
それでも日々はつづくから
605円(税込)
発売日:2025/01/29
- 文庫
- 電子書籍あり
情けない日常でもいいじゃないか、今日も僕たちは生きている。共感度抜群のエッセイ集。
まーまー好きな人と号泣しながら観た、まーまーな映画。観客6名のトークイベント。疲れると無性に顔を見たくなる友人。「好きな男ができた」と3回ふられた彼女からの最後の電話。明日からつづく日々も案外悪くないと思える、じんわりと効く温かいスープのようなエッセイ集。大橋裕之氏のマンガとのコラボのほか、「締切」をテーマにした「考えるな、間に合わせろ」を文庫特典として収録。
疲れると人間に会いたくなるのだ
解放してあげるよ
「いま、広島だよ」と打ち込んで、結局、中目黒で降りていった
世の中はとにかくミュージシャンに甘い
四十代も半ばを過ぎて
暗証番号は1010、私の誕生日、10月10日
チーム『それでも日々はつづくから』
大橋裕之 マンガ 燃え殻 コラム 「目黒川」
俺さ、井上陽水と飯を食ったことあるんだよ
まーまー好きだった人
ナポリタン、インスタ映え前夜
プロドタキャン
「袋、いりますか?」「あ、大丈夫です」
家出少女とピンク映画
じゃあ、このまま行こうよ。熱海
食事、睡眠、マッチングアプリ
クレーマー クレーマー
バニラ♪ バニラ♪ バニラ♪ バニラ♪
お前、覚えてろよ
大橋裕之 マンガ 「ただの夏」
挫折だと思ったら左折だった
「お客」に必ず「様」を付けろという「輩」
この連載にファンレターが届いた!
なんならこのまま箱根湯本まで
誰も許さなくていい、生き延びてほしい
そもそも答えなんてないから
カニクリームコロッケ来なさすぎ問題
人生の松竹梅をまんべんなく味わう男
大橋裕之 マンガ 燃え殻 コラム 「カレーライス」
ピンクとグレーと無人島
すみません、サインもらっていいですか?
では一枚だけ頬杖ください
行け! いましかない!
人はトークイベントに行かない生き物です
ついに原作者先生役が回ってきた
暗闇から手を伸ばせ
大橋裕之 マンガ 燃え殻 コラム 「自称ミュージシャン」
世界は弱肉強食で出来ている
夢や希望よりも「生きてるだけで立派」な年頃
ブエノスアイレス発の銀河鉄道
「運命」と呼んで片付ける日々
魂がゾクッとする
好きな男ができたから別れたいの
ネットはあらゆるミシュランの巣窟
死にたいです、なる早で連絡ください
「どっちかというと消えたい」くらいの傷だらけで生きている
人間の取り扱い説明書
【文庫版特別収録】考えるな、間に合わせろ
解説
書誌情報
読み仮名 | ソレデモヒビハツヅクカラ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 朝野ペコ/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン |
雑誌から生まれた本 | 週刊新潮から生まれた本 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 208ページ |
ISBN | 978-4-10-100355-9 |
C-CODE | 0195 |
整理番号 | も-45-5 |
ジャンル | エッセー・随筆、ノンフィクション |
定価 | 605円 |
電子書籍 価格 | 605円 |
電子書籍 配信開始日 | 2025/01/29 |
書評
鎮静と高揚、女性エピソード多め
実は本を読む前に燃え殻さんご本人にお会いしています。三年前、ゆでたまご先生のコミック『キン肉マン』の連載四十周年記念パーティにご招待いただき、燃え殻さんと爪切男さんもいらしていて、ご紹介を受けてお話ししたり、写真を一緒に撮ったりしました。そのあと、おふたりの連載エッセイが載っていた週刊SPA!を買って読むようになり、去年は『キン肉マン』の座談会に呼んでもらい、おふたりの小説も読んでいた。燃え殻さんのエッセイは、ちょっとうれしいことや思い出したくもないイヤだったことなどが書かれ、「うわっ、俺もこういう経験した」とむかしの自分を思い出させてくれるんですよね。子どもの頃、スポーツをやっていて、プロレスラーをめざしてはいましたが、いかんせん明るい性格でなく、仲間を積極的につくるようなタイプでもなかったから、「凄くわかる!」と心のなかで燃え殻さんに呼びかけていました。
新刊の『それでも日々はつづくから』はゲラをいただき、まず通して読み、それから四、五回は読み返していると思います。試合と試合の移動中にパッとランダムに開いたページを読む。各エッセイは見開きの四ページで一篇となっていて、とても読みやすく、そのままつづきを読んだり、パラパラとめくり直したりしていました。職業柄、試合中はもちろんのこと試合前と試合後もアドレナリンが出つづけ、精神が昂ぶりすぎる状態がつづきます。トレーナーの先生から「試合の前と後で精神のスイッチをオンオフで切り替えた方が良い」と言われていました。このエッセイ集を読んでいたらリング外のテンションがどんどん落ち着いていった。試合に勝った日も負けた日も。スイッチがオフになって、精神は鎮静化していき、ふつうの状態に戻っていくような感じでした。
