立ち読み:新潮 2021年3月号

創る人52人の「2020コロナ禍」日記リレー/小川洋子 小説家

 七月二十九日(水)
 リモート取材。リモートって一体何なんだ、と誰かに詰め寄りたい気もするが、やるしかない。ええ、もうこういうやり方、十年も前から知っていましたよ、という顔をして画面に向かってべらべら答える。方法がどうであろうと、取材のあとは沈んだ気分になる。喋りすぎなのだ。立場上、相手は私に質問し、親切にうなずいてもくれるが、だからと言って調子に乗り、聞かれもしないことまで張り切って喋るのは愚かすぎる。さぞかし相手をうんざりさせたに違いない。それに引き換え、仕事部屋の窓の向こうに植わっているミモザの樹は立派だ。彼女は年に数日、小さな黄色い花を咲かせる以外、特別目立とうともせず、不平も不安も口にせず、黙ってただそこに立っている。無言でいることと、小説を書くことは、矛盾しない。

 七月三十日(木)
 一歩も外へ出ない。
“お席をご用意することができませんでした”というメールが届く。来月、帝劇で行われる公演の先行予約抽選に、申し込んでいたのだ。第一希望から第三希望まで、全滅だった。これまでにも、さまざまな抽選に挑戦したが、一度として当選した試しがない。
 どんなにたくさんの椅子が並んでいようと、私のための場所はどこにもない。そこに座ってもよい人々は皆、朗らかで、悠々として、自信満々だ。私一人、うつむいて、こそこそしている。それでもまだ何かの手違いで、実はご用意ができているのではないか、という希望にすがり、暗がりの中、番号を一つ一つ確かめている。しかし、自分に許された椅子を見つけることはかなわない。
 お席をご用意することができませんでした。
 呪文のようにこの一行を暗唱する。

(続きは本誌でお楽しみください。)