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加害者と被害者が、なぜ互いを〈愛〉で縛るのか。極限の結婚を探る衝撃作。

  • 映画化さよなら渓谷(2013年6月公開)

さよなら渓谷

吉田修一/著

539円(税込)

本の仕様

発売日:2010/12/01

読み仮名 サヨナラケイコク
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-128754-6
C-CODE 0193
整理番号 よ-27-4
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 539円

清流と緑が囲む桂川渓谷で、四歳の男児が殺害された。実母の立花里美が容疑者に浮かぶや、全国の好奇の視線が、人気ない市営住宅に注がれた。そんな中、現場取材を続ける週刊誌記者の渡辺は、里美の隣家に妻とふたりで住む尾崎俊介に、ある重大事件に関与した事実をつかむ。そして悲劇は新たな闇へと開かれた。呪わしい過去が結んだ男女の罪と償いを通して、極限の愛を問いかける渾身の傑作長編。

著者プロフィール

吉田修一 ヨシダ・シュウイチ

長崎県生まれ。法政大学卒業。1997(平成9)年「最後の息子」で文學界新人賞。2002年『パレード』で山本周五郎賞、同年発表の「パーク・ライフ」で芥川賞、2007年『悪人』で大佛次郎賞、毎日出版文化賞を、2010年『横道世之介』で柴田錬三郎賞、2019年『国宝』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。ほかに『東京湾景』『長崎乱楽坂』『7月24日通り』『女たちは二度遊ぶ』『初恋温泉』『静かな爆弾』『さよなら渓谷』『元職員』『キャンセルされた街の案内』『平成猿蟹合戦図』『太陽は動かない』『怒り』『犯罪小説集』『続 横道世之介』など著書多数。

書評

「吉田修一小説」と私
『さよなら渓谷』のこと

大森立嗣

 デビュー20周年とのこと、素晴らしいことだと思いつつ、吉田さんの才能なら当然かとも思ったりもしています。先日、『国宝』を遅ればせながら読ませていただきました。非常に楽しみながら、勝手に吉田修一の俳優論として読んでしまったところがあり、改めて吉田小説を映画化することの怖さを妄想していたところに、『さよなら渓谷』を思い出せと編集の古浦さんから連絡をいただき、撮影をしていた夏の奥多摩のジメッとした空気が肌に纏わりつく様でした。
 レイプ事件の被害者と加害者が夫婦のように一緒に住んでいる、なぜか? というのがこの小説のテーマだと思い、それが映画化しようと思ったきっかけでした。シンプルだがこの答えのでない問題が、情報化された湿度の低い現代社会にあって雨上がりのモワッとした空気のように、小説の中に立ち込めていた。どうしようもなく纏わりつくその湿度は、深い緑の渓谷であり、押し寄せるマスコミであり、レイプ犯の大学野球部の男たちの中にも表れていた。
 吉田さんは映画「さよなら渓谷」を観た直後、僕にこの様なことを言った。「かなこが働く温泉の女湯を掃除しているところが見たかった。その陰湿な汚れからの匂いを感じたかった」と。僕は、それを撮っていなかった自分を悔いつつ、吉田さんの映画的な感覚に脱帽した。匂いも湿度も映画には映らない。それを映せと僕に言っていたのだと思う。いい小説も同じなのだろう。そういえば吉田さんは拙作、「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」の解体屋のあり様を褒めてくれたっけ。
 衆知のことであるが吉田さんほど映画が好きな小説家もそうはいない。その吉田さんの小説の中でも『さよなら渓谷』は映画に向いていると思う。シンプルなテーマ、答えの出ない問題、全体を覆うジメッとした空気。やがて渓谷に風が吹く。爽やかな風が純愛のように。そんな吉田さんのロマンチシズムが僕は大好きです。20周年、本当におめでとうございます。

(おおもり・たつし 映画監督)
波 2019年9月号より

インタビュー/対談/エッセイ

吉田修一、(新潮文庫の)自作を語る 後篇

吉田修一

純文学とエンタメの境を呑み込むような作品群――。作家が〈犯罪〉に惹かれる理由とは?

