大家さんと僕
781円(税込)
発売日:2024/06/26
- 文庫
- 電子書籍あり
累計135万部突破!! 日本中が泣いて笑った、手塚治虫文化賞短編賞受賞の傑作ほっこりマンガ。
都内にある木造2階建て一軒家。1階に大家のおばあさんが住み、2階を芸人の「僕」が間借り生活中。上品な大家さんの挨拶は「ごきげんよう」、好きなものは伊勢丹とNHKと羽生選手。誕生日にはおはぎにロウソクでお祝いをし、強風の日には飛ばされないよう支え合ってランチへ……。日本中がほっこり泣いて笑った、手塚治虫文化賞短編賞受賞の大ヒット日常マンガ。カラーイラスト8P収録!
おひとり暮らし
大家さんの部屋
ライトとおやき
おすそわけ
うどんとホタル
初めてのケンカ
誕生日のサプライズ
赤いスーツケース
大家さんの誕生日
ライバル
僕の悩み
伊勢丹ランデブー
遺品の整理
太宰と初恋
告白
ごきげんよう
九州旅行
特攻隊とえみちゃん
綿あめとハレンチ
入院
ひとりは寂しい
大家さんと僕
あとがき
解説 瀬尾まいこ
書誌情報
読み仮名 | オオヤサントボク |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 矢部太郎/装画、山田知子(chichols)/デザイン |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 144ページ |
ISBN | 978-4-10-105361-5 |
C-CODE | 0179 |
整理番号 | や-89-1 |
ジャンル | コミック |
定価 | 781円 |
電子書籍 価格 | 781円 |
電子書籍 配信開始日 | 2024/06/26 |
インタビュー/対談/エッセイ
〈痩身対談〉ひとつ、お願いがあるんですけど……
『夜の側に立つ』を矢部さんが読んだ理由。『大家さんと僕』を読んで小野寺さんが断言したこと。共通点に、衝撃に、究極のミニマムな生活。業界を代表する細身のお二人の対談をお届けします。
辛い時、だからこそ
矢部 『夜の側に立つ』、むちゃくちゃ面白かったです。
小野寺 こんな小汚いやつが来て、申し訳ないです。伺いたかったんですけど、どうして、ぼくの本を読んでくださったんですか?
矢部 信頼している編集者さんに「最近読んだ小説のなかで、一番おもしろかったです」と渡されたんです。大家さんが亡くなってすごく辛い頃だったんで、僕を励ます意味もあるのかな、と思って読み始めたんですね。そしたら冒頭で、いきなりボートが転覆して人がお亡くなりになって……。なんでこれを僕に薦めてくれたんだろう、って、不思議な気持ちになったんですね。でも、読み進めていったら、ぐいぐい引き込まれて、小説の世界に没頭できたんですよ。いろんなことを忘れられたというか。小説って、やっぱりいいものだなあ、すごいなあ、と思わせられました。
小野寺 『夜の側に立つ』が二十冊目の本なんですけど、辛い状況にある人に渡す本としては、二十位かもしれません。
矢部 今考えればですけど、あの時期に明るくて優しい、みたいな内容の小説、たぶん読めなかったと思うんですよ。だから逆に、僕は、落ち込んでいる時に読みたい本ランキング一位だと思います。
小野寺 矢部さんは、了治(主人公。『夜の側に立つ』は彼の四十歳、十八歳、二十代、三十代、四つの時間軸で物語が展開していく)と同い歳ぐらいでしたよね。
矢部 そうです、四十一歳です。章タイトルみたいに「決然たる四十歳」という感じでは全然ないですけど、やっぱり今の自分と重なるところはありましたね。主人公の自己評価の低いところとかは、まさにそうでした。
小野寺 ぼく自身もそうでしたから。すげえ恰好いいなあ友達になりたいなあ、という人が学校にいたとして、でも実際には友達になれないだろうし、もしなったとしても、人と人として合わないだろうなっていう感覚がずっとあったんですね。その感じを、この小説ではすごく書きたいと思いました。
天才です
矢部 部活は入ってたんですか。
小野寺 中学ではサッカー部でしたけど、高校では運動部でも文化部でもいいから部に所属しなさいという空気に負けず、入りませんでした。
矢部 僕も部活には、一回も入ったことないんです。学生時代には、小説を書いてはいらっしゃらなかったんですか。
小野寺 書いていなかったです。小学生のときから、いつかは物書きになろうとは思っていたんですけど、いま書き出してはだめだなって、ずっと考えてました。人として成熟するまではだめだ、みたいな。初めて書いたのは、大学を卒業して就職した会社を二年で辞めた、二十四歳のときです。辞めた次の日に、秋葉原にワープロを買いに行きました。たぶん矢部さんも、組織に属するのが好きじゃないですよね?
