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DANGER

村山由佳/著

2,530円(税込)

発売日:2026/02/26

  • 書籍
  • 電子書籍あり

どん底に堕ちてなお、私は諦めない──痛みを知る者こそがつかめた奇跡とは。

世界的振付家・久我一臣にインタビューをすることになった、編集者の水野果耶と記者の長瀬一平。久我の半生を辿りつつ、戦前戦後の日本バレエを紹介するつもりだったが、彼が語る壮絶な戦争体験は、二人が思ってもみなかった縁を掘り起こしてゆく。芸術と戦争を通し、過酷な運命に希望を見出す人々に迫った、入魂の輪舞曲(ロンド)。

目次

第一章
第二章
第三章
第四章
第五章
第六章
第七章
第八章
第九章
第十章
第十一章
終章

書誌情報

読み仮名 デインジャー
装幀 オカダミカ/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 週刊新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 496ページ
ISBN 978-4-10-339953-7
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品、ノンフィクション
価格 2,530円
電子書籍 価格 2,530円
電子書籍 配信開始日 2026/02/26

インタビュー/対談/エッセイ

ついに挑んだ「父の置き土産」

村山由佳五木寛之

父親の抑留経験から、いつかはシベリアを書きたいと思っていた村山氏。その想いを力強く支えたのは、五木氏の言葉と、ロシア人ダンサーとの出会いでした。

村山 今回、初めて正面からシベリア抑留を描いたのですが、以前、五木さんが「いつかちゃんとシベリアを書かないとね」と言ってくださったのが、すごく胸に残っていたんです。シベリアでの捕虜経験のある男性が登場する「訪れ」(『ある愛の寓話』所収)を書くより前のことでした。

五木 作家には誰でも、これは書いておかなくてはいけないというものが一つはありますね。村山さんのお父様のシベリア経験を知って、それはあなたにとって大変重いテーマだと思ったんだ。ですから『DANGER』で、戦後の日本の、しかもバレエというある種スノッブな世界を通してシベリアを書き上げられたのが大変印象的でした。

村山 読んでいただけて嬉しいです。

五木 戦後八十年の歴史の中で語られてこなかったことはたくさんありますが、それをそのまま読まされるのでは、現在の日本人はついてこれない。小説に書くことは、単に自分のメッセージを世に問うだけではないんです。読者に読んでもらうことを考えなければ、職業作家としての義務を果たせないと思う。どういう形で村山さんがこのテーマをお書きになるかとずっと関心を持っていましたが、ついにライフワークの一角に挑んで、ずいぶん大きな作品になりましたね。

村山 戦争を小説に書く人はいても、親世代から話が聞けたのは私の世代がギリギリだと思うんです。私より若い世代には、戦争の記憶が伝聞ですらとどまらなくなっていくと考えると、今の時代を鑑みて余計に焦りを覚えるところもありました。

五木 僕は北朝鮮からの引き揚げ者ですが、その時のことを語るととても生きていけなくなると思ってしまって、上辺だけの話しかできない部分があります。戦争が終わってからのほうが、外地にいた人間にはつらいところがある。その一端が小説として書かれたことで、この後、いろいろ出てくるのではと期待しています。でも現代とかけ離れた世界を描くのには苦労されたでしょうね。

村山 『DANGER』は連載の時には、翠という女性が戦中戦後の手記を残していて、現代パートを担う一平と果耶がそれを読むという形で話を進めていました。でも翠との関係を匂わせる世界的振付家の久我にインタビューをするのも彼ら二人なので、読者は二人を介したものを、もう一つ読まされることになってしまう。そこで手記ではなく、翠が体験したことをリアルタイムに地の文で書いたほうがいいと思って、全て改稿しました。伝聞が重なると、読者にとっては話がどんどん遠くなってしまいますから。

五木 戦後の時代を振り返ることは大事だけれど、それだけを語ると、若い読者の中には退屈する人も出てきますからね。今の風俗の中に戦争の記憶を挿入していくのは、それなりに効果的だと思う。

