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平凡女子、恋の主役におどり出る!
ヒロインも読者も予測できないそのゆくえ――。

7月24日通り

吉田修一/著

497円(税込)

本の仕様

発売日:2007/06/01

読み仮名 シチガツニジュウヨッカドオリ
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-128753-9
C-CODE 0193
整理番号 よ-27-3
ジャンル 文芸作品、文学賞受賞作家
定価 497円

地味で目立たぬOL本田小百合は、港が見える自分の町をリスボンに見立てるのがひそかな愉しみ。異国気分で「7月24日通り」をバス通勤し、退屈な毎日をやり過ごしている。そんな折聞いた同窓会の知らせ、高校時代一番人気だった聡史も東京から帰ってくるらしい。昔の片思いの相手に会いに、さしたる期待もなく出かけた小百合に聡史は……。もう一度恋する勇気がわく傑作恋愛長編!

著者プロフィール

吉田修一 ヨシダ・シュウイチ

長崎県生まれ。法政大学卒業。1997(平成9)年「最後の息子」で文學界新人賞。2002年『パレード』で山本周五郎賞、同年発表の「パーク・ライフ」で芥川賞、2007年『悪人』で大佛次郎賞、毎日出版文化賞を、2010年『横道世之介』で柴田錬三郎賞、2019年『国宝』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。ほかに『東京湾景』『長崎乱楽坂』『7月24日通り』『女たちは二度遊ぶ』『初恋温泉』『静かな爆弾』『さよなら渓谷』『元職員』『キャンセルされた街の案内』『平成猿蟹合戦図』『太陽は動かない』『怒り』『犯罪小説集』『続 横道世之介』など著書多数。

書評

「吉田修一小説」と私
あきらめたり、見ないふりをしたり。

南沙良

 もしかしたら、自分の町に似た町がこの世界のどこかにあるのかもしれない。そう思うと、私が小さな頃からお世話になっているあのバス停も、なんだか新鮮だ。私は、リスボンではなくてこの町に行かなければ、と思った。
 本屋で人と目が合って、焦ってスーパーの袋から落とすのが松茸のふりかけで、決してオレンジやリンゴを派手にこぼすのではない小百合の脇役感。そして、彼女が自分を守るために作り出した防壁の厚さが、あまりにも自分と重なってしまった。もうひとつ。自分だけが覚えているそんな苦々しさを、ふとした瞬間に思い出してしまう感覚も。
「人との付き合いに絶対的なレベルなんてあるのか」
 お互いが完全に理解し合ってしまったら、自分の小さな器の中に相手を収めてしまうことになる。それはもう狂気の沙汰なのでは……!! なんて人付き合いの少ない私にはこんな想像で誤魔化すことしかできないけれど。
 万人に好かれることをモテるというのであれば、私は多分モテない。モテたい、でもイヤな女になりたくない、と祈りながら毎日を過ごしている。それは承認を得たいのではなくて、かつて私をおいてけぼりにした人たちへ向けられた気持ちなのかもしれない、と、過去の栄光を捨てられない亜希子をみて、思った。
 私にとって想像することは、大事な逃げ道だ。他人の気持ちを推し量ることなんてできないから。いつも逃げ道をちゃんと用意する私はズルい。小百合みたいだ。
「イケてる」とか「イケてない」とかいう、誰が決めたのでもないレッテルは、いつになっても払拭できない独特の感覚なのかもしれない。怖いな。
 人には知られたくない核心がちりばめられていた。みんなそれぞれ格好悪くて、キレイに包まれている言葉を自分の気持ちなんだと勘違いして生きてきた小百合の核心は、まだ見えそうで見えない。音楽を聴くみたいに何度も読み返したい。

(みなみ・さら 女優)
波 2019年9月号より

目次

1.モテる男が好き!
2.イヤな女にはなりたくない
3.どちらかといえば聞き役
4.家族関係は良好
5.初体験は十九歳
6.タイミングが悪い
7.ときどき少女漫画を読む
8.夜のバスが好き
9.アウトドアは苦手
10.間違えたくない

