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百年の孤独

ガブリエル・ガルシア=マルケス/著 、鼓直/訳

1,375円(税込)

発売日:2024/06/26

  • 文庫

蜃気楼の村を開墾しながら孤独に生きる一族。目も眩むその宿命を描いた百年の物語。

蜃気楼の村マコンドを開墾しながら、愛なき世界を生きる孤独な一族、その百年の物語。錬金術に魅了される家長。いとこでもある妻とその子供たち。そしてどこからか到来する文明の印……。目も眩むような不思議な出来事が延々と続くが、予言者が羊皮紙に書き残した謎が解読された時、一族の波乱に満ちた歴史は劇的な最後を迎えるのだった。世界的ベストセラーとなった20世紀文学屈指の傑作。

  • 配信
    百年の孤独(2024年12月配信)
目次
百年の孤独
注解
訳者あとがき
改訳新装版のための訳者あとがき
解説 筒井康隆

書誌情報

読み仮名 ヒャクネンノコドク
シリーズ名 新潮文庫
装幀 三宅瑠人/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
頁数 672ページ
ISBN 978-4-10-205212-9
C-CODE 0197
整理番号 カ-24-2
ジャンル 文芸作品
定価 1,375円

インタビュー/対談/エッセイ

ツッコミなき『百年の孤独』を読み解く方法

長瀬海小川哲

▼積読も挫折も読書だ
▼最初から最後まで読まなくてもいい
▼著者は全力でボケ倒している
▼世界が『百年の孤独』化している?

長瀬 コロンビア出身のノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』がこの夏、文庫化されました。小川さんが作家として強く影響を受けた作品ですよね。

小川 そうですね。でもね、よく考えてみると不思議な話なんですよ。『百年の孤独』は単行本としては書店にずっとあったわけだから。それがこんなに売れる世界が到来するとは思いませんでした。コロナの時にみんながカミュの『ペスト』を読んだ時の感じに近いんですが、この作品が今こんなに売れているというのは本当に不思議なんです。

長瀬 たしかに。でも新潮社はよくここまで耐えて文庫化しなかったなという感じもしていて――。

小川 何があったのかわかりませんが、ついに……という感じはありますよね。今回の文庫版には筒井康隆さんが巻末に解説を寄稿しているんですが、最後にとんでもない卓袱台返しをしていて筒井さんらしいんですよ。新潮社は『百年の孤独』Tシャツまで作ったみたいですが、なかなか商魂たくましい(笑)。どういった形であれ作品を手に取る人が増える機会につながるのであれば、いいことだと思いますが。

長瀬 ソーシャルメディアを見ていると、読むのに苦労しているという声をちらほら見かけます。

小川 ぼくも海外の土地を舞台にした小説をよく書くので、登場人物の名前が覚えられなくて困ると言われたりしますが、この作品にいたっては親子二代、三代で同じ名前の人物が登場するので、面食らう人は多いでしょうね。書いた張本人はおそらく楽しみながらやっていると思いますけれど。

長瀬 ぼくは積読も挫折も読書だと思うので、読めなかったからといってがっかりしないでほしい。

ガブリエル・ガルシア=マルケス

『百年の孤独』にはツッコミがない

小川 ぼくが最初に読んだのは二十代前半だったんですよ。お金がなくて文庫ばっかり買っていて、単行本なんてそう簡単に買えなかった頃のことですから、決死の覚悟で買って必死に読みました。もちろん素晴らしかった。でも、その後の再読では、てきとうなところをパッと開いて、「あ、こんなやついたな」とか「これなんだっけ」とか思いながらパラパラと読んできたんですね。それでいいんじゃないのかなと思うんです。気負って最初から最後まで読まなくてもいいように思う。

長瀬 たしかに著者もそれを織り込んだ上で、作品のあちこちに満遍なく企みを埋め込むように書いていますよね。それをマジックリアリズムと呼んだりするわけですが、といってファンタジー的な世界を志向するのではなく、現実を描き尽くしてやるという気概は絶対に手放さない。

小川 そうですね。たとえば「ロード・オブ・ザ・リング」みたいな典型的なファンタジー作品では、登場人物たちが魔法を使ったりホビット族みたいな人たちが出てきます。つまり「リアリティレベル」を現実からかなり離れたところに設定し、読者もそれを理解した上で読み進める。ところが『百年の孤独』は革命勢力と保守勢力の内戦とかバナナ農園での虐殺事件といった、コロンビアで実際に起きたできごとと同じリアリティレベルに、御伽噺みたいなエピソードが大量に置かれる。四年十一カ月と二日間も村に雨が降り続いたり、空から大量の黄色い花が降ってきたり、人間が空に舞い上がって昇天したりね。そして作中人物はそれを不思議なことと感じていない。著者は全力でボケ倒しているのに、作中の人物は「そんなことあるかよ」とツッコミを入れたりしないし、感慨を述べたりしないわけです。そこにツッコミを入れていたら、それはマジックリアリズムではない。

