
消された一家―北九州・連続監禁殺人事件―
737円(税込)
発売日:2009/01/28
- 文庫
- 電子書籍あり
まさに鬼畜の所業! 監禁虐待による恐怖支配で、家族同士に殺し合いをさせた殺人鬼。
七人もの人間が次々に殺されながら、一人の少女が警察に保護されるまで、その事件は闇の中に沈んでいた──。明るい人柄と巧みな弁舌で他人の家庭に入り込み、一家全員を監禁虐待によって奴隷同然にし、さらには恐怖感から家族同士を殺し合わせる。まさに鬼畜の所業を為した天才殺人鬼・松永太。人を喰らい続けた男の半生と戦慄すべき凶行の全貌を徹底取材。渾身の犯罪ノンフィクション。
第二章 松永太と緒方純子
第三章 一人目
第四章 緒方一家
第五章 二人、三人、四人目
第六章 五人、六人、七人目
第七章 松永太の話
第八章 消される二人
書誌情報
読み仮名 | ケサレタイッカキタキュウシュウレンゾクカンキンサツジンジケン |
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シリーズ名 | 新潮文庫 |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 352ページ |
ISBN | 978-4-10-136851-1 |
C-CODE | 0195 |
整理番号 | と-19-1 |
ジャンル | 社会学、事件・犯罪 |
定価 | 737円 |
電子書籍 価格 | 649円 |
電子書籍 配信開始日 | 2013/08/16 |
書評
川崎、北九州、原宿で鳴る音楽を貫くもの
今年三月、『令和元年のテロリズム』という単行本を上梓した。2019年5月の改元以降、立て続けに起こった陰惨な事件――川崎殺傷事件、元農水次官長男殺害事件、そして京都アニメーション放火殺傷事件を追ったノンフィクション作品だ。その拙著に関して、「何故“音楽ライター”がこういう本を書こうと思ったのか」と度々訊かれる。確かに筆者はそのようにカテゴライズされる仕事を多くしているが、音楽ライターと言えば、ミュージシャンが新しいアルバムを出したらインタヴューしたり、ライヴ・ツアーを行ったらレポートしたり……というイメージを持っているひとには奇妙に感じられるのかもしれない。しかし自分が何よりも重要だと考えているのは、音楽が“アルバム”や“ライヴ・ツアー”といった商品の形になる以前の、混沌とした状況を取材することだ。
やはり今年四月に新潮社で文庫化された『ルポ川崎』では、神奈川県川崎市川崎区でラップ・ミュージックやダンス、スケートボードに取り組む若者たちを取材した。彼らは地元のアウトローの縦社会に囚われており、そんな生活から抜け出すための可能性を文化に見ていた。取材は川崎区で中一男子生徒殺害事件が起こった2015年から始めたが、話を聞いた中には、現在、日本を代表するラッパーになっている者もいれば、逮捕されてしまった者も、行方知れずになってしまった者もいる。しかし、その後どうなろうと、『ルポ川崎』には彼らが切実さを持って文化に向き合っていた瞬間を記録出来たと自負する。『令和元年のテロリズム』で取り上げた加害者や被害者たちも、麻雀やアニメ、ゲームに耽溺していた。転落するぎりぎりのところで踏ん張っている人間にとっては、文化と犯罪はどちらもすぐ側にあるのだ。

そういう意味では、音楽ジャーナリズムと事件ルポルタージュもまた近い位置にあるとさえ言えるのだが、だからこそ、後者を読んでいても文化に関するエピソードは妙に気になる。例えば、犯罪史上、類を見ない残忍さで知られる北九州・連続監禁殺人事件の経緯を詳細に追った豊田正義『消された一家―北九州・連続監禁殺人事件―』。まえがきで「天才殺人鬼」と評される主犯格・松永太は、自身の会社の従業員に殴りかかりながら楽器を練習させ、クリスマス・イヴ、同じく暴力や嘘で支配していた女性たちをホールに呼び寄せて歌ったという。「最高のイヴ!」と叫ぶ松永の背後で鳴っていたのはどんなサウンドだったのだろうか。彼はその瞬間、音楽の快楽を感じたはずだが、「天才殺人鬼」を文化が救う可能性はあったのだろうか。

