2011年3月11日、東北関東地方に発生した大地震では、多くの人命が失われました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
 申すまでもなくこのたびの大震災では関東から東北の沿岸地域に津波による甚大な被害が出ております。地域の重要な足となる鉄道も、沿岸部で甚大な損傷を受け、未だ回復の見込みの立たない路線も多々あります。
 編集部では4月から5月にかけて、茨城県の鹿島臨海鉄道から三陸鉄道北リアス線まで、沿岸部を中心に被災状況を取材してまいりました。このブログはその取材報告です。写真も一部公開いたします。
 また取材中に撮影した写真は『日本鉄道旅行地図帳 東日本大震災の記録』写真サイトとして8月22日より公開しております。是非ご覧ください。
(田中比呂之)


(1)では野蒜付近でL字に脱線したあおば通行き列車にふれた。この列車と野蒜で交換した石巻行き快速は、約600m走って上り坂の途中で停車した。こちらの列車は乗客全員が列車の中に留まり、津波をやり過ごし、さらに一晩を過ごしている。列車も乗客も無事だった。外は雪が降り、車内の温度も下がり、過酷な一夜となった。本誌p29「ドキュメント乗客の証言」で渋谷節子さんが生々しくその時の様子を証言している。

仙石線 <投稿日:2011年10月10日>

 3月11日の地震発生後、JR東日本は午後10時20分に、仙石線野蒜~東名を走行中の普通列車1本と連絡がとれていないと発表した。その後、発表時間は不明だが、午後10時半現在として、野蒜駅付近を走っていた列車4両がL字形に脱線した状態で発見され、乗客の安否は不明と発表した。地震直後の混乱の様子が伝わって来る報道である。
 地震発生時、野蒜付近には2つ列車が走行中だった。あおば通に向かっていたのが石巻発普通1426S列車、石巻に向かっていたのがあおば通発快速3353S列車。どちらも野蒜14時46分発だった。

仙石線 <投稿日:2011年10月06日>

 親の代から購読している朝日新聞に「目が覚める」記事が載った。10月1日付け朝刊である。看過できないので、ここに紹介したい。
「新駅、街づくりの中核に」「被災JR線、移設合意」という見出し。仙石線や石巻線で沿線自治体とJRが内陸移転に合意したという記事。「目が覚めた」のは後段の部分。交通手段見直しを求める声もある――として「8月に開かれた岩手県大船渡線の復興計画策定委員会では、『JR線復旧の必要はない』と委員から廃線を求める声が相次いだ。

大船渡線 <投稿日:2011年10月03日>

 原武史さんが「絶景」と強く推薦していた万石浦を見に行ったのは、2009(平成21)年6月だった。石巻線沢田付近から浦宿まで、万石浦の静かな水の風景を堪能し、浦宿で降りて「撮り鉄」も楽しんだ。その足で女川まで行った。どん詰まりの終着駅には、鉄道ファンを惹きつける魔物が住んでいる。
 大震災の数日後、新聞に載った女川の写真を見て、戦慄した。駅に停車していた列車の1両が丘の中腹にある墓の上に横たわっていたのだ。駅施設はホームを残してほぼ消滅し、ホーム横で温泉施設の休憩所として使用されていたキハ40も、駅から数百メートル離れたところに無惨な姿で横転していた。

石巻線 <投稿日:2011年09月29日>

 明治学院大学教授原武史さんのゼミ旅行に同行して、三陸沿岸を駆け足でまわってきました。原ゼミ13人の学生(女性11人、男性2人)に新聞社、出版社など記者・編集者9人が便乗参加、久慈から気仙沼まで1泊2日という強行軍のバスツアーでした。
 午前中に盛岡駅に集合した一行は、日本屈指の閑散路線JR山田線の快速「リアス」で宮古へ。三陸鉄道北リアス線の列車に乗り換え、通常運転よりかなり遅い速度で走る気動車で小本へ。駅前で待つバスに乗り込んで、バスツアーがスタート。まず島越駅へ向かいました。

三陸鉄道北リアス線 /JR山田線 <投稿日:2011年09月26日>





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