インタビュー/対談/エッセイ

吉田修一、(新潮文庫の)自作を語る 前篇

吉田修一

ちょっと偉そうなことを言わせてもらうと――
初めて腹蔵なく語った創作の裏側。

聞き手/「」編集部

東京湾景』(2003年)
品川埠頭の倉庫街で暮らし働く亮介が、携帯サイトの「涼子」と初めて出会った25歳の誕生日。嘘と隠し事で仕掛けあう互いのゲームの目論見は、突然に押し寄せた愛おしさにかき消え、二人は運命の恋に翻弄される。東京湾岸を恋人たちの聖地に変えた、最高にリアルでせつないラブストーリー。

――今度、『東京湾景』に後日譚というか、新たに短篇「東京湾景・立夏」を書下ろして頂いて、文庫の新装版を作りました。

吉田 それで久々に読み返したんですが、まったく自分の作品ではないみたいでした。他の作家の方も十五年前の旧作を読むと、そんなふうに思うものですかね。

――どのへんでそう思いました?

吉田 まず、いろんな意味で〈若い作品〉ですよね。こんなにんだと思ったし。書き始めたのは、何度か芥川賞の候補になった後、『パレード』(2002年)で山本周五郎賞をもらった頃でしたね。

――冒頭の「東京モノレール」が「小説新潮」に掲載された時、目次か表紙に〈受賞第一作〉と書いた記憶があります。

吉田 そう、うまく連作になればいいな、くらいに思って書いたのが「東京モノレール」でした。

――2002年の5月に山本賞を受賞して、7月には「東京モノレール」の直前に書かれた「パーク・ライフ」で芥川賞も受賞されます。いまだに純文学の賞である芥川賞とエンタメの山本賞を両方受賞した作家は他にいません。

吉田 『パレード』も『東京湾景』も別にエンタメを意識して書いてはいないんですよ。『パレード』は五人の話が繋がって長篇になるんですけど、一篇一篇はそれまで「文學界」に書いていた短篇と変わらないと思います(注・吉田さんは「最後の息子」で文學界新人賞を受賞して作家デビューし、「文學界」で短篇を書き続け、受賞までに四たび芥川賞候補になった)。どれも東京に住む若い人間が何かを抱えている話だし、ラストもモヤモヤした終り方だし。
『パレード』は初めての長い小説だったから、うまく長篇になるのかなというプレッシャーはありましたが、五篇を繋げてみたら大きな物語のうねりみたいなものが生まれて、さらに「これはエンターテインメントだ」と評価されたので、書いた僕が驚いた(笑)。エンタメと純文学の違いって、よくわからないまま書いていました。
 僕はよく、小説は場所への興味から始まると言うんですけど、『東京湾景』もそうですね。直前の「パーク・ライフ」は日比谷公園が舞台でした。じゃあ、次はどこかなあと考えた時に、自分が働いたことのあるお台場と品川を思いついたんです。あのへんの雰囲気を書いた小説ってまだないんじゃないか。場所が決まると、次はその場所にいちばん似合う物語を考える。そこで、恋愛小説をやろうとなった気がします。
 その段階ではまだ組み立ても何もありません。出会い系サイトで美緒と亮介が出会うことしか決めてなかったと思う。連作になるにしても、別のカップルを書くつもりじゃなかったのかなあ。

――当時のインタビューをひっくり返してみたら、吉田さんは「もう最初からラストのシーンを決めてた」みたいに仰ってましたよ。

吉田 たぶん、それは嘘ついてる(笑)。あの終り方は、本当にぎりぎりで出てきたんですよ。このあいだ「週刊新潮」で一年間の連載が終わった『湖の女たち』(2020年春刊行予定)のラストだって、思いついたのはつい最近(笑)。
 さっき、『東京湾景』を〈若い作品〉と呼んだ理由のひとつは、青山ほたるって小説家が出てくるでしょう?