村山 どうしたら若い人にも読んでもらえるか、は常に考えていました。当時のことを記憶している方たちが読んでくださるのももちろん嬉しいのですが、記憶をつなげていこうと思ったら、若い人に読んでもらわないと意味が半分なくなってしまう。ただ、どこかで後ろめたさというか、これはエンターテインメントとして描いていい題材なのかが悩ましくもあったんです。読者に読んでもらうことを考えて書かないと、と仰ってくださって、ほっとしました。

五木 日本人にはやはり触れられたくない過去があるのです。例えば満州ではソ連軍に守ってもらうために、日本女性が差し出されることもありました。犠牲になった女性たちがやっとの思いで引き揚げて地元に戻ってきても「あの人はこういう人だ」と差別の対象になってしまう。そんな事実は迂闊には書けないし、リアルに書くと人権の問題にかかわってくるでしょう。だから小説の中で、フィクションとして扱うしかないのではと僕は思っているのですが。

村山 「黒川の女たち」というドキュメンタリー映画が昨年公開されましたね。満蒙開拓団として満州へ移った岐阜県黒川村の女性たちが、団長の命じるままにソ連軍に差し出された過去を証言していく映画です。取材に何年もかけているので、皆さん年を取っていかれるし、亡くなられる方もいる。はじめから口を開くことのできる方もいれば、首から下だけ映して証言して、最後の最後にお顔を出された方もいる。その方の晴れやかな表情が、なんとも胸に迫りました。でも、同じことをしていた村は他にもいっぱいあるはずですよね。

五木寛之

五木 昔、ラジオの仕事をしていたとき、そういう方々に取材をしても、「いろいろございましたが、おかげさまで今はなんとかやっております」と微笑まれることが多かったです。「君看雙眼色(きみみよ そうがんのいろ)不語似無愁(かたらざること うれいなきににたり)」。つまり「あの人の眼を見てごらんなさい。何も言わずに、ただ静かに微笑んでいるだけだ」という意味の書を昔見ましたが、語らないほど、その人の抱えている大きな過去が深く伝わってくる。逆に語りが芸になっている人もいて、繰り返し話すうちに、加工して作り上げてしまった場合もあるわけです。雄弁に語る人ほど信用できず、深い体験を持っている人ほど沈黙を守って語らない。取材の難しさはそこにありますね。結局その仕事は途中で放棄してしまいました。

村山 小説を書くときにも、その雄弁な話者のようになってしまったらダメですね、きっと。

五木 そうですね。だけど戦争の経験を現代の物語の中に溶かし込むのも一つの方法ですが、難しいところでもあります。時間と空間が飛ぶわけですからね。満州国関係の本は結構出ていますが、今とつなげて語っているものは少ないです。相当度胸が必要になるので、あなたみたいに覚悟と技量を備えた書き手でないと、なかなか生まれない作品だと思います。

村山 ありがとうございます。父が残した手記がずいぶん助けてくれて。満州での経験やシベリアで吊るし上げられて男泣きに泣いたところは、父が書き留めていたことでした。前に五木さんが「村山さんは戦友の娘みたいな感じがする」と仰ってくださったのを、どれだけ父に聞かせたかったか。『DANGER』を書いている間中、五木さんに読んでいただきたいの一心だったので、念願が叶いましたよ。

五木 自分の原稿の締切は後回しにして、ついつい読み耽ってしまいました。村山さんの新作が面白くて原稿が進まなかったと、編集者に言わなきゃ(笑)。

村山 それは最高の宣伝文句では(笑)。ほんとうに嬉しいです。

大きな物語を支えるもの

五木 村山さんは、例えばヒロインの水野など、モデルを具体的にイメージしますか。

村山 顔はあまり想像しません。連載中は挿絵をつけていただくので、そのイメージは途中から頭をよぎりますが、俳優の誰々に似ているとか、そういうイメージはしませんね。五木さんはされるんですか。

