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カゲロボ

木皿泉/著

649円(税込)

発売日:2022/05/30

  • 文庫
  • 電子書籍あり

心に刺さって抜けない感動。『昨夜(ゆうべ)のカレー、明日のパン』の木皿泉が贈る連作短編集!

人間そっくりのロボット「カゲロボ」が学校や会社、家庭に入り込み、いじめや虐待を監視している――そんな都市伝説に沸く教室で、カゲロボと噂される女子がいた。彼女に話しかけた冬は、ある秘密を打ち明けられ……(「はだ」)。何者でもない自分の人生を、誰かが見守ってくれているのだとしたら。共に怒ってくれるとしたら。押し潰されそうな心に、刺さって抜けない感動が寄り添う、連作短編集。

目次
はだ
あし
めぇ
こえ
ゆび
かお
あせ
かげ
きず

書誌情報

読み仮名 カゲロボ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 100%ORANGE/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 288ページ
ISBN 978-4-10-103961-9
C-CODE 0193
整理番号 き-50-1
ジャンル 文学・評論
定価 649円
電子書籍 価格 649円
電子書籍 配信開始日 2022/05/30

書評

質感、味、匂いを読む

東かほり

 母が小説家ということもあり、本に囲まれたリビングで日々を過ごしていた。喧嘩をしている時も、ラジオ体操をする朝も、いつも本の背表紙が目に入ってくる。好きなタイトルは声に出してみたりした。いい言葉は声に出すと気持ちがいい。小説も同様に時々声に出して読む。そういった姿を人に見られまいと周囲を警戒していると、妙な動きになりロボットのようだな、とよく思う。そして街に出ると、そんな動きをしている人は稀にいる。
 世の中に人間のふりをしたロボットが紛れ込んでいる気がしているのは日頃からだが、この本を読んでさらにその気持ちが強まった。『カゲロボ』だ。作者の木皿泉さんといえば、最も好きなドラマ「すいか」から夢中になった夫婦脚本家である。本作も、見逃してしまいそうな生活の愛おしさがたまらないと思いながらも、背けたくなるような世の中の問題に、いつの間にか目を向けることになる。「かお」という章のふたりの少女のことを想うと涙がでた。生きていることに本物も偽物もないのに、自分が正しいと押し付けるような言葉ひとつで、誰かが死ぬ。
 ここぞというときにつくるエビフライの尻尾のこと、お土産の稲荷寿司を待つ時間、くるくる靴下や空豆の黒いスジのこと。些細なことに興味を持ち生活を愛せる人間は、ユニークな生き物で安心するし、不安にもなる。人は何かを取り繕っていると、人間らしくしようとしてしまうのはなぜだろう。気がついてないだけで、人間はロボットになっているのかもしれない。

木皿泉『カゲロボ』書影

 30歳になったばかりの頃、「このまま私はひとりで生きていくしかないんだ」とファーストフード店で号泣し、友人を困らせていた。彼氏と別れたばかりのヤバい精神状態でハンバーガーなんて食べるもんじゃない。そんな私の前で友人は、「大丈夫、私がいる」と言い、ポテトを食べた。今欲しい、ちょうどいい言葉と行動であった。

よしもとばなな『どんぐり姉妹』書影

『どんぐり姉妹』を読んでいる時、そんな感覚が寄り添ってくれる。そうそう、こんなふたりでいられるならば、別に結婚なんてどうでもいいと思わせてくれた救いの本だ。「こだわってなければ、やがて傷はふさがり、幸せはどこからでもにゅるにゅる出てくる」。
 なんてちょうどよく染み入る一節なんだろう。ときおり出てくる料理がおいしそうなのもたまらない。深夜のサムゲタンも、冷たい空気の中で飲むあたたかいお茶の風味も、味わうように読んだ。腹ごしらえをして、時々やさしくない現実に立ち向かえばよし。
 小学生の頃、祖母の家に夏休み中ひとりで預けられたことがあった。なんて暇なんだ。好きだと言ったら大量に出された肉や刺身。普段は少しずつしか食べられないご馳走が山盛りだった。そこで気がついたが、ご馳走は少量がベストだ。少ないから、あんなにおいしかったのだ。それから、そうめんには決まってミニトマトがのっていた。ほんとうは苦手だと言い出せなかったミニトマトを軽く噛み、汁が出る前に丸呑みにした。喉を通り抜けていくぬぺっとした皮の感触。『すいかの匂い』は、そんな少女時代に感じたゾッとした感覚を、じわじわと思い出させてくれた。知らないのに知っている、怪談のような夏の日常。無邪気なお葬式遊びや、口の中で鬼灯の実を弄ぶ音。他人の家の匂い、耳鼻科の銀色の器具の冷たさも、自分の記憶とごちゃ混ぜになる。どうかしてしまうほど生々しく描写されているからだろう。漢字やひらがなを巧みに混ぜて表現しているからか、独特のリズムで読み進めてしまう。言葉で作り出す芸術に震えた1冊。

江國香織『すいかの匂い』書影

 質感、味、匂いを感じるこの3冊は、これからも時折読みかえして生きようと思う。そしていつか映像にできる日が来たらしあわせだ。

(ひがし・かほり 映画監督/グラフィックデザイナー)

