イノセント・デイズ
880円(税込)
発売日:2017/03/01
- 文庫
- 電子書籍あり
彼女はなぜ、死刑囚になったのか――極限の孤独を描き抜いた衝撃の社会派ミステリー。
田中幸乃、30歳。元恋人の家に放火して妻と1歳の双子を殺めた罪で、彼女は死刑を宣告された。凶行の背景に何があったのか。産科医、義姉、中学時代の親友、元恋人の友人、刑務官ら彼女の人生に関わった人々の追想から浮かび上がる世論の虚妄、そしてあまりにも哀しい真実。幼なじみの弁護士たちが再審を求めて奔走するが、彼女は……筆舌に尽くせぬ孤独を描き抜いた慟哭の長篇ミステリー。
第二章 「養父からの激しい暴力にさらされて――」
第三章 「中学時代には強盗致傷事件を――」
第四章 「罪なき過去の交際相手を――」
第五章 「その計画性と深い殺意を考えれば――」
第七章 「証拠の信頼性は極めて高く――」
書誌情報
読み仮名 | イノセントデイズ |
---|---|
シリーズ名 | 新潮文庫 |
装幀 | 東才子/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン |
雑誌から生まれた本 | 小説新潮から生まれた本 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 480ページ |
ISBN | 978-4-10-120691-2 |
C-CODE | 0193 |
整理番号 | は-68-1 |
ジャンル | ミステリー・サスペンス・ハードボイルド |
定価 | 880円 |
電子書籍 価格 | 781円 |
電子書籍 配信開始日 | 2017/08/18 |
書評
後ひき度MAX! 動揺必至の衝撃作
凄まじい物語である。
読みながら次第に上昇していった心拍数が、エピローグで一気に跳ね上がり、今尚落ち着かない。冷静になろうと努めても、物語を振り返ると再び心臓がドクドクと早打ちし出す。呼吸が浅くなる。嫌な汗が滲む。自分の価値観を問われ、度量の限界を思い知らされている。途方もない心細さとやるせなさが波のように押し寄せてくる。この衝撃、この動揺。小説を読んでこれほど心が乱されたことは、久しくなかった。
〈主文、被告人を――死刑に処する!〉。
秋深いある日、横浜地裁でひとつの判決が下された。被告人の田中幸乃はこの時二十四歳。二年前に別れた元交際相手の井上敬介に執拗なストーカー行為を繰り返した挙句、その自宅アパートに火をつけ、敬介の妻と幼い双子の娘を死亡させた放火殺人の罪が科せられていた。複数の目撃証言などにより、警察は事件当日の夕方には幸乃の自宅に踏み込み、大量の睡眠薬を服用し自殺を図ろうとしていた彼女を逮捕。幸乃は敬介一家への殺意を認め、事件は迅速に収束をみせていた。
しかし、世間の注目度は高く、週刊誌を中心としたマスコミは幸乃の過去を暴き立てた。幸乃の母親が十七歳で私生児として彼女を産んだこと。養父から受けていた虐待。中学時代には不良グループに加わり、強盗致傷事件を起こし児童自立支援施設に入所していたという事実。事件直前、幸乃が整形手術を受けていたことも明らかになった。マスコミによって〈整形シンデレラ放火事件〉と命名された事件の犯人・田中幸乃は、身勝手な理由で母子三人を焼き殺した鬼女として、人々の記憶に深く刻まれたのである。
二部構成で描かれる物語は、そんな幸乃の真実を深く静かに追っていく。事件発生に至るまでの第一部は、幸乃をとりあげた産科医・丹下建生の回想から幕を開ける。養父の連れ子で幸乃のひとつ年上の姉となった陽子、中学時代の同級生・小曽根理子、事件により妻子を亡くした敬介の友人・八田聡。第五章では幸乃自身へと焦点を移し語られるエピソードは、読者が抱いた彼女のイメージを少しずつ塗り替えていく。〈覚悟のない十七歳の母のもと――〉〈養父からの激しい暴力にさらされて――〉〈中学時代には強盗致傷事件を――〉〈罪なき過去の交際相手を――〉〈その計画性と深い殺意を考えれば――〉。死刑を言い渡した裁判長の言葉を引用した各章タイトルは、嘘ではないが真実でもない。その印象と実像のズレが、次第に読み手の心をざわつかせるのだ。