五木 僕の場合、『四季・奈津子』の奈津子もそうだったけど、ありえない人物を書いてきましたから、逆に真似をするメディアがいっぱい出てきてね。「わたしが奈津子になる」、よくそう言われたものです。

村山 すごい。登場人物が現実のモデルになるんですね。

五木 俺はあの小説の誰々みたいに生きたいとか、ちょっとした仕草を真似してみたいとか、小説はそんな風に思わせてほしいよね。

村山 そういう小説こそ書きたいですね。

五木 今回、同業者の仕事にインスパイアされることはたくさんある、ということも改めて感じました。ダンスの世界を書いてみたいと、ふと思いましたね。僕はイザドラ・ダンカンにずっと興味があります。バレエの歴史を根底から覆すような彼女のポリシーが、革命後のソ連のいろんな指導者たちに非常に高く評価されているんだ。

村山 それはぜひとも。五木さんのイザドラ、読みたいです。

五木 ダンスというのは肉体的に昇華されたアートですから、やっぱり興味が湧きますね。作中の久我のように高齢になってからまたステージに関わっていくという存在もすごく面白かったし、怪我で挫折した経験のある水野にも魅力がありますよね。

村山由佳

村山 新潮社の担当さんで長年バレエをやっていた人がいて、「村山さんにバレエを描いてほしい」と言ってくれたのが発端で、実はシベリアより先にバレエという題材があって。最初は、密航という形で戦前の上海に渡って上海バレエ・リュスに潜り込み、戦後日本で初めて「白鳥の湖」を全幕通しで公演した小牧正英さんのことを調べていました。でも実在の人物をモデルにして書くと制約も大きいので、一からフィクションで作り上げることにしたんです。私自身も大人のバレエ教室へ通ってみましたが、ついぞ経験のない難しさに挫折しました(笑)。

五木 そういう経験は必ず作品に生きてきます。身体ごとぶつかった取材で見つけたであろうディテールがあちこちに入っていて、刺激されたな。

村山 書く上で、少しでも体験した意味はあったと思っています。バレエ初心者はやたらとバーを握りしめてマメができてしまうとか、ただ歩くだけでふだんとはまったく異なる筋肉を使うとか、やってみて初めて知りました。

五木 トウ・シューズは三年ぐらい使うものだと思っていたから(笑)、あんな短期間でダメになるのかとびっくりしました。そういう小さなリアルが大きな物語を支えるんですよね。さらに本作はバレエの華麗さとシベリア抑留の悲惨さが並行して描かれることで、相乗効果が出ている。

村山 日本にクラシックバレエを持ち込んだと言われているエリアナ・パヴロヴァというロシア人女性を偶然見つけた時、これでバレエとシベリアを結びつけられると思ったんです。シベリアに行くことになる久我がエリアナの弟子だったとしたら? というところから繙いていって。書きたいと強く願っていると、運命的なものが降ってくることがありますね。

五木 ほんとうにそうだよね。そういう天から降りてきたようなものがないと、小説は生き生きしないものです。才能があるとか、文章が上手いというところとは別にね。

村山 エリアナを見つけた時は、それこそ踊り上がって鳥肌が立ちました。でも、追い詰められた時でないと降ってこなくて。

五木 ですから小説作法みたいな本を読めばなるほどとも思うけれど、小説は前の作品と同じ組み立てができるとは思えません。そもそも、自分がどういう位置で仕事をしているか、あるいはどういうコンディションや年齢であるのか、色々な条件の中に偶然の要素が入っていないと面白くない。100%計算ずくでは、小説は書けないと思いますね。

村山 書き上げてみるとどうやって書いたかを覚えていないこともあって、応用が全く利かないんです。次の作品を書く時に「あれ、不思議だな」と、いつも思います。

五木 わかる。小説の持つ最大の魅力というのは、どんな形であっても、読む人を惹きつけるものがなければならない。作家によっては社会を描くことが苦手な人もいます。個人の心理を追求してアドベンチャーになるような小説もあるけれど、広い視野で歴史や社会を追い込んでいく物語も読みたいですよね。そういう意味で『DANGER』は、戦中・戦後と、現在の我々とをつなぐ物語だから、大事な仕事をしたなと思いますね。

