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左京・遼太郎・安二郎 見果てぬ日本

片山杜秀/著

880円(税込)

発売日:2023/01/30

  • 文庫
  • 電子書籍あり

小松左京、司馬遼太郎、小津安二郎。巨匠たちの思考から浮き彫りになる「この国のかたち」。

「大破局」を描いた作家小松左京は、夢の大阪万博に何を見たのか。 モンゴルの草原に憧れた司馬遼太郎のロマンと、本質的悲劇とは。笠智衆を選んだ名匠小津安二郎。その静かなる戦いと、いつかくる「最後の五分」に込めた覚悟とは。鮮やかな着眼で巨匠たちの思考を読み解きつつ、日本の過去・現在・未来を浮かび上がらせていく。この国の断面を明らかにする画期的評論! 『見果てぬ日本』改題。

目次
第一部 この国に真の終末観を……小松左京・未来への総力戦
「万博病」に取り憑かれた頃
『未来の世界』が描きだした至福
戦後産業文明の司祭として
科学が人類に突きつける諸刃の剣
例外なき総動員への執着
『ゴジラ』のアクチュアルな批評性
ゾロアスター教的な世界観
敗戦の恨みをSFと未来で晴らす
人類の完成は究極の選択の繰り返しの果てに
失敗を忘れる国、日本の根本的欠陥
第二部 島国の超克、漂泊者の夢……司馬遼太郎・過去へのロマン
騎馬民族の世界、農耕民族の世界
教条主義者より自由な放浪者として
日本が嫌いな歴史家の「遠いまなざし」
父系的な東国と母系的な西国
中国史を日本史に重ねて見立てる
東国の騎馬文化と西国の海人文化
神話が教える淡路の海人精神
黒潮の流れに乗る越人への幻想
北馬から南船への転向ドラマ『竜馬がゆく』
遊牧民・海民対定住民という二項対立
「日本国全土公有化」という非現実的ロマン
突破できなかった歴史の必然という難関
永遠にさまよい、街道をゆく大名行列
非定住者賛美の文学
過去を理想化したユートピア
第三部 持たざる国の省力法……小津安二郎・現在との持久戦
「雲をつかむような、棒杭を抱いているような」人間
銃後の黒澤と前線の小津のあいだの深い河
典型的「ぬうぼう」、笠智衆を選んだ理由
並大抵でない節約の思想
其処に存在するものは、それはそれでよしッ!
辿りついた平らかな円の思想
未来か過去か現在か――あとがきに代えて
解説 先崎彰容

書誌情報

読み仮名 サキョウリョウタロウヤスジロウミハテヌニホン
シリーズ名 新潮文庫
装幀 新潮社写真部(小松左京、司馬遼太郎)/カバー写真、(C)文藝春秋(小津安二郎)/カバー写真、amanaimages(小津安二郎)/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン
雑誌から生まれた本 新潮45から生まれた本
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 448ページ
ISBN 978-4-10-104471-2
C-CODE 0195
整理番号 か-94-1
ジャンル 自伝・伝記
定価 880円
電子書籍 価格 880円
電子書籍 配信開始日 2023/01/30