――ああ、彼女の作中内小説みたいなのがチラッと出てきますね。

吉田 いわゆる恋愛小説を直球で書くのがまだ照れくさかったのだと思いますね。だから、ワンクッション置くために小説家を出したのでしょうね。いま書いたら、彼女は出てこないと思う。

――吉田さんと小説の打合せをすると、必ず土地とか地図の話になりましたね。

吉田 そのへんは相変わらずですよ。『湖の女たち』でもそうでしたけど(注・地名は変えているが琵琶湖周辺が舞台)、小説を書く時、土地がいちばん味方になってくれるんですよ。土地は裏切らない、みたいな(笑)。

――地図は普通の地図をご覧になる?

吉田 最近はGoogleマップとかも見ます。昔はぴあMAPとか好きでした。

――ストリートビューなんかも?

吉田 大好きで止まんなくなります。

――Googleマップは『東京湾景』の頃にはなかったのに、吉田さんの小説は俯瞰や高低差があるというか、三次元的に土地を捉えている感じを受けます。

吉田 「パーク・ライフ」で、風船にカメラをつけて公園を写すところがあるんです。まだドローンがない時に書いたのが自慢(笑)。僕の地図というか、街の見方は高度も入っている気はします。

――今度の書下ろし短篇「東京湾景・立夏」の舞台はコリドー街です。これも場所からの発想でしたか?

吉田 『東京湾景』のまともな続篇というか、美緒と亮介の後日譚は多分書けないなと最初からわかっていて、ではどうしようかと。十何年か経って、何か変わったことあるのかなって考えながら、やっぱり地図を見ていたんですよ。せいぜいお台場に映画を観に行くくらいで、あのへんにあまり行かなくなってたし……で、ふとコリドー街があったぞと(笑)。

――直線距離だと意外と近いし、ゆりかもめだとすぐだし。

吉田 うん、元の舞台に近いし、今の恋愛小説だったらここでしょう、みたいな。

同席の編集者 私、本当に何の衒いもなく言うんですけど、歩くと絶対ひっかけられるんですよ。あそこはもう大阪のナンパ橋みたいになっちゃってます。ひょっとしたら、今の若い人にはあれが銀座のイメージなのかもしれませんね。


吉田 僕、ああいうナンパ自体は嫌いじゃないんですよ。とても健全な気がする。

――で、「立夏」の場所を決めて、ここは読者のために伏せますが、ああいう物語のを思いつかれた。

吉田 あれは思いついた瞬間、「あ、書き終えた」って感じがしました(笑)。

――吉田さんの新人賞の頃からの支持者に辻原登さんがいます。辻原さんは「吉田さんは今どき珍しく人情話が書ける作家だ」という言い方をされていましたね。人情話をきちんと書けるからエンタメも書けるのだと思いますが、いわゆる純文学的なところと人情話のところ、それともう一つ、吉田さんは必ず仕掛けを考えますよね? 「立夏」でいうと、健全な現在のナンパ話と、あの仕掛けを両方成立させているのがすごく刺激的なんです。

吉田 それは……ちょっと偉そうなこと言わせてもらうと、構成というか仕掛けというか、そこは作家がことだと思うんです。それがで小説は小説というものになると僕は考えています。
 そこをまったく無視して、いわゆる物語として語っていくのはもちろんありですが、それはやっぱりなわけですよね。小説は、構造をちゃんと組み立てていかないととは呼ばれないんじゃないかなとぼんやり思っているんです。デビュー作以来、そのへんはいろんなことをやってきたと思うし、これからもやっていきたいんですよね。


『7月24日通り』(2004年)
地味で目立たぬOL本田小百合は、港が見える自分の町をリスボンに見立てるのが、ひそかな愉しみ。異国気分で「7月24日通り」をバス通勤し、退屈な毎日をやり過ごしている。そんな折届いた同窓会の知らせ。高校時代一番人気だった聡史も東京から帰ってくるらしい……。もう一度恋する勇気がわく傑作恋愛長篇。

――『7月24日通り』は仕掛けを思いついたときに、それこそ半分出来た感じではなかったですか?