村山 伊藤野枝を主人公にした『風よ あらしよ』を書いた時も、そう言ってくださいましたね。野枝個人を書いているつもりでも、彼女がした選択を考えると、どうしても現代につながる社会を書かざるをえない。私も歴史に通暁しているわけではないので、その都度、なぜこうなったのかを調べながら書いたのですが、やってみると自分の隠れた資質みたいなものと非常に合っている気がして、苦労しましたが手応えのある仕事でした。

五木 村山さんには、男女の話をリアルに描く面と、社会的な視野から何かを語ろうとする面の二つがあって、それらがうまく融合すると、ものすごく面白くなる。だからこれからもその辺がテーマになっていくんでしょうね。

サーガの時代に

五木 世の中というのは複雑で矛盾したところがあって、美しい心から美しい物語や美しい音楽が生まれると信じたいけれど、そうではない。僕は終戦後の朝鮮でソ連兵からひどい目に遭わされましたが、ソ連に政治的な憎悪を抱いても、彼らが生みだすものに涙が出るように感じられることもありました。その善と悪が絡まる謎を解きたいという気持ちがずっとある。まだ完全には解けていないんだけど。「大学で露文科に入る」と父親に伝えたら、「ロシアは、母さんの仇だぞ」とポツンと言われたことがあった。

村山 それは……言葉が出ないです。ロシア人に対する矛盾した思いで言えば、父は手記の中で、一人一人はそんなに悪い奴らじゃないと書いていました。一緒に旅をしてみると、すごく気さくに話せたりとか。

五木 シベリアに関わった人と話していると、どこかに懐かしさもあるのかな、と思うことも時にはありましたね。

村山 父はよくお風呂で「ステンカラージン」をロシア語で朗々と歌っていましたし、ダークダックスのロシア民謡のレコードやCDをずっと聞いていたりもして、あれだけの思いをしたのにと不思議でした。本人はあれきり一度もロシアには行っていませんが、何か思い出すものがあるか聞いたら、一面の花畑だと答えたんですね。名前もわからない花だけど、野山を埋め尽くして咲く花畑だけは、もういっぺん見てみたいと。

五木 人間って矛盾してますよね。

村山 ほんとうにそう思います。私が旅番組でシベリア鉄道に乗りに行った時、父はすごく羨ましがって、自分が工事に駆り出された橋の裏に名前を彫りつけたから、それが残っていないか見て来てほしいと言われて。父のいた収容所は二年前に取り壊されていましたが、そのそばの川の橋を全部探しても結局見つかりませんでした。日本に帰れる保証なんて何もなかったのに、どんな思いで彫りつけたのか、考えさせられましたね。

五木 それにしても、三十三年前の小説すばる新人賞のサナギが、こんなに立派な蝶になるとは思いませんでしたね(笑)。

村山 今では毎年選考会をご一緒させていただけるのがほんとうに嬉しくて。絶対おやめにならないでくださいね。

五木 昔、吉行淳之介さんが、文学賞の選考委員は辞めてもいいから、新人賞はできるだけやれと言っていましたね。作家として一人前になると同業者の新しい本を読まなくなるからと。今回も久しぶりでしたね、現役で活躍している作家の長編を読むのは。

村山 ありがとうございます。でも選考会では五木さんが一番新しい意見を仰るんですよね。現代の社会と照らし合わせてこの作品はどういう位置にあるのか分析した上で、なぜ受け容れ続けることができるんだろうと不思議で仕方がないんです。私のほうがずっと保守的だと思ってしまいます。

五木 村山さんにはパワーがあるから。今は新しいサーガ、ストーリーの時代と言われていますよね。サーガは文学上だけではなく、企業や国家の歴史でもある。トヨタはトヨタの、アラブ諸国はアラブ諸国のサーガを作ろうとしている。日本にも平安時代や江戸時代のサーガがある。そういう中で、今の日本という物語を作り出す仕事は、とても大切なんじゃないか、と。村山さんはサーガを作り出す資質がある書き手だと期待してます。