長瀬 小川さんが書かれた、ポル・ポト政権下のカンボジアを舞台にした『ゲームの王国』でいえば、輪ゴムで村人の死を予見する男だとか、土を食べてその声が聞こえるようになる男の話に通じます。

小川 現代を生きるぼくたちは夜道に灯る電灯を見ても、「あぁ電灯だな」としか思いませんが、科学が発達する以前の人間が現代に転生して電灯を見たら、特殊な生物に見えるかもしれない。あるいは神の特別な力の顕現と見るかもしれないですよね。これをどう活かすかだと思うんです。あるリアリティレベルが設定された物語に、ただ別のレベルの奇想を放り込めばそれでマジックリアリズムだという単純な話ではない。『百年の孤独』は二十世紀を生きたコロンビア人であるガルシア=マルケスが祖父の代の十九世紀のコロンビアを舞台にして書いているわけですけれど、過去を舞台にした小説を書く際に注意しないといけないのは、書き手が生きる現代の視点でものを見てしまわないということなんです。限界はあるにせよ、いかにして舞台となる時代の価値をインストールして書けるか。これが小説家の腕の見せどころなんです。

世界は辺境化している?

長瀬 『百年の孤独』を英語で読んだという池澤夏樹さんと、勤めていた新聞社を辞めてまでラテンアメリカの地に留学してしまったという星野智幸さんの雑誌「新潮」での対話で、「マジックリアリズムが可能になるには辺境、周縁である必要がある」という話が出たのが印象的だったんです。マジックリアリズムは辺境を描くことによって歴史の暗部を浮かび上がらせるためのツールにもなるのかもしれません。小川さんがカンボジアや、あるいは直木賞受賞作の『地図と拳』で満州を描くのにマジックリアリズムが必要になったことと通じる話だと思います。そういえば小川さんは大学院で中上健次の研究をしていたと思うんですが、彼はガルシア=マルケスの影響を受けていると思いますか。

小川 ぼくがガルシア=マルケスから受け取ったものとはまた別の何かだという気はしますが、とても影響されていると思いますよ。ガルシア=マルケスは幼少期を祖父母に育てられたんですが、その祖母から聞かされた話が『百年の孤独』の語り口のベースになっています。中上作品のナラティブにも土地特有の、民話のような響きが流れていますよね。

長瀬 ガルシア=マルケス自身はウィリアム・フォークナーが描いたアメリカ南部の架空の都市ヨクナパトーファを重要なトポスとして描いた作品群から大きなものを受け取って『百年の孤独』を書いたとされています。そして『百年の孤独』からの影響で中上は「路地」を舞台にした『千年の愉楽』を書き、小川さんは満州を舞台にした『地図と拳』を書いた。ぼくはそういう絵を見ています。

小川 そうですね。ぼくの場合は、正確にいえば満州を描こうと思った時にどういう書き方がありえるのか、しかも多くの人に読んでもらえる普遍性を獲得するためにはどうすべきかを考えて、『百年の孤独』のやりかたが浮かび上がってきたという感じです。何せ世界で五千万人が読んだわけですから、後進の小説家としては心強いですよね。

長瀬 独裁者があちこちで戦争をはじめている今、この文庫化は後世からみれば世界が「ガルシア=マルケス化」しているタイミングだったということになるのかなと感じています。

(右)新潮文庫版(左)1967年にアルゼンチンで出版された原書

(右)新潮文庫版
(左)1967年にアルゼンチンで出版された原書

現代人にとっての「孤独」とは

長瀬 実は多くの人と同じようにぼくもはじめはこの作品が読めなかったんです。エキゾチシズム的に消費することへの抵抗感もあったし、日本文学を中心に読んできた自分と関係があるようにも思えなかった。ところが2010年代になってアジア出身の作家がマジックリアリズム的に書いた作品が精力的に翻訳されるようになって、見え方が変わったんですね。彼らはマジックリアリズムを歴史の暗部を描くための普遍的なツールとして使っていて、われわれ日本人にも関係のある書き方だと思えるようになった。

