2011年3月11日、東北関東地方に発生した大地震では、多くの人命が失われました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
申すまでもなくこのたびの大震災では関東から東北の沿岸地域に津波による甚大な被害が出ております。地域の重要な足となる鉄道も、沿岸部で甚大な損傷を受け、未だ回復の見込みの立たない路線も多々あります。
編集部では4月から5月にかけて、茨城県の鹿島臨海鉄道から三陸鉄道北リアス線まで、沿岸部を中心に被災状況を取材してまいりました。このブログはその取材報告です。写真も一部公開いたします。
また取材中に撮影した写真は『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』写真サイトとして8月22日より公開しております。是非ご覧ください。
南リアス線を訪れた5月2日、沿線は心地よい春の日差しが降り注いでいた。三陸駅のホームから見る越喜来湾(おきらいわん)の静かな碧さが目にしみた。この海が突然どす黒いヨダ(三陸沿岸では津波をこう呼ぶらしい)となって陸地を襲った。作家高山文彦氏はヨダについてこう解説する。「怪物でも呼ぶようなこの言いかたは、津波というものがまるで別世界のものではなく、つねに身近に存在する恐ろしいものとしてとらえられていたことを教えている」(『オール讀物』平成23年5月号)
三陸駅は難を逃れたが、同じ越喜来湾を望む甫嶺(ほれい)駅はよだの餌食になった。ホームは残ったが線路・路盤はずたずた。東大地震研究所の津波調査地点ともなり、15.5mの記録を残した。
すでに2区間で運転再開をしている北リアス線とは違い、未だ全線で運休が続いている。「トンネルを出ると津波被害」が南リアス線の状況。全線至る所で寸断されている。ホーム下の駅事務所が浸水した釜石から2駅目の唐丹。奥州藤原氏の唐との密貿易を起源とする説もある地名らしい。
唐丹駅は唐丹湾に面して、道路を隔ててすぐ前が海。地形からするとひとたまりもない感じがある。しかし、駅前の自動販売機等は流出したようだが、ホーム、待合室などはほぼ無事。われわれが訪れた時は、瓦礫が多少残っている程度だった。
大槌湾には2つの川が流れ込んでいる。ひとつは前回紹介した大槌川。大槌の惨状を後にして山を越えると、また惨状が目の前に広がった。鵜住居(うのすまい)川が大槌湾に注ぐ河口付近にできた平野部が鵜住居地区。ここは釜石市内である。築堤上の線路が消え廃線跡のようである。鵜住居橋梁を渡るとすぐに鵜住居駅。中世に鵜住居氏の居城がここにあったことから、この地名が残っているという。印象に残る地名である。駅は瓦礫の集積で何がどうなっているのかわからない状態だった。
車がトンネルを抜けると破壊された町が目の前に広がった。大槌川の手前海側の新港町では自衛隊が瓦礫の整理にあたっていた。その向こうに山田線の築堤から線路が斜めに落ち、切れているのが見える。大槌川橋梁の橋桁はすべて消失。東大地震研による津波の測定値は12.7mである。何もかもが破壊されている。
参考図書をふたつ紹介する。ひとつは昭文社『東日本大震災 復興支援地図』。B4版に津波被災地域を中心に編集してあるので、重宝している。津波浸水範囲に網掛けも施してある。売れ行き好調とのこと。山田湾に面している駅は前回紹介した陸中山田と織笠。取材時、織笠と次の岩手船越を割愛して先を急いだため、写真がない。その織笠は『鉄道ジャーナル』8月号が写真入りで紹介している。写真ではそれが駅かどうかわからないほど破壊されている。吉村昭『三陸大津波』(文春文庫)を持ち出すまでもなく、記録を残すことはメディアの最重要の仕事である。ファンの視点で記事を掲載することの重要さを『鉄道ジャーナル』の誌面は伝えている。









































