フェルマーの最終定理
1,045円(税込)
発売日:2006/05/30
- 文庫
- 電子書籍あり
大数学者フェルマーが遺した謎――そのたった一行を巡る天才たちの3世紀に及ぶ苦闘が、これほどまでにドラマチックだったとは! 徹夜必至の傑作数学ノンフィクション。
17世紀、ひとりの数学者が謎に満ちた言葉を残した。「私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない」以後、あまりにも有名になったこの数学界最大の超難問「フェルマーの最終定理」への挑戦が始まったが――。天才数学者ワイルズの完全証明に至る波乱のドラマを軸に、3世紀に及ぶ数学者たちの苦闘を描く、感動の数学ノンフィクション!
書誌情報
読み仮名 | フェルマーノサイシュウテイリ |
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シリーズ名 | Science&History Collection |
発行形態 | 文庫、電子書籍 |
判型 | 新潮文庫 |
頁数 | 512ページ |
ISBN | 978-4-10-215971-2 |
C-CODE | 0198 |
整理番号 | シ-37-1 |
ジャンル | ノンフィクション、数学 |
定価 | 1,045円 |
電子書籍 価格 | 869円 |
電子書籍 配信開始日 | 2016/12/23 |
書評
混沌の長いトンネルを抜けると虚構であった。
私はあまり本を読みません。読書が嫌いなわけではないのですが、ついほかを優先してしまうのです。そんな文字に馴染まない生活をしている私ですが、自分に課しているタスクがあります。『雪国』(川端康成著)を10年ごとに読み返すという、いわば一生にわたる課題です。
初回は20歳のとき。何か得体の知れないものに触れたという感触はありましたが、底しれぬ文体の向こう側につかみ切れない何かが潜んでいることを痛感しました。そこで人生の課題としたのです。
4回目の通読は3年前です。50歳になったからといって容易に理解できるような作品ではありませんが、以前は共感できなかった主人公・島村に対して感情移入できる自分に驚きました。
島村が雪国に渡るのは、現代風に言えば、仮想空間への逃避でしょうか。「この指だけは女の触感で今も濡れていて、自分を遠くの女へ引き寄せるかのようだ」――。幽玄世界に誘われるがごとく雪国に2度立ち戻る。雪国での主人公は当事者であり当事者でない。あたかも腐女子がボーイズラブを眺めるような視点で、虚数軸を浮遊しながら遠隔的に興じます。川端本人も少年期にボーイズラブの経験があったそうですが、それと関連しているのでしょうか。
仮想空間は脳が成立させる世界です。現実の身体性から自分を解放できるからこそ、私たちは仮想空間に没入することができます。本来は存在しないはずの仮想世界を、リアルに実感できるのは、いわば信念。いや、信仰といって差し支えないでしょう。脳で感じるものである以上、それは「信じる」ことで成立するからです。
私は科学研究に職を置きながら、科学もまた信仰の賜にほかならないと感じています。学問の雄たる「数学」でさえ信仰の結晶です。それは『フェルマーの最終定理』(サイモン・シン著)を読めばわかります。
17世紀のフランスで活躍した数学者ピエール・ド・フェルマーが一冊の書物の余白に書き残したシンプルな命題。この証明に貢献した数学者たちの奮闘と挫折。このテーマを扱う書籍は数多くありますが、サイモン・シンは劇的な筆致で描き、エンターテインメント性において類書を凌駕します。
さて、フェルマーが提唱した定理は、300年以上の歳月を経て証明されました。この営みこそ、まさしく信仰です。「きっと正しいに違いない」という数学者たちの信念はどこから来るのでしょう。そもそも、仮に「正しい定理」だったとしても、ヒトの脳で理解できる範囲内で証明可能かどうかもわかりません。なぜなら数学はヒトに理解できるように気を利かせた体系をとってくれているとは限らないからです。にもかかわらず「人生を懸ける価値がある」と直感する。これを宗教と言わずしてなんと呼ぶべきでしょうか。
最後に宗教どまん中の本を取り上げましょう。新潮文庫の隠れた名著『日本仏教史―思想史としてのアプローチ―』(末木文美士著)です。著者は仏教の専門家ながら、哲学、歴史、文学などの幅広い分野を横断しながら筆を進めます。本書の副題は「思想史としてのアプローチ」で、まさにこの点こそが普通の仏教史とは異なるポイントです。