聞き手/「」編集部

前篇はこちらから

『さよなら渓谷』(2008年)
緑豊かな桂川渓谷で起こった幼児殺害事件。実母の立花里美が容疑者に浮かぶや、全国の好奇の視線は人気ない市営住宅に注がれた。そんな中、現場取材を続ける週刊誌記者の渡辺は、里美の隣家に妻と暮らす尾崎俊介が、ある重大事件に関与した事実をつかむ。呪わしい過去が結んだ男女の罪と償いを通して、極限の愛を問う渾身の長編。

――この長篇小説もやはり土地がまずあって……。

吉田 奥多摩ですね。

――同時に、吉田さんの作品歴でこのあたりからいわゆる犯罪小説のカラーが濃厚になってきます。

吉田 これは『悪人』の直後の作品ですよね。『悪人』も『さよなら渓谷』も発想の源には実際の事件があります。『さよなら渓谷』は「週刊新潮」の連載でしたが、記者の佐々木さんが見せてくれた、ある事件の犯人(女性)が逮捕前、メディアスクラムに遭っている写真が強く印象に残ったんです。取材陣はコワモテでガタイのいい男性ばかりで、彼らが彼女をぐるりと囲んでいるのを、ちょっと引いた位置から写した一枚でした。この女性がよっぽど腹が据わっていたとしても、やっぱりこの状況は怖いだろうなと思った。女性が感じるであろう、そんな肉体的な恐怖を書きたかった、というのがまずあった気がします。

――前号で〈人間のなまっぽい感じ〉という話がありました。『さよなら渓谷』は酷い犯罪をおかした男と、その被害者だった女の物語です。これも恋愛小説といえば恋愛小説ですが、この時期から、より犯罪のウエイトが重くなっていくのは、生の人間を出しやすいから、なのでしょうか?

吉田 犯罪をおかす時の人間がいちばん魅力があるから、と言ったら変ですかね。言い換えると、その人間が犯罪をおかす時をいちばん見てみたいんですよ。今度の『湖の女たち』もいろんな罪をおかす人たちが出てきますが、なんで僕がこんなに犯罪者に惹かれるのか、ちょっとわかんないです。犯罪自体ではなくて、そこに漂う空気に、懐かしいとも居心地がいいとも違うけど、惹かれるんですよ。

――正確には、犯罪よりも、犯罪によって歪んでしまう人間関係に突っ込んでいかれます。

吉田 『さよなら渓谷』は男女間でしたが、男同士だって、本気と冗談の間で、ふざけて揉み合っているうちに、本当に殺し合いみたいになる瞬間ってありますよね。境目を越えてしまって、関係や感情ががらりと変わる。あの変り目みたいなものを書きたいのかもしれません。
 今になって思い返してみると、さっきの(前号参照)「十年大丈夫」じゃないけど、まず『悪人』をチャレンジとして書いてみて、続けて『さよなら渓谷』が書けた時は、「あ、大丈夫だ、こういうタイプのものを書いていけるな」という自信がつきました。

――「こういうタイプ」というのは?

吉田 もちろん自分が書いているものだから、まったく関係なくはないんだろうけど、ほぼ自分とは関係のない小説。〈他人の物語〉を自分が引き受けられる、ということですかね。まだ『悪人』は、場所にしろ人物にしろ、自分に近いものがあるんですよ。でも『さよなら渓谷』は、二三回温泉に行ったことがあるだけの土地だし、こういう関係ももちろん経験がない。だけど、これを書けたことで、新聞や雑誌で気になった事件を小説にしていくことができるんだ、と思えたんです。

――『さよなら渓谷』も映画化されて、モスクワ国際映画祭で審査員特別賞を受賞しましたね。

吉田 この映画の時は「ひとりで見ます」とか言わなかったでしょ?(笑) このへんで、セルフプロデュースなんかいくらやってもしょうがないんだ、もうこのまんまでいいやと思えるようになった気がします。いや、もちろんまだ頑張って多少はカッコつけてますけど(笑)。

――『悪人』、『さよなら渓谷』、『横道世之介』(2009年)と続いて、もう決まったって感じですよね。吉田さんは1968年生まれだから、当時まだ四十歳前後でした。すごい作品歴。