続いて判決以後の第二部では、第二章にも登場した幸乃が幼い頃共に遊んだ“丘の探検隊”仲間の丹下翔と佐々木慎一が、彼女を救う術を模索する姿が描かれる。産科医の丹下の孫であり、父親と同じく弁護士となった翔は、控訴はせず、刑に従おうとする幸乃の力になりたいと、頻繁に拘置所へと足を運ぶ。一方、幸乃が中学時代に犯したとされる強盗致傷事件の現場を偶然目撃していた慎一は、幸乃の無実を信じ、独自に調査を始めるが――。
幸乃を十七歳で産んだ母・ヒカルは、初めて丹下の診察を受けた際、「堕ろしてください」と言った。保護者もパートナーもいない自分は、今まで一度も生まれてきて良かったと思ったことがない。産むことなんてできないと。けれど「覚悟」を決めた後、生まれてきた娘に幸乃と名前をつけたのだ。
〈幸せになってほしいから。私が幸せにしてあげたいから〉。
いつ、どこで、何によって、誰によって幸乃の人生は歪み始めたのか。生まれてきて申し訳ないとまで、思うに至ったのは何故なのか。事件の真相もさることながら、次第に彼女をそこまで追い詰めた人々の罪を考えずにはいられなくなる。そしてやがて、無意識のうちに自分も誰かにとっての彼らになっているのではないかと、問わずにもいられなくなる。祈るようにページを捲りながら、何を祈っているのかさえ、分からなくなる。
果たしてこの結末は救いなのか、罪なのか。
突き付けられた問いの答えは、当分出せそうもない。
(ふじた・かをり 書評家)
波 2014年9月号より
単行本刊行時掲載
インタビュー/対談/エッセイ
50万部突破記念対談[後篇]未来の自分に期待して
『イノセント・デイズ』の大ファンという長濱ねるさん。作家との白熱・充実した長時間対談の後半です。楽に生きられる時は来るのか、本当の共感とは何か、そして二人が衝撃を受けた作家とは――。必読!
長濱 早見さんはこれまで生きてきて、何歳の頃がいちばん楽しかったですか?
早見 いまになっていちばん良かったと感じるのって、たぶんいちばん苦しかった時期ですね。
長濱 へぇ!
早見 デビュー作の『ひゃくはち』を書いている20代の中頃は、なんの保証もないし、収入も月に6万とか8万しかないような状況だったんです。不満ばかりだったし、一生こんな生活が続くんじゃないかと思っていました。でも、そういう時期こそが、輝かしい記憶になっちゃうんですよね。
長濱 私はいま23歳で、これから絶対によくなるはずだと思いながら、生きつないでいるところがあるんです。
早見 ちなみに、僕の23歳って、丸々一年くらいインドとかに行ってる時期なんです。そうやって旅行とかばかりしていたので、大学を3回留年して、25歳の時に内定していた就職先に入れなくなったんです。その時に、あてもなく小説を書いていて、2008年に30歳でデビューしました。当時、文章を書けてさえいれば幸せだと思っていた自分が、いま家族を養い、それなりに欲しいものも買える……という生活ができているなんて、夢みたいな話なんです。でも、つらさはね、消えないんです。
長濱 そうなんですか。
早見 いまも焦り続けているし、書くたびに、「またこんなものしか書けなかった」って毎回思いますし。だから、夢のない話をしますけど、いま長濱さんが23歳で苦しいのは、いつまでも晴れることなく……(笑)。
長濱 あぁ……(笑)。でも、それが真理な気がしますね。「何歳になったら楽になるよ」と言われるよりも、「ずっと苦しいよ」って言われる方が、納得できるかもしれない。
本当の「共感」とは?