小川 閻連科や莫言のように近代化以前の中国を描こうとする作家もガルシア=マルケスの影響下にあるといっていいでしょうね。

長瀬 亡命イラン人作家のショクーフェ・アーザルの『スモモの木の啓示』などもその系譜にあると思います。それから一族全体の母のような存在であるウルスラ・イグアランが「時間がひと回りして、始めに戻ったような気がするよ」と言いますよね。『百年の孤独』の根幹には、循環する時間、循環する歴史というものもあると思うんです。それもまた現代のわれわれに訴えるところがある理由ではないでしょうか。二十世紀に人類は世界中のあちこちで戦争を起こしたわけですが、理性というものによって同じ誤りをしないはずの人類が、相変わらず独裁者を生み続け、ジェノサイドもなくなる気配がありません。この呆れるような状況は『百年の孤独』の読み味に似ていると思うんです。

小川 戦争というものは、国と国の間で見えている世界が決定的に異なってしまった結果として起こるものですよね。

長瀬 そうなんです。そういったズレを描く、見つめるというのは小説家の責務なのかもしれません。

小川 当たり前のことですが、ぼくら二十一世紀を生きる人間と百年前を生きる人間は認識や価値の基盤が異なります。ですが同時代を生きる人間同士の間にも、百年前の人間との間ほどではないにせよ、ちがいは当然ある。人が何らかの病気にかかって亡くなったことを、科学を信じる人間は病死だと考えますが、呪い殺されたんだと信じて疑わない人もいます。呪いや陰謀というものが当然のように存在する世界を生きている人や集団は、過去にも、この現代にもいます。そして人間はそう簡単に自分の持っている思考の枠組みから逃れられない。だからマジックリアリズムと呼ぶか呼ばないかは別にしても、現代社会を描く上で、そういう書き方は価値を失わないですよね。

長瀬 ぼくのような頭が固い人間は、理不尽さに対してすぐ怒るんですが、小川さんの作品にはそんな思考の柔軟さが表れていると思うんです。荒唐無稽なものや人に対していったん価値判断を留保して観察していますよね。

小川 それは自分と価値観が異なる人を愚かと決めつけてしまうのがもったいないと思うからですね。この人の世界というのはどうなっているんだろうと思うんです。そこから物語が立ちあがってくるかもしれない。人間がとんでもなくちがう世界を生きているということがソーシャルメディアによって可視化されました。現代のこの社会を同じ価値観で生きていると思い込んでいる人間同士でも、実は決して交わらない世界を生きているのかもしれません。

長瀬 なるほど。この作品には満たされない愛情、報いのない愛情がたくさん出てきます。みな孤独です。

小川 『百年の孤独』が読み通せれば、社会をともに生きる人との摩擦をマジックリアリズムとして楽しめるかもしれませんよね。わあ、来た来た、これマコンドだ、みたいな(笑)。自由に読んで色々な楽しみ方をしたらいいんじゃないかと思います。

※この対談は2024年7月28日と8月4日にTOKYO FM「Street Fiction by SATOSHI OGAWA」で放送された番組の活字バージョンです。オーディオコンテンツプラットフォーム「AuDee」でもお楽しみいただけます。URLはこちらです。

(ながせ・かい 書評家)
(おがわ・さとし 小説家)

波 2024年9月号より

世界を滅亡から一度は救った女性

塙陽子

聞き手:『百年の孤独』新潮文庫版担当編集者&「波」編集長

 長年、「文庫化したら世界が滅びる」と噂されてきたG・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』――昨年末の文庫化発表以来、ひとつ情報解禁するたびにSNSでトレンド入りし続け、ついに6月末、新潮文庫版が書店に並びました。発売後半月にして忽ち七刷、累計二十六万部に達しています。日本国内のみならず、スペインやラテンアメリカ諸国のテレビや新聞でもニュースとして報じられたほどの爆発的売れ行き。
 原著がアルゼンチンの出版社から刊行されたのは1967年、邦訳の刊行は1972年(1999年に改訳版刊行)のことです。スペイン語圏では刊行当初から「ソーセージのように売れた」そうですが、日本語版は初版四千部で、重版がかかるまでに五年かかり、その二刷もわずか千部(アルゼンチンでは初版八千部が二週間で売り切れた)。世界中で四十六の言語に翻訳され、発行部数が累計五千万部に及びいまや神話になろうとしているこの作品、日本語版担当編集者である新潮社OB、塙陽子さんに当時の思い出を伺いました。

――『百年の孤独』の翻訳を出してみよう、と思ったきっかけは何でしたか?

