立ち読み:新潮 2021年9月号

[対談]小説の始まりはどこ?/朝吹真理子 宇佐見りん

     こんな変なものを書いていたのか

朝吹 こんにちは。はじめまして。二作拝読している時間は、とても幸せでした。読みながらふと思ったのですが、宇佐見さんは、皮膚、内臓、痛み、そうした体の感覚器官がとても鋭敏で、特に鼻のいい方ではないかと勝手に思ったのですが……。においや皮膚の感覚は、体にやってきたときは鮮烈なのだけれど、でも、瞬間的に過ぎ去ってしまうものでもあって、なんとなく感覚の名残はあっても、忘れてしまうことが多いと思うのですが、宇佐見さんは、感覚を覚えていて、それを言葉に捕まえてしまうのがすごいです。そして、これも読んでいて思ったのですが、宇佐見さんは、音読に近い形で、何度も書いた文章を読んで、直して、確認して、これしかないのだ、という文章にされているのではないかなと思いました。言葉が飴だとしたら、口の中で、一個ずつ、舐め尽すようにして、選ばれているのかなと思いました。すぐ忘れてしまいそうな体の感覚と、それをぴったりな言葉であらわす丁寧な文章、動物の感覚と人間の言葉、が同居している。『かか』を読んでいて、感覚がぜんぶ言葉になって、かかのしゃべる言葉もいいですよね、すごく。ちょっと真似したくなってしまう。胸に苦しく迫ってきて、こんなに素敵な作品を読めて、ああ、小説っておもしろいな、と思いました。書いてくださってありがとうございます。
 肉体で感じる感覚って、とても曖昧で、複雑で、ぜんぜん言葉に置き換えられないですよね。言葉はいつもすごく遠い、と思います。人間は、感覚で生きていて、あまり言葉で考えたりしていないんじゃないかなと思ったりします。人と会ったときも、たいがい、てきとうに喋りますよね。それは『推し、燃ゆ』のなかで、日々の会話は、じぶんでとらえきれないもやもやした感覚を細やかには表現せず、あえてとっても単純な言葉や絵文字に置き換えて、速度だけのやりとりを友人としているところがあったけれど、厳密に、感覚を言葉に置き換えようと思って暮らしていると、逆に一言も話せなくなっちゃう。つくづく、言葉は遠いなあ、と思います。

宇佐見 普段は嗅覚をはじめとする身体感覚に頼って小説を書いていて、冷静に言葉を練って組み立てていく能力はいま身につけようとしているところだったので、「舐め尽すように」と言っていただけたのがうれしいです。肉体で感じたこと、書き表したいと思った衝動を、悩みつつ言葉に落とし込もうとしている感じで。『きことわ』は、ちょうど十年前の芥川賞受賞作だそうですね。高校生の頃に『きことわ』を、その後『TIMELESS』やエッセイを拝読しましたが、文章を目にしたとき、「そのとき、その行のその位置になくてはならなかった言葉」が、不穏ともいえる、切りつけられるような真摯さで連続していました。読み終わったとき、それらが静かにうねりだす。こう流れていくんだという感動がありました。私、話すのが得意ではなくて、上手くお伝えできず申し訳ないのですが。

朝吹 読んでくださってありがとうございます。小説を書いているひとは、なんでも瞬時にいい感じに言語化できる人だと思われがちですが、実情は違いますよね(笑)。話しべただったり、てきとうなことを言っちゃったり。私はだいたい「かわいい」しかふだんは言っていません。でも同時に、おしゃべりは、相手とのリズムのやりとりだから、内容はなくてもいいのかな、とも思ったりします。
 書くときは、言葉の海に潜って、魚みたいに泳いでる言葉を捕まえて、浜に上がってみてみたら、浮かんでいることと全然フィットしてなくて、また潜ったり。なぜかそれをあきらめずに繰り返してしまう人が、ものを書いたりするのかなと思います。ラインとかだと、だいたい、わーい、かわいい、ハアハア、ばっかりです。

宇佐見 私も編集者の方へのメールで「ちょっとダメでした」みたいな、崩壊した日本語を使ってしまいます。考えと言葉の乖離は、よくわかります。喋り言葉や短い文章でのやりとりなど日常的なコミュニケーションにはすでに諦めがあって、あまり重きを置いていないのですが、小説を書くことと読むことによる繋がりはまだ信じています。朝吹さんは以前インタビューで、ラストを決めて書くことはないとおっしゃっていましたね。『TIMELESS』では一行目が二行目を、二行目が三行目を呼んだら、再び一行目に戻って……というように書きなおし続けたと。ラストは、風に吹かれながらたどり着いたような美しさがありました。私は筋を最初に決めてしまうタイプです。

朝吹 二作品ともそのようにして書きましたか?