長濱 今日はすごくおもしろい話ばかり伺っている気がします。共感って救いだと思いますし、自分と同じ人がいたというだけで心が晴れることがあるので、助かりますよね。
早見 でも、そこにさえ僕は疑いがあって、いま、あまりにも共感がもてはやされすぎていないか、という気持ちもあるんです。
長濱 いまもてはやされているのって、本当の意味での「共感」ではないと思います。
早見 なるほど。
長濱 SNSの「いいね」とかも、実際には心からの共感ではない方が多いと思います。だけど、「いいね」ボタンを押すことは「共感」として見られていて、その「共感」で数字もお金も動いていて。だからこそ、インフルエンサーがビジネスになっていると思うんです。でも、その「共感」って虚像なんじゃないかなって私はすごく思うんです。
早見 つまり、いま世の中に流通している「共感」とは違う言葉がどこかにあるはずだ、ということですよね。
長濱 そうです。こんなに安く使われすぎちゃうと、本当の「共感」をなんて表現したらいいのか……。
早見 たしかに、「共感」はいま、安売りされている感じがありますよね。
長濱 私たちの世代だと、友達付き合いで「いいね」を押したり、「いいね」を押してくれたから「いいね」を返そうっていうこともあるんです。それは別に悪いことじゃないし、深い意味を持っていないのに、数字に表れてしまうから、それに踊らされる人もたくさんいて。難しいですね。
早見 うん。でも、すごくしっくりきました。
長濱 世の中にもの申したいことがあっても、なかなか言えないですし、友達と話すことでもないので、やっぱり文章になるんですかね。
早見 長濱さんは絶対に書く人ですよね。遅かれ早かれ、絶対書く。絶対書くから、本当に(笑)。
長濱 (笑)。たとえば、これを言いたいとか伝えたいとか、もの申したいことがあるじゃないですか。でも、その言葉を使わないということですよね。それに行きつくために、フィクションを書いたり、違う文章を書いたりって、難しそうだなと思うんですけど……。
早見 でも、楽しいじゃないですか。普段、長濱さんがやっていることと、たぶん同じ作業なんだと思います。自分の中のモヤモヤの根元は何なんだ、この気持ち、この感情って何なんだろう……って探りに行く作業は、長濱さんも好きな人に見えるから。
いつかの自分に期待して
長濱 私自身、自信がない自分が根底にある中で、打ちひしがれることもすごくあるんです。例えば、同世代の子が書いた小説を読んだ時に、「うわ、こんな言葉知ってるの!?」とか、「こんな美しいなめらかな文章あるの!?」と思うことがあるんです。それでもあきらめずに書くんだというパワーは、どこからくるんですか。
早見 前提として言うと、いまの話は宇佐見りんさんのことですよね?