波 2025年3月号より

作り話が本当になるとき

高山なおみ

 このところ私は、木皿泉さんの新しい小説を毎日一話ずつ読んでいる。はだ、あし、めぇ、こえ……という題のついた短編。めぇとは目のことだし、こえに続くのは、ゆび、かお、あせ、かげ、きずと、全部で九編。すべてが体の部位や、体から生まれる言葉でできている。
 それぞれの物語のなかには、必ずしもその名で登場するわけではないけれど、「カゲロボ」と呼ばれるものが出てくる。カゲロボは、人や猫そっくりに作られたロボットのようなものらしい。「こえ」のは、ブルッと震えたら放尿したい合図なので、トイレに連れていかなければならない長方形の重たい箱だったけど。カゲロボたちには監視カメラが内蔵されており、職場や学校、あるときはヘルパーさんになって家庭にまで入り込み、虐待やいじめがないか監視をするという。
 ほんとうをいうと私は、SF小説が苦手だ。これまでにおもしろいものを読んだことがないのかもしれないけれど、奇想天外すぎて実感がわかず、あちこち連れまわされるだけ連れまわされて、とりとめのないまま終わってしまう。
 木皿さんの書くものは、いくら人工知能を持ったロボットが出てきてもそんな目にはあわない。ちょっと突飛に思えるかもしれない設定も、奇想天外というのとは違う。
 物語のなかにはいつも、少しだめなところのある主人公がいて、その人のことをとても丁寧に描く。まわりの空気にすっと馴染めず、迷っている間にみなどこかへ行ってしまって、気づけばぽつんとしているような人たち。そして彼らのことを、木皿さんは最後まで見放さない。
 出てくる人たちはロボットだろうが何だろうが、血が通っている。もっといえば街も学校も会社も通勤電車も、私たちがよく知っている世界だ。私が幼いころには、もう少し頑丈に見えていたこの世界も、今ではすっかりたよりなくなった。いつ何どき、大変なことが起こって壊れてしまうかもしれない、あやふやでつかみどころのない現実を、子どもも若者も中年も老人も目をつぶって生きている。木皿さんが描くのは近未来の話なんかではなく、この世の片隅で確かに起こっていることなのだ。カゲロボはたよりになる。彼らのおかげで、人々は生きている実感を取り戻せるのだから。
 木皿さんの小説がもとになった、テレビドラマの料理を担当したことがある。筆が遅いという木皿さんの噂は本当で、二、三日後に撮影する予定の台本が、ロケ現場のテントに設置されたファックスに、カタカタカタと送られてきた。それでも私たちスタッフは一丸となって、テレビに映らないかもしれないどんな小さな物でも、台本通りに作り上げようと、走りながら道具をつかんで本番に挑むような日々を送った。
 台所で次の撮影用の料理を支度していた私は、小窓を照らすオレンジ色が、照明さんが作ったいつもの夕陽なのか、本物の夕陽なのかわからなくなり、窓を開けて確かめたことがある。みんな、本気だった。本気で木皿さんがこしらえる偽物の世界を、再現しようとしていた。
 木皿さんが書かれるものは、脚本でも小説でも、木皿さんが見た、聞いた、嗅いだ、食べた、触れた、感じた体の記憶からできている。書けなくて、書きたくなくて、それでも書かないといられなくて、もんどり打った末に生まれた作り話は、本当の話になって立ち上がる。
 きのう私は、「かお」を読んだ。中二になっても初潮がこないミカという少女と、彼女そっくりに作られたアンドロイドのミカ弐号、ミカが生まれてすぐに離婚した両親の物語だ。
 お昼前で、窓には青空が広がっていた。木皿さんと同じ神戸に暮らす私は、海の近くの小さな駅はあそこだろうかと、いちどだけ訪れたことのある街の、くねくねしたせまい坂道を思い浮かべながら、ベッドに寝転がって読んでいた。
 実の娘とアンドロイドの見分けもつけられない両親。母の希望で、お互いの娘を取りかえることになった父がミカのために作った夕飯は、目玉焼きに炒めたソーセージが二本で、「いやというほど」ケチャップがかかっていた。
 木皿さんの小説のように、坂の下に広がる海。銀色の電車がごとんごとん走り抜けてゆく。私は読みながら、潮の香りも鼻に感じていたと思う。
 途中から私はたまらなくなった。まるですべてがここで起きていることのようだった。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら読み終えたとき、分厚い小説を一冊読み終えたような感じがしたのだけれど、時計を見たら、たった二十分しかたっていなかった。

(たかやま・なおみ 料理家・文筆家)
波 2019年4月号より
単行本刊行時掲載

作家自作を語る

著者プロフィール

木皿泉

キザラ・イズミ

和泉務と妻鹿年季子による夫婦脚本家。テレビドラマ作品「すいか」で向田邦子賞、同作と「Q10」「しあわせのカタチ〜脚本家・木皿泉 創作の“世界”」でギャラクシー賞優秀賞受賞。他の脚本に「野ブタ。をプロデュース」「セクシーボイスアンドロボ」「富士ファミリー」など。2013(平成25)年に刊行した初の小説『昨夜(ゆうべ)のカレー、明日のパン』は山本周五郎賞候補、本屋大賞第二位となった。2018年『さざなみのよる』でも本屋大賞にノミネート、続く小説第三作の『カゲロボ』で二度目の山本周五郎賞候補となる。エッセイに『二度寝で番茶』『木皿食堂』など。

判型違い(単行本)

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