吉田 長崎をリスボンに見立てながら暮らしている地味な女の子が主人公ですが、最初にあったのはそれだけで、ラストの方で十項目のリストを出すなんてのは、最初は考えていませんでした。どの作品でもそうですけど、小説を書いている時は、「これ、最後で化けてくれないかな」と願いながら書き進めているんです。あれこれ手さぐりでやっているうちに、鍵穴に鍵がカチッと嵌まるみたいな時があって、「ああ、来た来た」(笑)。これは快感ですよ。
 でも、「東京湾景・立夏」は短篇だから別ですが、長篇の場合は、書き始める前に「嵌まった!」と思うアイデアが浮かんだとしても、わりと……。

――捨ててしまう? 人工的な感じがするんですかね?

吉田 うん、なんか窮屈というか、書く前に思いついたものには、単純に興味がなくなってしまうんですね。で、『7月24日通り』は、執筆の途中で浮かんだリストのアイデアがうまく嵌まったと思います。

――リスボンの街と長崎を重ね合わせるというアイデアはこの小説のために思いついたんですか?

吉田 長崎の子どもは学校で習うんですよ。長崎の街はポルトガルの街に似てるって。坂があって、石畳があって、港に向って開けてて、みたいに。

――リスボンへ行かれたことは?

吉田 書き終えた後で行ったんです。7月24日通りなんて、地図で見つけただけだったから、実際に行ってみましたよ。普通の産業道路です(笑)。
『7月24日通り』は「小説新潮」と同時にドコモのケータイ小説として配信もされたんですよ。ケータイ小説の走りの時期でした。僕はけっこう媒体を気にするので、ポップに書こうという意識はあったと思います。女子の一人称というのも、これで初めてやりました。語り手の性別は、実際にやってみると、そんなに意識せずに書けました。

――『東京湾景』は連続ドラマになったし、『7月24日通り』は映画になりました。映画の試写にご一緒した時、吉田さんが「ひとりで見ます」って、サッと少し離れた席に行かれた。映画好きとしては、いろんな感慨があったのでは、と……。

吉田 あの頃を思い出すと恥ずかしいんですよ。なんか作家としてセルフプロデュースしなきゃいけない、と思い込んでいたフシがあるんです(笑)。山本賞と芥川賞を連続でもらって、本当にガラッと景色が変わったんです。それまでは作家と名乗っていても、「文學界」に半年に一つ短篇を書くくらいですから、人に見られることも、写真を撮られることもない。そんな生活を五年くらい続けていたのがガラリと一変した時に、これからどうするか、自分でちゃんと考えなきゃいけないんだなと思って……ほら、何て言いましたっけ、キャラ作りに迷うのって?

――えーと、迷走?

吉田 そう、明らかに迷走してた(笑)。作家としてどう見られたらいいのか、なんて悩んでいました。作品というより、作者が迷走してた。原作の映画もひとりで見た方がいいのかなとか、作家なんだから夜眠れないとか言ってみようかとか……無茶苦茶よく眠れてるのに(笑)。

――あの頃は、周りの人が信用できないぐらいの感じでした?

吉田 逆なんですよ。だから、かえって迷いが(笑)。でも、よく覚えているのは、二つの文学賞をもらった時、ある人に、「これでもう吉田君、十年大丈夫だよ」って言われたんです。それを聞いた瞬間、「あ、失敗できる」と思った。十年大丈夫ということは、十年も失敗できるんだって(笑)。だから、この時期はいろんな小説を書いているんですよ。『東京湾景』に『日曜日たち』(2003年)、『7月24日通り』、『長崎乱楽坂』、『ランドマーク』、『春、バーニーズで』(すべて2004年)、みんなバラバラでしょ?