キャンセルされた街の案内』(2009年)
新人社員くんの何気ない仕草が不思議に気になる、先輩女子今井さんの心の揺れ動き(「日々の春」)。同棲女性に軽んじられながら、連れ子の守りを惰性で続ける工員青年に降った小さな出来事(「乳歯」)。故郷・長崎から転がり込んだ無職の兄が弟の心に蘇らせる、うち捨てられた離島の光景(表題作)など――、流れては消える人生の一瞬を鮮やかに切りとった、10の忘れられない物語。

――これは1998年から2008年までに発表された短篇を集めたものです。『最後の息子』(1999年)や『熱帯魚』(2001年)が芥川賞候補作を集めた中篇集としたら、吉田さんの初めての純然たる短篇集です。

吉田 ほんと、こういう〈いわゆる短篇集〉は初めてだったので、出来た時は嬉しかったんですけど、今度読み直して……どうでした?

――表題作は、芥川賞受賞前のいかにも意欲的な若い作家が書いた短篇ですね。東京で小説を書く青年がいて、元カノの家にずっと出入りしている。そこへ長崎から兄が家出みたいに上京してきて、回想の中で軍艦島が出て来て……のちの吉田作品のエスキスみたいなところが沢山あって面白い。あるいはチョコレートの広告のために書かれた「24Pieces」。これはアートディレクターが「完成されすぎてる」という世にも珍しい不平を言った(笑)。女性誌に書かれたものもあるし、書いた年齢もずいぶん違いがあるし、ヴァラエティがあって飽きさせません。

吉田 実際の完成度は別として、「新潮」に発表した「奴ら」や「乳歯」「灯台」なんかは、文芸誌に載る〈いい短篇〉ってやつを書きたかったんだと思うんです。それと、広告のために短い小説を書くのも多い時期でした。「いろんな小説を書きますね」と言われるし、実際、媒体や依頼によって書きわけているはずなんだけど、纏めて読み返すと、あまり違いがないなあと思って。

――そんなことはない(笑)。作家の技の多彩さが読みどころだと思います。でも、最近あまり短篇を書かれないのは、そういう意識があるからですか?

吉田 そう言えば、ずっと長篇を書いていますよね。まあ、そういう時期なのかな。「東京湾景・立夏」が久しぶりの短篇ですよ。

――「24Pieces」や「台風一過」みたいに短い枚数でパシッと決める短篇もあれば、「乳歯」や「キャンセルされた街の案内」なんて、映画の撮影や小説内小説を入れて、「やってる、やってる」という感じの仕掛けがある小説もあって、愉しい短篇集ですよ。

吉田 あ、わかった、それです。たぶん今は、さっき言った小説の構成とか仕掛けを考えるのが面白くて、それを効果的に使うためには短篇より長篇の方がいいんですよ。単純に語り手を変えていくのにしたって、短篇よりも『湖の女たち』みたいに長篇で書いていく方が、もっと効果的だし、冒険もできるじゃないですか。今はそっちの方に興味があるのかもしれない。

――「これは短篇向き」とか、小説のためのメモ帖なんてあるんですか?

吉田 アイデアというほどでもなくて、こういうものを書けたらいいなぐらいのノートはあります。何かを見たり聞いたりしても、小説のためにちょっとメモしておこうみたいにはしないですね。小説のためには生活していないというか。どこかへ遊びで行く時も、取材の意識は全くありません。替りじゃないけど、日記は高校生の頃からずっとつけています。日に三行ずつくらい(笑)。

愛に乱暴』(2013年)
初瀬桃子は結婚八年目の子供のいない主婦。夫・真守の両親が住む母屋の離れで暮らし、週に一度、手作り石鹸教室の講師をしている。そんな折、義父の宗一郎が脳梗塞で倒れた。うろたえる義母・照子の手伝いに忙しくなった桃子に、一本の無言電話がかかる。受話器の向こうで微かに響く声、あれは夫では? 平穏だった桃子の日常は揺らぎ始め、日々綴られる日記にも浮気相手の影がしのびよる。