矢部 そうなんですよ。居場所がうまく見つけられなくて。大学生のときにがんばって、夏はテニス、冬はスキーみたいなサークルに入ったんですけど、新歓コンパで、絶対無理! と思って、音信不通になっちゃいましたね。
小野寺 ぼくもそうなんです。学生のときもそうでしたし、会社に入ってはみたものの、やっぱりだめでしたね。新入社員研修のために名古屋に行く新幹線の中で、就業規則の退職の欄を読んでましたから。
矢部 それは、早いですね~。
小野寺 会社を辞めて、これは無理にでも書かなきゃと思って、書いてはみたものの、天才じゃないから、全然だめで。最初の本が出るまでの十五年間は、本当に暗黒時代でした。『大家さんと僕』が初めて描かれたマンガなんですか?
矢部 そうです、初めてです。
小野寺 それは、天才です、本当に。たくさんマンガを読まれたり、お笑いのネタを作ったりしてきた経験はもちろん土台にあるんでしょうけど、普通はできないですよ。見たもの、体験したことを、きちんと自分の中で消化して、作品にするというのは。きっかけは、何だったんですか。
矢部 大家さんと京王プラザホテルでお茶してたら、偶然、マンガ原作者の倉科遼さんがそこにいらっしゃって。面識があったので、ご挨拶をしたんです。大家さんのことを僕のおばあちゃんと勘違いされて、いやちがいます、実は、と説明したら、それは面白いからドラマの原案にさせてほしい、とおっしゃって。それで後日、絵コンテっぽいものを何ページか描いて見ていただいたんですね。そのときに、これは自分でマンガにした方がいいよ~、ってアドバイスしてくださったんです。それが、きっかけですね。
下書きの衝撃
小野寺 一話が四ページから六ページくらいの分量ですよね。連載されていたときはどんなペースで描かれていたんですか。
矢部 月に一回、「小説新潮」での連載だったんですけど、最初の頃は、本描きに一日一ページくらいかかってました。その前に、コマ割を考えて、ネームを描いて、と手間はかかるんですけど、全然、負担には感じなかったです。僕、だら~っと進めてたんですね。仕事の合間の空いた時間に、ちょこっとずつやってたんで。だから、一話にこれだけ時間がかかりました、と、厳密にはいえないんですよ。小野寺さんは、どんな風に小説を書かれるんですか。
小野寺 ぼくは一回、全部、下書きするんですよ。手書きで。
矢部 えっ、どういうことですか? パソコンで書かれるんじゃないんですか。
小野寺 プロットも決まって、よし書きだせるという段階で、最初から最後まで、シャープペンシルでノートに書くんです。ぼくにしか読めない字で。
矢部 マンガも、連載一回分のネーム、下書きは描きますけど、それを小説一冊分、手書きで、書かれるんですね。相当、衝撃、受けました……。
小野寺 まずは、そうですね。
矢部 まずはっていうか、それを本にして出しちゃったらいいんじゃないですか!
小野寺 下書きをしたノートを見ながら、パソコンに本書きするんですよ。そのときに推敲できるんですよね。手間はすごくかかるんですけど。
矢部 手間がかかるという認識は、おありなんですね。
小野寺 いろいろ試した結果、このやり方がいちばんしっくりくるんですね。本書きしたあと、ノートは捨てます。
矢部 捨てちゃうんですか!
小野寺 ノートもそうだし、むかし書いた小説のデジタルデータも消しますね。とにかく、物を捨てたいんです。人に出したメールも、すぐ消しちゃいます。携帯にも、写真、一枚も入ってないです。
矢部 ここに行ったとき、楽しかったなあ、とか、この猫かわいかったなあ、とか、思い出の写真もないんですか。
小野寺 全然、ないですね。なんにも持ちたくないんです。押入があったとしても、空っぽにしておきたいですね。
矢部 押入には物、入れたいですよ、僕は……。
欲にまみれて、生きてきました
小野寺 部屋にテレビもないので、矢部さんは、ぼくと同じ坊主のイメージだったんですよ。恥ずかしながら、対談のお話をいただくまで、矢部さんがマンガを描かれていることも知らなくて。ネットで調べてみたら、髪の毛はふさふさだし、『大家さんと僕』もものすごくたくさんの人に読まれてて。今朝も読んできたんですけど、本当に面白かったです。コマとコマの間に空白があるのは、とってもいいですよね。マンガの地の文を抜き出して、セリフの部分を「 」で閉じて全部つなげれば、小説にもなりますよね。
矢部 ありがとうございます。確かに、最初は全部、文章で書くんです。それから絵を描いて、マンガにしていくんです。ちょっと、すいません、テレビ、お持ちじゃないんですか?