長濱 はい。
早見 やっぱりそうですよね。衝撃だったもんね。
長濱 すごいですよね。
早見 去年、僕は山本周五郎賞というエンターテインメントの賞をもらったんですけど、同じ時に三島由紀夫賞という純文学の受賞作が、宇佐見りんさんの『かか』だったんです。だから、「オレなんか前座だ」と思いながら授賞式に行きました。
長濱 それは絶対違うと思いますけど(笑)。
早見 いや、本当に思ってましたよ。「ど天才がいる!」って。
長濱 それこそ、私は小説デビューもしていないし、書き始めてもいないのに、宇佐見さんの小説を読んだ時にあきらめました、なにかを。
早見 それはよくわかります。僕は二十歳の頃、浪人生で、パチンコと麻雀しかしないようなダメ人間だったんです。大晦日も勉強せずにボーッと見ていた紅白歌合戦に、同い年の安室奈美恵さんが出てきて。それこそ、なんにも関係ないじゃないですか。なのに、「自分はこんなクソ野郎なのに、この人はこんなに輝いてる」と思って、ズタボロになりました。
長濱 (笑)。私たちはたぶん、自分に期待してるんですよね。「自分はやれる」と思っているから、勝手にライバル視して(笑)。
早見 本当に、そうですね。昨日までライバルだなんて思ってなかったんですから(笑)。
長濱 めちゃくちゃわかります(笑)。
早見 僕も素人時代から、すごい小説に触れた時は落ち込みました。小説家になってから、なにか変わるかと思ったんですけど、変わらないですね。でも、結局、これは僕をデビューさせてくれた集英社の担当編集者の受け売りなんですけど、「書く人間は書くことでしか切り拓いていけないから、つべこべ言わずに書け」というのが、僕の心にすごく残っていて。この、すごい小説にくらった気持ちを、ちゃんと自分の作品に持ち込むことが大事なんだ、という開き直りをするようになったんです。プロの作家になって以降は、まわりから聞く評価とか、装丁がまとっている雰囲気で、「これはオレを傷つける本かどうか」ってわかるようになりました。
長濱 え、すごい(笑)。じゃあ、読まないんですか、そういう本は。
早見 すぐには読めないんです。落ち込んでる場合じゃない時は拒絶する(笑)。でも、僕は本気で自分を凡夫だと思っているから、その作品を避けて通ることはできないんです。だから、いまならギリギリ落ち込んでもいいかな、という時に読むんですけど、やっぱり落ち込むんですよね。
長濱 でも、フィクションだから、自分の出来事を作品の中には書けないですよね?
早見 その直接的な感情を作品の中に持ち込むわけじゃないんです。「いま傷ついてる自分が、裸になって、さらけ出して書くこの一文こそが本物だ」という捉え方なんです。『イノセント・デイズ』と並行して連載していたのが、『ポンチョに夜明けの風はらませて』という、おバカな高校生の青春物語だったんです。ちょうど、『イノセント〜』でいちばんしんどいシーンを書いた時に、僕の母が闘病の末に死ぬという出来事があって、その翌日から『ポンチョ〜』を、つまり、笑える話を書かなくてはいけないタイミングがあったんです。その時に何とか乗り越えられたのは、「いま落ち込んでいる自分が書くおもしろ話こそが本物だ」という開き直りだったんです。
長濱 そうなんですか……。
早見 で、そのシーンは、のちにゲラで読み返した時に、すごく好きなシーンとして残ったんです。
長濱 それがどのシーンなのかは、あえておっしゃらないんですね?
早見 それは、だって、読んだ人に「つまらない」と思われたらイヤだもん(笑)。
長濱 なるほど(笑)。
感動が支えてくれる
早見 長濱さんがエッセイ(「夕暮れの昼寝」、「ダ・ヴィンチ」連載中)の中で、〈早く歳を取りたい〉〈おばあちゃんになりたい〉と書いていましたよね。僕もすごく気持ちがわかります。僕も苦しいんです。だから、生まれてはじめて背負ってしまった「死ぬまで書いていたい」という欲望がある中で、でもある時に「お前、今日で書くの終わり」と言われた日のことを想像すると、いまの焦りから解放されて、すごく幸せな気持ちにもなるんです。その僕の感覚に、〈おばあちゃんになりたい〉という話は近いんじゃないかなと思ったんです。
長濱 私は、今日、早見さんのお話を聞くまで、「いつまで経っても苦しい」というのを大人の人に言われたことがなかったんです。「20代、楽しく遊んでおきなよ」とか、「30代になると楽になるよ」とか、いろいろな答えをもらってきた中で、「いつまで経っても苦しい」という早見さんのお話は、逆に助かりました。これから誰に出会っても、何をしても、結局、苦しむんだと思えたら、いちいち落ち込んでいたのが気にならなくなるし、自分はこの先もこういうものを抱えて生きていくんだろうな、と思いました。
早見 そうですね。根本の人間性は変わらないと思うから、たぶん、どんどん苦しくなりますよ(笑)。
長濱 きゃー(笑)。
早見 でも、少しずつ折り合える図太さも身につけていく気がするから。たぶん、瞬間瞬間での楽しいことが支えてくれるんだろうし、「こんな人と出会えた」とか「こんな本と出会えた」という瞬間はやっぱり幸せだし。その、たまに現れる感動が自分を支えてくれると思うので。僕もですけど、がんばりましょうね。
長濱 がんばります。ありがとうございました。
(ながはま・ねる タレント)
(はやみ・かずまさ 小説家)
波 2021年12月号より
50万部突破記念対談[前篇]物語における「救い」とは
『イノセント・デイズ』の大ファンという長濱ねるさんを迎えて対談が実現。作家が執筆中に叫ぶ瞬間、女子高生がアイドルを目指した時、そして物語における救い――。初対面の二人の対話が予定時間を大幅に超えて盛り上がったため、2号連続でお届けします!