――これはいくつかの地方紙に連載された長篇小説。舞台は現代の東京です。

吉田 小説の中には明記していませんが、イメージとしてはかつて住んだことのある南荻窪あたりです。杉並区の高級住宅街なんですけど、僕には不便な土地でした。荻窪駅から歩いて二十五分かかるんです。その頃のことですが、駅近く、環八のあたりにコンビニが一軒あって、そこからの二十分はコンビニがない。二十三区で徒歩二十分圏内にコンビニがない街って珍しいと思うんですよ。それに、まだ若く、昼から自宅にずっといる僕は周囲から不審な目で見られていました。そんな住宅街をこの舞台となる土地のモデルとして選んだわけです。
 実はこれ、新潮社の裕子さんって編集者から聞いたヘンな夢の話がもとになっています。

――夢の中で日記を読んでいると……みたいな話でしたね。

吉田 そうそう。あの話が発想のスタートだったから、最初は「裕子の夢」って仮タイトルでした。

――『さよなら渓谷』は『悪人』より作者と登場人物の距離が離れている気がしていたので、さきほどの〈他人の物語〉という言葉は腑に落ちたのですが、『愛に乱暴』はまた違った距離感ですね。

吉田 『愛に乱暴』の作者と登場人物の距離感は、『さよなら渓谷』でも『悪人』でもなく、この後の『犯罪小説集』(2016年)に近いかもしれません。僕は主人公の桃子に何ひとつ共感していないんですよ。彼女が次に何をするのかもわからない。言ってみたら、彼女のすぐ後ろで透明人間になって見ている、という感覚で書いていました。自分が物語を作っていくというより、桃子さんが思いもよらないことをするので、それを驚きながら書きとめていく。

――桃子に共感も同情もしてない?

吉田 全然してない。ただ彼女のすぐ後ろに立って、「何この夫婦!」「何この姑!」「え、そんなことするの?」って呆れている感じ。

――そう言えば、まさか桃子がチェーンソーを買うとは思わなかった、って刊行の時に仰ってましたね。

吉田 小説に出てくる店は、僕のイメージの中ではなぜか烏山の西友なんですね。自転車がはみ出すくらい沢山停めてある中を、桃子さんが入って行く。僕は、彼女は当然そのまま一階の奥へ行くと思っていたら、二階への階段をのぼっていった。あそこの二階はホームセンターになってるんですよ。で、「えーっ」と思いながらキーボードを打つ。

――何ですか、それ(笑)。

吉田 変でしょう? でも、本当にそういうふうになっちゃったんです。今後どうすればいいんだ、作家として(笑)。

――それはパソコンの前に座っている時に起きている出来事ですか?

吉田 書きながらの時もあるし、夜眠る前にベッドでぼんやり考えながら、「ああ、二階へ行った、行っちゃった」みたいになる時もあるし。夢の中でその小説の内部へ入っている、みたいな感じなのかな。なんか、このへんから僕の小説の書き方は少しおかしくなってきましたね。

――時代小説の北原亞以子さんが似たことを仰ってました。『慶次郎縁側日記』というシリーズ物で、何人もの登場人物が出て来ますが、「彼らが勝手に動いていくのをただ私は記録しているんです。へえー、この人物がこうなったかって、書きながら驚いていますよ」。

吉田 あ、近いです。

――池波正太郎さんも、同じ主旨のことをエッセイに書かれてますね。ある作中人物がここで死ぬことを私は知らなかった、みたいに。すると、吉田さんは桃子がチェーンソーを買うなんてことは決めてなかったんですね。

吉田 もちろん、ストーリーはほぼほぼ考えていません(キッパリ)。

――先日最終回を迎えた『湖の女たち』の「週刊新潮」連載を脇から見ていると、そのお言葉は嘘ではないように思えます(笑)。

吉田 土地、人物の設定、語りの仕掛けみたいなのはある程度考えますが、ストーリーの方は書きながら考えていきます。その上、物語の中へ自分もポーンと入っちゃった方が楽になってきたんですよね。『愛に乱暴』から、そのやり方がわかり始めてきた気がします。
 長篇小説を連載するのって、一年なり一年半なりの間、生活しながらずっと桃子さんなら桃子さんが隣にいるわけですよ。経験はありませんが、会社へ毎日通勤するみたいなものですかね。違う?(笑) 寝ていたいのに、本を読みたいのに、映画観たいのに、でもそんなこと言っていられないから、会社へ行くわけですよね。そんな心境で、毎日毎日、桃子さんに会うわけです。

――別に共感もしてないヒロインに(笑)。『国宝』でもそうでしたか?