また、『ルポ川崎』では川崎区を、『令和元年のテロリズム』ではニュータウンや北関東を舞台としたが、土地というものも自分なりにこだわっているテーマで、その点、『消された一家』の北九州市も気になるし、繰り返し読んできたのが秋尾沙戸子『ワシントンハイツ―GHQが東京に刻んだ戦後―』だ。表参道が火の海と化した山の手大空襲の壮絶な描写から始まり、原宿が日本の中のアメリカに生まれ変わっていく過程を描いた本作の後には、実は日本のラップ史が続いている。同文化の黎明において重要なのは、表参道の歩行者天国で行われていたブレイク・ダンスであり、1980年代の鹿鳴館と称された神宮前のクラブ〈ピテカントロプス・エレクトス〉である。いつか、自分なりの「続・ワシントンハイツ」を書けたらと思う。

一方、ヒキタクニオの小説『凶気の桜』では、不況に伴って外国資本に乗っ取られた渋谷でネオ・トージョーという愛国主義団体を結成した若者の姿が描かれる。2002年には窪塚洋介を主演に、ラップをサウンドトラックに映画化。当時、問題視されていた若者の右傾化を象徴する作品に位置付けられるものの、映画では削られた箇所があった。戦後を生き抜いた在日コリアンたちのエピソードだ。原作はむしろ多文化社会としての日本の裏面史を描いたものだったことはあまり指摘されないし、『ルポ川崎』ではその先を書き継ぐことを意識した。それが文化を必要としているひとに届くことを祈りながら。
(いそべ・りょう ライター)
波 2021年12月号より
立ち読み
まえがき
その男は「天才殺人鬼」であった。
マンションの一室に男性とその娘を監禁し、多額の金を巻き上げると同時に、通電や食事・睡眠・排泄制限などの虐待を加えた。やがて家畜のごとく、男性を衰弱死させた。その後、今度は七人家族を同じ部屋に監禁し、やはり通電やさまざまな制限を加え、奴隷のごとく扱った。
七人家族とは、その男の内縁の妻、妻の父親、母親、妹夫婦、甥、姪だった。
そして──。
男は、家族同士の殺し合いを命じた。まったく抵抗も逃走もせず、一家はその指示に従い、一人また一人と殺し合いで数を減らしていった。遺体はバラバラに解体された。男はまるでチェスの駒を進めるかのように、その都度、殺す者と殺される者を指示するだけで、自らの手はまったく汚さなかった。
ついに、男の妻ひとりを残して、一家は全滅した。妻は男からの指示を受け、最後まで忠実に殺す役目をこなしていた。かつては男からの逃走を試みたこともあったが、失敗すると、完全に奴隷となった。男から過酷な虐待を受けながら、数々の凶悪犯罪に手を染めた。そして挙げ句の果てに、家族まで巻き込んでしまったのである。
男の名は、松永太。妻の名は、緒方純子。二人は、福岡県久留米市内の高校の同窓生だった。卒業後に交際を始めて内縁の夫婦となり、詐欺事件を起こして指名手配されてからは、北九州市の小倉で、いくつものマンションを転々としながら逃亡生活を送っていた。そしてそのうちの一つで、「遺体なき密室での監禁大量殺人事件」が起きた。
平成十四(二〇〇二)年三月、最初に殺害された男性の娘が警察に保護されたことで事件は発覚し、松永と緒方は逮捕・起訴された。その後、福岡地裁小倉支部で行われた全七十七回の公判廷では、目を背けたくなるほどの残忍かつ猟奇な犯罪が浮き彫りになった。
平成十七年九月二十八日に判決を迎えるまで、私は裁判の大半を傍聴した。東京―小倉間をその回数ぶん往復したのは、この犯罪史上類を見ない怪事件が全容解明されていく過程を、報道を通じてではなく、自分自身で直接見届けたかったからである。
当初この事件は、松永と緒方が、二人三脚で実行した事件と見られていた。しかし取材をしている地元記者から、「実は緒方も凄まじい虐待を松永から受けていたらしい。追いつめられた末に、松永から殺害を指示され、やむなく家族を殺していったようだ」という話を聞いた。そのとき私はなにかストンと落ちるものを感じ、この事件の構造を詳細に知りたい、という欲求に駆られたのである。
夫や恋人から壮絶な暴力を受けた被害者であるはずの女性が、最終的に加害者(共犯者)となって殺人などの凶悪犯罪を犯す。こうした事件の構図を、私は以前から調べていた。中には、保険金を狙う内縁の夫から「(前夫との)子供を殺せ!」と迫られ、暴力に耐えきれずに子供を海に突き落としたという、若い母親の痛ましい殺人事件もあった。
「なぜ彼女は逃げなかったのか?」