小野寺 いまは『大家さんと僕』に出てくるようなワンルームのアパートに住んでて、部屋にあるのは、パソコン、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、あとプリンター、主だったものはそれくらいですね。
矢部 テーブルはないんですか?
小野寺 パソコンで作業をする用のテーブルはあります。その前で、めし食ってますね。ちくわを食パンにはさんで。
矢部 それ、『夜の側に立つ』を薦めてくれた編集者さんにきいたことがあります。なんか、牢屋みたいな部屋ですね。
小野寺 ほんと、そうですよ。監獄だと思います。
矢部 監獄! 僕が「電波少年」で監禁されていた部屋、そんな感じでしたよ。
小野寺 恥ずかしい話、部屋に本も置いてないんです。フローリングの上に布団を敷いて寝てますからね。
矢部 いやそれ、江戸時代ですよ。
小野寺 それでいて寒がりだから、冬は大変です。
矢部 ちくわに食パンは、毎日なんですか?
小野寺 食べるものは決まってますね。朝、四時くらいに起きてバターロール二個とお茶一杯。昼は、一斤六十三円の食パン半斤に、ちくわを一本ずつはさんで食べてます。
矢部 醤油とかマヨネーズとかつけるんですか?
小野寺 なにもつけないですね。部屋に調味料がないので。
矢部 部屋にない! ちくわってそんなに味ないですよね?
小野寺 『ひりつく夜の音』という小説にも書きましたけど、食パンにちくわをはさむだけで、もう充分ですよ。
矢部 バラエティの企画でやるやつですよ、「ちくわ生活」。
小野寺 夜は、レンジで温めて食べるパック入りのご飯と、三パック四十一円の納豆をひとつ、で、豆腐を一丁とキャベツの千切り。これが、毎日ですね。
矢部 えっ、毎日同じものを?
小野寺 肉とか魚とか、全然食べてないですよ。たぶん、刑務所の食事よりも粗食だと思います。
矢部 ミニマムな暮らしにあこがれる方、最近多いじゃないですか。いい意味で、求道者的というか、まったく憧れられないタイプのミニマムな生活ですね。自分のことを、欲がないほうだと思ってたんですけど、小野寺さんのお話を伺ったら、僕なんて欲にまみれた、俗世の男だったんだなと思いました……。「アウト×デラックス」出た方がいいですよ。
小野寺 なんですか、それ?
矢部 テレビないんでしたね……。小野寺さんが持ってこられた『大家さんと僕』、帯がついてないですね。
小野寺 すいません、帯は読むときに邪魔なので。
矢部 カバーがついてるだけ、よかったです。ひとつお願いがあるんですけど。『大家さんと僕』、気に入っていただけたということで、お部屋に置いていただけないでしょうか。
小野寺 気に入る、という偉そうな言い方はできませんが、本当に面白かったですよ。
矢部 置く、とおっしゃっていただけない……。小野寺さん、絶対、捨てちゃうでしょ!(笑)
(おのでら・ふみのり 小説家)
(やべ・たろう お笑い芸人/マンガ家)
波 2018年11月号より
単行本刊行時掲載
「治虫さんと僕」
38万部(2018年6月7日時点)を突破した矢部太郎著『大家さんと僕』が第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞した。本職の漫画家以外では初の受賞となる快挙に、6月7日に行われた贈呈式は大盛況。手塚氏の長女・手塚るみ子さんとの記念対談と、矢部さんによる当日のルポ漫画をお届けします!
原点は手塚作品
手塚 はじめまして。今日お話できるのを楽しみにしていました。
矢部 ありがとうございます。ツイッターではやりとりさせて頂いたことがありましたが、僕も今日お会いできて光栄です。
手塚 先ほどの贈呈式では、選考委員の里中満智子先生が、矢部さんの漫画家としての才能をベタ褒めして下さいましたね。
矢部 客席の一列目に座っていたので恐縮しつつも、とても嬉しかったです。
手塚 受賞のスピーチでの感極まったお姿には、私ももらい泣きしそうでした。
矢部 お客さんの前で、一人であんなに喋ったのは初めてで……めちゃめちゃ緊張しました。
手塚 芸人さんなのに!?
矢部 僕に5分も時間をくれるテレビ番組なんてありませんから(会場笑)。
手塚 (矢部さんが上手で)立ち位置はこれで大丈夫ですか?