――しかも面白い小説ばかりですよ。さすが、作者は迷走しても作品は迷走してない(笑)。もうひとつ、作品の文体ではなくて、ヴォイスというんでしょうか、作品が読者に対して出す声が、この時期に厚く安定してきたというか、変化したように思ったんです。

吉田 あ、それは本当にそうですね。余裕とも違うけれど……『パレード』以前、「文學界」で短篇をこつこつ書いていた頃って、もうこの一作で生きるか死ぬかだったんですよ(笑)。いや真面目に、いま書いているこの小説がダメだったら、もう本当に終わりだと思っていました。新人賞を取って、何とか雑誌に新作が掲載され続けて、必死に戦っている作家って、二作続けて失敗作を書いたらもう載らなくなるわけです。野間新人賞、三島賞、芥川賞なんかの候補になったら、次も書けるけど、二作空振りしたら、間違いなく消えていく。またそれを周囲がみんな、わかっているわけです。ギリギリで書いていましたよ。

――ボツになった作品も?

吉田 いっぱいあります。ただ、芥川賞の後で文春の編集者の方々から言われたんですけど、「吉田さんはボツになっても凹まなかったね」って。僕は、「このへん変えましょう」と言われると、一回くらいは書き直しますけど、わりとあっさり、もういいやと思っちゃうんですよ。「あと二週間ください」つって、まったく新しい短篇を書いちゃう。書きたいことは変わらないので。そっちの方が勢いも出るのかな、そのまま掲載されたりして。

――ギリギリだけれども、「この作品だけは!」みたいには執着せずに……。

吉田 執着はあまりしないんですね。これは人間のタイプなんでしょうけど、「これを何とか」と思っても、どうにもならない場合ってあるじゃないですか。例えば、担当編集者が異動するとかね、外的な要因もあるかもしれないし。


『長崎乱楽坂』(2004年)
荒くれどもの棲む大家族に育った幼い駿は、ある日、若い衆が女たちを連れ込んでは淫蕩にふける古い離れの家の一隅に、幽霊がいるのに気づく――。湾の見える町に根を下ろす、昭和後期、地方侠家の栄光と没落のなかに、少年の繊細な心の成長を追う傑作長篇。

――『長崎乱楽坂』刊行の頃のインタビューも読み返しますと、『東京湾景』『パーク・ライフ』『ランドマーク』と書いてきたから、都会系の作家と思われないように云々と。

吉田 ほら、またキャラの迷走が(笑)。

――都会的な恋愛小説家とか括られると、あまりいいことなさそうだなと思ってらしたんですか?

吉田 いや、そこまで性格ひん曲がってないです(笑)。たぶん、少しビックリ状態だったんですよ。『パーク・ライフ』書いたあと、本当に雑誌なんかの紹介で都会派作家って書いてあって、そりゃビックリしますよ。自然と「いやいや、違うんですよ」ってなるじゃないですか。それで『長崎乱楽坂』を書いた(笑)。「いや、こっちなんです」って。

――「こっちなんです」というのは、「こっちもできます」とはちょっと違いますよね?

吉田 全然違います。「こっちもできます」じゃないです。「いやもう、僕はこれなんですよ」っていう感じ(笑)。実際、『乱楽坂』にでてくる人物や風景は、僕が見てきたものばかりです。

――今は〈反社〉なんて新語もありますが……。

吉田 長崎の実家は酒屋だし、そんな家に生まれ育ったわけではないけれど、わりと身近にその手の人たちがいたんですよ。親戚には肉体労働者も多くて、気性の荒い男たちがたくさんいました。

――それを吉田さんは物語の豊かな水源にされていますね。『国宝』(2018年)の最初の方、久しぶりに『長崎乱楽坂』の世界だと嬉しくなりました。

吉田 『乱楽坂』は連作だから、『国宝』のような大きな物語じゃなくて、男の子が少しずつ大きくなりながら、その年齢なりの視線で周囲を徐々に見回していく。もちろん小説だから事実とは違うのですが、自分が本当に見たものを思い出しながら書いたという点で、ほかの作品とはハッキリ異なります。

