立ち読み:新潮 2018年12月号

図書室/岸 政彦

 雨が降ってきた。洗濯物を取り込もうとして、小さなベランダに出た。古い団地のベランダの庇は浅くて、すぐに洗濯物が濡れてしまう。女のひとりぐらしにはそれほどたくさんの洗濯物もなく、数枚の肌着やタオルをハンガーから外して部屋のなかに投げ入れる。
 そのままぼんやりと外を見る。下の道路をゆっくりと宅配便の車が通り過ぎていく。雨の日曜日にごくろうさまやなあと思う。どんな荷物を運んでいるんだろうか。昔は宅配便は、誰かが誰かに送るものだった。何かを買って、店で包んでもらって、宛先を書く。何かのお祝いとか、プレゼントとか、お中元とかお歳暮とか、そういうときに、誰かに何かをあげたくて送っていた。いまは自分でネットで注文したものが自分に届くだけになった。
 それでもやっぱり、誰かから誰かに届くものもたくさんあるだろうし、雨の日曜日でも、そういうものがこの世界をたくさん行き来していて、そしてそれを運ぶひとたちもこんなにたくさんいる。
 雨を眺めていたら、また猫がほしくなってきた。ペットショップで透明なケースに入っているところは、あまりにも可哀想で見に行く気がしないので、いつか道で子猫を拾いたいとずっと思ってるけど、そういうときに限ってなかなか出会わない。子猫を捨てるひとも少なくなったんだろうか。最近は玄関先につながれたままになっている犬も、ほとんど見なくなった。でもたまにいる。すごく可哀想だなと思う。
 幸せな犬や猫をみると自分も幸せになるから、できればこの小さな団地の小さな部屋で猫を飼って、そしてここで幸せに暮らしてほしい。どんな猫でもいいから、一匹の猫を(あるいは二匹の猫を)徹底的に幸せにしてあげたいなと思う。日当たりのよい場所に小さな寝床をつくって、そこに可愛らしい柄の、柔らかい毛布を敷いてあげたい。猫は自分が、ありえないほど幸せであることを自分でも気づかないまま、ゆっくりと手足をのばして、ぐっすりと眠るだろう。私もそれを見てとても幸せになれる。純粋に幸せな存在は、自分が幸せであることに気づかない。溺愛したい。何かを溺愛する、ということを久しくしていない。何かを溺愛したい。それで振りまわされたり、困らされたり、たまに泣かされたりしたい。
 子どもの頃のことで思い出すのはいつも、たくさんの猫に抱かれてこたつで丸くなって寝ているところだ。小さいころ、うちにはいつも猫がいた。いまどきの犬や猫に比べたら、ぞんざいで、いい加減な飼い方だったけど、それでも数匹の猫がいつも家の中にいて、私と母はそんな猫たちみんなを可愛がっていた。あの匂いはいまでもよく覚えている。小学校から帰ってきて、ランドセルをそのへんに放り投げると、いつも猫たちが出迎えにきてくれて、私は順番に背中から尻尾の付け根を撫でてやると、適当に二匹ぐらい抱え上げて一緒にこたつのなかにもぐりこむ。こたつのなかは臭くていい匂いがする。自分と母と猫たちの匂い。とても臭くて、でもとてもいい匂い。私は猫のおなかに顔をうずめて匂いを吸い込む。暖かいこたつのなかの、温かい猫のおなかの匂い。目を閉じて猫の匂いを吸い込むといつも満ち足りた気分になって、口のなかによだれがいっぱい湧いてでてくる。
 ひとりで働いて私を養っていた母親は、あまり家の中にいなくて、だから私は子どもの頃からずっとひとりぐらしをしているようなものだった。気がつけばいまも古い団地のひと部屋でひとりぐらしをしていて、少し不思議な気もするが、とても自然なことのようにも感じる。築四十年のこの団地を、URに紹介されてあまり考えもせずにすぐに決めて、それまで一緒に住んでいた男の部屋を出てさっさとひとりで暮らし始めてから、もう十年にもなる。あのときはここは築三十年で、私は四十歳だった。私がひとつ歳をとると、世界もひとつ歳をとる。若返ったりはできないんだろうかと思う。別に若返りたいわけでもないけど。世界がひとつ若くなると、この団地も私もひとつ若くなる。四十年遡ると、この団地は砂とセメントと鉄に戻り、土地も更地に戻る。私は十歳の子どもになって、またこたつのなかにもぐって猫のお腹に顔をうずめる。お腹が減ると母親が作り置きしてくれる簡単な夕食を自分で温めて食べる。
