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曼陀羅華X

古川日出男/著

3,630円(税込)

発売日:2022/03/15

  • 書籍
  • 電子書籍あり

自分たちは、この教えを、国教にするんですよ――サリン事件をモチーフに、現実と虚構が融合する超大作。

1995年、地下鉄にサリンが撒かれ、教祖が逮捕される。だが、教団は公判直後に教祖を奪還、後の歴史は軋みながら軌道を変えた。「予言書」としてその筋書きを書いたのは、教団に拉致され姿を消した作家X。だがそこには、復讐というもう一つのシナリオが埋め込まれていた。魂が共鳴する、当代随一の琵琶法師的現代文学。

目次
第一部 1995-2003
第二部 2004
第三部 実況放送中

書誌情報

読み仮名 マンダラゲエックス
装幀 David Wall/カバー写真、Moment/カバー写真、Getty Images/カバー写真、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 448ページ
ISBN 978-4-10-306079-6
C-CODE 0093
ジャンル 文学・評論
定価 3,630円
電子書籍 価格 3,630円
電子書籍 配信開始日 2022/03/15

書評

世界を鎮める戦いとして

管啓次郎

 きみはフォークナーの『八月の光』を、ワイルドの『サロメ』を知っているかもしれない。知らなくても気にしなくていいが知っているとその分この作品が好きになるはずだ。ロレンソ了斎はどうか。ぼくは知らなかったが、その人がフランシスコ・ザビエルにより洗礼を受けたイエズス会修道士でもともと盲目の琵琶法師だったことを知って、電撃的な衝撃を受けた。ロレンソはこの小説の登場人物ではなく、ただあるキャラクターにインストールされる前世にすぎない。けれども強烈な喚起力がある。作者の脳という混沌の中でこれらの名がきらりと光り、何かを知らせてくる。知らせてくるメッセージが了解不可能でも、それらは小説の魅力のたしかな一部だ。思いがけない美しい貝殻が転がっていない砂浜など、誰も歩きたくないだろう。
 だがこの作品の本質は他にある。一般論として小説のもっとも基本的な役割は国家批判だ。個々の小説家が意図しようがしまいが、すべての小説が異世界の提示であり現実批判である以上、それらは世界を規制する法と枠づける国家の批判にゆきつく。法や国家を積極的に追認している小説がないわけではないが、それは小説自身がみずからの可能性に目覚めていないだけ。古川日出男の道は、いつものことながらその対極にむかって延びてゆく。国家・歴史・言語の批判にむかって。過剰なまでに。
 反国家をめざす集団は現実にいくらでも存在してきた。国家は私たちの生存圏をべったりと支配している。守られているうちはいい。国家はその本性上、内を守るために外を攻撃し、支配を貫徹するために内部を序列化する。ここでもっぱら「支配され虐げられている」という感覚を抱えて生きる人々が、反乱を企てるのは当然だ。国家に対する大小の反国家の樹立をめざして。問題は反国家が国家の相似形においてしか自分を構想できないことだ。資本の支配に対して宗教の支配という別の原則をもちだす反国家にしても、それは国家を擬態する。だったら国家と反国家のいずれからも離脱する第三の道は? 小説がそれだ、と確信し断言できる者を、改めて「小説家」と呼ぶことにしようか。古川日出男はこの意味での小説家、『曼陀羅華X』はその意味での小説だ。
 1995年、作家が拉致される。国家に対する戦いを挑む、ある宗教団体によって。彼は監禁され未来を書くことを要求される。小説の語り手のひとりとして、作家は「大文字のX」と名指される。これに対してやはり語り手のひとりとして「大文字のY」が登場する。教団にとって彼女は教母すなわち教祖の母であり、教団の幹部たちに前世をインストールする役目も担っている。彼女が教母になったのは、盲目の教祖ωとの儀礼的交合により2代め教祖αを妊娠・出産したから。1996年に生まれた嬰児は、どうやら作家により保護されたらしい。2004年には血がつながらない作家と父子として仲良く暮らしている。この少年は耳が聞こえず、手話で会話する。ときどき訪れる作家のガールフレンドによくなついていて、一緒に植物図鑑を作ろうとする。
 と書いても、あまりに複雑な構成をもつこの作品の何を伝えることもできそうにない。実際、この途方もない作品を一読しても、何がわかったともいえない。たぶん三読四読したとき、それまで気づかなかった植物や岩の布陣に気づき、荒野がまったく別の相貌を帯びるようになるのだろう。だが一読でもストレートに感知できるのは、作者の言語的バランス感覚だ。世界には反世界が必要だと本能的に考え感じ判断する者ならば、たとえば盲目の教祖に対してろう者の二代めを措定した上で、感覚をひとつ欠く人への聖書の差別意識に怒るのも当然だった。血統による支配をめざすことにかけてはこの世の王国と変わらない教団に対しては、血縁なき世俗の聖家族が、まさに小説的家族としてしずかな明るみをしめす。
 終盤が見えてきたころ、この「黙示録の生放送」のもっとも感動的なメッセージが語られる。「ある集団が世界を壊すなら、個人は世界を鎮めると考える。/私の文学的な本能がそれを考える」。語るのは小説内の作家だが、同時に、作者その人だ。「もしもステレオタイプではない文学をするならば、ここまで来い」。古川日出男はふりむいてそういった。その声を聞いたわれわれは、マグマの熱が感じられそうな深い亀裂を思い切って跳びこえることができるだろうか。