――『長崎乱楽坂』にせよ『7月24日通り』や『悪人』(2007年)にせよ、長崎があるのはやっぱり得ですよね、作家として。

吉田 これはもう本当に得。で、いま思うと、肉体労働者の生活が近くにあったのも得。やはり、地方の街で、ああいう人たちの近くで育つと、人間のナマっぽい感じがよくわかるんですよ。もちろん東京のサラリーマンの家庭にも生っぽいところはあるのでしょうけど。
 作家になってしばらく経った時、東京の都心の道を歩いていたら、いわゆる肉体労働系のお兄ちゃんたちが屯ってた。そしたら、そのお兄ちゃんたちを「怖い」と言う人がいたんです。逆に僕は、背広のサラリーマンの人たちが集まっていると体が固まるんですよ。もし、こっちに肉体労働者の人たち、あっちに丸の内のサラリーマンたちがいて、どちらかに混じって弁当を食べなきゃいけないと言われたら、間違いなく肉体労働者の方で食べます。刷り込みみたいに馴染みがあって、落ち着くんですよね。
 その彼らを「怖い」と言われた時、「あ、なるほど」と思った。もう作家になっていたから、「こういうことをちゃんと書いていけばいいんだな」って。
 あと、長崎を書いていて楽なのは全然遠慮しなくていいこと(笑)。『ランドマーク』の大宮でも、『湖の女たち』の琵琶湖でも、少しは遠慮して書いているんですよ。長崎はどんなに悪く書いても平気……僕が勝手にそう思っているだけですかね?


(次号後篇につづく)

