犬も食わない
693円(税込)
発売日:2022/12/23
- 文庫
- 電子書籍あり
全国書店で続々1位を獲得した大重版の共作小説、文庫化! 豪華約30pの両著者対談を収録。
派遣秘書の福は雇い主と出かけた先のビルで、廃棄物処理業者の大輔とぶつかった。ろくな謝罪もない舐めた態度に激高した福は罵詈雑言の限りを尽くし、大輔は一言でやり返す……そんな最悪な出会いから始まった。ベッドの半分を占める体は邪魔だし、同じシャンプーが香る頭は寝癖だらけ。他人の「いいね」からは程遠い、喧嘩ばかりで格好つかない恋愛の本音を、男女の視点別に描く共作小説。
フライドポテト 尾崎世界観
煙草コーヒー 千早 茜
体温計 尾崎世界観
古い鍋 千早 茜
江ノ島 尾崎世界観
ひとり相撲 千早 茜
尾崎世界観×千早 茜
書誌情報
読み仮名 | イヌモクワナイ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 『魚喃キリコ 未収録作品集』[上](魚喃キリコ(C)東京ニュース通信社)より/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン |
雑誌から生まれた本 | yom yomから生まれた本 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 288ページ |
ISBN | 978-4-10-104451-4 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | お-112-1 |
ジャンル | 文学・評論 |
定価 | 693円 |
電子書籍 価格 | 693円 |
電子書籍 配信開始日 | 2022/12/23 |
書評
ありふれていて、どこにもない
なんでそんな人と付き合ってるの? と友達から呆れ顔で突き放される恋は珍しくない。言ったことがある人も、言われたことがある人も、星の数ほどいるだろう。
相手のどこが好きかなんて説明できない、なんならもう一緒にいて不快な思いをすることの方が多いのに、なぜか別れられずにずるずると付き合い続けてしまう。ずっと続ける覚悟もないのに、本当に続けたいのかもよく分からないのに、漫然と続けてきたから関係性はとっくに傷み、心にも体にも毒にしかならないって分かっている。それでもあれこれと理由をつけて、別れない。そんな、友達に説明しにくくて理解もされない、ともすれば十数年後に黒歴史扱いすることになる恋は、とてもありふれているのに、なかなか小説には描かれない。
なにせ友達ですら「なんでそんな人と付き合ってるの?」と首を傾げる恋だ。もしかしたら読者にも「この二人、早く別れればいいのに」なんて思われるかもしれない。分かりやすくてきらびやかな、結婚式のプロフィールムービーに編集しやすい恋の方が、理解されやすいし、書きやすい。
『犬も食わない』はこの世に多く存在する、だけど言葉にされてこなかった「理解されない」恋の物語だ。
千早茜さんが描く女性主人公、派遣秘書の二条福は、頭に血がのぼると普段の行き届いた社会人の仮面をかなぐり捨て、投げやりで攻撃的な「間違った」選択を行ってしまう。その「間違い」がいつも彼女の人生に予期せぬ厄介ごとを呼び込む。
尾崎世界観さんが描く男性主人公、廃棄物処理会社に勤める桜沢大輔は、自分を取り巻く物事への好悪を感じるアンテナが鋭く、日常の様々な場面で精密に喜びや怒りを感じ、その感情の起伏に沿って行動している。逆に、自分の感情から逸れて少しでも欺瞞を感じる行動は一切取らないし、取れない。そうした内面の推移を言語化して他者と共有しないため、やたらと突発的かつ意味不明な行動をとっているように見える。
福も大輔も、比較的穏当に体裁を整えた外向きの顔と、どうしようもなく行き詰まる内向きの顔がある。二人は出会って早々に罵り合い、恋仲になったあとも居心地の悪さを感じ、部屋のなかの体温計の置き場所すら同意が形成されないまま、大小の喧嘩を繰り返す。時に福は大輔を「将来性の欠片もない意味不明で馬鹿な男」だと感じ、大輔は福を話し合う対象ではなく自分にとって心地よい状態を維持するために「長期戦に持ち込んで、弱ってきた所で一気に仕留め」る対象として見ている。読んでいて、お互いにどこが好きで付き合ったんだろう? と思うが、二人はそれを言語化しない。むしろ怒濤のように押し寄せる日常のつまずきや、こう在りたいと願っても些細なことでまだらに歪む自己像に翻弄される、極めて現実的な二人の暮らしを見ていると、好きの言語化なんてしない方が自然だ、とすら思えてくる。