 母の夕食は、おでんとかカレーとか、そういう作り置きができるものが多かった。カレーはいつもダマだらけで、粉っぽくざらついたルーが溶け残って、そこがとても苦かったが、私はその塩辛くて苦い溶け残りの部分が好きだった。私を養うためにスナックで働く母は、昼のうちに銭湯に行ってからご飯を作り置きして、夕方には出かけてしまう。夜中、私が猫たちと一緒に寝てしまってから帰ってきて、顔を洗うと冷たい体のまま私と猫たちの布団に入ってくる。私はそのときの母の、女らしい匂いや冷たい体が大好きで、どれだけぐっすり寝ていても必ず目を覚まして、母親の体にしがみついた。布団から追い出された猫たちも、文句を言いながらまた布団のなかに入ってきた。冬の夜の風に冷えきった母の体はすぐに温まり、うとうとしながらゆっくりと手足を伸ばす。私たちの布団は、ふたりの人間と猫たちには小さすぎたけど、みんなで一緒に寝るのは楽しかった。いま私は、この団地の小さな寝室の壁際に置かれたシングルサイズのベッドに、ひとりで寝ている。引越と同時に買った無印のシングルベッドだ。子どもの頃はこのサイズの布団にみんなで一緒に寝てたのだと思うと、なんだか信じられない。
 私はベッドに座って取り込んだ洗濯物を適当にたたむと、キッチンでお湯を沸かしてコーヒーを淹れた。雨の日曜日。今日はシャワーを浴びたら、梅田に行って、阪急の紀伊國屋か茶屋町のジュンク堂で何か本を買おう。どこかで簡単に食事をして、そのまま夕方まで梅田をぶらぶらしよう。そう思いながら、なんとなくキッチンのテーブルの椅子に座ったまま、ぼんやりとしている。自分のためにコーヒーを淹れて、椅子に座っていると、昔のことが目の前に浮かんでくる。雨の音がする。雨。あの公民館の小さな図書室を思い出すと、いつも冷たい雨が降っている。壁一面、大きなガラスになっていて、中庭のソテツと桜が雨に濡れている。
 小学生のときは、土曜日は半ドンといって、昼から半日だけ休みだった。授業が終わると、いつものような給食じゃなくて、菓子パンと牛乳が配られる。食べて帰ってもいいし、持って帰ってもいい。牛乳は複雑な三角形の形をしたパックに入っていて、パンはいつも、毒々しい真緑色のクリームが挟んであるコッペパンだった。土曜日の授業が終わると、いつも一緒に遊んでいる女の子の友だちの誘いを断って、パンと牛乳をランドセルに入れ、家の近所の古い公民館の小さな図書室に行った。
 土曜日の昼間、母親は二日酔いで寝ていることが多かった。そういう母を起こしたくなくて、半ドンの土曜日でも、私は友だちと遊んだり、公園で暇をつぶしてから、夕方に帰るようにしていた。ある夏の日、どこかひとりで暇をつぶせるところを探して、一度だけ連れていってもらったことのあった近所の公民館の図書室に行ってみた。久しぶりに訪れた図書室はとても静かで、本がたくさんあって、私はそこが気にいって、それから何度も通うようになった。土曜日の午後にはたいてい図書室に行って、そこに置いてある「世界児童文学名作全集」のようなものを手当たり次第に読んでいた。
 公民館の鉄の門を抜けてすこし歩くと、重いガラスの両扉の正面玄関がある。右の壁には小さな窓枠が開いていて、受付のおばちゃんがいつも小さなテレビをつけっぱなしにして居眠りをしていた。私はおばちゃんを起こして挨拶をすると、小走りに図書室に向かう。薄暗い廊下を抜け、右に曲がると突き当たりに図書室のドアがある。
 図書室は、たぶん本が日に焼けないようにだろうけど、北向きになっていた。でも壁一面がガラスで、ソテツや桜が植わっている中庭から差し込む柔らかい光が部屋のなかいっぱいに広がっている。黴と埃の匂い。真ん中に大きなテーブルが二つあって、いつもふたりのおじいちゃんが新聞を広げて居眠りをしてる。この公民館の大人はみんな寝てる。
 テーブルの奥の、いかめしい大人むけの単行本や辞典が並んでいる大きな灰色の本棚の列の向こうが、子ども用のスペースになっていて、私はここが本当に好きだった。学校の、いつもは優しいけどたまに驚くほど冷淡に、嫌な感じになるおばちゃん先生もいないし、仲が良いけどときどきうんざりする女の子の友だちもいないし、いちいち気を使って顔を立ててあげないとすぐに怒って機嫌を悪くする、ただめんどくさいだけの男子たちもいない。学校という、いろいろ楽しいこともあるけど、でもやっぱり行かずにすむなら行きたくない場所と、心から愛してる母親と猫たちがいて暖かいこたつもある自分の家とのあいだにあって、ちょっと大人になったみたいにひとりになれる場所。
 棚に並んでいる本のなかから、最初に何を手に取ったのかはもう覚えてないが、三国志と西遊記(子ども向けに短く編集したもの)、あしながおじさん、オリバー・ツイスト、ああ無情、ほら男爵の冒険、長靴をはいた猫、アンデルセングリム坊っちゃん、その他ありとあらゆる名作が並んでいた。公民館という、何のためにあるのかはわかんないけどちょっと大人っぽいところにひとりで行くのも誇らしかったし、クラスの誰も知らない場所で誰も読んだことのない本のページを開いているのは、すごく寂しい気持ちとすごく自由な気持ちが混じって、それまでの生活で経験したことのないような、頭の肌がじんじんとしびれるような、痛快な気分がした。

(続きは本誌でお楽しみください。)