(よしだ・しゅういち)
波 2019年9月号より

二十年を振り返る

吉田修一

東京湾景』『パレード』『パーク・ライフ』から、わたしたちの21世紀は始まった。柔らかくて、寂しくて、熱い彼の小説ができるまで、そしてこれから――。

 原田宗典氏に『十九、二十』という羨ましくなるほど秀逸なタイトルの小説がある。タイトルもさることながら、もちろん内容も見事な青春小説で、あと数週間で二十歳になる青年がエロ本専門の出版社でバイトしながら過ごす十代最後の夏物語だ。
 この名著の文庫版に、これまた見事な解説を川村湊氏が寄せられている。“二十歳に関する名言はいくつもある。”という書き出しで始まるその中に、“人間が何ごとかを成し遂げるための条件”として、とある人の言葉が引用されている。
 その条件とは、若いこと、貧しいこと、そして無名であることだという。
 読者は、主人公とともに十代最後の(ある意味で無益な)夏を過ごした直後に、この言葉にぶち当たるのだ。
 まだ作家になる以前、まさに十九、二十の気分で読んだ川村氏のこの解説は、未だに小説の余韻とともにはっきりと心に残っている。
 自著の話をすれば、すでに三十冊ほど文庫は出ている中、解説が付いているものはたったの七冊しかない。どうしても書いてほしい作品に、どうしても書いてほしい方にお願いした結果である。素晴らしい文庫解説を知っているだけに流れ作業的にはお願いしたくなかった。
 初めて書いていただいたのは、『パレード』(2004)の川上弘美さんだ。未だにその文章を空で言えるほど繰り返し読んだ。『東京湾景』(2006)では、文芸評論家の陣野俊史さんに“熱い”解説をお願いした。出来上がったのは一編の掌編小説のような作品だった。実はこのとき、「ぜひ『十九、二十』の川村湊さんのような解説をお願いします!」とねだった記憶がある。
 幸運にもその川村湊さんに解説を書いていただけたのが、次の『長崎乱楽坂』(2006)だ。実は作家デビューして間もないころ、「破片」(1997)という二作目の短編小説が「文學界」に掲載されたのだが、この作品を川村さんが毎日新聞で書評してくれたことがあった。
 当時、自身の名前が新聞に載ることがとてつもなく嬉しく、かつ書かれていることにちょっと反論もあったりして、不躾かつ若気の至りでなんと川村さん本人にお手紙を送ってしまった。
 実際の解説を読んでほしいので内容は伏せるが、『長崎乱楽坂』の解説で川村さんはまずこの手紙のことに触れられ、文壇の先輩としてとてもあたたかく優しい言葉で、新人作家の若気の至りをたしなめてくれている。
 続く『7月24日通り』(2007)と『女たちは二度遊ぶ』(2009)は、それぞれ瀧井朝世さん、田中敏恵さんという稀代のライターお二人に書いていただいた。
 ここ数年は小説の書評や解説といえば「瀧井朝世」という人気者だが、初めて彼女に解説を書いてもらったのは、この僕である。と言うと、作家になる前からの知り合いで、現在も飲み友達である彼女からは、「恩着せがましいねー」と笑われるのだが、一つの才能を世に紹介できたことが嬉しくてたまらないのだから仕方ない。
 もう一人の田中敏恵さんとの付き合いも続いている。付き合いどころか、現在の「吉田修一」という作家を陰でプランニングしているのはこの方ではないかと思うほどの関係で、とにかく魅力的な世界を教えてくれる。
 たとえば、今年パークハイアット東京が開業二十五周年を迎えるのだが、この記念行事として書き下ろしの小説を書いた。この企画を進めてくれたのも田中さんだ。(『アンジュと頭獅王』小学館刊、九月末発売予定)
さよなら渓谷』(2010)では、柳町光男さんに解説を書いていただいた。言わずと知れた映画界の巨匠で、「十九歳の地図」や「火まつり」など、どれほど影響を受けたか分からないし、暴走族のブラックエンペラーを追ったドキュメント映画「ゴッド・スピード・ユー!」では、ある少年が年長の少年に殴られるシーンがあるのだが、映画ではなくまるで自分の記憶として残っているほどだ。
 そして今秋に「楽園」というタイトルで映画化される『犯罪小説集』(2018)では、この映画を監督された瀬々敬久さんに書いていただいている。中で瀬々監督はこの短編小説集を中上健次の『千年の愉楽』に重ねて書いて下さり、大変面映くはあるものの、小説が映画へ生まれ変わっていくダイナミックな流れが見えるような、とても素晴らしい解説になっている。
 今回、デビュー二十周年を記念して新潮文庫の全六作『東京湾景』『長崎乱楽坂』『7月24日通り』『さよなら渓谷』『キャンセルされた街の案内』(2012)『愛に乱暴』(2017)の装丁を新しくしてもらえることになった。
 新装丁版『東京湾景』では、従来の陣野俊史版に加え、新たに朝井リョウ氏が解説を寄せてくれる。一度対談させてもらったことがあるが、とても作家っぽい人だった。当代の人気者ながら決して見られる人にはならず、見る側の人であろうとしている。
 その上、今号の「波」の特集では、大森立嗣氏と川村元気氏、そして南沙良さんが、『さよなら渓谷』『愛に乱暴』『7月24日通り』と、それぞれの作品について書いて下さっている。
 出版社の方の話によれば、南沙良さんはすでに映画やテレビ、CMなどで大注目されている女優さんで、十代にして大変な読み巧者と聞く。彼女が初恋に揺れる女性の物語をどのように読んでくれるのか楽しみでならない。
 大森さんは『さよなら渓谷』を映画化してくれた。小説で描こうとした人間の不可解で美しい感情をとても繊細な映像で表現してくれた。
 あくまでも個人的な印象だが、大森さんというのはその存在自体がドクドクと脈打っているような印象がある。そばにいると、その脈の音がはっきりと聞こえてくる。撮影現場はもちろん、普通に飲んでいても聞こえる。きっと彼自身にはこの音が聞こえていないのだろうと思う。この熱が彼に映画を撮らせていることを、きっと彼自身は知らないんだろうなと。
 一方、川村元気氏との付き合いも長い。もちろん映画プロデューサーとしては十年に一人、三十年に一人の逸材だろうし、今や押しも押されもせぬ時代の寵児で、(本人の希望とは別に)錬金術師のような扱いを世間から受けているようだが、こうやって長く付き合わせてもらっていると、実は彼にもちゃんと人としてダメな部分があって、近年の彼が小説を書かざるを得ないのは、きっとこの自分のダメな部分だけはどうしても錬金できないからではないかと勝手に推測している。だからこそ、いつの日か生まれてくるだろう彼の彼による彼のためだけの小説が心から楽しみで仕方ない。
 紙面が尽きた。デビュー二十周年を振り返るという趣旨のエッセイを頼まれていたのだが、気がつけば自身のことはもちろん、身近な人たちのこれから二十年のことが楽しみで仕方なくなってきてしまった。きっといろんな人のおかげで充実した二十年を送ってこられたからだろうと思う。