矢部 カラテカの立ち位置なんて、気にしないで下さい(笑)。先ほどの緊張があったので、「対談」という形式にすごく安心しています。でも、いまご紹介頂いたアナウンスで気が付いたのですが、「手塚治虫生誕90周年記念対談」と冠がついていて、僕なんかでいいのかと……。
手塚 いえいえ。私は受賞が決まる前にすでに読ませて頂いていたのでなお、心から嬉しいです。
矢部 わ……ありがとうございます! 僕もこの賞はずっと憧れていた賞で、受賞された作品もほとんど読んでいます。
手塚 『大家さんと僕』は本当に素晴らしい作品です。面白いのに泣けてきて、でもその涙は決して悲しいものではなくて……。きっと手塚(治虫)も嫉妬していると思いますよ。
矢部 あ……スピーチでは恐れ多いことを言ってしまいました。
手塚 でも同時に、「俺でも描ける」とも言うと思うけど(会場笑)。トキワ荘に大家さんがいらしたか分かりませんが、「トキワ荘の大家さんと僕」なんて描いちゃいそう。
矢部 それはすごく読みたい!
手塚 漫画はお一人で描かれているんですよね?
矢部 そうです。
手塚 1ページ8コマという形式や、シンプルな線と可愛らしい絵柄からは、手塚の初期の作品『マアチャンの日記帳』が思い出されました(マアチャンは4コマですが)。私自身も手塚の原点に戻るような懐かしい気持ちにもなって。
矢部 そんな風に言って頂けて、本当に嬉しいです。僕としては、こちらが思ってもないようなことをおっしゃる大家さんが素敵すぎて、それをそのまま描いただけで……。
手塚 知性とユーモアのある大家さんのキャラクターはもちろん魅力的です。でも、それを漫画に描くときの、矢部さんの表現力が何より素晴らしいと私は思いました。例えば、大家さんと矢部さんがお昼ご飯を食べに行くとき、風が強くて二人が飛ばされそうになる場面で、大家さんの髪の毛がゴム風船のように伸びて描かれているところなど、感動すら覚えました。
矢部 僕も大家さんも小柄で軽いから、人より風を受けちゃうんです。番組の企画で、僕は風で飛ばされる実験をさせられたこともありますし(会場笑)。あのコマでは、二人で風を受けて、髪の毛も洋服も体全体もすごく動いた感じを表現したかったんです。
それに手塚先生の『マンガの描き方』という名著がありますが、その中で「漫画の人物には、骨も関節もない」とゴム人間に例えていらっしゃって、その影響も受けているんだと思います。
手塚 確かに、手塚の作品のキャラクターも、ゴム鞠のように、大きくなったり小さくなったり自在に変化します。そういえば、手塚のファンクラブに入って下さっていたのですよね?
矢部 今日いらっしゃっている多くのファンの方を前に恐縮なのですが、小学生の高学年の時に入っていました。この賞を受賞したと父に報告したら、当時のグッズを色々と送ってくれまして、今日持ってきました。
手塚 これは会員証ですね、初めて見た!
矢部 え!? ファンクラブ入っていなかったんですか?
手塚 入っていませんよ、ファンじゃないし(会場笑)。
矢部 名誉会員みたいなものですかね?
手塚 ただの家族です(笑)。
矢部 ファン以上の存在ですよね、大変失礼しました(笑)。
『火の鳥』に救われた矢部少年
手塚 そもそもは、なぜ手塚作品を好きになって下さったのですか?
矢部 藤子不二雄(A)先生の『まんが道』がきっかけでした。それまでも『ブラック・ジャック』などを読んだことはあったのですが、『まんが道』では、いかに手塚先生の漫画が革新的であるかということが分かりやすく説明されていて、ただ作品が面白いという以上の「偉大さ」みたいなものを感じました。それで、『地底国の怪人』『新宝島』など、色々と読むようになりました。
手塚 『まんが道』がきっかけで手塚作品に触れてくれる方は多く、藤子先生には本当に頭が上がりません(会場笑)。特に印象に残っている作品は何ですか?
矢部 悩みますが……やはり『火の鳥』でしょうか。これは40歳の僕ら世代の「あるある」だと思いますが、図書室に唯一置いてある漫画で、僕も中学校の図書室で出会いました。受賞スピーチでも少し話しましたが、中学校の頃教室に居場所がなくて図書室に逃げ込んでいた時、壮大なストーリーにただただ圧倒されてしまって。「僕の悩みなんてどうでもいいことだ……」と俯瞰的に自分自身を見られて、救われました。
それに、そんな重厚な作品なのに、子供の僕にでもちゃんと分かるように描かれているのも、手塚先生の素晴らしいところだと思います。『ガラスの地球を救え』を読んで、初めて環境問題の大変さを知った時など、ちょっとだけ大人に近づけたような気持ちにもさせられて。
手塚 エッセイも読んで下さっていたとは! 幼い矢部さんの心に手塚作品が刺さり、後の『大家さんと僕』につながったのだとしたら、何より嬉しいです。
「絵描きの父」を持つもの同士
手塚 今日もいらして下さっていますが、矢部さんのお父さまは絵本作家でいらっしゃるんですよね。
矢部 はい。『かばさん』や『あかいろくん とびだす』といった絵本があります。
手塚 それを聞いて納得したのは、『大家さんと僕』で矢部さんと大家さんが乗る車が空を飛ぶ場面です。新宿の伊勢丹に向かう道がまっすぐなのは、滑走路にするためだったのではと話すなかで、突然車がふわっと浮く……あの表現は本当に素晴らしい! 実話に基づく大家さんとの日常は実にリアルなのに、いきなり空想の世界が現れる――浮かんだ瞬間に、急激にロマン溢れる世界になることに驚きました。お父さまのご職業のことは後に知ったのですが、現実とファンタジーの両方を描く「絵本」というものの影響を受けていらっしゃったのだろうなと。それに、きっと、矢部さんが実際に、空を飛んでいる気持ちになられたのですよね?
