立ち読み:新潮 2020年1月号

石牟礼道子と渡辺京二――不器用な魂の邂逅/米本浩二

1 道子の章

 きのう、もちごめを炊いたんですよ。そしたらきょうはとろけていたの。普通のご飯をまぜました。とろけたご飯がまざっとります。はい。味見してください。色がついています。きれかでしょう。干した梅ば入っとります。名付けて、梅入り炊き込みごはん。じゃこも入っとります。ニラも入っとる。シイタケの汁も。シイタケを水につけておく。そうしたら茶色っぽくダシが出るんですよね。
 どうぞじゅうぶんに食べてください。漆の赤いお茶椀でどうぞ。黄色いのはトウモロコシですよ。おかわりしてください。ゆっくり、お茶を飲みながら。急須の葉っぱは換えんでよかです。さっき渡辺京二さんが来てお湯を足しました。ふらふらになりながら淹れてくれました。あのご様子、もう、なごないんじゃなかろうか。つっこけんで、ご無事に、お帰りになったでしょうか。
 お弁当買ったけど、食べなさらんですか。東京から水俣フォーラムの実川悠太くんが今度来るんですよ。それでうなぎを申し込んだんですよ。そしたら、手に入らない。なかといわれた。実川くんはうなぎを楽しみに来るんですけど、うなぎは、ないんですよ。普通のお弁当を頼みに行った。うなぎがないから実川くんががっかりするだろうと思って、普通の弁当はどういうものがあるか、買ってみたんですよ。それを少し食べて残してあります。渡辺さんに差し上げようと思ったけど、渡辺さんは食べなさらんですよ。
 渡辺さんがお書きになった『逝きし世の面影』、欧米の真似をするのが日本の近代の始まりですよね。本を読むのに横文字をつかわないといけないでしょう。渡辺さんも英語をたくさんつかって書きなさる。普通の平凡な常識的なことをカタカナで書きなさる。分からんものもあります。アウトサイダーち、なんですか? かんじんどん(勧進、物乞い)のこと? ああ、それなら分かる。本の題は私が提案したらご採用になって、そら、うれしかです、渡辺さんのご本ですから。日本人は藍の色が好きだし、着ているものも藍色が多い、と書いてある。のれんも藍色ですよね。藍屋さんの娘さんが同級生におりまして、仲がよかった。墨で書いた条幅、熊本県の書道大会に一緒に出しました。毛筆書きの短歌を書いた。草花も描いた。今よりも上手です。パーキンソン病でもう字が書けんです。
 このあいだ、私が小さい手帳を、同時進行で七冊つかっていることが判明したんです。余白を残す。最後までつかわない。この人のノートは全部そうです、と渡辺さんがおっしゃる。共産党員だったとき、「コンスタンチーノ」と題名が書いてあり、あと一行も書いていない。第一ページで挫折している、と渡辺さんがからかいなさる。挫折したわけではありません。町に出て何か思い浮かぶでしょう。何かに書きつけたいが、手もとになにもない。近くの店に寄って手帳を買って、そしてひまがあったときにちょっと書くんですよ。そうしたらまた手帳を買いたくなる。四冊くらいあると思っていたら、七冊あったのですね。三冊あればいいの、順番に使い切っていこう、とおっしゃる。生返事していると、得心してないんですよ、やりすごしています、あとは自分が思うようにやるつもりなんです、この人は、とあきれたように渡辺さんは言うのです。
 ぼくは、ペンは一本でよか、とおっしゃる。書いてすぐそこらへんにおきちらすけん、私は、何本も必要なのかもしれません。書いて自分で持っとれば一本でいいんですけど。これは渡辺さんのプレゼントの拡大鏡。八千円もした。渡辺さんは死ぬまで本ば読む。根気があります。私は本読んでも、ちっとも頭に入らん。頭の出来が違うとです。
 私の代用教員時代の恩師の徳永康起先生の記念碑が建ったそうです。熊本日日新聞の記事に出た。渡辺さんが読んでみせなはるですけど、字が、目の前ばすーっと通る。自分でそんな早うに読みなはっとかなあ。目の前ば、すーっ、と通る。私は人よりも目が見えん。一字も見えん。なんか通っていった、たしかに。すーっと通った。あれはなんち言えばよかろうか。あまりに早くて読めません、と言えば腹かきなはるごとある。しんから見らんけん、人の話ばきいとらん。人のことには関心がない、とさんざん言われます。
 渡辺さんが三日も来ないことがあったんですよ。ぎっくり腰ちゅうことで。三日目の夕方、渡辺さんから電話がかかりました。
「きょうも寝てます」
「今度はじゅうぶんに」
「はい。じゅうぶんというかね、ま、あした昼頃、起きれればいいと思っていますけど」
「無理をなさいますな」
「はいはい。横になりますから」
 電話が切れます。こちらからまたかけます。
「もしもし」
「わたしです」
「はい。なんでしょうか、はい」
「今度の渡辺さんの腰のいたみはただごとじゃない」
「そんなことない、ぎっくり腰だ、おおげさに考えなくてもいいです。去年もおこりましたし、毎年一回おこるんですよ。なおりますから。たのむからいらん心配せんでくれ。はい、じゃあ、いいですね」
「がんばって養生なさいませ」
「はいはい、横になりますから」
 切れました。
 石牟礼道子資料保存会ちゅうのが真宗寺に去年できたのです。私のあの、乱雑で山んごたる原稿を渡辺さんやみなさんが整理して、資料集をつくってくださるとか。つくってもらうにしても、渡辺さんの体調が気になるですね。ハーハー言いなさるですよ。ちょっと動いただけでハーハー肩で息をついていなさるでしょ。ハーハーだけじゃないごとある。物覚えも悪くなったもん。私の方がよく覚えているんじゃあなかかなあと思うくらい。完全整理まであと五年かかるち言いなさるけど。資料集は残さんでよかと思う。京二さんの命と引き換えに資料集を残しても意味がない。私も、あと五年も六年も生きとらん。

(二〇一五年春)

(続きは本誌でお楽しみください。)