2011年3月11日、東北関東地方に発生した大地震では、多くの人命が失われました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
申すまでもなくこのたびの大震災では関東から東北の沿岸地域に津波による甚大な被害が出ております。地域の重要な足となる鉄道も、沿岸部で甚大な損傷を受け、未だ回復の見込みの立たない路線も多々あります。
編集部では4月から5月にかけて、茨城県の鹿島臨海鉄道から三陸鉄道北リアス線まで、沿岸部を中心に被災状況を取材してまいりました。このブログはその取材報告です。写真も一部公開いたします。
また取材中に撮影した写真は『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』写真サイトとして8月22日より公開しております。是非ご覧ください。
今回は自社メディアの宣伝をさせていただきます。小社には「@バンチ」という月刊コミック誌があります。来月10月から三陸鉄道を題材とした連載が始まります。「東日本大震災の記録」マンガ版ということになります。予告編では「マンガ版は三陸鉄道にスポットライトを当て、未曾有の災害に立ち向かう人間たちの熱いドラマを描く」と謳っております。本誌には「ドキュメント 乗客の証言」のページでタイトル通り地震発生時三陸鉄道の列車に乗っていた乗客の証言を掲載しておりますが、マンガでは乗客はもちろんのこと、乗務員をはじめ三陸鉄道の人たちが「あの時」何を考え、どう行動したのかをドキュメントドラマとして描こうという構想です。
9月21日発売の「@バンチ」11月号では、その予告編が掲載されています。その一部をここに紹介させていただきます。
気仙沼線最後の開通区間は、1977(昭和52)年の柳津~本吉である。宮脇俊三氏のデビュー作『時刻表二万キロ』の最終章には、開通日の沿線の喜びがユーモアたっぷりに描かれている。それはさておき、この間、陸前戸倉から陸前小泉までほぼ太平洋を右に見ながら走る。それだけに津波被害も大きかった。
取材中、大きめの石がごろごろしている印象があったのだが、調べてみると陸前横山から陸前小泉まですべて石積みの築堤上にあるのだ。写真はこれまで通り北から紹介する。なお陸前小泉は駅施設が完全に消失しているので割愛、志津川は回をあらためて紹介したい。
これまで大きな鉄道橋が流された現場をいくつも見てきた。山田線の第34閉伊川橋梁、大槌川橋梁、大船渡線の気仙川橋梁など。閉伊川橋梁は橋桁10本のうち6本が流されたが、橋脚は流されず、傾くこともなかった。大槌川橋梁は橋桁すべてが流され、一部橋脚も傾いていた。この2つは河口から数百メートルのところにある。気仙川橋梁は河口から3km以上も上流にもかかわらず、橋桁が流失、落下した。
この津谷川橋梁は河口から2km弱。橋桁すべてが流失し、橋脚もすべて上流側に傾き、鉄筋が剥き出しになるなど無惨な姿となった。
南気仙沼から南下すると松岩付近から気仙沼湾に沿って走る。松岩の標高は1.7m、次の最知が2.6mである。地震発生時、この2つの駅間に気仙沼発小牛田行き普通2942Dが走っていた。キハ48×2両。当初行方不明と報道された列車である。この列車のニュースはほとんど聞かなかった。乗客乗務員が避難したのち、築堤上に停止していた車両は、すぐ横の水田に押し流された。
5月27日、現場で半分に切断され、運び出された。
気仙沼線は前谷地~気仙沼72.8kmの路線である。最初の開通区間は1957(昭和32)年2月11日の本吉~気仙沼。支線の南気仙沼~気仙沼港(貨)の開通が1956(昭和31)年4月11日。ん? 日本鉄道旅行地図帳2号「東北」の編集中、この謎を解くのに時間がかかったのを思い出す。解いてみるとそれほど複雑ではなかったが、珍しいケースではあった。









