矢部 ありがとうございます、その通りです。「いま車が飛んだ」「あ、ここにもホタルがいる」と、大家さんと一緒にいるその時々に感じたことをそのまま描きました。
手塚 例えば映像化されるとしても、あの「ふわっ」と浮く感じ――大家さんとの時間があたたかくて特別であるからこそ、というあの感じが、果たしてどこまで伝わるのだろうかといったことも考えたりしてしまいました。何度読んでも涙が出るのは、漫画でしか伝わらない、そんな「空気感」に心動かされているのかもしれません。
矢部 そんな……ありがとうございます。そもそも、僕の実力では車が上手に描けないということもあるのですが(笑)。このエピソードを描くとき、手塚先生の『新宝島』の冒頭の場面を思い出しました。シンプルなコマ割りのなか、疾走する車が生き生きと描かれていて、「車を描く」と言えばあれだな、と。
手塚 幼い頃から絵は描かれていたのですか?
矢部 父のアトリエが自宅の庭のプレハブでしたから、絵は身近でした。絵の具や筆、スケッチブックに画用紙と道具もたくさんあって、父が絵を描いたり、編集者の方と打ち合わせをしたりするのをよく覗きに行っていました。そういえば、父とはよく動物園や河原にスケッチにも出かけました。父はとにかく、その瞬間瞬間を記録したい性分で、ご飯の準備ができても家族を待たせてまでその日の献立を絵に描くので、描き終わるまで食べられないという……。
手塚 毎日の食卓を描いて何になるんでしょうね?
矢部 僕が訊きたいです(会場笑)。
手塚 日記みたいなものかしら。
矢部 そうですね、今でいう「インスタ」の先駆けだったのかもしれません(笑)。
手塚 うちも自宅内に父の仕事場があったのですが、「お仕事の邪魔をしちゃだめ」と母に言い聞かされていたので、父が漫画を描く姿はほとんど見たことがありません。それでも部屋に入り込んで、床にたくさん落とされた描き損じの原稿を拾っては、アトムをなぞり、自分で続きを描いたりもしていました(会場どよめく)。
矢部 それはすごい……!
手塚 小学生の頃には自分でもノートに漫画を描いて友達に見せたりもしていました。
矢部 僕は赤瀬川原平さんの本で宮武外骨という人を知り、彼の「滑稽新聞」を真似して、家族に見せる「太郎新聞」を作っていました。
手塚 4コマ漫画の連載も!?
矢部 漫画は描いていなくて、いち編集者として従兄弟が描いた4コマを載せていました(会場笑)。矢部家十大ニュースを僕が文章を書いて発表したりもして。
手塚 そうすると、常にお父さまの絵と共にある環境の中で、矢部さんは絵や文章に知らず知らずのうちに触れていらっしゃったのですね。矢部さんの観察力と、観察した現実の出来事を楽しく、あるいは強調して表現することに長けているルーツが少しわかったような気がしました。今回の受賞でお父さまはなんとおっしゃっていましたか?
矢部 「脱力感がいいね」と言ってくれました(会場笑)。
手塚 ありがたいお言葉ですね(会場笑)。あっという間にお時間になってしまいましたが、最後に、里中先生が「漫画界に引っ張りたい」とまでおっしゃっていました。これからどのような漫画を描かれたいですか?
矢部 まずは今「週刊新潮」で連載中の、「大家さんと僕」の続編を頑張ります。そして、ゆくゆくは、他にも何か描くことができたらいいなと思っています。
手塚 ぜひ! 期待しています。それにしても、緊張して股間を触る矢部さんの癖が出なかったのが、残念で……(会場笑)。
矢部 なんなんですか、このオチ!(笑)。
開催:浜離宮朝日ホール
(てづか・るみこ プランニングプロデューサー)
(やべ・たろう お笑い芸人)
波 2018年7月号より
単行本刊行時掲載
私たち、大家さん大好き人間です。
SNSで話題の漫画『大家さんと僕』の刊行にあたって集まったこの3名、いったい何の共通点が? デジタルな時代にアナログな関係、「間借りのススメ」を大いに語り尽くす!