 オリオンプレス(翻訳エージェント)の方から「こんな本があるよ」と紹介してもらったんです。私は大学で専攻したスペイン語圏の本を出したいと思って、いろいろ物色していたんですね。さっそく原著を覗いてみたら、いかにも面白そうでしょう? 欧米でも既に話題になっていたと言っても、そんなに売れているわけでもなくて版権が安かったから、社内の企画も通しやすかったんです。私が入社して四年目、1969年あたりのことだったと思います。

――訳者に鼓直さんを選ばれたのも、もちろん塙さんですよね?

 ええ。ラテンアメリカ文学の紹介がほとんどされていない頃ですから、翻訳者もあまりいらっしゃらなかったの。私は文化人類学などにも興味があって、東大の泉靖一さんや増田義郎さんのところへ通っていたので、増田さんから神戸にいらした鼓直さんを紹介してもらいました。私が二十代で、鼓さんは三十代、一緒に組んで仕事ができる若い方を探していたんです。

――鼓さんご自身、「『百年の孤独』が最初の大仕事だった」と回想されています(「酒と鉛筆の日々」、「波」1999年8月号)。鼓さんが亡くなられた時には、野谷文昭さんが追悼文に「冒頭を果てしなく書き直したとその時(注、『百年の孤独』翻訳の時)の担当編集者から教えられた」と書かれていました。これは塙さんのことですよね。

 そう、鼓さんはとりわけ冒頭には強いこだわりがありましたね。

――旧訳版では冒頭の一文の後に改行があったのですが、改訳版は原文通りに改行なしになりました。一方、『族長の秋』の冒頭は、最初の集英社の単行本では原文通りの長い一文だったのが、集英社文庫版及び新潮社『ガルシア=マルケス全小説』版では二つの文章に分けています。声に出して読んでも気持ちいいし、イメージも鮮やかに浮ぶし、作品に引き込まれる神経の行き届いた日本語ですよね。

 原題の「CIEN ANOS DE SOLEDAD」を「孤独の百年」ではなくて「百年の孤独」とされたのも鼓さんの名訳ですよね。

――初版刊行直後の反響はいかがでしたか?

 あまり反響はなかったの(笑)。編集者って、書評や紹介が出ると、作家や訳者にコピーなんかをお送りするでしょう? あの本の場合、ほとんどお送りした記憶がないんですよ。

――詳細きわまる『ガルシア・マルケスひとつ話』(書肆マコンド著、エディマン刊)によると、刊行直後には丸谷才一さんと中川敏さんのもの、二つしか書評が出なかったようです。

 そうそう、丸谷さんは最初からいろいろ話題にしてくださいましたね。作家の方々の反応はとても良くて、大江健三郎さん、安部公房さん、のちには筒井康隆さんや池澤夏樹さん。ちょうど南米へ取材旅行に行かれる頃だったかしら、開高健さんも読んで褒めてくれました。

――丸谷さんに『百年の孤独』を薦めたのは植草甚一さんで、丸谷さんは林達夫さんに薦め、ドナルド・キーンさんは安部公房さんに薦めて、安部さんは辻井喬さんに薦めたそうです。確かに、読むと誰かに薦めたくなる本ですよね、あれは。

 いろんな方が言及してくださったおかげで作品の知名度があがって、だんだん売れるようにもなってきたから、『百年の孤独』より前の作品、『短編集 落葉』(翻訳は1980年刊。以後、カッコ内の数字は翻訳刊行年を表す)や『悪い時』(1982年)も出せたんです。

――『悪い時』の翻訳が出た直後の1982年10月に、ガルシア=マルケスがノーベル文学賞を受賞します。日本でも認知度が決定的に上がりました。

 受賞直後に、野谷さんが翻訳を進めていた『予告された殺人の記録』(1983年)を「新潮」(1983年2月号)に急遽掲載したら、これがたいへん売れたんですよ。同じ号に石原慎太郎さんの長篇も一挙掲載されていたから、石原さんから「売れたのはおれの小説のおかげ? それともマルケス?」って訊かれました(笑)。

――答えにくい(笑)。受賞の少し前から、ラテンアメリカ文学のブームが日本にも徐々に来ていましたよね。

 私はバルガス=リョサも好きでしたから、あのブームのおかげで、『緑の家』(1981年)から始まって何作も出せましたし、カルペンティエールやフェンテスの翻訳も出すことができました。

――ちなみに、鼓直さんが『百年の孤独』以降、他の作品を新潮社では翻訳されていないのはどうしてですか?

