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荒仏師 運慶

梓澤要/著

781円(税込)

発売日:2018/11/28

  • 文庫
  • 電子書籍あり

日本芸術史に屹立する運慶。まったく新しい美を創造した天才の劇的な生涯がよみがえる!

ひたすら彫る。彫るために生きる。それが仏師だ。全く新しい美を創造し、日本芸術史に屹立する天才運慶。その型破りな人生とは――。少年の頃、「醜い顔」と嘲られた運慶は、女の姿態や鎌倉武士の強靭な肉体に美を見出していく。快慶との確執、荒ぶる野心。棟梁として東大寺南大門の金剛力士像を完成させた絶頂期、病に倒れた。劇的な生涯を描ききる、本格歴史小説。中山義秀文学賞受賞作品。

  • 受賞
    第23回 中山義秀文学賞
目次
第一章 光る眼
第二章 新しい時代、新しい国
第三章 棟梁の座
第四章 霊験
第五章 巨像
第六章 復活
第七章 一刀三拝
 解説 籔内佐斗司

書誌情報

読み仮名 アラブッシウンケイ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 原田維夫/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 496ページ
ISBN 978-4-10-121182-4
C-CODE 0193
整理番号 あ-91-2
ジャンル 歴史・時代小説、歴史・時代小説
定価 781円
電子書籍 価格 781円
電子書籍 配信開始日 2019/05/17

書評

永遠という仏

島内景二

 久しぶりに王道を歩む小説を読んだ。小説は激動の時代を描きつつ、そこから人間の不動の真実をつかみ取る。
 変革期とは、古い時代の宝箱も、この世に災いをもたらすパンドラの箱もぶちまけられ、新しい夢を見る者が、我先にと飛び出す時代のことである。天下の覇権を求める英雄たち。古いスタイルに飽きたらず、新しい文化を模索する芸術家たち。混乱を収束しようとする宗教者たち。……
「古代」が「中世」へと移行する変革期、文学で言えば『平家物語』と『方丈記』の時代にも、未曾有のカオスが姿を現した。梓澤要の新作『荒仏師 運慶』は、この時代に生き、東大寺南大門の仁王像(国宝)などを残した仏師に着目した。小説の可能性を突き詰める野心作である。
 梓澤は、小説というジャンルの可能性を信じる。だから、夏目漱石の時点まで回帰しようとした。漱石『夢十夜』の第六夜。運慶が自在に木の中から仁王を掘り出すのを見た「自分」は、同じように木の中から仁王を掘り出そうとしたが、失敗する。「明治の木にはとうてい仁王は埋っていない」というのが、漱石の結論だった。
 梓澤の戦略は、平成の「木」から運慶を掘り出すのではなく、平成の「人間の心」に「運慶」という人物像を刻み込むことにあった。すると、読者の心に、運慶が彫り続けた「仏」までもが刻印された。この「仏」とは、現代人にとって何なのか。運慶が見出した仏の真実は、梓澤要に小説というジャンルの再定義を可能にした。
 ここ数年の作者は、『光の王国 秀衡と西行』『捨ててこそ 空也』などの意欲作を相次いで世に問うてきた。満を持しての「仏」への挑戦である。その姿はどことなく、戦後文学の代名詞だった三島由紀夫の戦いを連想させる。
「わたしは美しいものが好きだ」という印象的な一文で始まる『荒仏師 運慶』は、美とは何かという問いかけを執拗に繰り返す。なぜならば、仏とは美の別名であるからだ。梓澤は、明らかに『金閣寺』の美への執着を意識している。三島は美を破壊し、美を呑み込む巨大なブラックホールを作り出した。逆に梓澤は、現代文化に口を開いた巨大な闇から、何を引き出せるかを追い求める。運慶の指導のもとに、彼の二人の子が作った「無著むじゃく世親せしん立像」(国宝、興福寺北円堂)について、父と子が語り合う場面も印象深い。
 子が「無著さまはどうしてこんなに哀しげなお顔なのですか」と問うと、父の運慶が「それは、無著さまが、この世のものは物であれ事象であれ、すべてはおのれの心がつくりだすいわば幻想で、実体はないと知ったからだ」と答える。
 これは、三島が「豊饒の海」シリーズでこだわった唯識思想(阿頼耶識あらやしき)である。三島は認識の不毛に苦しみ、認識を超える「無=空」を作り出し、そこへと身を投じた。梓澤は、自分の分身である運慶の仏師としての歩みを通して、認識という幻想に不壊の「形」を与える方策を思索する。
 認識によっては永遠が手に入らないと、三島は考えた。梓澤は、永遠を「仏」と言い換える。仏は、美だけでなく永遠の別名でもあるのだ。この発見で「仏の心」が見えてくる。
 運慶が彫った「仏」たちは生きている。「高野山の名宝」展(サントリー美術館、2014年)の会場で、運慶作の国宝「八大童子像」を私は観た。『荒仏師 運慶』でも、重要なエピソードとなっている童子像である。八体の仏像たちは、つぶらな目で私を見つめていた。今にも動き出し、何事かを私に語りかけたそうだった。仏は、現代人に何かを訴えたがっている。
 これまでの近代小説や戦後小説で展開された人生論・芸術論を踏まえつつ、梓澤は「仏」という普遍的テーマを現代化した。梓澤要は、この新作によって小説家としての自己実現を遂げたのではないか。漱石や三島が切り拓いた道を歩み直し、その先に、自らの足で新しい道を開削した。この道を、どこまで伸ばしてゆけるか。
 ランボーは、海と融け合う太陽の中に、永遠を見つけた。運慶は、木と融け合った仏に、永遠を見つけた。そして、梓澤要は、原稿用紙に溶け込んだ運慶の祈りに、永遠を見つけたのだと思う。だから、『荒仏師 運慶』という小説に込められた梓澤要の魂の中に、読者も永遠を見つけることができる。本物の小説と出会う喜びを知った読者は、「文学という永遠」への第一歩を踏み出せる。

(しまうち・けいじ 国文学者)
波 2016年6月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

梓澤要

アズサワ・カナメ

1953(昭和28)年静岡県生れ。明治大学文学部卒業。1993(平成5)年、『喜娘』で歴史文学賞を受賞しデビュー。歴史に対する知的な洞察とドラマ性で、本格派の歴史作家として評価されてきた。執筆の傍ら、東洋大学大学院で仏教史を学ぶ。2017年、『荒仏師 運慶』で中山義秀文学賞を受賞。著書に、『捨ててこそ 空也』『方丈の孤月』『万葉恋づくし』『あかあかや明恵』『光の王国』『越前宰相秀康』『阿修羅』『百枚の定家』『夏草ヶ原』『遊部』『橘三千代』『画狂其一』『井伊直虎』等がある。

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