長濱 仕事で「おすすめの本」を聞かれることが多いんですけど、私は百発百中で『イノセント・デイズ』と答えています。二日、三日落ち込んで、余韻に引きずられちゃうような本が好きなんです。『イノセント・デイズ』は、最後まで救いのない感じが、とても深みがあっておもしろかったです。
早見 ありがとうございます。
長濱 でも、早見さんがすごくお話ししやすい雰囲気の方でびっくりしました。
早見 小説家として、僕は自分をニセモノだと思いすぎているくらい思っているんです。そのせいですかね。
長濱 ニセモノ? 小説家じゃないということですか?
早見 はい。僕は人間としては傲慢だと思うんですけど、書き手としては謙虚というか、「本来、表現していい人間なのか」という思いが常にあるんです。小説家という立場になって、自分を分析していきますよね。そうすると、たぶん僕は空気を読むことに長けているんだと思うんです。
長濱 私、マネージャーさんに「長濱さんは空気を読むことは長けてる」と言われたことがあって、今ちょっと似てると思っちゃいました(笑)。
早見 長濱さんのエッセイ(「夕暮れの昼寝」、「ダ・ヴィンチ」連載中)を拝読して、まさにその部分を感じました。あえて偉そうに言いますけど、長濱さんは、空気を読んだ上で「どう振る舞うか」よりも、「緊張する」とか「照れくさい」という気持ちの方が勝っているように感じたんです。その結果、エッセイにも書かれていたように、「内心、何考えているかわからない」と人に言われるんじゃないかなって。
長濱 丸裸にされてる気がする(笑)。
早見 やっぱり文章って隠せないと思うんです。僕は文章がいちばん人となりを表現するものだと思っていて。
長濱 メディアのお仕事をする時に、ちょっと猫をかぶっちゃう自分もいるんです。そうしているうちに、自分が思っている自分像とどんどん乖離していくのが嫌で、「文章だったら本当の自分を書けるかもしれない」と思って、エッセイを書き始めたんです。でも、心のどこかに、「本当の自分をわかられてたまるか」という気持ちもあって(笑)。だから、いま、早見さんがおっしゃった「内心、何考えているかわからない」というのは、褒め言葉として受け取りました。
早見 だけど、やっぱり行間からは隠せない何かがにじみ出ていると思うんです。それも含めて「隠せない」と。その意味で、長濱さんはたぶん、女の子っぽいところは見せたくないんだろうなって感じました。その結果、エッセイの中に「ハイボール」とか「サウナ」というキーワードが強く入ってくる。
長濱 私、幼い頃から「ぶりっこ」と言われることが多くて、そう言われるのがすごくトラウマだったんです。だから、わざとガサツに見せようとしてるところがあって、でも、そういうところを隠そう隠そうとしているので、今、すごく恥ずかしいです(笑)。
早見 やっぱり「文は人なり」ですよね。長濱さんは、隠せない何かがにじみ出ている文章を書かれる方なので、だからこそすぐにでも長いものを書いたらいいんじゃないかなと思います。
〈以下、『イノセント・デイズ』の結末に触れる箇所があります。未読の方は次の※※※印からお読みください〉
長濱 早見さんが小説を書くときは、まずプロットを作るんですか?