私は無宗教を謳ってはいます。しかし海外の方から宗教を訊かれれば、とりあえず「仏教徒だ」と答えます。日本の仏教はユニークです。原点であるインドの仏教とは別物です。本書を読めば、朝鮮から渡来した仏教が、日本土着の民俗信仰や神道と融合しながら、再構築されていく経過がよく理解できます。歴史の流れで何度も偏見と政治的圧力に屈しながら、「日本の仏教」へと変貌しました。
著者は問いかけます。「仏教は日本に定着したといわれます。だが、その定着の中身は何だったのでしょうか」。私がよく知っているこの仏教が「本物」でないとしたら、外国人に「仏教徒だ」と主張した私は一体何者なのでしょうか。
――混沌の長いトンネルを抜けると虚構であった。頭の底が白くなった。
(いけがや・ゆうじ 脳研究者/東京大学薬学部教授/薬学博士)
波 2023年6月号より
立ち読み
文庫版に寄せて
二〇〇〇年一月、本書『フェルマーの最終定理』の単行本が出版されるやいなや、その反響の大きさに驚かされた。ふだん数学などにはあまり関心のなさそうな知人から「感動した」と連絡をもらったのに始まり、新聞・雑誌の書評にもさかんに取り上げられた。ネット上の「ベストサイエンスブック2000」では堂々の一位を獲得し、さらには「科学書」の範疇を越えて「1年間に2、3冊あるかないかの傑作」、「読み終わるのがもったいないような作品」といった声もいただいた。これらの評価はけっして大げさではないと思う。なんといっても内容を知り抜いているはずの訳者である私でさえ、本書を手に取ってどこかのページを開くたびに、いまだに話に引き込まれ、ついつい先まで読んでしまう。そしてクライマックスでは熱い感動を味わうことになるのだから。
この作品の面白さは、「フェルマーの最終定理」という素材の魅力もさることながら、やはり著者であるサイモン・シンのたぐいまれな筆力によっている。作家デビューを果たした本作で、シンはライターとしての圧倒的な力量を示し、絶大な支持を得た。続く『暗号解読』でも大きな話題を呼び、今や、次作が待ち望まれるサイエンス・ライターの筆頭になっているといっても過言ではないだろう。まもなく邦訳が出版される『ビッグバン宇宙論』も含めて、彼の作品には、テーマに関する徹底した取材、たくさんの素材を全体の中に見通しよく配置するゆるぎない構成力、人間への暖かいまなざしなどが共通している。それに加えて、科学の最良の部分を、文化史・社会史的な背景の厚みの中で――しかも感動的に――描き出してみせるところに大きな特質がある。
このたびの文庫化により、このすばらしい作品がより多くの読者の手に届くようになった。恐ろしくも美しい数学の魅力をたくさんの人たちに垣間見ていただけるならば、訳者としてとてもうれしく思う。シンのことを知らない方も、ぜひ手にとって、だまされたと思って読み始めてみてほしい。あなたはきっと次作の『暗号解読』や『ビッグバン宇宙論』も読んでみたくなるだろう。
二〇〇六年四月
青木 薫
どういう本?
一行に出会う
言葉にしようのない、美しい瞬間でした。(本書415ぺージ)
著者プロフィール
サイモン・シン
Singh,Simon
1964年、イングランド、サマーセット州生れ。祖父母はインドからの移民。ケンブリッジ大学大学院で素粒子物理学の博士号を取得し、ジュネーブの研究センターに勤務後、英テレビ局BBCに転職。TVドキュメンタリー『フェルマーの最終定理』(1996年)で国内外の賞を多数受賞し、1997年、同番組をもとに第1作である同名書を書き下ろす。他の著書に『暗号解読』、『宇宙創成』、『代替医療解剖』などがある。
青木薫
アオキ・カオル
1956年生れ。翻訳家。訳書に『フェルマーの最終定理』『暗号解読』『宇宙創成』などサイモン・シンの全著作、マンジット・クマール『量子革命』(以上、すべて新潮社)、ブライアン・グリーン『時間の終わりまで 物質、生命、心と進化する宇宙』(講談社)、トマス・S・クーン『新版 科学革命の構造』(みすず書房)など。著書に『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論』(講談社)がある。2007年度日本数学会出版賞受賞。