明言されないのに、なぜ二人が離れないか、感じ取らせる力を持っているのがこの小説の凄いところだ。いちごミルクの甘ったるい飴を床にぶちまけて犬のようにわめく福から、埃臭いクローゼットの中で汗をかいている大輔から、目が離せない。それはおそらく、その人が本当なら誰にも見せたくなかっただろう、どうしようもなく行き詰まった内向きの顔、「最悪」の状態を見てしまったからだ。その人がへたり込んでいる床の、ぎょっとするような冷たさ、居心地の悪さ、恥と限界を見て、なにかを感じてしまった。嘲り、侮り、憐憫、嫌悪。湧き上がった様々な感情のごった煮を飲み下すと、それは生ぬるい愛着に変わっていく。
「最悪」を一つ越えるたび、別れるきっかけも減る。相手を知るということは、その相手と結びついてしまうという意味で厄介だ。厄介だけど、その厄介さが関係を、他のなにとも替えがたい唯一のものにしていくのかもしれない。
「犬も食わない」関係の二人は通じ合わない。心どころか、言葉すらまともに交わすことはない。隣り合ってすらいない。だけど、お互いの「最悪」な姿を知っている。取り繕うこともできず地べたに座り込んだ姿を、一人と一人のまま、それぞれに心もとない尻の冷たさを感じながら眺めている。
ありふれていて理解されない二人の関係は、厄介なくらい唯一無二だ。理解されないだけでなく、理解される必要のない恋でもある。もしかしたら誰もがそうなのかもしれない。言語化されず、褒め言葉なんて一つも出てこない、だけど手放しがたくて他のどこにもない、唯一無二がそこにあるのかもしれない。
なんでそんな人と付き合ってるの? なんて、この小説を読んだら二度と言えない。
(あやせ・まる 作家)
波 2023年1月号より
間違えた先で出会ったふたり
尾崎世界観と千早茜の共作小説『犬も食わない』では、間違えた先で出会ったふたりの男女が、間違った果てに行き着く生活が描かれる。
派遣の秘書として働く福と、廃棄物処理業者の作業員として働く大輔。ふたりの出会いは最悪だった。大輔はスーツ姿の福と自分の境遇を比べ、世間へのちょっとした復讐のようなつもりで、わざと彼女とその上司にぶつかり、尻餅をつかせる。福はというと、そんな大輔にブチギレるのだが、読んでいてひいてしまうくらい口が悪い。それに対して大輔も、「よく吠える犬ですね」と彼女とその上司に放つのだ。
最悪な出会いをした福と大輔だが、どうしてか肉体関係を持ってしまい、なりゆきに任せるように福の部屋で共に暮らし始める。
そしてその暮らしは、相手への恋愛感情ではなく、自己満足や惰性によって成り立っている。というより、恋愛や愛のようなものの中にある自己満足や惰性に焦点を当てたのが『犬も食わない』という小説なのだ。
ふたりの関係にあるこの惰性の部分、「気づいたらそうなってしまった」とでもいうべき部分をより体現するのが、尾崎が描く大輔という男だ。
千早が描く福は、口が悪いがなんだかんだ世話焼きだ。大輔はそんな福に世話を焼いてもらってばかりいる。一見するとふたりは「ダメ男と彼から離れられない女」というステレオタイプな男女関係にあてはまる。それは間違いではないのだが、不平不満を口にし、行動原理がわかりやすいとも言える福とは対照的に、福のことが好きでもないようなのに共に暮らす大輔は、どこか不気味だ。
物語の序盤、福と出会った当初の大輔もまた彼女に負けず劣らず口が悪い。福に誘われて赴いた写真家とミニマリストのイベント、その打ち上げの席ではミニマリストに対して「捨てる事で飯食ってるんだろ。じゃあ死ねよ。もう命を捨てろ」と放ったり、カメラマンの“世界観”に対して腐したりする。ルサンチマンとでも言うべき大輔のまなざしは、人に対してだけでなく目の前の景色にも向けられる。たとえば、イベントの会場である複合型商業施設や打ち上げの会場、それらが醸し出す価値観に対しても彼は辛辣だ。少しメタ的な見方になるが、大輔が語り手として執拗な描写をするということ自体に、彼の不安や苛立ちが潜んでいる。つまり、彼が描写をすること自体に必然性があるのだ。
そんな大輔は、物語が進むにつれて微妙な変化を見せていく。
福の部屋に転がり込み、働きに出ているとはいえ、生活のほとんどを福に依存する大輔だが、そのことによって彼自身の虚無さが浮き彫りになっていく。ダメさ加減に拍車がかかるのだ。福の言葉を借りると、「大輔はちょっと犬みたいだね。ごろごろしながら私の帰りを待って、私の作ったものを食べて、私の横で寝て、たまにくっついてきたりする。なんにもしてくれない。言葉も約束もくれない」
身の回りの全てに向いていたはずの大輔の恨みめいたものは、福といる生活の中で徐々に身を潜めていく。その代わりか、どうあっても今の楽な生活を維持したい、という大輔の利己的な部分、というか生存本能のようなものが表に出てくる。大輔は、福から別れ話を切り出された際、今の生活を捨てたくなくて咄嗟にある嘘をつく。そして福は、大輔にそう言われたことで、うやむやのうちに元の生活を続けてしまう。