大家さんと旅行って、「あるある」?
能町 一対一ではそれぞれ面識がありますが、三人で話すのは初めてですね。自分で言うのもナンですが、かなり異色な組み合わせで。
矢部 共通点は、大家さんが住む一階の部屋のすぐ上に間借りしている、したことがあること。春日くんと僕は今もしていて、能町さんは五年くらい前まで約十年間されていたんですよね。
能町 そうです。
矢部 僕の漫画『大家さんと僕』は、仲良くなった大家のおばあさんとの暮らしを描いたもので、今日はお二人と間借りの楽しさや面白さ、大家さんとの思い出などをお話しできればと思いました。
能町 矢部さんが漫画を描かれたことはツイッターで見てもともと気になっていたのですが、読んだらものすごく面白かった。特に間の取り方が素晴らしくて、矢部さん、もう普通に「漫画家」ですよ。
矢部 わぁ、嬉しいです! ありがとうございます!
春日 私も読みました……大したもんだなっ!
矢部 ありがとう、持ちネタで褒めてくれて(笑)。
春日 でも冗談抜きで、面白くて一気に読みました。正直に白状すると、初めはパラパラっと何話か読んで情報を拾って、それに合う自分の話をすればいいかなって思っていたのですが、読み出したら「分かるなー」って共感するところがたくさんあり、結局全部読んじゃいました。
能町 家賃を手渡しするときに部屋に呼ばれてお茶をする、会話の端々に五十年以上前の話題が出る、世間話の大半が健康や体調のこと……といった「大家さんあるある」に、私も共感しまくりでした。
春日 大家さんのちょっとした「毒」もたまりませんよね。「2020年まで生きてないから、東京五輪には興味ないわ」なんてブラックジョーク、どう返答していいやら(笑)。
矢部 ギャグなのか本気なのか分からないことが結構あって、笑っていいのかいつも迷います(笑)。いまの家に住んで八年になりますが、大家さんと仲良くなったのは家賃の手渡しがきっかけでした。渡しに行くたびにお茶に誘われて、それが思いのほか楽しく毎月必ず大家さんのお部屋にお邪魔するようになったんです。
能町 毎月のお茶会ですね(笑)。
矢部 それ以外にも「スイカ半分いかが?」「桃むいたから来ませんか?」と、お裾分けのお誘いもしょっちゅうあって。
能町 私の場合、大家さんとのお茶会で出されるのはなぜか毎回フルーツ牛乳と桃缶でした。
春日 なぜその組み合わせ(笑)。
能町 たぶん、若い人は甘い物が好きという認識なんです。
矢部 「お若いのだからたくさん食べて」と勧められたり、地方ロケで買ったお土産を渡すと、必ずそれ以上のお返しを下さったり……。
春日 矢部さんがすごいのは、大家さんと一緒に出かけているでしょう。新宿の伊勢丹でご飯食べたり、まさかの九州旅行に行ってしまったり、すごいですよね。
能町 もはや友達です。
矢部 一月分の家賃を払いにいったときなど、そこから少しお金を抜いて「これお年玉です」ってキャッシュバックして下さるんですよ。
春日 それは羨ましい!
能町 友達であり孫であり……。私は一緒に外出はしなかったけど、背中に湿布を貼ってあげたりはしましたね。
矢部 能町さんも充分、よく分からない関係じゃないですか(笑)。
春日 私はお二人ほどの関係ではないかな。大家さんの部屋にあがったこともなく、家賃を渡しに行った時に余っていた栄養ドリンクを頂いたのが唯一のお裾分けかなぁ。それに今、四ヶ月くらい家賃を滞納しちゃってるんですよ。「そろそろ今月はお願いします」と筆ペンで書かれた紙がドアに貼られてました(笑)。
能町 え、なんで!?
春日 私も手渡しなんですが、毎月だと忘れてしまうことも多いからここ何年かは半年分一括で払うことにしていて……。
矢部 そのまとめて払うのを忘れちゃっている(笑)。
春日 タイミングが合わないだけです、払わないつもりは断じてない!(笑)
春日の経験人数は「一人」!?
