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最後に「ありがとう」と言えたなら

大森あきこ/著

572円(税込)

発売日:2024/05/29

  • 文庫
  • 電子書籍あり

お母さんの匂い。抱っこした時の小さな体の重さ。ベテラン納棺師が涙した家族の物語。

亡くなった夫に頭を撫でて欲しいと願った妻。亡き母の髪を泣きながら洗った美容師になりたての娘。お気に入りの洋服を着て何度も抱っこされた、小さな体の重さ……。故人を棺へと移す納棺式にひとつとして同じものはない。悲しく辛い時間。しかし、生と死のはざまのごく限られた時間に、家族は絆を結び直していく。4000人以上のお別れをお手伝いしてきたベテラン納棺師が出会った、家族の物語。

目次
はじめに
第1章 においのぬくもり 声のやすらぎ
「いい子、いい子」して欲しかった/桜の下の棺/悲しいのは当たり前だよね/音の記憶/お母さんのにおい/人は死ぬとどこに行くの?
【コラム(1)】納棺式の流れ
第2章 旅立ちのための時間
生と死の間の時間/親父の思い出なんてない/最後のお風呂/霊感納棺師になりたい/「このたびはご愁傷しゃまです」/「悲しい」と「怖い」/亡くなった人に呼ばれる話/驚かない技術/どんな顔で逝きますか?/上手くいかない日の話
【コラム(2)】納棺式のタイミング
第3章 棺は人生の宝箱
鰻と日本酒と留袖と/あの世に何を持っていく?/「やっぱりお父さんだった」/最後のお出かけに着ていく服/最後の会話/会いたい幽霊/どんな反応も当たり前/幸せの俳句は「ありがとう」への返事/よいお母さんになりたい
【コラム(3)】紙の上の納棺式
文庫版あとがき

書誌情報

読み仮名 サイゴニアリガトウトイエタナラ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 (C)baona/カバー写真、iStock/カバー写真、Getty Images/カバー写真、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 176ページ
ISBN 978-4-10-105281-6
C-CODE 0195
整理番号 お-116-1
ジャンル ノンフィクション
定価 572円
電子書籍 価格 572円
電子書籍 配信開始日 2024/05/29

書評

別れの達人と、別れの処方箋

岸田奈美

 あれは、はじめて上京して家を借りようとしていたときのことだ。
 相場よりもずっと安い家賃の物件を見つけて、その安さといったらもう不安になるくらいの安さだったので、おそるおそる不動産屋にたずねた。
「これって、あの、いわゆる事故物件じゃないですよね」
 それに対する、不動産屋の返しはこうだった。
「大丈夫ですよ。この日本で、人が死んだことのない土地なんてありませんから」
 そのときは、いらんトンチを利かせとる場合かと呆れたが、なるほど、うまいこと言うもんである。人は生きていれば、かならず死ぬ。お別れの儀式は200万年前から続いている。死と葬儀は、わたしたちにとって身近で、とてつもなく古い物語なのだ。しかし200万年経っても、わたしたちは戸惑い、悲しみ、乗り越えようともがいている。古い物語の中には、ひとつひとつの、固有の新しい物語が集まっている。
 納棺師・大森あきこさんが本書で綴った25篇の死の実話には、丁寧に削り選ばれた短い言葉の中に、想像し尽くせない人生の奥行きが感じられる。不思議なことに、一篇を読み終えるごとに、自分にとっての大切な誰かが思い起こされ、記憶の像が結ばれる。喜び、安堵、後悔、いろんな感情が静かに湧き上がってくる。
 この本は、すべての人が今まで経験した、またはこれから経験しうる、死という絶望への処方箋が詰まっているのだと気づいた。わたしがこの本から受け取った、ひとつの処方箋は、「別れを乗り越えるために必要なのは、別れの時間である」ということだ。
 大森さんは、これまでの納棺で出会ったご遺族の中には「お別れの達人」がいるという。亡くなった人との時間を自然に振り返ってくれる人だ。ご遺族の悲しみや思い出を葬儀で共有する時間が、「別れ」を「出発」にゆっくりと変えてくれる。わたしは、16年前に亡くなった父の葬儀で会った父の友人のことを思い出した。彼はお別れの達人だった。
 そのときのわたしは、急な父の死を受け入れられず、呆然とするか、泣き叫ぶかを、何十時間も繰り返していた。穏やかな顔でてきぱきと準備する葬儀社の人々を、見るのがいやだった。父の死を悲しんでくれていない気がした。涙ながらに同情してくれる参列者の人々と、話すのがいやだった。あなたたちは葬儀が終わって家に帰ったら、生きてる家族がいるからいいよねと妬んだ。わたしは誰かを恨むことで、“こんなはずじゃなかった”と父の死を受け入れまいとした。
 そんなとき、彼はやってきた。父の前で手を合せ、震えた深い溜息と涙を一筋流し、わたしに一枚の映画のDVDを渡した。
「わたしにとってお父さんは、その映画に出てくるお父さんと同じ存在です。同じようなことをいつもわたしに伝えてくれました」
 わたしがその映画「ビッグ・フィッシュ」を見たのは、3年後のことだった。そこには確かに父がいた。父がわたしに伝えたかったであろう言葉が詰まっていた。わたしは彼にメールを送り、そこでようやく、父がわたしの知らないところでも、多くの人に愛されていたことを思い知った。誇らしさが、悲しみを上回っていった。
 長い時間をかけて、ゆっくり、ゆっくり、父との別れをわたしが受け入れられたのは、あの時、準備をしてくれた葬儀社の人々のおかげでもある。わたしが普通ではないときに、普通にしてくれていた。穏やかそうな顔をしていたけれど、本当は、心を痛めながら、最善を尽くしてくれたのかもしれない。
 大森さんの思いを受け取ると、過ぎ去った葬儀の苦い思い出すらも、新しい印象と感謝が重ねられる。16年という時間をかけてもなお、わたしは父の死を温かな力に変え続けている。
 家族を愛するとは、そばにいることではなく、愛しい距離を探ることだと、わたしはエッセイで書き続けてきた。でも距離は、相手が亡くなってしまったあとでも動き続ける。なぜなら、時間は流れ続けるから。絶望を引き起こすその距離を、どう捉え、どう過ごし、どう愛するのか。そのことがいくつもの視点で、言葉を尽くして書かれた本書は、死と儀式がつきまとうわたしたちの人生において、欠かせない処方箋になるのだと思う。

(きしだ・なみ 作家)

波 2021年12月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

大森あきこ

オオモリ・アキコ

1970(昭和45)年宮城県仙台市生れ。38歳の時に営業職から納棺師に転職。延べ4000人以上の亡くなった方のお見送りのお手伝いをする。(株)ジーエスアイでグリーフサポートを学び、(一社)グリーフサポート研究所の認定資格を取得。NK東日本(株)で納棺師の新人育成を担当。看護・介護の学校にて外部講師を務める。

ツナギノ森HP (外部リンク)

判型違い(単行本)

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