吉田 あれも朝日新聞に連載していた一年半、あの物語の中へどっぷり浸かっていました。何度も見たのは、舞台裏でパッと歌舞伎の台本を渡されて、全然覚えられないのに時間がきて、舞台へ出なきゃいけない、という夢(笑)。寝ても覚めても『国宝』の世界にいました。あれも視点が動いていく小説ですが、その都度その都度の視点人物の中へ入っていましたね。そこで彼が体験することを書き留めていく。今の僕はそんな書き方になっています。
 振り返ってみると、以前は小説の世界をもっとコントロールできていたと思うんですよ。台湾が舞台の長篇小説『路(ルウ)』(2012年)の時だって、自分はちゃんと物語の外にいました。『愛に乱暴』からは、自分がもう存在していない感じ。流れの中へ飛び込んで、そこで夢のように過ごして、やがて小説ができる――そんなふうに言ってしまうと、書くのが楽みたいに聞こえて損ですかね(笑)。

――それは書く快感とか無我の境地とか、そういう話ではない?

吉田 ちょっと違うような気がします。でも、そういう書き方じゃないと、『愛に乱暴』や『国宝』や『湖の女たち』みたいな小説は書けなかった、という確信はあるんですよ。


(よしだ・しゅういち)
波 2019年10月号より

二十年を振り返る

吉田修一

東京湾景』『パレード』『パーク・ライフ』から、わたしたちの21世紀は始まった。柔らかくて、寂しくて、熱い彼の小説ができるまで、そしてこれから――。

 原田宗典氏に『十九、二十』という羨ましくなるほど秀逸なタイトルの小説がある。タイトルもさることながら、もちろん内容も見事な青春小説で、あと数週間で二十歳になる青年がエロ本専門の出版社でバイトしながら過ごす十代最後の夏物語だ。
 この名著の文庫版に、これまた見事な解説を川村湊氏が寄せられている。“二十歳に関する名言はいくつもある。”という書き出しで始まるその中に、“人間が何ごとかを成し遂げるための条件”として、とある人の言葉が引用されている。
 その条件とは、若いこと、貧しいこと、そして無名であることだという。
 読者は、主人公とともに十代最後の(ある意味で無益な)夏を過ごした直後に、この言葉にぶち当たるのだ。
 まだ作家になる以前、まさに十九、二十の気分で読んだ川村氏のこの解説は、未だに小説の余韻とともにはっきりと心に残っている。
 自著の話をすれば、すでに三十冊ほど文庫は出ている中、解説が付いているものはたったの七冊しかない。どうしても書いてほしい作品に、どうしても書いてほしい方にお願いした結果である。素晴らしい文庫解説を知っているだけに流れ作業的にはお願いしたくなかった。
 初めて書いていただいたのは、『パレード』(2004)の川上弘美さんだ。未だにその文章を空で言えるほど繰り返し読んだ。『東京湾景』(2006)では、文芸評論家の陣野俊史さんに“熱い”解説をお願いした。出来上がったのは一編の掌編小説のような作品だった。実はこのとき、「ぜひ『十九、二十』の川村湊さんのような解説をお願いします!」とねだった記憶がある。
 幸運にもその川村湊さんに解説を書いていただけたのが、次の『長崎乱楽坂』(2006)だ。実は作家デビューして間もないころ、「破片」(1997)という二作目の短編小説が「文學界」に掲載されたのだが、この作品を川村さんが毎日新聞で書評してくれたことがあった。
 当時、自身の名前が新聞に載ることがとてつもなく嬉しく、かつ書かれていることにちょっと反論もあったりして、不躾かつ若気の至りでなんと川村さん本人にお手紙を送ってしまった。
 実際の解説を読んでほしいので内容は伏せるが、『長崎乱楽坂』の解説で川村さんはまずこの手紙のことに触れられ、文壇の先輩としてとてもあたたかく優しい言葉で、新人作家の若気の至りをたしなめてくれている。
 続く『7月24日通り』(2007)と『女たちは二度遊ぶ』(2009)は、それぞれ瀧井朝世さん、田中敏恵さんという稀代のライターお二人に書いていただいた。