「ネットはあらゆるミシュランの巣窟」というタイトルのエッセイでは、チェーン店にすらミシュランの調査員気取りでネットで批評する人たちを取り上げ、「『お客様は神様です』は全国民でなく、朝礼で社員にだけ言うべきだった」と言い切り、わかりすぎる程、わかる。また、「ピンクとグレーと無人島」という一篇はNEWSの加藤シゲアキさんとラジオで対談したときの話で、加藤さんの本のあとがきの「なんの賞も獲らずに小説を出せているのは、僕がジャニーズだからと自覚しています」という一節を引用し、「数十万分の一の規模だが、僕もその気分はわかった」とツイッターのフォロワー数がハンパではない燃え殻さんは共感している。僕は新日本プロレスのリングに上がっていて、いま(チャンピオン)ベルトも持っており、おそらくそういうこともあって『キン肉マン』さんのパーティや座談会、このインタビューにも呼んでもらっていると思うんです。ですから、おこがましいとはわかっているけど、僕も燃え殻さんのように「数十万分の一」の「その気分」を味わい、なんだか加藤シゲアキさんのことが好きになっていました。
このエッセイ集は「『解放してあげるよ』」「家出少女とピンク映画」「『いま、広島だよ』と打ち込んで、結局、中目黒で降りていった」など女性にモテたり、別れたり、といった女性エピソードが多めな印象もあります。他人の怖さや勝手さなどネガティブなことが書かれてあるのに面白おかしくて、燃え殻さんの小説にも似て、希望でも絶望でもあるような、名前のつけられない感情に襲われます。どのエッセイも最後の一行のあと、「それでも日々はつづくから」という一文をつけたくなり、実際、つけられる。これ以上はない素晴らしいタイトル(書名)ですね。
一篇だけ、精神が落ち着くことなく、高揚させられたものがあります。それは燃え殻さん原作の『ボクたちはみんな大人になれなかった』が映画化され、プレミア上映で観に行ったときの話です。映画の中でむかし彼女に言われた言葉が女優の伊藤沙莉さんの声で再現されたのを聞いて、燃え殻さんは「恥ずかしながら落涙してしまった」。つづけて「あのときの彼女はもういない。ならば自分で自分を鼓舞するだけだ。大丈夫、君は面白い」と書く。こういった経験は僕にはなかったけど、リングに上がる前、スイッチが入りそうです。「君は大丈夫」だと僕も自分を鼓舞したくなっています。(談)
(エル・デスペラード プロレスラー)
波 2022年5月号より
単行本刊行時掲載
ダメな自分の愛し方
何年か前によく友人や知り合いから「燃え殻さんって知ってる?」と連絡をもらった時期があった。周りの友人曰く「とにかく椎木くんに読んでほしい!」「絶対好きだから!」と僕にぴったりの作家さんだということだった。その中には燃え殻さんと会ったことがある友人もいて、彼らに「どんな人なの?」とも聞いたことがあったが、「燃え殻さん自体が……? う~ん、会ってみたらわかるよ……」というようななぜか若干呆れているような答えが返ってきた。僕は「さすがにこんな文章を書く作家さんは曲者なんだろう……」と思うのと同時に、きっとこの感じであれば望まずともいつか自然に飲みの席でバッタリお会いできたりするんではないか? と思っていたが、それから今日まで僕が燃え殻さんに会うことはなかった。
それから数年後、「燃え殻さんの連載エッセイの書評の依頼が来ています。」と連絡があった。正直、燃え殻さんが別のバンドマンと交流があることも知っていたし、今まで別のバンドマンが似たような仕事をしている所も見ていたので、そんな会ったことのない男に私は簡単に抱かれないよ! という気持ちだったが、「ご本人が椎木さんを希望してくれたみたいです。」と言われ、僕の楽曲のことやTwitterのことを褒めてくれていると聞き、まんまとまんざらじゃなくなり、ありがたく二つ返事で受けることにした。
文章の上手さ、表現の豊かさは不思議で、どんなに恥ずかしい出来事、辛い経験、ダメダメなエピソードも美しく昇華してしまうことがある。最っ低な人間性も文章力と表現力があれば紙の上で美談になり輝くのだ。「結局、超ダメ人間じゃん!」と言われればそれまででも、そのダメさが愛おしく、癖になり、人を魅了することを、燃え殻さんははっきりわかっていると思う。そしてそれは恥ずかしい自分の助け方、辛い過去の自分への寄り添い方、ダメな自分の愛し方を、日記の中から燃え殻さんに教えてもらっているような気持ちにさせてくれた。各所に「あるある。」と思えることや、「そんなに卑屈にならなくても……」と思うようなことがちりばめられており、全ては燃え殻さん本人の自分の気持ちの吐露なのだが、まるで自分に起きたことのように想像できたり、目の前の友人の話を聞いているような感覚にさせてくれた。読み出すと早々に「世の中はとにかくミュージシャンに甘い」という見出しのエッセイがあり、きっと僕らにチクチクと何かを伝えてきているが、人の文句を書いても、さらに自分を下げて書くスタイルはズルいとしか言いようがないくらいに上手い。