(すが・けいじろう 比較文学者/詩人)
波 2022年3月号より
単行本刊行時掲載

担当編集者のひとこと

 1995年3月20日、東京都心を走る地下鉄の車内に猛毒の神経ガスであるサリンが撒かれ、多くの方が被害に遭いました。
 担当編集者が新潮社に新入社員として入社したのは、そのおよそ十日後でした。一週間ほどの研修の後(うち数日はワープロ研修のため秋葉原に通いましたが、オウム真理教が経営するPCショップの店員が歌い踊りながら客引きしていました)、週刊新潮編集部に配属されました。最初に命じられたのは、九州のとある県の電話帳を脇に積んで、逮捕された教団幹部と同じ苗字の家に片っ端から電話すること。編集部の奥にあるタバコのにおいが染みついた狭い「電話室」にこもり、電話をかけまくったことを覚えています。一月の阪神・淡路大震災の衝撃もまだ消えない中、オウム真理教をめぐる事件が加わり、しばらく編集部が沸騰状態でした。
 それから三十年近く。作家・古川日出男氏はずっとオウムのことを考え続けてきました。2018年に教祖をはじめ十三人の死刑が執行され、事件に対する世間の記憶が薄れる中、この作品を構想したそうです。地下鉄にサリンが撒かれた事件の直後、「教団」に拉致された作家が「予言書」の執筆を命じられるという設定から、当時の日本をもう一度語り直し、今も続くこの国の混迷の根源に迫りました。
 今年も新入社員が入社してきました。事件後に生まれた彼らにとってオウムの事件は「歴史」になっているようです。しかし私たちが経験し、消化したはずの「1995年」はまだ終わっていません。(出版部・TS)

2022/05/27

著者プロフィール

古川日出男

フルカワ・ヒデオ

1966年、福島県郡山市生れ。1998年『13』でデビュー。2002年『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞、日本SF大賞、2006年『LOVE』で三島由紀夫賞、2015年『女たち三百人の裏切りの書』で野間文芸新人賞、2016年には読売文学賞を受賞。戯曲『冬眠する熊に添い寝してごらん』(2014)ならびに「ローマ帝国の三島由紀夫」(2018)は岸田國士戯曲賞の候補となった。2022年には、全巻の現代語訳を手がけた『平家物語』(2016)がTVアニメとして放送され、続く『平家物語 犬王の巻』(2017)も同年に劇場アニメとして公開された。他の著作に『聖家族』『馬たちよ、それでも光は無垢で』『ミライミライ』『曼陀羅華X』『の、すべて』など。アメリカ、フランス、イタリア等、多数の国で翻訳され、海外での評価も高い。

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