春日 お茶会やお裾分けはないですが、私の大家さんは私の仕事を相当応援してくれています。売れる前に毎月部屋でネタライブをやっていたのですが、十名くらいのお客さんが入って二時間わーわー騒いでいても文句一つ言われたことがありません。過激なロケも全部OKで、元横綱の曙さんが朝の七時にうちに来て玄関ドアをぶち破ったときなど、どーん、どーん! と音をたててドアの横の壁が崩れていくのを、大爆笑しながら見学していましたからね。
矢部 NGなしのハウススタジオだ(笑)。
春日 番組側の負担で修復されるにしても、自分のアパートがめちゃめちゃにされているのを笑って見られるってなかなかのツワモノですよ。雨の中ファンの方が家の前で待っていた時、大家さんが自分の部屋にあげて待たせてくれたこともありました。私の帰りが遅かったので、「サインもらっておいてあげるからもう帰りなさい」と対応してくれたみたいで。
能町 大家さん兼マネージャーさん。芸人さんが住むにはぴったりのアパートですね。
矢部 お土産あげたりお歳暮を渡したり、なにかお返しはしてるの?
春日 いやー、まったくしていません(笑)。そういえば、契約する時に交渉したら、家賃もあっさり二千円下げてくれました。
矢部 大家さんに甘えっぱなしじゃん!
能町 春日さんらしいですね(笑)。
春日 それにどうやら、大家さんの息子さんが風呂ありにして入居者を増やすべく建て替えを検討しているのを、「春日さんが住んでいるうちはやめて」と大家さんが反対してくれているらしいんです。
能町 めちゃめちゃいい話じゃないですか。
春日 僕が出るテレビもほとんど見てくれているみたいですし。
能町 家賃はおいくらなんですか?
春日 三万九千円です。
矢部 なおさら早く払いなよ(笑)。もう随分前ですが、春日くんのアパートには僕もロケで行ったことがあります。
能町 かの有名な「むつみ荘」ですね。
春日 ありましたねー。確か、所沢の私の実家にまで来て頂いたロケだ。
矢部 途中の休憩でみんなジュースを買ったのに、春日くんだけ買わなかったこともよく覚えています。
能町 当時からマジケチだったんだ(笑)。
春日 当時の方がひどかったです(笑)。
矢部 むつみ荘にはいつから住んでいるの?
春日 M-1グランプリに出るずっと前、2000年くらいからなので、もう十七年になります。初めての一人暮らしだったのでとにかく安いところをと他にも風呂なしアパートを内覧しましたが……風呂なしって結構ヤバいんですよ。妖気が漂っているんですよ……。
能町 すごくよく分かります。私も風呂なしで探して何軒か見ましたが、「ここは……無理!」と即断することが多かった。
春日 建物自体が古いこともありますが、「ここから頑張って世に出て行くぞ!」という前向きな気持ちより、「終着点」のように感じられて……。でもむつみ荘にはそんなこと一切感じなくて、見た瞬間「ここに住みたい」と即決でした。完全に“ビビビ契約”です。
能町・矢部 おー!
春日 以来むつみ荘一筋、むつみ荘しか経験してない私です。
能町 言い方(笑)。でもある意味いま日本で一番有名な賃貸アパートですもんね。大家さんはおいくつなんですか?
春日 七十代くらいのおばあちゃんで、一人で住んでいます。
矢部 僕は引っ越しの挨拶に行ったら大家さんがなぜか未使用のウォシュレットを下さって、ああこの部屋とは長い付き合いになるなと思いました。
春日 そんな引っ越し祝い聞いたことないし、ビビビのポイントがオカシイでしょ(笑)。
能町 実用的ですけどね(笑)。
矢部 大きい家に一人で寂しいし怖いから空いた部屋を賃貸に出した……という経緯があるから、余計に可愛がってくれているのかもしれません。こんな非力な僕ですが(笑)。
いつ退去すべきか、それが問題だ
矢部 「加寿子荘」での間借り生活について書かれた能町さんのエッセイ『お家賃ですけど』(文春文庫)が大好きで、今回お会いするのにあたって読み直してみたら、僕はだいぶ影響を受けてこの漫画を描いたのだなと気がつきました。
能町 ありがとうございます。私の大家の加寿子さんもおばあさんで一人暮らし、当時すでに八十歳くらいでした。大正生まれの女性なのに大学を出ていて教養があり上品で、笑い声は「うふふ」。矢部さんの大家さんが「ごきげんよう」と挨拶される描写には思わず懐かしくなりました。
矢部 僕にとっては、大家と店子の関係でなかったら間違いなく一生出会わなかった階層の方です(笑)。
能町 加寿子荘は駅から近く環境も良かったですし、元々は下宿用に建てられたのか外から見ると古い一軒家にしか見えなくて、内階段だから逆にセキュリティも良い。真鍮のドアノブや木製のトイレのタンクなど細かいところもいちいち素敵で、それに驚いたのは、不動産屋では部屋番号を「2-2」と聞いていたのに、NTTに登録された正式な住所は「○○様方二階手前」で、そんなところもたまらなくツボでした。
矢部 僕も「××様方二階」が正式な住所です。
春日 それは面白いですね。住所に「様方」がつくとは、まさに一緒に住んでいるってことなんだ。
矢部 確かに大家さんの存在をいつも一階に感じるから一人暮らしっぽくないのかもしれません。夜中は階段を静かに登ろうとか、テレビの音量を下げないと、とか。実家にいたときと同じ感覚ですね。
能町 加寿子さんは階段を一段一段雑巾で拭いて掃除するなどマメな方で、古いけど中はとても奇麗でした。数年かけて加寿子さんのお部屋にも入れてもらえるようになったのですが、ピカピカに磨かれた木の床に、置かれた古い家具のどれもが魅力的な素敵なお部屋で。「散らかっていて、ごめんなさい」と言われても、どこが散らかっているのか分からないほど片付けられてもいました。
矢部 大家さんって掃除好きですよね! 漫画にも描きましたが、僕の大家さんも家の前をほうきで掃くのが好きで、お部屋もいつお邪魔してもすみずみまでピカピカ。自分の部屋と比べると、とても同じ建物とは思えないくらいです。
春日 そんなに素敵なお部屋をなぜ出てしまったのですか?