きっと燃え殻さんが類い稀なる“愛されボーイ”であることは間違い無いと思う。昨今は人も作品も加工されて当たり前の時代である。写真の中で頭に耳が生え、顔がグレイ型の宇宙人みたいに小さくなって、実際と全くの別物になろうが、もう誰も違和感を覚えない時代である。その中で燃え殻さんが燃え殻というフィルターで加工していく世界はどうにもやるせなく、そして愛おしい。自分の書く文章への酔い方が、こんな僕でよかったら……という愛されるまでの待ち方がこんなにもわかっている人は“愛されボーイ”であるに違いない。言い方を変えたら“愛され方わかってるボーイ”に違いない。降り注ぐ不幸を、恥を、辛さを、全部自分のガソリンにしてしまうのだと思う。それは言い換えれば人の不幸もその人のガソリンにしてあげることができる人だということだ。燃え殻さんの加工フィルターで人生を切り取れたら、もっと自分を愛せる人たちが増えると思う。
あの日、友人が答えた「燃え殻さん自体が……? う~ん、会ってみたらわかるよ……」という言葉の真相はわからない。本当は自己プロモーションに長けた計算高い完璧人間なのかもしれない。それはわからないけど、僕はこんなエッセイを書く人は、どうかちゃんとダメ人間でありますように、と願っている。転んでも、流されても、サボっても、嘘をついても、誰かに刺されても、最後は愛される文章を書く男は、本当に文章が上手すぎるだけで、自分に酔っているだけの最低な男でありますように、と願っている。
なぜなら、完璧ばかりが増える世の中で、僕らが触れたいのは不完全だからだ。ダメ風じゃダメで、ダメじゃなきゃダメなんだ。エッセイ集『それでも日々はつづくから』は僕からしてみれば“ダメな自分の愛し方”だった。
(しいき・ともみ My Hair is Badボーカル、ギター)
波 2022年5月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ

書いても成仏しないけど
数々の連載を抱えるふたりが語り合うエッセイの急所、別世界への憧れ、許せないやつ、ラッキーモテ……
穂村 燃え殻さんは1行で世界を書き換えることができる方だと思うんです。今回文庫化された『それでも日々はつづくから』の「魂がゾクッとする」っていうエッセイ。そこに「『大浴場』と書かれた暖簾をくぐると、そこは小浴場だった」という文章が出てきますが、全く同じ体験をした記憶がなくても、その場の様子が鮮明によみがえってくる。そういう1行があることで、一つの世界が可視化される体験がたくさんありました。
燃え殻 嬉しいです。僕はものすごい読書家というわけではないのですが、穂村さんのエッセイは若いころから好きで、ずっと読んでいたので。
穂村 今回、対談相手に僕の名前を出してくださったとか。
燃え殻 お会いして訊いてみたかったことがあったんです。自分もエッセイを書くようになってから、穂村さんの書くものには演出ってどのくらい入っているのかな、と気になるようになって。僕は小説だとかエッセイだとかよく分からないままに書き始めたので、特に最初の頃はリアルなエピソードをぎゅうぎゅうに詰めこんでしまったんですが……。
穂村 以前はでたらめばかりでしたよ。フィクションですらないような、言葉遊びの感覚で書いていました。でも、だんだん自信がなくなってきた。今は、現実に見たものの向こう側にもう一つの世界を探したいという気持ちが強くなっています。
燃え殻 演出どころか、完全な物語もあったんですね。
穂村 短歌の世界もそうですが、現実のほうが思いがけないってことは、昔から知っていたつもりなんですけどね。たぶん体質なんでしょう。以前から燃え殻さんがお好きだとおっしゃっている大槻ケンヂさんや中島らもさんも、現実世界との接触感があまりよくない方たちで、別世界への憧れが常に流れている気がしますよね。異界への扉は見つからないんだけど、いつもそれを無意識に探しているイメージがある。燃え殻さんからも似た印象を受けました。
燃え殻 本当ですか。
穂村 はい。あとは、すぐには正解がわからない感じを書くのがものすごくうまい。最近は「おまえに正解を教えてやる」という論調が多いでしょう。「これは日本人の9割が知らない。そしてお前はその9割だぞ。そのまま生きていていいのか?」みたいなね。そういうのばかりだから、燃え殻さんの文章はほっとします。
「嫌なやつ」を書けますか?