村山 ここから肚をくくり直さないと! 親には頑丈に産んでくれてありがとうと、そこはほんとうに感謝しています。

(いつき・ひろゆき 作家)
(むらやま・ゆか 作家)

波 2026年3月号より
単行本刊行時掲載

好敵手としての三十年

佐藤賢一村山由佳

同期デビュー33年にして、初の対談が実現! 互いの作品へのリスペクトが溢れるあまり、焦りを抱いた時期もあったようで……。

村山 佐藤さんとは、1993年の小説すばる新人賞の同期デビューですが、対談は初めてですよね。

佐藤 そうですね。村山さんは『天使の卵』、僕は『ジャガーになった男』という作品で受賞しました。同じ月に新刊が出るのも、デビュー作を除いたら初めてかもしれません。

村山 『釣り侍』を読んでいる間は、とにかくお腹が空きました。私が小説で疎かにされて一番気になるのは、登場人物が何を食べ何を糧にして生きているのか、なんです。そしてこの枚数で、これだけのドラマを展開なさるのが、やはりベテランの技だと思いました。同じキャリアの私がベテランの技、と申し上げるのも何なんですけれど(笑)。釣りはなさるのですか。

佐藤 ちょくちょくやります。

村山 私も昔はよくしていましたが、波がスーッと低くなった時に海の中が見通せるという一瞬をとらえる描写があり、そこでいっぺんに著者を信頼しました。続編があると嬉しいです。

佐藤 僕も現代と戦中・戦後を行き来しながらシベリア抑留を描き切った『DANGER』の世界にもっといたいと思いながら、あっという間に読み終えてしまいました。村山さんの歴史を扱う手つきは僕とは違うので、「こういう書き方もあるんだ」と感心しましたね。それから『DANGER』の中の現代が1992年・1993年の設定で、まさに僕たちがデビューした頃。主人公の女性編集者や男性記者の年齢も、ちょうどデビュー時の村山さんと僕ぐらい。当時の色んなことが懐かしく思い出されるという、個人的な楽しみ方もさせていただきました。

村山 三十年も前のことなのに、つい昨日のことのように記憶しているんですよね。小説すばる新人賞の授賞式の日、佐藤さんは仙台から、私は房総鴨川から上京したのですが、家を出た時間が同じだった、という話をしたことを覚えています。

佐藤 僕も覚えています。仙台から二時間もかからないですよと言ったら、ちょっと待って、と仰られて。

村山 当時はまだ仙台に行ったことがなかったんです。ところで地方と言えば、『釣り侍』に出てくる方言のイントネーションも楽しかったです。あえて方言の意味は書かずに、グイグイ入れてある。昔の単位の説明もほとんどなく、時代小説だと現代の読者にわかってもらおうと説明過多になりがちですが、例えば、一尺、二尺だったら飛び越せるけれど、五尺になるとこの歳だと躊躇すると書かれていれば、それだけで尺の距離感が身体でわかります。私の文章もこうありたいなと思いました。

佐藤 僕はヨーロッパを舞台にしてきたので、説明をしないと始まらないところがあったのですが、それももう嫌だな、と思っていたんです。説明のせいでページ数が増えてしまいますし。だから今回は気持ちがすごく楽でした。架空の藩を舞台にした架空の人物の物語という意味では、初めての時代小説になります。

村山 初めてだなんて言われないとわからないくらい、ご自身のものにされている感じがします。時代小説に挑んだのには、何かきっかけがあったのですか。

佐藤 編集者から「時代小説もそろそろいいんじゃないですか」と言われて考えてみました。「何がそろそろなんだろう」とは、あとで思いましたが(笑)。村山さんが仰ってくださったように、釣りの経験者にしかわからない景色や手触りを、こういう形でまとめることができて良かったです。