能町 少しずつ収入が増えていったある日、近所のすてきなマンションに空室を見つけて、今引っ越さないと一生ここかも……と考えてしまったんです。でも後悔しました。というのは、私と同じ時期に隣の部屋の人も退去したので、春日さんのお話ではないですが、加寿子さんの息子さんが建て替えるなら今しかないと取り壊しを決めてしまったんです。
春日 うわーー! むつみ荘の未来だ!
能町 しかも、私は忘れていたのですが、住み始めた当初「一生住んでもいいと思ってます」と言ったことを、加寿子さんは覚えてらっしゃって……。
春日 「この先誰が私の湿布貼ってくれるのよ」って(笑)。
矢部 あー辛い……。能町さんのその一言がすごく嬉しかったんだろうなぁ。
能町 解体工事も勝手に見届けたんですが、壊れていく様子を号泣しながら道端から見ました……。
春日 わはははははは!
能町 でも引っ越し先も加寿子荘の近所だったので、その後もたまにお茶するなど、今も交流は続いています。嫁がうるさい、孫が冷たいといった身内の愚痴もよく聞くので、大家さんの家庭状況は相当把握していますし、旦那さんとの馴れ初めや独身時代にお見合いさせられた相手が嫌だったという秘話も聞かされ、ご家族よりも大家さんの過去に詳しいかもしれないです。
矢部 僕も漫画を読まれた大家さんの甥っ子さんから、「マッカーサーがタイプだったなんて初めて知りました」と言われたことがあります。逆に家族には話さない、話せないことなのかもしれません。
春日 ひとつ屋根の下に住むけど身内じゃない――ちょうど良い距離感なのかも。
能町 お二人はどうするんですか? いつかは出ることもあり得ますか?
矢部 「矢部さん、結婚はどうなの?」と大家さんからたまに質問されるのですが、僕の結婚に興味があるわけではなくて、結婚したら僕が引っ越してしまうと心配しているんです。結婚の予定なんてないのでそう答えると、「じゃあまだしばらく住んで下さるのね、嬉しい」と安心されるから、引っ越しはいま、考えられないですねー。
春日 私も引っ越しはまったく考えていません。広さ的に夫婦で住むのは厳しいけれど、セカンドハウスとしてあの部屋はずっと残したいと思っています。
能町 あとは大家さんの息子さん次第(笑)。
春日 自分から出て行くことはまずないです。それくらい気に入っています。
矢部 それぞれ、良い大家さんと巡り会いましたね。
能町 そもそも大家さんと接することって、あんまりないことですからね。
春日 接するとしたら注意されるとき。“大家さん運”が良かったなと思います。
矢部 とりあえず春日くんはこの雑誌を、「大家さんの話をしました」って、お土産と一緒に持って行ったらいいんじゃないかな。
春日 わかりやした。家賃の支払いもそこまで引き延ばせるかな~。
矢部 それは早く払いなよ(笑)。
(かすが・としあき お笑い芸人・オードリー)
(のうまち・みねこ 漫画家、エッセイスト)
(やべ・たろう お笑い芸人・カラテカ)
波 2017年11月号より
単行本刊行時掲載
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著者プロフィール
矢部太郎
ヤベ・タロウ
1977(昭和52)年、東京生れ。芸人・漫画家。1997(平成9)年に「カラテカ」を結成。芸人としてだけでなく、舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍している。2018(平成30)年、初めて描いた漫画『大家さんと僕』で手塚治虫文化賞短編賞を受賞。他の著書に『大家さんと僕 これから』『「大家さんと僕」と僕』(共著)『ぼくのお父さん』『楽屋のトナくん』『マンガ ぼけ日和』『プレゼントでできている』などがある。