早見 作品にもよります。『イノセント・デイズ』は、主人公の田中幸乃を生かすか殺すかを考え抜くことから始めました。「どういう読後感にいたるか」というゴールを決めるまでは、一文字目を書けませんでした。
長濱 『イノセント・デイズ』は、どうしてあの結末にしたんですか?
早見 ひとつは、僕自身がこれまでニュースで見た容疑者のことを「当然、裁かれてしかるべきだ」と決めつけてきたんじゃないか……という自分に対する刃があったんです。みんなが当たり前のように「凶悪犯だ」と思っている人に対して、「本当に凶悪犯なのか?」と立ち止まる視線が、読者にも伝わるといいなと思ったんです。もうひとつは、長濱さんの意見の否定になってしまうかもしれないんですけど、あのラストにこそ、救いを感じ取ってくれる読者がいたらいいな、と。
長濱 あの結末だからこその救いということですか。
早見 はい。あの結末こそが、田中幸乃が唯一、自分で願い続けて手にしたものだという……。
長濱 ああ、なるほど! すみません……めちゃくちゃ浅はかな読み方で。
早見 とんでもないです(笑)。
長濱 「救い」という言葉が、すごく腑に落ちました。あのラストこそが田中幸乃の光であったと。
早見 そういう捉え方もできるんじゃないかと思うんです。僕自身は、誰か身近な人が自分で命を絶ったら打ちひしがれてしまう人間だけれども、でも、それも生きていく上での選択肢のひとつかもしれない。もしかしたら、最後に解き放たれて、笑顔で死んでいく人だっているんじゃないか、と。
長濱 そうですよね……。
早見 『イノセント・デイズ』を読んで、「自殺を思いとどまった。死ぬのはまだ早いと思えた」と言ってくれた高校生がいたんです。それを知った時は、何か伝わったのかなと思えました。
「救い」のある物語
早見 長濱さんは、どんなタイミングで『イノセント・デイズ』を読んでいたんですか?
長濱 私は高校2年生の時に上京して、一人暮らしを始めました。アイドルという仕事も特殊だし、この業界もすごく特殊で、言われたことに一個一個疑問をもってモヤモヤしてしまっていて。でも、私が自分で飛び込んだ世界だし、自分はまだ10代だし、大人の言っていることだし……。そんな風に、解決できずに、消化できないままでいました。
そんな時に『イノセント・デイズ』を読んでいたので、「死」とか「生きる」とか、「人から見られている自分と本当の自分の違い」とかが、すごく鮮烈に、ダイレクトに伝わって来たんだと思います。最後の結末を読んだ時には、家に友達がいたんです。
早見 親友の「おーしゃん」?
長濱 なんでわかるんですか!?
早見 エッセイに「おーしゃん」がいっぱい出てくるから(笑)。
長濱 (笑)。その時の私は、「幸乃さんを救えなかった……」という視点で読んでいたので、落ち込んで泣いてしまいました。そうしたら、おーしゃんが「その結末、救いあったの?」って言ったんです。それまで、「救いがある」「ない」という感覚で本を読んだことがなかったので、「この本の救い? あったの? ないの?」って、すごく考えた覚えがあります。
早見 いまのお話もそうですけど、『イノセント・デイズ』って、しんどい時に読んでくれた人に、ちゃんと届いている本なんです。でも一方で、僕と担当編集者の中には、「生きることなんて、しんどいに決まっているんだから、せめて物語の中ぐらいは、『ああ、楽しかった』というゴールにたどり着かなきゃいけないんじゃないか」という気持ちもあって。その意見については、どう思いますか?