村山 主人公の妻の明江さんのキャラクターもいいですよね。ひとこと多い感じや、嫌味にも褒めているようにも取れる言葉選びなど、夫婦のやりとりもリアルでした。

佐藤 村山さんの戦争の描写も、目の前で見てきたかのようにリアルでしたよ。シベリアの場面は、どう想像力を働かせたのでしょうか。

村山 私の父がシべリア抑留者で、経験を割合に話してくれる人だったというのが大きかったです。私が「腿にある傷はどうしたの」と聞けば、「シベリアにいた時に枝で突き刺してしまって、なかなか歩けなくて大変だったんだ」と答えてくれたり。ロシアの歌や文学も、父を通して子どもの時から身近にありました。シベリアを書いたのはほとんど初めてだったものの、頭の中に広がる風景は初めてではない感じがしました。それは父の置き土産ですね。

佐藤 村山さんは、ご自身や身近な方の体験から小説を作る、というスタイルが多かったと思うんです。でも『DANGER』は個人の体験を超えたスケールで書いていらっしゃって、本や資料など、自分と遠いものから世界を構築していく力も強く感じました。

村山 『風よ あらしよ』で初めて伊藤野枝の評伝小説を書いた時、歴史を扱うことにかなり戸惑いました。電気がきていたのか、行灯か、蠟燭か、というところから始まって、一行目を書くのにとても苦労したんです。『DANGER』でも、自分が生きていない時代を、見てきたかのように書くことへの葛藤はありました。戦争を生き抜いた方々から、こんなではなかったと言われるかもしれないし。だから歴史小説のプロである佐藤さんにそう仰っていただけて、ホッとしています。

佐藤 翻って、僕は逆なんです。資料で調べたものから絞り出して小説を書くスタイルでしたが、『チャンバラ』あたりから、歴史の知識からは出てこないものを書いています。自分が体験したことをストレートに書くというのを、この歳になるまでやってこなかったのかと、我ながら驚いています。

村山由佳

村山 『チャンバラ』で足の指が草の根に引っかかり、そこで踏ん張るという描写がありましたが、これは想像力だけではなく、暮らしの中で体得しているから書けるものだと思いました。外国の歴史をずっと書いてこられた佐藤さんが今、根源的な身体感覚へたどり着かれているというのは面白いですね。

佐藤 経験を書いていると自覚するようになったのは、ほんとうに最近です。今までも無意識にはしていたのかもしれないけれど、経験を直に出す感じではありませんでした。やはりどこか、歴史に乗っかる形で書いてきたと思います。

村山 私としては、歴史というあんな大きなものに、よく怖がらずに乗れるな、と思います。それはそれで大変なことです。

佐藤 でも第二次大戦はそれこそ大変なテーマなのに、『DANGER』からは当時の空気が伝わってきて脱帽でした。この時代の話はなかなか書きにくいですよね。

村山 資料は山ほどあれど、あと一、二年で実体験を語れる生き証人はいなくなってしまいます。書きにくいと思うところと、せっかく父からも受け継いでいるのに私がサボるわけにいかないという使命感みたいなものが両方ありました。ある文学賞の選考会でご一緒した選考委員のみなさんが「この候補作には匂いも味もない。登場人物が何を食べ、どういう匂いを嗅ぎ、何を見ていたか、著者は興味がないのでは」と仰っていたことがあって、匂いや味を書かないと歴史小説は立ち上がってこないと学んだんです。だから『DANGER』でも、登場人物が食べ物を嚙んだとき、どんな味がしているのだろうとか考え始めたら、頭から離れなくなりました。

佐藤 歴史とは直接関係のないディテールが、むしろ歴史小説の強度を高めると思っています。例えば、ナポレオンは食に淡白で、エネルギーを補給するためだけに食事をするような人でした。でも彼の妻の食卓は豪華で美味しいものだらけで、でないとこの家にはお客さんが来なかったでしょうね。今の人間と過去の人間がつながる瞬間は、そういうディテールに現れる気がします。