 鼓さんには、もちろん新潮社で『族長の秋』の翻訳もしてもらうつもりだったんですよ。それは鼓さんもご承知だったのですが、なかなかエージェントから版権の返事が来ないなあと思っていたら、鼓さんから「集英社から翻訳を頼まれたんだけど」って連絡が(笑)。

――あっ。集英社の『ラテンアメリカの文学』(全十八巻、1983~1984年。『族長の秋』が第一回配本だった)に奪われたんですね(笑)。あれはドノソやプイグなどの代表作も入った、面白い叢書でしたけど。

 ああいう企画が実現したのもブームの余波ですよね。でも、そのせいで版権が高くなっちゃった(笑)。鼓さんには、その後もドノソの『別荘』の翻訳をお願いしましたが、筆が遅い方なんですよ。版権を延長して、また延長してを繰り返して、とうとう私が新潮社にいる間には間に合いませんでした。

――『別荘』は2014年になって、寺尾隆吉さんの訳で現代企画室から刊行されましたが、そんな秘話が……。

 もうひとつ、私はラテンアメリカ文学をやる翻訳者の数を増やしたかったんですね。だから、同じ作家でもわりと作品ごとに翻訳の方を変えていきました。バルガス=リョサの大作『世界終末戦争』(1988年)を翻訳して頂いた旦敬介さんも増田義郎さんのご紹介です。

――そう言えば、ガルシア=マルケスは1990年秋に来日しています。

 大江さんや安部さん、辻井さんたちと会われたそうです。私も鼓さんと一緒にお会いしたのですが、「今回の来日の趣旨は別にあるんだ。翻訳者にあまり興味はないんだよ」って、ちょっと素っ気ない対応でした。確か、ラテンアメリカ映画祭みたいな催しのための来日じゃなかったかしら。ただ、川端康成の『眠れる美女』の話をしたのはおぼえています。

――あれは「わたしにも書けたらなあと羨ましく思った」(エッセイ「眠れる美女の飛行機」高見英一訳、「波」1983年1月号)というガルシア=マルケス偏愛の小説で、のちには『眠れる美女』の一節をエピグラフにした『わが悲しき娼婦たちの思い出』(2006年)まで書いていますね。さて今回、『百年の孤独』日本語版刊行から五十二年一ヶ月と二十一日たって、ついに文庫化されたわけですが……。

 実は『百年の孤独』の文庫化の話って、ずいぶん以前にも一度あったんですよ。私の知らないところで進んだ話で、ゲラにまでなっていたのですが、文庫にしてしまうと単行本は絶版にしてしまいがちだし、文庫だって売れなかったら絶版になるかもしれないから、必死で止めたんです。あれはやっぱり特別な作品ですものね。

――それは初耳です! 既に一度、世界は滅亡しかけていたんですね(笑)。確かに、例えば『緑の家』は文庫化されましたが(1995年)、単行本も文庫ももう絶版になっています(現在は岩波文庫で読めます)

 その幻になった『百年の孤独』文庫化のために、鼓さんが全面的に改訳をされていたんですよ。

――そうか、それで単行本の改訳新装版を作られた、と。

 ええ。その後、各社からガルシア=マルケスの作品は翻訳されていたけれど、入手しにくくなった本も出てきたから、ちゃんと読めるようにしておこうと『ガルシア=マルケス全小説』(2006年~)を作ったんです。

――単行本版としては『全小説』、つまり個人全集という形を作ってくださったので、絶版にならずに済みそうです。なぜ新潮社にラテンアメリカ文学の系譜があるんだろうと思っていましたが、そもそもは塙さんの「大学で専攻したスペイン語圏の作品を」という思いから始まっていたんですね。

 正確には自分が何を考えていたかなんて、昔のことすぎて、もう忘れちゃいましたけどね(笑)。

(はなわ・ようこ 『百年の孤独』日本語版初代担当編集者)

波 2024年8月号より

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著者プロフィール

(1927-2014)コロンビア、アラカタカ生まれ。ボゴタ大学法学部を中退し、新聞記者となって欧州各地を転々とした後、1955年に処女作『落葉』を発表。1967年『百年の孤独』によって一躍世界が注目する作家となった。『族長の秋』『予告された殺人の記録』『コレラの時代の愛』『迷宮の将軍』など次々と歴史的傑作を刊行し、1982年にはノーベル文学賞を受賞した。

鼓直

ツヅミ・タダシ

(1930-2019)旧朝鮮生れ。東京外事専門学校卒業。神戸市外大、神奈川大などでスペイン語を講じながらボルヘス、アストゥリアス、カルペンティエール、コルタサル、ドノソ、ガルシア=マルケスなどの主要作品を翻訳し、ラテンアメリカ文学ブームを牽引した。法政大学教授や日本スペイン協会理事長を歴任。瑞宝中綬章、スペイン民功騎士十字章を受章。

判型違い(単行本)

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