書評

日本人が生きる時間とは

先崎彰容

 人は時にままならない現実を前にして、遠い過去に思いを馳せ、まだ見ぬ未来に希望を託す。永遠の時間軸を行ったり来たり、そして現在に立ち止まることで日々を生きている。
 ならば過去・現在・未来のいずれを好むかで、各人のパーソナリティを分けられるはずだと著者は言う。さらには、より広くその時代性もつかめるだろう。たとえばドイツでヒットラーが登場してくる時代には、未来志向が渦巻いていた。では、日本の場合はどうか。かつて日本人はどのように時間をとらえ、そこからどんな光景を思い描いたのだろうか。
 この問題意識に基づいて、三人の表現者を取りあげている。司馬遼太郎、小津安二郎、小松左京である。彼らはいずれも戦争体験を背景に、歴史小説、映画、SF小説の巨匠となった。彼らの作品を一つひとつ丹念にひもとけば、きっと日本人の時間意識を明らかにできる。さらに2015年の「今」を生きる私たちにも、示唆を与えるにちがいないという確信が、この著作の緊張感と魅力を生みだしている。
 そしてもう一つ、文章を背後から支える政治思想史の厖大な知識が著作の魅力を深めている。強靭な足腰があれば、長くて重いバットでも振れるし、相手の球も自在に打ち返せる。だからこそ著者も、この三人の一見奇妙な取り合わせにも、ブレることなく作品群を鮮やかに解読できるのだろう。
 具体的に内容を見ていこう。ふつう「司馬史観」は、この国民文学の生みの親とほとんど同じ意味でつかわれる。しかし著者は、司馬が何よりも国家の枠、「土地」というくびきを跳びだしたロマンの人、外へ外へとむかう小説家だと見る。
 モンゴル語を学ぶことから出発したように、本来、司馬は平原を跋扈する騎馬民族をよしとする小説家である。だから過去の日本人のなかに、その姿を追い求めた。東国の武士のように、土地を離れ、自由に旅する人間たちである。
 しかしそれでは十分でない。この国の平野など所詮狭いからだ。そこで淡路の高田屋嘉兵衛、土佐の坂本龍馬、日露戦争における秋山真之のように、さらに雄大な世界=海に挑む男たちを主人公に小説を描いた。
 司馬史観を貫く土地執着への嫌悪は、バブル時代をむかえると、怒れる時論家の一面を顕わした。地面を、商品のように見なして儲けのタネにする土地資本主義を、野坂昭如や松下幸之助らとの対談で激しく批判したのだ。
 小松左京の未来小説は、司馬の歴史小説と併せて読むとより光を放つ。高度成長の象徴、大阪万博のメイン・テーマ「人類の進歩と調和」を立案した小松だが、無条件に未来を肯定したわけではない。かつての戦争体験をふまえ、過去も現在も日本人はダメだと考えた。
 戦争で廃墟を経験したにもかかわらず、深刻な反省もなく、どうにかなると思っている。だったら未来の進歩の象徴、原子力が破滅的な影響を与える小説を書いて脅してみてはどうか。現在に緊張感をあたえ、未来へ向かって決断する大切さを教えたい。司馬が過去だとすれば、小松は未来に日本人の可能性を見ようとした。
 このとき歴史と未来に向かって、小津安二郎が語りかける。過去にロマンを探し求めるのも、未来に警鐘を鳴らすのも大切だが、人間はそればかりでも生きていけない。むしろ個人とは、現在を黙々と生き続けている存在ではないのか。
 こうして「棒杭を抱いているような」人間存在の象徴、笠智衆を中心に、小津の「小さき者」へのまなざしに充ちた映画ができあがった。アメリカなどと違い、資源に恵まれない「持たざる国」が、国際社会で何とか耐えしのいで生きていく方法としても参照すべき節約と持久戦の思想である。
 ここで著者が対比する黒澤映画では、アメリカ的な主体性の哲学と肯定的精神に依拠した日本人像が求められている。「現在」を重視し、運命を粛々と受け入れる小津映画とは対照的だ。その違いは、小津が中国戦線で「現在進行形の日常」に手一杯な人間の姿を見続けたことに由来する。
 以上のように、過去・現在・未来のどの時間を重視するかによって、理想の日本人像も異なっていることを著者は明らかにした。そこでは、司馬や小松よりも小津の示した人間像に「現在」を生きるヒントを見いだしているようだ。
 笠智衆のような「ぬうぼう」とした佇まいで、目の前の現実を淡々と生きる。それは、騒々しい時代への確かな処方箋の一つにちがいない。

(せんざき・あきなか 日本思想史・東日本国際大学教授)
波 2015年12月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

片山杜秀

カタヤマ・モリヒデ

1963年宮城県仙台市生まれ。政治思想史研究者、音楽評論家。慶應義塾大学法学部教授。慶應義塾大学法学部政治学科卒業、同大大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。大学院時代からライター生活に入り、『週刊SPA!』で1994年から2003年まで続いたコラム「ヤブを睨む」は『ゴジラと日の丸――片山杜秀の「ヤブを睨む」コラム大全』(文藝春秋)として単行本化。主な著書に『音盤考現学』『音盤博物誌』(アルテスパブリッシング 吉田秀和賞・サントリー学芸賞)、『未完のファシズム――「持たざる国」日本の運命』(新潮社 司馬遼太郎賞)、『近代日本の右翼思想』(講談社選書メチエ)、『見果てぬ日本――司馬遼太郎・小津安二郎・小松左京の挑戦』(新潮社)、『鬼子の歌――偏愛音楽的日本近現代史』(講談社)、『尊皇攘夷――水戸学の四百年』(新潮選書)など。

判型違い(単行本)

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