海と山のピアノ
649円(税込)
発売日:2018/12/22
- 文庫
- 電子書籍あり
ひとも動物も、生も死も、ほんとうも嘘も。物語の海が思考を飲みこむ、至高の九編。
「四国って土地だから行政からほっといてもらえるのかもしれない」二年に一度、村の全員で住む場所を移す「村うつり」。私は“足”を澄ませ、移った故郷を探す(「ふるさと」)。三崎の若い漁師達は遭難し、マグロになった。海に飛び込もうとする彼らを叱咤したのは船頭の大マグロ。励まされ、必死に漁を続けると──(「野島沖」)。生も死もほんとうも嘘も。物語の海が思考を飲みこむ、至高の九篇。
ルル
海賊のうた
野島沖
海と山のピアノ
秘宝館
あたらしい熊
川の棺
浅瀬にて
解説 彩瀬まる
書誌情報
読み仮名 | ウミトヤマノピアノ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | くまあやこ/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン |
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 368ページ |
ISBN | 978-4-10-106933-3 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | い-76-12 |
ジャンル | 文芸作品 |
定価 | 649円 |
電子書籍 価格 | 649円 |
電子書籍 配信開始日 | 2019/06/21 |
書評
ほんものの豊穣
たとえば「秘宝館」。
「なんでも屋」と思われる主人公の男が、兄貴分に呼び出されて仕事に出かける。「ボロボロ屋敷」で見つけたトランクを運ぶように命じられ、ゴージャスなマンションの一室、森のそばの製材所を経て、湖に浮かぶ「秘宝館」へ辿り着くという物語。
「ボロボロ屋敷」の中は「猛獣の皮を無理矢理ひきはがした現場みたい」にちらかっていて、やたらと鏡が置いてあり、爬虫類に似た男女が黙々と洗濯物をたたんでいる。マンションの部屋は「蚕の繭みたいな、ふわふわのクロス」で覆われていて、応対に出た老女が奥に引っ込むと、「なにか堅いもので、やわらかなものを打つ音」と、動物の悲鳴に似たものが聞こえてくる。製材所には「月を腹に収めたみたいな巨大な笑みを浮かべ」る髭男がいて、怪しい自家製なめたけをふるまう。そして秘宝館に無事、トランクを収めた帰り道、主人公は思いもかけない光景に遭遇する……。
あるいは「川の棺」という一編。
仕事でガーナのアクラという町にやってきた主人公が、街中でビール瓶、エビ、飛行機のかたちをした棺を見かけたことをきっかけにして、「川の棺」を探しに行く。お供は、始終何かを食べていないと昏倒してしまう博物館助手と、「ほんとうはダンサー」だと言い張るタクシー運転手。川の棺があるという村アシャンを訪ねて、彼らは川を下る。ようやく見つけたその村で、「ふだん直視することを許されていない、さまざまなものの揺れ動く影」を見る……。
子供の頃、面白い本を読むと興奮して、すぐに真似をして書きたくなった。あの気分を思い出した。こんなふうにわくわくする、ぞっとする、深くて遠くて賑やかで行き止まりがないみたいな世界を、自分でも作り出してみたい、と熱望したのだ。
もちろん大人になり、小説家となった今は、豊かな細部、物語にだけ奉仕する理屈、自由奔放に飛び跳ねる言葉の先に示されるもののことまで考えざるを得ないから、そんな無謀な真似はしないけれど。ただ、どうしたらこんなふうに書けるんだろうと、嫉妬するのみだけれど。
そういえば、表題作「海と山のピアノ」の中に、こんな一節がある。主人公の「僕」が、父親を回想する場面。居場所がない人間を見れば誰彼構わず家に連れて帰ってきた彼を「父さんは穴があいたみたいな人だった」と「僕」は思い返して、「ほんもののおとなって、ほんもののこどもと、ほんものってことにおいては同じなんだ、きっと」と言うのだ。
ああ、これは「父さん」が書いた小説なのかもしれないなあ、と思う。
あるいはまた、「ほんもの」について考えてみたりもする。「ほんもの」ってなんだろう、と。大きな災害のあと、いろんなものを失った子供たちが空想した「見えない犬」のことだろうか(「ルル」)。鳥の声に導かれ、ときどきその場所を変える村のことだろうか(「ふるさと」)。人生に行き暮れた人々の前に突然あらわれ、海賊に勧誘する船長だろうか(「海賊のうた」)、それとも船が魔界に迷い込んだとき、その身を削って船員たちに食べさせて勇気づけた船長こそがそうだろうか(「野島沖」)。
わからない。わからないし、時間をおいてこの本を再読したときには、またべつの「ほんもの」を見つけることになるのかもしれない。答えではなく「ほんもの」ってなんだろう、と考えたことだけを、いつまでも覚えているのかもしれない。
本書の中で、海と山とは溶け合っていて、それらと人ともまた溶け合っている。人と、人でないものも溶け合っていて、海のこちらとあちらも、この世に生きているということの、こちらとあちらも溶け合っている。
ああそうなんだよな、と頷くけれども、「教えられた」とは思わない。著者は教えようとなどはしておらず、ただ、彼がそう信じていることを感じる。信じている、ということを書いているのだと。人間は豊穣なものだと私は知っているけれど、そこにさらに豊穣なものが流れ込んできて、クラクラするほどの豊穣になり、私はそこに迷い込み、(もしかしたら「秘宝館」の主人公のように、自分ではそれと気付かずに、声を出して)笑っている。
(いのうえ・あれの 作家)
波 2016年7月号より
単行本刊行時掲載
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著者プロフィール
いしいしんじ
イシイ・シンジ
1966(昭和41)年大阪生れ。京都大学文学部仏文学科卒。1996(平成8)年、短篇集『とーきょーいしいあるき』刊行(のち『東京夜話』に改題して文庫化)。2000年、初の長篇『ぶらんこ乗り』刊行。2003年『麦ふみクーツェ』で坪田譲治文学賞、2012年『ある一日』で織田作之助賞、2016年『悪声』で河合隼雄物語賞を受賞。その他の小説に『トリツカレ男』『プラネタリウムのふたご』『ポーの話』『みずうみ』『四とそれ以上の国』『よはひ』『海と山のピアノ』、エッセイに『京都ごはん日記』『且坐喫茶』『毎日が一日だ』など。2018年12月現在、京都在住。