立ち読み:新潮 2018年11月号

1R1分34秒/町屋良平

 おなじみの寂寥。窓をあける。住んでいる安アパートの二〇一号室の真ん前に立派な木が生えていて、窓を押す勢いで緑をたたえている枝葉によって、さしこむひかりがだいぶ制限されている。そのせいで日中も朝方のようなルクスしか確保できないこの部屋に、しかし奇妙な愛着をもっていた。おなじぐらいの光量でも、夕暮れではなく、朝方の感じなのは間違いない。いつか、この見事な木の名前を大家さんにきこうとばくぜんと考えて、人見知りゆえに果たせずにもう三年もたっていた。
 デビュー戦を初回KOで華々しく飾ってから、二敗一分けと敗けが込んできている。きょうこそ勝たなければ。自分ルールとして、敗けたら引退、などを主とした試合後のことを極力考えないようにしていた。いまをいまとして生きる。それしかできない自分の、弱さを弱さとしてうけ容れてもう長い。
 試合前に連日みる夢のなかで、ぼくはかならず対戦相手と親友になってしまう。研究肌の自分はビデオをみて対戦相手を分析し、ジム周辺の環境をGoogle Mapsで調べあげ、ブログやSNSなどをチェックし、そこでの発言と試合の動きとの関係において、数年来の友だちより相手のことを理解したつもりになってしまう。試合が決まり、相手のビデオが手に入るとすかさず観察し、試合ごとの変遷などを追いかけ、さいしょは夢にただしく対戦相手としてあらわれるのだが、いつの間にやら親友になってしまう。
 かるくランをしてきたあとで湯につかってさいごの水抜きをし、入念にストレッチをし、ラジオ体操をひたすらゆるやかな速度で第一第二ととおす。会場に入るまでに水抜きだけであと四百グラムおとす。きもちがいくらはやっても、シャドウなどのボクシング的行為は会場に入るまでしない。ジャブひとつ打つだけで、異様に緊張してしまうことをしっているから。しかし無意識のうちに放ってしまった左拳の伸縮が、ジャブの体をなしてしまったと後悔した瞬間に今朝みた夢の記憶がよみがえった。
 対戦相手は近藤青志という。青志くんはよくスタバにいく。減量中に節制する反動か、甘いものを好むボクサーは多い。ボクサーのたぶんにもれずrscブランドの服や帽子をよく身につけている。そのひとつ前の相手には過剰なヤンキー臭をかんじとって辟易していたが、それでも試合当日には親友の絆まで結んでしまっていた、自分の無意識がこわい。今回の青志くんはナイーヴそうなSNSでのことば遣いにおいて、前回以上の友情を育んでしまっていた。青志くんはいった。
「あしたは、がんばろうな。おれのがんばりがお前のがんばりを引きだせて、いい試合ができたらおれはもうそれでいいんだ」
 青志くんは一勝一敗。自分よりまだ前途がひらけ、「B級へ上がれる自分」への希望に満ち満ちているはずだ。それなのにそのフェアネス。自分が拵えた青志くん像に自分で感動し、「おう。おれが勝つけどな」とかいっていた。それで拳を合わせるなど現実にはしたこともないボクサー的さわやかな場面のあとで自分たちは公園の茂みに隠れてなぜだか、みしらぬカップルの性交をいっしょに眺めていた。これがぼくと青志くんの友情の最終形か……。ぼくのみる夢はカラーで、頻繁に自分も登場するシネマ形式が多い。
 いつからなのだろう。日本チャンピオンだった漠然とした自分の夢が、日本タイトル挑戦になり、十回戦、八回戦、六回戦とじょじょにグレードダウンし、いまでは「次の試合を敗けない」ことに成り下がっている自分に、気がついたのは。それでも、視野が至近にかわっただけで、やるべきこと、持つべききもちの集中においては、かわらないのだと信じたい。
 携帯をみるとトレーナーからの、
 ……おはよう。よく寝れたか? きょうは練習の成果、出し切ろうな!
 というメッセージが、カラフルな記号とともに寄せられていた。いまだにガラケーをつかっている自分が、携帯電話でのメッセージ交換がおおきなストレスになっていることすら、トレーナーにはつたわっていない。もうつきあいも五年になるというのに。きょうこそ無視しようと決意するのだが、すぐにソワソワきもちがおちつかなくなり、
 ……ハイ! がんばります。
 と打ち、しばらく悩んだのちに、
 ……ハイ! 精一杯がんばります。
 に修正して送信した。すぐに絵柄だけの返信がかえってくる。できるだけなにも感じないように、考えないように、どうせ試合数時間前一時間前三十分前十分前、とこなすルーティンは固まっているのだから、そのときのことはそのときに考えられるように、からだはもうできあがっているはずなのだ。きほんは二時に就寝し、睡眠のピークはおそらく三時から五時ぐらい。そのあとの九時までの時間に親友の夢をみている。だからなにげない日常の意識不明、ボンヤリしているときに夢の抽象がよみがえりやすい。そうしてぼくはいつしか対戦相手のことを夢と現実の境界なく、よくもわるくも尊重してしまっていた。
 きょうはリング上ではじめて青志くんにあう。現物をみるといつも、はたと我にかえる。ぼくはこいつを倒すんだ。そこには殺意がどうあっても滲む。そうして試合ごとに親友をうしなって、孤独ばかりふりつもる。いまではデビュー戦を勝ったときのしあわせな記憶もまったくない。ただその後に何度も親友に敗れたきもちのさみしさだけが、うすあまく残る。時間だけがほんとの親友だ。二時になったから、家をでる。二時を愛す。こうして計画をきめないとぼくはまったく動けない。それは生まじめゆえでなく、夢や希望に突き動かされなくなった憐れなボクサーの、消極にすぎないと理解している。それでもからだはうごく。かろやかに。はやくシャドウがしたくてうずうずした皮膚の感じ。これだけが真実なんだっておもいたい。