長濱 う〜ん……。でも私は、『イノセント・デイズ』にすごく救われたので。ということは、「ああ、良かった」という終わり方じゃなかったからこそ、私にはすごく響いたと思うんです。あの結末が幸乃さんを救うことだったという早見さんのお話は、いま、時を超えてしっくりきました。
早見 そうなんですよね。「救いのない物語だ」と捉えた長濱さんが救われてくれているわけじゃないですか。そこにはすごいパラドックスがあって。だから、言葉ではなくても読み取ってくれている部分があるのかもしれない。
長濱 論理的に頭で考えるよりも、心に届いてたってことですかね。
早見 そうだと嬉しいなって思います。
※ ※ ※
早見 長濱さんは何を求めてアイドルに応募したんですか?
長濱 「東京に行きたい」という気持ちがあったんです。
早見 大前提としてあったのが「東京」ということ?
長濱 はい。私は田舎に住んでいて、校則の厳しい公立の進学校に通っていたんです。スカートは膝下何センチとか、土日は毎回模試がある……みたいな学校でした。私はその頃、空港で働くグランドスタッフになりたくて、専門学校のオープンキャンパスにも行っていたんです。でも、進路相談でそう言った時に、もう言語道断みたいな感じで。
早見 「大学に行け」と?
長濱 はい。そこで糸が切れちゃいました。なんで毎日こんなに必死に勉強してるんだろうって。そんな時に、オーディションがあったんです。〆切りの最終日に書類を送りました。親にも秘密で。
早見 「ここから逃げたい」という気持ちがあったんですね。
長濱 それもあったのかもしれないです。でもやっぱり、負けず嫌いな部分もあるので、オーディションが進んでいくうちに、「絶対アイドルになりたい」と思うようになりました。
早見 それが高校2年生の何月ですか?
長濱 2年生の6、7月ですね。
早見 もうしっかりおじさんになった僕からすると、「あと1年半の辛抱じゃん」ともいえる話ですよね。
長濱 そうなんですよね。でも、キツかったですね。それなのに、思い出としては、キツかったことを思い出すんですよね。
早見 よくわかります。僕は私立の桐蔭学園という高校出身で、校則が厳しいことで有名だったんです。僕はそれに大反発してました。だけど、いまになって桐蔭学園の「主なOB」を見ると、多方面ですごくおもしろいんです。あの環境から出るべくして出ている感じがして。
長濱 ぎちぎちの中でフラストレーションがたまった分、突拍子もない方に行きますよね。
早見 長濱さんも、もし自由な学校だったら、オーディションを受けてなさそうですもんね。
長濱 そうかもしれないですね。もし私が東京にいたら、今の道には進んでなかったと思います。
小説を書いて満たされる瞬間
長濱 早見さんは、「書く」ということがしんどくなったことはありますか。
早見 書くことは、常時しんどいです。何をしているよりもしんどい。
長濱 それでも、職業としてやっている責任感が勝つということですか。
早見 いや、責任感とかはないですね。願いはあるんですけど、僕なんかが書いたもので、どうにかなるとも思っていないので……。だけど、自分に対して期待しているんですよね、たぶん。
長濱 めちゃくちゃわかるかもしれないです。
早見 小説を書く行為って、人と会わないし、自分と対話し続けるし、伝えたいことが100あるくせに、3とか4しか書けないし……。だから、書くことは才能のなさを自分に突きつけていく作業だと思っているんです。
長濱 そうなんですか。
早見 それでも、本が売れた時でもなく、映像化された時でもなく、著名人におすすめされた時でもなくて、唯一、脱稿する時、書き終えた瞬間のエクスタシーってちょっと異常なんです。
長濱 誰かに称賛されるよりも、書き終えたことが気持ちいいんですか。
早見 はい。最後までたどり着いた時の……あれは、なんなんですかね。「うひょー!」って言いますね、一人で。
長濱 あはは(笑)。
早見 「うひょー!」という話でもなかったはずなんですよ。それまで、人が生きるか死ぬかを書いてきたのに。
