「二重権威」が露わになった
「即位の礼」パレード延期の残響
週刊新潮 2019年10月31日号
(木曜日発売)
発売日 | 2019/10/24 |
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JANコード | 4910203151095 |
定価 | 440円(税込) |
「即位の礼」パレード延期の残響
▼「雅子皇后」父君は娘に「あなたの時代」と言ったが……
▼「嵐」を呼んで嵐のようなスケジュール「国民祭典」
▼折も折「佳子さま」セクシーダンスが物議!
神戸「小学校イジメ教諭」の実名
▼警察が捜査に乗り出した「凄絶虐待」
▼「処分歴共有システム」未整備は文科省の怠慢
「東京五輪マラソン」札幌移転の裏に「カジノ」
▼「住みたい街」だった「武蔵小杉タワマン」どこまで暴落?
▼自治体判断で大半が非公表! 「犠牲者は匿名」で本当にいいのか!?
▼甚大被害の「農産品急騰」から食卓を守る節約術
▼キャンセル続出に今こそ自粛ではなく「被災地観光」
(2)タダで都内タワマンに居座る「福島原発避難者」に理はあるか
(3)拳銃忘れるほど多忙「女性警官」非番の顔が風俗嬢だったワケ
(4)「女性ヘルパー」に睡眠薬で猥褻行為「寝たきり障害者」の事情
(5)「長渕剛」ライブが「映画付き」になった銀幕の裏
第6回 予想外の検証結果! 脱「アルツハイマー」への選択
▼「地中海食」より「和食」?
▼「早歩き」と「大股歩き」どっちが有効か
▼認知力も急降下! 「高血圧」のクスリがリスクという真逆
▼にわかファンは去っても「年俸高騰」の選手リスト
▼妻は夫を「戦地」に送り出した!
▼「清宮副会長」がぶち上げた「プロ化」
▼でっち上げられた「愛弟子の離反」
■■■ コラム ■■■
日本ルネッサンス/櫻井よしこ
生き抜くヒント!/五木寛之
変見自在/高山正之
十字路が見える/北方謙三
スジ論 わたしのルールブック/坂上 忍
だんだん蜜味/壇 蜜
誰の味方でもありません/古市憲寿
私の週間食卓日記/鰐淵晴子
TVふうーん録/吉田 潮
この連載はミスリードです/中川淳一郎
寝言は寝て言え!/KAZUYA
医の中の蛙/里見清一
人生で必要な英語はすべて病院で学んだ/加藤友朗
気になる一手/渡辺 明・吉原由香里
夏裘冬扇/片山杜秀
「昭和歌謡」残響伝/タブレット純
俺は健康にふりまわされている/宮川サトシ
飢餓俳優 実録菅原文太伝/松田美智子
■■■ MONEY ■■■
株式市場が熱い「ユニゾ」買収合戦 誰が最後に笑うのか
■■■ テンポ ■■■
▼ロビー/「進次郎」朝食セミナー5000万円
▼スポーツ/ロッテ「佐々木」ヤクルト「奥川」に不安
▼エンターテインメント/「カメ止め」監督第2作はガラガラ
▼タウン/「サクラ学生」に税金でギャラの愚
▼マイオンリー/上田紀行「ケチャ」
▼スクリーン ▼グルメ
▼ガイド ▼テレビジョン
Bookwormの読書万巻/香山二三郎
▼新々句歌歳時記(嵐山光三郎・俵 万智)
▼結婚 ▼墓碑銘
▼文殊のストレッチ ▼掲示板
▼1964-2020 追憶の東京五輪
■■■ 小 説 ■■■
ファウンテンブルーの魔人たち/白石一文
黒い報告書/花房観音
■■■ グラビア ■■■
・アウトサイダー・アートの芸術世界
・優越感具現化カタログ
・異邦人のグルメ
この号の中吊り
最新号PICK UP
「二重権威」が露わになった
「即位の礼」パレード延期の残響
重さ8トンの「高御座」で、天皇陛下は堂々と宣明を果たされた。今月22日に皇居・宮殿行われた「即位礼正殿の儀」。続く「祝賀御列の儀」は来月10日に延期されたのだが、そこで浮上したのは、上皇ご夫妻が紡がれた“平成流”との「二重権威」という懸念だった。
今度はあなたの子どもの教壇に立つ
神戸「小学校イジメ教諭」の実名
東須磨小のイジメ教師たちの極悪非道は、底なし沼のような深まりを見せている。ところが、彼らはいまも直接の謝罪もせずに禄をはみ続け、いずれどこかで再び教壇に立つ可能性が高いという。ならば我々も、彼らの名を知って自己防衛する必要があるだろう。
死闘「ラグビー日本代表」の代償と報酬
5戦4勝1敗という結果が語る以上に死闘を繰り広げたラグビー日本代表。その日当は
「モンスター台風」が切り裂いた人間模様
被害の広域化、そして長期化。モンスターと化した台風19号は、未だにその被害実態の全貌が明らかになっていないほど日本列島に深い爪痕を残した。ある者は嘆き悲しみ、ある者は怒りの
バックナンバー
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雑誌から生まれた本
週刊新潮とは?
〈「週刊新潮」は週刊誌というより、ほとんど人である。辻に立って、夜な夜な紳士貴顕を斬る百六十ページの眠狂四郎である。ときどき魔剣ないし凶刃になることもあるが、円月殺法の切り口が見事である。シバレンではないが、創刊五十年ようやく「剣鬼」の風格も出てきた〉
「週刊新潮」は1956年(昭和31年)2月に、出版社が出す初めての週刊誌として創刊されました。
それから半世紀後の2006年(平成16年)、「週刊新潮」は創刊50周年を迎え、その記念企画「週刊新潮と私」に、作家の徳岡孝夫氏が寄せられのが上記の文章です。
50年という長い時を経ても、「週刊新潮」の編集方針は、創刊当時から全くと言って良いほど変わっていません。
何より、文芸出版社から発行される週刊誌として、常に「人間という存在」を強く意識した記事作りをしています。それはまさに「殺人事件を文学としてとらえる」ことでもあります。偽善を嫌い、人間の本質に切り込む姿勢は、時に「世の中を斜めからシニカルに見ている」と評されることもあります。
また、皇室、学界、右翼、左翼、宗教団体、暴力団、日教組、動労……時代により、その対象は変わりますが、あらゆる“タブー”に挑む姿勢も一貫しています。
最近では、「加害者の方が、被害者より手厚く保護されている」という少年犯罪の不可解な“タブー”を問題にし、少年法が改正されるに至っています。
世の中が左に振れても右に振れても、「週刊新潮」は常に変わらぬ主張を堅持し、その一貫した姿勢が読者に支持されてきました。今後もマスコミ界の「剣鬼」として、「魔剣や凶刃」に磨きをかけていきたいと思っています。