずですから。

――恭二は小学生の頃、不思議と気持ちが通じ合ったセイコという少女と二人で監禁され、事件からまもなく、セイコは原因不明の死を遂げます。彼女の死は、恭二が青年になってからも、彼の精神を呪縛しています。
 セイコは本来なら恭二を虐げる側の地元の有力会社の娘です。しかも、二人を監禁したのも、その会社の関係者です。さらに、事件後にセイコが「蛇沼」と呼ばれる沼で水死体として発見されましたが、事故なのか他殺なのか自殺なのか、分からないままでした。この事態は恭二にとってまさに不条理そのものだったはずです。
 セイコを死なせた者への復讐心が恭二の中にあったのは間違いありません。しかし、誰がどのようにセイコの死を招いたのか、恭二は確信を持てず、その鬱屈が彼の暴力を発露させたのだと思います。
 恭二は子供の頃から、自分に興味をもってかかわってくれる人はいないと感じてきました。いずれ家業の米農家を継ぐことになる長男の兄も、しばしば恭二を虐める側に立っていました。そんな恭二にとって、彼女の方から自分に近づいてきてくれたセイコは貴重な存在だったと思います。だからこそ、彼はセイコの死を引きずりました。

――恭二の鬱屈のもうひとつの源は「家族」ですね。
 父と子の関係は意識して書きました。長男の兄を大切にして次男の自分を蔑ろにする父親や、その職業である農業に対して、恭二は反発を感じています。他方で、恭二は友人の父親に憧れていて、おそらく神話的な「父」を他人の親に投影しています。この葛藤は根深いものだと思います。
 ただ、恭二が作品世界に流れた時間を過ごす中で、彼は最後に父親に歩み寄ろうとしたのかな、とも思います。物語の終盤、恭二はこれまで無視してきた米の集荷作業を手伝いました(結局、作業の途中で投げ出してしまうのですが)。
 セイコの死についても、復讐心は完全に消えたわけではないけれど、怒りや鬱屈を昇華する方向へ恭二は歩んでいるのではないかと思います。物語のエンディングで、恭二はセイコの兄で障害を持ったタケヒコと出会いますが、恭二はセイコ(死=過去)からタケヒコ(生=現在)のほうへシフトしていきつつあるのだと思いたいです。

――佐藤さんの個人的、文学的な来歴を教えてください。
 仙台の一般的なサラリーマンの家に生まれました。小さい頃は、父の転勤で秋田や岩手などへの引っ越しを繰り返しましたが、中学生の途中からは今にいたるまで、ずっと仙台暮らしです。
 アニメ好きで、野球やバレーボールに熱中する少年でしたが、高校の頃、友人の影響で新潮文庫の外国文学が好きになり、ヴェルヌスティーヴンソンディケンズカフカなどを読みました。でも、特に文学少年だったというわけではありませんでした。
 大学では19世紀の英米文学を勉強し、授業でディケンズやトマス・ハーディ、怪談小説のM・R・ジェイムズなどを読んで、物語の魅力を知りました。今でも、外国文学は無条件に物語の中に入って楽しんでいます。好きなのはヘミングウェイジェーン・オースティン、カズオ・イシグロ、ポール・オースター柴田元幸さんが訳されているものはだいたい好きですね。他方で、日本文学を読むと、ついつい創作の参考にしてしまい、方法論が気になるので、手放しでは楽しめません(笑)。
 小説を書くようになったきっかけと言えるのは、大学の授業で大江健三郎さんの『新しい文学のために』を読んだことです。授業では適当にレポートを書いただけでしたが、その後、何か引っかかって読み直したら、これから小説を書こうとする人への呼びかけが自分の中で響きました。
 それから大江さんの小説を読むようになり、さらに中上健次や村上龍、村上春樹、そして深沢七郎なども読むようになりました。あるとき、古本屋で町田康さんの『夫婦茶碗』と出会って、こんなに面白い小説家がいるんだと驚き、『告白』には衝撃を受けました。
 映画からも栄養をたくさんもらいました。年に百本は観ています。特に好きな監督はスティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカスとジョン・カーペンター、この三人です。映画の方はエンターテインメント志向ですね。日本人監督でも小津安二郎から北野武まで、好きな監督はいろいろいます。
 大学卒業後はフリーターだったり、編集プロダクションで旅行雑誌を編集したりした後に、書店員になりました。今も書店で働いています。恭二のように革靴専門店で働いていた時期もありました。
 初めて小説を書いたのは25歳くらいのときで、50枚くらいの短篇小説を書いて、新潮新人賞に応募したら、最終候補の前の予選通過者として「新潮」に名前が載りました。

――現在、佐藤さんは35歳。初めての創作から受賞まで10年かかったんですね。
 長かったですね(笑)。選考委員の中村文則さんが芥川賞を受賞した際のエッセイで、祖母が受賞を喜んでくれた、と書かれていましたが、自分はおばあちゃんが生きているうちにデビューできなかったな、と思った記憶があります。
 大学卒業後、仕事をしながら書き続け、新人賞に応募してきました。最終候補になったのは今回が初めてだったので、嬉しかったけれど、まだまだ候補に過ぎないので、嬉しさ半分でした。選考会がとても長引いたそうで、受賞の連絡をいただいた時は、待ちきれずにラーメン屋にいました。もちろん嬉しかったですが、これから自分を待ち受ける世界に構える気持ちで、やはり喜び半分です。
 ただ、亘理郡を舞台にした小説のイメージは十年前からあり、それを書かないと先に進めないと感じていたので、「蛇沼」を書ききれたことは良かったです。

――次作の構想は?
「蛇沼」は、その時点で自分が持っているものをすべてぶつけた作品なので、何も残っていないところから新しい世界を構築しなくてはいけないと思っています。「蛇沼」を書いた後に、半分くらい書いた作品があるんですが、前作をアップデートしていかなければいけないという思いがあって、今はまだ先は見えない状態です。

[→第49回新潮新人賞受賞作 蛇沼/佐藤厚志]