きっと福にとって大輔は、短所がそのまま可愛さになってしまう人間なのだ。「可愛い」という言葉の通り、大輔の短所は“愛することが可能”な部分として働く。そのことを彼自身はっきりわかっているから、大輔の可愛さは、ふたりを繋ぐ鎖になる。
ふたりの関係は大輔がそのダメさでもってコントロールしているようにも思えてくるが、どうもそうではない。関係の鎖が張り詰めたり緩んだりするのは、どちらか一方のためではない。
「いっそ注文して一杯飲んでみようかと思うけれど、恥ずかしさが上回ってできない。周りの目がいっせいに集まって、こいつ一人で来てるなと思われるのは嫌だ」
物語の終盤、ひとりで野球観戦にきた大輔の心情だ。さりげなく描かれるこの部分を読んだ時ハッとさせられた。この恥の意識は、元々は、秘書として常に振る舞いを意識せざるを得ない福が持っていたものではなかったか? 福と暮らすうちに、彼女の考え方を大輔が取り込んだということではないか。
福と大輔は、そうやって確かに関係し合っているのに、怒鳴り合い、肝心なことは言えないままでいる。とりわけ大輔は顕著だ。
言葉にできない、その不安を福との生活が埋めてくれていて、そのことを含めて福にこそ気持ちを伝えないといけないのに、福がいるからこそ、言葉を投げ入れるための自身の空白に気づいていても、声にまではできない。吠えるばかりのふたりの生活なのである。
(おおまえ・あお 作家)
波 2023年1月号より
関連コンテンツ
カバー装画は漫画家・魚喃キリコ!
ロックバンド「クリープハイプ」のヴォーカル・ギターで、小説『
周りには「なんで付き合ってるの?」と言われてしまう、喧嘩ばかりの同棲中カップルの日常を、男性視点を尾崎世界観さん、女性視点を千早茜さんが担当して描いた共作小説『犬も食わない』。
男女の視点別の章が交互に続き、恋愛中のかっこわるい本音をさらけ出す本作は、2018年10月の単行本刊行当時、全国書店で続々第1位を獲得&大重版を果たしました。
そんな話題作が12月23日、満を持して新潮文庫に登場します。
新たな装いとなる文庫カバー装画は、代表作『Strawberry shortcakes』『blue』をはじめ、美しい線と切ない心理描写で絶大な支持を集める漫画家・
カバーと中扉共に、長らく魚喃作品ファンである尾崎・千早両著者が選び抜いた一枚。魚喃さんからの快諾を得て、この最強コラボが実現しました。
さらに文庫特典として、両著者による約30ページの新規対談を収録。共作の思い出や、書き手としての自分の変化、「恋愛」を書くことについてなど、たっぷり語り合います!
両著者からのコメント
「成長」よりも「相変わらず」が似合う二人を愛しく思います。
ぜひ手に取っていただきたいです。 千早茜 4年ぶりに読み返すと、大輔と福は変わらずダメなままでした。
でも、その変わらなさがなんだか愛おしく、4年の間に変わった自分にも気づけました。
既読の方も、未読の方も、都会の片隅に必ずいるであろうダメなふたりの日々を、苦笑しながら覗いてくれたら嬉しいです。
著者プロフィール
尾崎世界観
オザキ・セカイカン
1984(昭和59)年、東京都生れ。2001(平成13)年結成のロックバンド「クリープハイプ」のヴォーカル・ギター。2012年、アルバム『死ぬまで一生愛されてると思ってたよ』でメジャーデビュー。2016年、初小説『祐介』を上梓し話題となり、2020(令和2)年には「母影(おもかげ)」で芥川賞候補となる。エッセイに『苦汁100%』『苦汁200%』『泣きたくなるほど嬉しい日々に』、直木賞作家の千早茜との共作小説に『犬も食わない』、対談集に『身のある話と、歯に詰まるワタシ』、歌詞集に『私語と』などがある。
千早茜
チハヤ・アカネ
1979年生まれ。2008年『魚神』で第21回小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。同作は2009年に第37回泉鏡花文学賞も受賞した。2013年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞を、2021年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞を、2023年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞した。他の小説作品に『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』『さんかく』『ひきなみ』やクリープハイプの尾崎世界観との共著『犬も食わない』等。食にまつわるエッセイも好評で「わるい食べもの」シリーズ、新井見枝香との共著『胃が合うふたり』がある。