 実際に拳を交えてみると、相手のジャブがおもったよりのびてき、しかも連弾が三発までつづくことに面食らった。一ラウンドからそのようなおちついた技術を発揮できるということは、スタミナと根底にある技術力が段違いに増していることの証左である。くわえて、デビュー戦も二戦目もはやいラウンドで倒し倒されだった青志くんの戦歴のせいでぼくに不充分だったのは、距離感覚のイメージトレーニングだった。ほんの数センチの差とはいえ、おそらく前二人の青志くんの対戦相手よりリーチの短い自分は、らくな距離に身をおいていると自分以上に相手のスイートスポットに入ってしまい、ちょうどジャブの力のこもる場所に目が位置してしまう。肘から先で視界を遮られるような効果のジャブをもらうということは、プロとしてあってはならない距離感覚で闘っている。一ラウンドはまずその対応であたまがさーっと熱くなってしまい、結果的にわるくはない作戦ではあったのだがひたすら距離を潰してガチャガチャ打ち合った。こんなボクシングばかりしていると、六回戦にあがったあとに未来はない。しかしいまを精一杯対処するぼくのポリシーが功を奏して、オープンブローぎみではあるが、肩ごと踏み込む右フックが時おり当たり、じっさい一ラウンドは十対九でぼくがとった。
 セコンドの指示は、「とにかくガードをさげるな」ということだった。熱くなってくるとフックを打つときに逆側のガードがさがり、なおかつ足が揃いぎみになって返しのフックをもらう危険性があるから、ダッキングとフックで距離を潰していこう。ようするに一ラウンドの感じでいけ、というわけだ。しかし相手のジャブがこわく、ジャブがこわいということはワンツーがなによりおそろしい。ジャブで射程を合わせ、うまくカウンターのストレートで相手を倒し一発KOを勝ち取った青志くんの一戦目をぼくは映像でみている。中間距離は避けろという声はよくきこえた。ぼくはバックステップが鈍いので、中間距離をきらうならくっつくしか道がない。
 スタミナが心配だった。
 でもやるしかない。一ラウンドが終われば二ラウンド、二ラウンドが終われば三ラウンド、三ラウンドが終われば四ラウンド、四ラウンドが終われば……
 そこまで計画できるような才能と練習濃度を積みあげていない。不安があった。自分なりに一瞬一瞬を懸命に生きた。それでもそんなものは全ボクサーの当たり前の水準で、どれだけ瞬間の濃度をたかめられたかどうかに、努力と才能がかかっている。バイトの合間でもボクシングのあたまで生きているボクサーが、最終的に勝つだろうか? 試合前も当然に組まれるバイトのシフト中に、とんでもない眠気に襲われて立ちながらジャブを打とうとしたあの日の記憶が、ラウンドツーのアナウンスと同時によみがえった。けれど関係ない記憶がよぎるのは調子のよいしるしでもある。ぼくは足をばんばんグローブで殴って、最後までもってくれ、ぼくの足と、足に宿った練習の記憶、ぼくの心を支えるぜんぶのヤツ、と祈ってたちあがった。

(続きは本誌でお楽しみください。)