合わせ鏡のふたり

村山 佐藤さんはいつから歴史に惹かれるようになったのでしょうか。

佐藤 昔から好きでしたが、面白いと改めて思ったのは、大学生になって『三銃士』を読んだ時です。「ワインを飲む時、ビスケットはこうやって食べるのか」というところから興味が湧いて。大学は史学科ではありませんでしたが、卒業する頃がバブル期で、いつでも就職できるから大学院に行ってもいいかなと、軽い気持ちで進学したんです。でもバブルがはじけて就職できなくなり、本気で勉強するしかなくなってしまった。初めて小説を書いたのもその頃です。

村山 『ジャガーになった男』を読んだ時、小説はこんなに大きな噓をつけるんだとびっくりしました。当時、高校の同級生だった辛口の友人に「『天使の卵』には新しいものが何もないじゃん。『ジャガーになった男』を読んでみなよ。よく同時受賞したね」と言われてしまって(笑)。私にはできない芸当で、エンジンが違う、という感覚がありました。そして佐藤さんはデビュー七年目に『王妃の離婚』で直木賞を受賞されて。そのとき私、ほんとうに焦ったんです。私たちが同期ということは周りの誰も気にしていないだろうし、書くものも全く違うんだから、と思おうとはしたんですけれど。

佐藤賢一

佐藤 僕もデビュー直後は卑屈になっていましたよ。『天使の卵』は順調に版を重ねていて、並びで出してもらった広告も村山さんは大きくカラーなのに僕は小さくモノクロ。すぐに二作目が出せている村山さん、片やただの一枚も書けない僕。新人賞を取ると前途が開けたような気持ちになるけれど、デビューしたあとは、実はものすごいサバイバルだとわかってくる。そこで自分は生き残れるのかなと切実に思いましたね。二作目の『傭兵ピエール』が出せたのは、1996年です。

村山 山田詠美さんが絶賛していらして、書ける人たちの目にとまっているのがとても羨ましかったです。

佐藤 だからなんとかやっていける、生き残りをかけてやっていかなきゃいけないんだ、という気持ちになれて、自分がどういうものを書けるか、どういうものを書きたいかを考えるようになりました。ただ、我が道を行き過ぎた面もあります。僕が直木賞を受賞したことで、今後はヨーロッパ史の書き手が増えるだろうと思っていたのに、二十年経っても増えない(笑)。

村山 ほかの作家にとっては、もう佐藤さんがいるから、となりますよね。

佐藤 この縄張りを守らねばという気持ちと、これでいいのかなという気持ちの間で揺れることもありました。『ダブル・ファンタジー』で村山さんがいきなり脱皮したように感じられて、村山さんはどんどん次の段階に行くのに、僕はずっと同じことをやっている、この先は変えていかないと、と真剣に考えるようにもなりました。だから日本史や、歴史物というより時代小説寄りの作品を書くようになったのは、村山さんから刺激を受けた結果でもあります。

村山 でも私は私で、佐藤さんは一つのジャンルで重鎮のようになっていくのに、自分はフラフラしていて、恋愛小説、青春小説の書き手として軽く見られているのでは、だから直木賞の候補にすら上がらないのでは、と悶々としていましたよ。直木賞も、今まで書いてきたものと全く違う『星々の舟』でいただいたので、これからどういう小説を書けばいいのか、受賞後は道に迷う感じがあったんです。私には誰にも負けないと思える世界がなく、鯛が自分の身で出汁を取るような書き方をしながら、時に脱皮ができたかのように自らに信じこませようとする、というのを繰り返してきました。『風よ あらしよ』で、知らない歴史を必死に調べて提示する書き方を楽しんでいることに気づけた時、やっと自分の脱皮を信じることができました。

佐藤 『風よ あらしよ』での脱皮の時も、すごくショックを受けました。改めて格の大きさを見せつけられたと思うと同時に、これまで自分とは作風が全く違うと思っていたのに、僕も『最終飛行』でサン・テグジュペリを書いた時期だったので、伊藤野枝を取り上げた村山さんと「実はそんなに違わないのかも」とも考えました。