(よしだ・しゅういち)
波 2019年9月号より

コラム 映画になった新潮文庫

原幹恵


 この小説のヒロイン本田小百合と私は似ているところがありました。もっとも、少し意地が悪い点は似ていないと信じたい。
 地方都市でOLをやっている小百合は、退屈な日常を少しでも楽しむために、自分の街を行ったこともないポルトガルの首都リスボンになぞらえて暮しています。
「たとえばいつもバスに乗る『丸山神社前』という停留所の名前を、『ジェロニモス修道院前』と言い換えてみれば、右手に海を見ながら丘を越えて市街地へ入っていく経路は、リスボンの地形とそっくりで、だったらこの『岸壁沿いの県道』が『7月24日通り』で、再開発で港に完成した『水辺の公園』は『コメルシオ広場』だ、などと言い換えているうちに(略)地味な日本の地方都市に、リスボンの市街地図がすっかり重なってしまった」
 そんなふうに妄想を膨らませて日々を誤魔化しているくらいですから、小百合の日常は地味で起伏を欠いています。地元の高校を出て、短大を卒業した後も実家で暮らしていて、彼氏も今はいません。小百合の誇りは、女の子が必ず騒ぐイケメンの弟・耕治です(もっとも、目立たないタイプの小百合は年下の女子たちから「ほんとに、あれ、耕治くんのお姉さんだよね?」などと言われたりします)。ところが耕治は、姉同様地味でおどおどしたタイプのめぐみを恋人にし、小百合は複雑な思いを(小姑感も丸出しにして)めぐみに爆発させます。
 もっともメインストーリーは小百合の恋愛話です。高校時代、「キングとクィーン」のようだったカップル聡史と亜希子がいて、いま男は東京で働き、女は地元で主婦。聡史は帰省して、亜希子と不倫の夜を過ごしますが、ひょんなことから小百合と付合い始めます。小百合としては半信半疑だし、まだ亜希子の影もあって、東京で会おうという聡史を信じていいかわからない……。
 以下、ネタバレします。小百合はめぐみに「がんばって下さいね」と励まされて、東京行きの電車へ乗り込んで小説は終わります。今回、長々と粗筋を書いたのは、このラストの解釈で迷ったからです。小百合は最近知り合った絵描きの卵であるアルバイト警備員から食事に誘われてもいるんです(この停電の夜の場面は美しい!)。
 文庫の解説には「恋の行く先については、否定的な意見が多いかも」とあり、この小説を読んだ友人も同じ意見でした。つまり、小百合はいずれ聡史にフラれるというわけですね。でも、東京へ行った小百合は、自分から聡史に別れを告げるんじゃないか? そして街に戻ってきて画家の卵と付き合い始めるのではないでしょうか?
 小百合は東京行きの直前、「いつもなら、『コメルシオ広場から三番のバスに乗って、サンタ・アポローニア駅へ』と、頭でそう考えているはずなのに、バスの中でふと気がつくと、『水辺の公園から三番のバスに乗って、花崩駅へ向かうのだ』とごく自然に考えていた」。現実を見始めたのなら、選ぶ恋も自然と決まる気がするのですが……。
 映画版は中谷美紀さん、大沢たかおさん、上野樹里さん、佐藤隆太さん、小日向文世さん等々、キャストが豪華。原作者吉田さんの故郷長崎でロケしていて、「ああ、小百合が住んでいるのはこんな街だったんだ」と納得しました。


(はら・みきえ 女優)
波 2016年6月号より

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