長濱 なのに、「うひょー!」(笑)。
早見 本当に、深夜に部屋の中にこだまするんですよ。その瞬間にしか、本当の意味では満たされていないなぁ、と思うんです。
長濱 でも、その満たされたのも、そんなに長くはもたないということですか。
早見 もたないんです。だけど、自分が期待するいつかの自分に、一歩近づいたような感覚はあるんです。
言葉に傷つけられた経験
長濱 小説家になれるとは思っていないですけど、小説家という職業にはすごく興味があって、私も書いてみようと思ったことがあるんです。一人で歩いていたり、なにかの状況に置かれている時に、「あ、小説みたい」とか「物語みたいだな」と感じることが多くて。それを書きたいと思うんですけど、どんなゴールに向かって、誰に何を伝えていいのかがわからなくて。
早見 僕は逆で、伝えたいことが一個あるんですよね。その伝えたいことが、たとえば標語みたいに、「目に見えているものが正解ですか」と書かれていたとしても、僕にはただの記号、情報としてしか伝わらないんです。だけど、物語という形を借りることによって、その一文を書いてないのに伝わることがあるんですよね。
長濱 うん、うん。
早見 じゃあ、どういう物語の形を借りればそのメッセージはいちばん届くのか……ということを、あの手、この手でやり続けている気がします。
長濱 本当は50文字ぐらいで収まることを何万字もかけて……。
早見 はい。だから、現代的じゃないし、効率の悪いことをしている感覚もあるんですけど、そうじゃないと人には伝わらない、とも思っているんです。長濱さんのエッセイにある〈得体の知れない大きな大きなブラックホールのようなものに飲み込まれそうで、必死に何かにしがみ付いていた〉という表現なんて、まさに小説だと思いました。
長濱 ホントですか?
早見 すごくイメージがわいたし、長濱さんは小説を書いているんだなって。
長濱 自分の心の中をどう表現するかが、色とか映像で浮かぶんですよね。その映像を描写した、という感じです。
早見 でも、小説を書くことって、その繰り返しだと思うんですよね。風景の描写と、心の描写と、人物描写と。
長濱 嬉しい。ありがとうございます。
早見 長濱さんが小説を書く人なんだろうなと感じたもうひとつの理由は、言葉に対して慎重なんですよね。たぶん、言葉に傷つけられた経験がすごくある人なんだと思うんです。
長濱 それって生まれつきなんですかね。過敏に深読みしちゃうというか……。
早見 僕も生まれつきだと思っているんですけど、小説家になってからその傾向がより強くなりました。でも、誰かの迂闊なひと言に傷つけられてなきゃダメだ、という気持ちもあるんです。そうじゃないと、自分が傷つける側に回ってしまう気がして。
長濱 すごくわかります。こういうお仕事だと、「もっと端的に言ってください」とか、「ひと言でまとめてください」と言われることが多いんです。それで、あきらめました。それは自分でもすごく寂しいし、そうすることによって、どんどん言葉を忘れていく気がして……。
早見 僕は小説家って、きわめて不器用な人が多いと思っているんです。まさに、伝えたいことをひと言で言えない人たちが集まってるに決まっていると思ってる。でも、それだけの時間、読者に付き合ってもらって、もし伝えたかった何かがちゃんと伝わるのであれば、それは幸せなことじゃないですか。だから、すごく幸せな仕事をさせてもらっているなと思っています。
(ながはま・ねる タレント)
(はやみ・かずまさ 小説家)
波 2021年11月号より
[後篇]へつづく
どういう本?
一行に出会う
正義は一つじゃないかもしれないけど、真実は一つしかないはずです(本書421ぺージ)
著者プロフィール
早見和真
ハヤミ・カズマサ
2008(平成20)年『ひゃくはち』でデビュー。2015年『イノセント・デイズ』で日本推理作家協会賞受賞。2020(令和2)年『店長がバカすぎて』で本屋大賞ノミネート。同年『ザ・ロイヤルファミリー』で山本周五郎賞を受賞した。