穂村 燃え殻さんとはシンクロする部分を感じる一方で、やはり「燃え殻」というペンネームには驚きました。最初知った時は、人名だと気づかなかったくらい。ただこれは、個人差というより世代差ですね。その後、phaさんだとかこだまさんだとか続々と人名らしくない名前の人がネットの世界から出てきて……新世代感があります。
燃え殻 ミュージシャンでも顔を出さない方が増えてきている。そんな感じでだんだん名前も消えていくんですかね。
穂村 そうかも、順番にね。昔は作家の住所も、本の奥付に載っていましたから。住所が消えて、性別も個人情報としての意味合いが強くなって。名前さえ曖昧になっていくのかもしれません。あと自分との違いと言えば、燃え殻さんはけっこう「嫌なやつ」のことを書きますよね。しかもかなり実在感のある。
燃え殻 書きたくなりますね。
穂村 僕は書けないんですよ。それはたぶん相手のことを許してないから。本当に憎んでいると、書けない。
燃え殻 許しているのかなぁ。あまり自覚はないんですが。
穂村 読んでいて「自分もダメだから、ダメなやつも受け入れる」というお互いさま感があるような。
燃え殻 そういった気持ちはあるかもしれません。
穂村 だから、燃え殻さんはけっこう心が広いんじゃないかと疑っていて。この本のなかに、東芝EMIからデビューするから辞める、と宣言する先輩の話がありましたよね。
燃え殻 「自称ミュージシャン」ですね。
穂村 そう。嘘をつく人の話。彼がお別れの日にそうあいさつしたら、みんなも泣き笑いしているような感じになったっていうのが、すごくハイレベルな話に感じて。みんな嘘だって分かってるわけじゃないですか。でもある種許してるし、共感もしてるし、頑張れよ感も加わっている。他にも……この話(「バニラ♪ バニラ♪ バニラ♪ バニラ♪」)に出てくる人も嫌だったな。「いまのお前には絶対にわからないよ。どうしてわからないか、わかる?」って説教する制作会社の社長。でもふつうにいるよね、こういう人。
燃え殻 ふつうにいます。しかも、偉くなったりするんですよ。以前、編集者に「書いたら成仏しますから」って言われたことがあるんですが、地縛霊みたいになっちゃって、成仏なんか全くしない(笑)。
穂村 その場でやり返すという方法は見つからないんですか?
燃え殻 怒りの感情が出てくるのが遅いんですよ。その場では「あ、はい」とか言って聞いちゃって、帰ってお風呂入ってシャワー浴びている最中に「あれはないだろう」とか思い出すんですけど。まぁでもその時全裸なんで、怒る相手も話す相手もいない。タイムラグがすごいんですよ。
穂村 わかります。それで昔、嫌いな人のことを「指を鳴らしたらあいつが消えればいいのに」って言ったら、友達に「それは人間として最悪だよ」って諭されたんです。「それくらいなら刃物でそいつを刺したほうがいい」って。なんとなく言わんとしていることは分かるんですけど……。指を鳴らして消すというのは相手が何も知らないうちにできてしまいますが、刃物で刺すのは一応人間として対峙しなければできない行為ですから。でも、刺すのって大変ですよね?