 ここ数年は小説の書評や解説といえば「瀧井朝世」という人気者だが、初めて彼女に解説を書いてもらったのは、この僕である。と言うと、作家になる前からの知り合いで、現在も飲み友達である彼女からは、「恩着せがましいねー」と笑われるのだが、一つの才能を世に紹介できたことが嬉しくてたまらないのだから仕方ない。
 もう一人の田中敏恵さんとの付き合いも続いている。付き合いどころか、現在の「吉田修一」という作家を陰でプランニングしているのはこの方ではないかと思うほどの関係で、とにかく魅力的な世界を教えてくれる。
 たとえば、今年パークハイアット東京が開業二十五周年を迎えるのだが、この記念行事として書き下ろしの小説を書いた。この企画を進めてくれたのも田中さんだ。(『アンジュと頭獅王』小学館刊、九月末発売予定)
『さよなら渓谷』(2010)では、柳町光男さんに解説を書いていただいた。言わずと知れた映画界の巨匠で、「十九歳の地図」や「火まつり」など、どれほど影響を受けたか分からないし、暴走族のブラックエンペラーを追ったドキュメント映画「ゴッド・スピード・ユー!」では、ある少年が年長の少年に殴られるシーンがあるのだが、映画ではなくまるで自分の記憶として残っているほどだ。
 そして今秋に「楽園」というタイトルで映画化される『犯罪小説集』(2018)では、この映画を監督された瀬々敬久さんに書いていただいている。中で瀬々監督はこの短編小説集を中上健次の『千年の愉楽』に重ねて書いて下さり、大変面映くはあるものの、小説が映画へ生まれ変わっていくダイナミックな流れが見えるような、とても素晴らしい解説になっている。
 今回、デビュー二十周年を記念して新潮文庫の全六作『東京湾景』『長崎乱楽坂』『7月24日通り』『さよなら渓谷』『キャンセルされた街の案内』(2012)『愛に乱暴』(2017)の装丁を新しくしてもらえることになった。
 新装丁版『東京湾景』では、従来の陣野俊史版に加え、新たに朝井リョウ氏が解説を寄せてくれる。一度対談させてもらったことがあるが、とても作家っぽい人だった。当代の人気者ながら決して見られる人にはならず、見る側の人であろうとしている。
 その上、今号の「波」の特集では、大森立嗣氏と川村元気氏、そして南沙良さんが、『さよなら渓谷』『愛に乱暴』『7月24日通り』と、それぞれの作品について書いて下さっている。
 出版社の方の話によれば、南沙良さんはすでに映画やテレビ、CMなどで大注目されている女優さんで、十代にして大変な読み巧者と聞く。彼女が初恋に揺れる女性の物語をどのように読んでくれるのか楽しみでならない。
 大森さんは『さよなら渓谷』を映画化してくれた。小説で描こうとした人間の不可解で美しい感情をとても繊細な映像で表現してくれた。
 あくまでも個人的な印象だが、大森さんというのはその存在自体がドクドクと脈打っているような印象がある。そばにいると、その脈の音がはっきりと聞こえてくる。撮影現場はもちろん、普通に飲んでいても聞こえる。きっと彼自身にはこの音が聞こえていないのだろうと思う。この熱が彼に映画を撮らせていることを、きっと彼自身は知らないんだろうなと。
 一方、川村元気氏との付き合いも長い。もちろん映画プロデューサーとしては十年に一人、三十年に一人の逸材だろうし、今や押しも押されもせぬ時代の寵児で、(本人の希望とは別に)錬金術師のような扱いを世間から受けているようだが、こうやって長く付き合わせてもらっていると、実は彼にもちゃんと人としてダメな部分があって、近年の彼が小説を書かざるを得ないのは、きっとこの自分のダメな部分だけはどうしても錬金できないからではないかと勝手に推測している。だからこそ、いつの日か生まれてくるだろう彼の彼による彼のためだけの小説が心から楽しみで仕方ない。
 紙面が尽きた。デビュー二十周年を振り返るという趣旨のエッセイを頼まれていたのだが、気がつけば自身のことはもちろん、身近な人たちのこれから二十年のことが楽しみで仕方なくなってきてしまった。きっといろんな人のおかげで充実した二十年を送ってこられたからだろうと思う。

(よしだ・しゅういち)
波 2019年9月号より

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