村山 この三十年間、お互いに合わせ鏡のように、意識していたとは思いませんでした。こんなに長くおしゃべりすること自体初めてで、デビューから今日までの間に話した時間を合計しても、十分に満たないですよね。ふたりとも、よく生き残りました。

佐藤 村山さんの小説を読むといつも「あ、村山さんだな」と思うのですが、デビュー時からそうでした。だから村山さんが先に売れて自分が取り残されても、これだけ世界を持っている人は売れるだろう、自分も頑張らなきゃ、と思えたんです。

村山 それを言うなら『釣り侍』でも、目隠しされてもわかる佐藤さんの洒脱な匂いみたいなものがありました。それを文体とくくると、こぼれるものがいっぱいある気がして、あえて匂いと言いたいです。

佐藤 文体だけではなく、作家から押し出される強烈な個性ということでしょうか。僕は基本、筆一本できましたが、これからの人たちはすごく大変だろうと思います。「新人賞を取っても仕事は辞めないでくれ」と編集者に言われてしまいますから。

村山 昨今、若い人に専業作家になることを軽くはお薦めできませんよね。そんな状況を打破しようと思うと面白い小説を書くしかないのですが、昔に比べると娯楽の幅が広がって、本を読むのに費やせる時間が少なくなってしまっています。でも、小説は面白いと声を大きくして言いたいです。『釣り侍』の御留め場にしても、私が見ているものと他の人が想像するものと、たぶん違う景色なのだろうけれど、私だけのものとして、ずっと頭に留めておくことができます。

佐藤 本来、小説は参加型の娯楽ですよね。作家と読者が共同作業で一つの世界を作り上げるという、ある意味、究極のロールプレイングゲームです。その楽しさを知ってほしい。出版業界が最も良かった頃から比べれば、初版部数も売れ行きも、だんだんと落ちてきています。「三十年、よく生き残りました」なんて、のんきなことを言っている場合ではないかもしれず、これからの三十年をどうするかを考えないといけないとも思います。僕らを選考してくださった五木寛之さんは今九十代ですが、三十年経っても、僕はまだ九十になっていませんから。

村山 デビュー三年目で五木さんと対談した時、五木さんはデビュー三十年でした。今の佐藤さんとそんなに年齢が変わらない人として私の前に座っていらしたのだと思うと、驚きです。ふだん、健康には気を付けていらっしゃいますか。

佐藤 年相応に薬を飲んだりはしていますが、これという持病はありません。作家を続ける上で、最終的に頼みになるのは才能よりも、健康や体力、みたいなところはありますよね。

村山 確かに、あと一晩頑張れる体力は必要です。ここで原稿を渡してもおそらく編集者からOKは出るけれど、妥協せずに身体に鞭打って、もうひと頑張りできるかどうか。そこを支えてくれるのは結局健康体なのかなと、年をとればとるほど思います。

佐藤 今年の夏以降に出る予定の本の原稿が4200枚くらいあって、これでも1000枚近く削ったのですが、削るのにも体力が必要なんですよね。削ることによって加筆が必要になったり、整合性の問題も出てきますし、それも含めて、体力はありがたいと思います。若い時は考えもしませんでしたが。

村山 三十年後もまた、好敵手としてお目にかかりたいものです。

佐藤 この歳ですから、三十年ではなく、十年ごとではどうでしょう(笑)。

村山 そうですね。お互い生き残って、十年後に再び乾杯しましょう。

(さとう・けんいち 作家)
(むらやま・ゆか 作家)

波 2026年3月号より
単行本刊行時掲載

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著者プロフィール

村山由佳

ムラヤマ・ユカ

1964年東京都生まれ。立教大学文学部卒。会社勤務などを経て、1993年『天使の卵──エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞、2009年『ダブル・ファンタジー』で柴田錬三郎賞、中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、2021年『風よあらしよ』で吉川英治文学賞を受賞。小説に「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズ、『二人キリ』『PRIZE』『しっぽのカルテ』、エッセイに『猫がいなけりゃ息もできない』『記憶の歳時記』など著書多数。

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