この種の事件を調べる過程で、かならず沸き上がってくる素朴な疑問である。同様の疑問を抱く裁判官や検察官、弁護人もいるだろう。しかし、私が知るかぎり、「逃げられない心理状態」が、裁判できちんと解明されたことはほとんどない。そればかりか、解明しようという意識さえ見られないことが多い。そして判決では、「逃げようと思えばいくらでも逃げられた」とされ、暴力を振るっていた首謀者と同等の量刑が下されてしまうのだ。
私はこうした裁判のあり方に、違和感を覚えていた。「逃げられない心理状態」のなか、徹底的に追いつめられた末に犯行に及んだのだとしたら、法廷でも当然それは解明されるべきであり、場合によっては、情状酌量が認められるべきではないだろうか。長年にわたる夫婦間暴力(DV)の取材で、多くの被害者たちから「逃げられない心理状態」の実体験を聞き、また被害者ケアの専門家にも解説を受けたことで、私はこうした思いを強く抱くようになった。
しかしそれにしても、バタードウーマン(DVの被害女性)として逃げられず、追い詰められた末に、自分の親族六人を殺害してバラバラに解体するとは、これまでの取材経験から理解できる範疇を遥かに超えている。いったい緒方純子の心理状態は、どのようなものであったのだろうか。その心の闇は、どれほど深いのだろうか。
そして松永太も、前代未聞のバタラー(DVの加害男性)である。私がこれまで知る機会のあったバタラーは、大概似通っており、DV関連の事件では加害者の人物像は想像しやすかった。しかし松永については、その程度の知識で太刀打ちできないのは自明だった。
また、この事件は、DVによって構築された松永と緒方の支配関係が発端となっているが、次々に人が巻き込まれ、松永の支配下に置かれていき、最終的に連続殺人につながっていった。その、どんどんと規模が大きくなっていく過程は、松永が一般的なバタラーから希代の連続殺人犯に「進化」していく過程でもある。松永という人間は何を考え、どのような感情を抱いていたのだろうか。そしていったい、どんな支配方法を編み出していたのであろうか。
私はこの視点を持ちながら、北九州・連続監禁殺人事件の裁判傍聴を続けた。可能なかぎり独自の取材も行った。しかし、少しずつ浮き彫りにされていく事実に身の毛もよだつような戦慄を覚えるばかりで、それらをどう解釈すればいいのか、皆目見当がつかなかった。
そのとき、ある一冊の本が、突破口を開いてくれた。虐待や監禁被害者の心的外傷(トラウマ)研究の第一人者であるアメリカ人の精神科医、ジュディス・L・ハーマン医師の著書『心的外傷と回復』(中井久夫訳、みすず書房)である。
のちに親しい地元記者に紹介したところ、めぐりめぐってこの事件の担当検察官に行き着いた。私と同じ感想を持ったのだろうか、検察側は「松永と緒方ならびに被害者七人との支配関係」を精神医学的に裏付ける証拠として、裁判所にこの本を提出した。
緒方自身も、同書を拘置所内で読んでいる。法廷で検察官から感想を尋ねられ、彼女は「自分の経験と似ていると思いました。すべて当てはまるわけではないのですが、過去のことが、本のように経験してきたものとして思い出されました」と答えている。
私は、緒方純子を中心とした当事者の証言や供述調書、独自取材で得た関係者の証言を構成して、私なりに捉えた北九州・連続監禁殺人事件の全貌を本書で描くつもりである。時にハーマンなどの言葉を借りながら、登場人物の行動もみていきたい。無論、残された証人が少なく、謎だらけである事件のすべてが解説できるとは、まったく思っていない。分からない部分は分からないまま、淡々と記述していくつもりだ。それが「現実に起こった」ということを記録に留めておくだけでも、十分に意義があると思うからである。合わせて松永の法廷供述や検察の論告求刑、各弁護団の最終弁論、そして判決をも記録したいと思う。
あらかじめ断っておくが、登場人物には緒方姓が多いので、本書ではファーストネームで記述している。したがって「緒方純子」は「純子」の名で登場する。また、著者の判断により、仮名で表記している人物や建物があることをご了承願いたい。
著者プロフィール
豊田正義
トヨダ・マサヨシ
1966(昭和41)年、東京生れ。早稲田大学第一文学部卒。ニューヨークの日系誌記者を経て、フリーのノンフィクションライターとなる。犯罪事件から家族の問題まで取材対象は幅広く、人物評伝も手がけている。著書に『オーラの素顔 美輪明宏のいきかた』『DV―殴らずにはいられない男たち』『家庭という病巣』『壊れかけていた私から壊れそうなあなたへ』などがある。