宇佐見 はい。朝吹さんのように、誘われて書くというようなことが、私には出来なくて。根本的な感覚の違いを感じました。

朝吹 私はむしろ設計図のある、筋書きに憧れています。小説を書き上げた数が少ないので、いろいろ言えませんが、私の場合は、景色が浮かびます。ぼんやり、蚊帳のむこうのような感じでみえる。何度か同じ景色をみていると、においや景色のむこう側の体の感覚も感じられるようになって、それが手がかりになります。『TIMELESS』という小説のときは、金色のなかにいる、男性と女性の後ろ姿でした。金屏風なのか、薄野原なのか、わからないようなところで、ふだん生活しているときに、ちらちら金色がみえていたんです。それでふたりは誰なのかな? みたいなところからはじまります。男女で野っ原にいるというと、心中ですよね。歌舞伎なんかでは。

宇佐見 そうですね。景色が浮かぶというのも、また新鮮な気がします。

朝吹 心中? と思ったのですが、よそよそしいような、でもなにか親密さがあるような。ふたりの顔が見たいな、ふたりは一体どういう人たちなのかな、と薄をかきわけるような感じで、はじまりました。『TIMELESS』を書いても全然まだじぶんで宙ぶらりんのままのことなのですが、高校時代によく遊んでいた男友達が被爆三世だったんですね。ものすごくモテるけれど、じぶんは被爆三世だから、結婚はしないし、そのことは恋人にも言わない、と夜に他愛ない長電話をしていたときに、急に言ったんです。当時はへー、というかんじできいていて。友達は年上だったのですが、浪人して、あるときから急に、東大で官僚になるしかない、日本が強い国になってアメリカに反省をさせたい、と言うようになって、そして東大から今度は政治団体へと関心がむいて。私は、その電話を高校三年生の終わりまではきいていたのですが、大学に入るときに、携帯電話を持ちたくなくなって、そのまま音信不通になりました。なった、というか、携帯しか交換していなかった仲なので、正直なことをいうと、じぶんで縁を切ったともいえます。そのことがずっと気になっています。それから、祖父の弟が、広島で入市被爆をしていること。そういうことがすこしずつ、男の後ろ姿に重なっていって、顔がみえてくるようになりました。でも、なにがどう小説になるのか、ずっとわかりませんでした。数年間、それは、「おかゆ」にしかなりませんでした。

宇佐見 「おかゆ」ですか(笑)。

朝吹
 ごめんなさい、意味不明ですよね。おかゆメモ、と言っている、言葉の断片です。言葉が粒立ってなくて、ドロッとした……。おいしいおかゆではなく、どっちかというと、なんか粘っこい、気持ち悪いメモです。私には大切なんだけど、読む人が存在しないような感じの言葉。おかゆは、なによりも恥ずかしくて、とにかく見せたくなくて拒んでいたんですが、新潮の矢野さんに、見せなさいと言われて、こわごわ送ったら、やっぱりショックを受けていました。半年、一年、そのときどのくらい経っていたかわからないけれど、時間かけて、こんな変なものを書いていたのかと。A4一枚とかでした、しかも(笑)。絶望ですよね。
 私の場合は、最初の読者である、編集者がいるから、小説が書き終われる、ということがあります。じぶんだけの小説だと、どうしても、終わらない。はじめての小説を書くまでも、好きで色々書いていましたが、それは、手紙に似た、言葉の断片でした。そして、私は設計図をわからないで家を建てようとしているような感じなので、編集者と作品について話している時間がとても大切で、喋ることで、作品のことを知ってゆくようなところがあります。『TIMELESS』のアミは死ぬと思っていたんですが、矢野さんと、単行本編集の須貝さんと広島で取材をした日の夜に「真理子さん、アミは、本当に死んじゃっていいの?」と須貝さんに、言われたことが契機になりました。高校時代の友人の音信不通を引きずって、アミに投影していたのですが、その疑問のなげかけによって、はっきりと、アミがみえた、やってきた気がしました。とはいえ、それですぐ書けるわけでもなく、気づいたらさらに三年くらいたっていて。最後は「これで書けなかったら二度と書けないという気持ちで連載を始めましょう」と言われて、見切り発車でスタートしました。毎月、ほぼ書き溜めた原稿ゼロで、どうなるのかちっともわからないまま二年間連載していました。最後まで、どうなるのか、じぶんで全くわかりませんでした。

宇佐見 書き溜めゼロ……。「おかゆ」は例えば、詩に近いですか。

朝吹
 ちょっと違いますね。詩の言葉は粒立っていて、例えるなら羽釜で炊いた美味しいご飯。

宇佐見
 ラフみたいな感じですか?

朝吹
 うーん。何かになっていく元なのか、何かにならなかったカスなのか……。「おかゆ」の前には「イメージボード」も作っています。これはほんとうに楽しくて、昔は段ボール製で、今はトタンなんですけど。自分が気になるものをどんどん貼っていって、置いて、ながめたりしています。例えば――(写真を見せる)。

宇佐見 いいんですか、見せていただいて。

朝吹
 もちろんです。今は夢の話を書いていて(ととりあえず言っているのですが、ほんとうにそうなるのかは不明です)、地図や、夢の元になったもの、じぶんでもわからないけどなんとなく貼っているもの、いろいろごちゃまぜです。

(続きは本誌でお楽しみください。)