燃え殻 ……後でめちゃくちゃ怒られますね。
穂村 そう。法廷で「指をパチンと鳴らして消すよりは最悪じゃないんですよ!」とどれだけ主張しても、社会的には理解されないですよね。だけど倫理的には友達が言うことも「確かにな」と思う。
燃え殻 そうですね。ちゃんと相手に向かって怒って、そのあと怒りの感情を忘れられる人のほうが生きやすそうです。僕は、エッセイに書いてもずーっと覚えてますから(笑)。
ラッキーモテは難易度が高い
穂村 もうひとつ、燃え殻さんの文章を読んでいて勇気あるなと思うのは、けっこうモテた話を書く。尊敬します。
燃え殻 大槻さんも書いていたので、そういうエピソードも書くものだと思ってて。「全部書こう!」と。

穂村 みんなつい回避してしまうところですよ。しかも結構、ラッキーみたいなモテを書きますよね。電車の中で、手すりを持っていたら、女性にぴたっと手をくっつけられた話とか(「なんならこのまま箱根湯本まで」)、そんなこと起こる? みたいな出来事がたくさん出てきます。
燃え殻 起こるんですよ! そのまま書いているのに「これ嘘だろ」って言われる。でもみんな言わないだけで、こういうこと実はけっこうありますよね?
穂村 ないですよ!

燃え殻 そうかなぁ。穂村さん、書いていないだけじゃないですか? だって、絶対モテるでしょう。
穂村 うーん。それは違う気がします。「いいひと」みたいにふるまって好かれることは簡単なんですよ。講演だとか、サイン会だとか、自分を歓迎してくれる場所でニコニコしているなんて問題なくできるでしょう? でも、緊急時……突発的に誰かを助けたりとかはできない。昔、冬の札幌に恋人と行ったとき、彼女が滑って転んだんですよ。僕は咄嗟に「キャッ」と言って、繋いでた手を離しちゃったんです。そしたら彼女が「なんか分かった気がする」って。その状態ではもうどんな言い訳もだめじゃないですか。だからね……あれ、何の話をしてました?
燃え殻 ラッキーモテの話です(笑)。
穂村 それだ。だからまぁモテないんです。ラッキーモテは、僕には難易度が高い。そういえば燃え殻さんは、モテの話を書いても、炎上しないですね。
燃え殻 そういう話はネットでは書かないんですよ。
穂村 紙だと燃えない?
燃え殻 そう。紙は不燃。ネットは可燃です。
その場の空気感を作りだす
穂村 星新一さんは、内容を読者に最大限伝えるために決めていたことが多かったようです。麻雀を知らないひとが読むと意味が分からなくなるから麻雀は出さないとか。「ダイヤルを回す」だと電話のシステムが変わった時に通じなくなるから「電話をかける」と書き直すだとか。
燃え殻 僕は逆に、固有名詞をどんどん出したいです。古くなっていくのも、またいいなと思ってしまう。
穂村 その時代の空気感を大事にしたいということですね。
燃え殻 最初に『ボクたちはみんな大人になれなかった』をネットで出したときに、ラブホテルで有線から流れてる曲がレベッカだったんですよ。でも、本にするときに宇多田ヒカルに変えたんです。そのほうが、絵が見えると思って。
穂村 どんな固有名詞にするかによって感触が変わりますね。
燃え殻 そこが僕はちょっと面白いなって思うポイントです。
穂村 固有名詞以外でも、燃え殻さんは空気感を作りだすのが上手いですよね。先ほど話に出た「自称ミュージシャン」もそうです。ストーリーだけではなくて、場の空気も一緒に読んでいるような気持ちになる。冷静に考えれば何も泣くことはないし、いい話でもないんだけど……。でも、全体としてすごく「真実」という感じがするし、ぐるっとまわって入ってくるものがある。それはきっと、燃え殻さんが書いてくれなければ消えてしまうゾーンなんだろうと思います。
(もえがら 作家)
(ほむら・ひろし 歌人)
著者プロフィール
燃え殻
モエガラ
1973(昭和48)年神奈川県横浜市生れ。2017(平成29)年、『ボクたちはみんな大人になれなかった』で小説家デビュー。同作はNetflixで映画化、またエッセイ集『すべて忘れてしまうから』はDisney+とテレビ東京でドラマ化され、ほかにも映像化、舞台化が相次ぐ。著書に、小説『これはただの夏』『湯布院奇行』、エッセイ集『それでも日々はつづくから』『ブルー ハワイ』『愛と忘却の日々』『夢に迷ってタクシーを呼んだ』『明けないで夜』など多数。