ホーム > 書籍詳細:神様には負けられない

神様には負けられない

山本幸久/著

2,090円(税込)

発売日:2020/12/16

書誌情報

読み仮名 カミサマニハマケラレナイ
装幀 田中寛崇/装画、新潮社装幀室/装幀
雑誌から生まれた本 小説新潮から生まれた本
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判
頁数 314ページ
ISBN 978-4-10-322722-9
C-CODE 0093
ジャンル 文芸作品
定価 2,090円
電子書籍 価格 2,090円
電子書籍 配信開始日 2020/12/16

「えらいね」「人助けだね」って、違うよ。私たちは六角レンチで神様と勝負するんだ!

25歳で会社を辞め、義肢装具士の専門学校に飛び込んださえ子は、カスタムメイドの義足を作る実習に苦戦し絶賛ヘコみ中。年下の仲間達に助けられ、芸者やカメラマン、人力車夫など多彩な義肢ユーザーと出会い、垣間見えた自分なりの「バリアフリー」とは? 伸びしろ無限大の人生再スタートを応援する大人のお仕事小説誕生!

書評

痛みの先へ向かう営み

彩瀬まる

 読みながら、ああ痛い! と何度も思う。
 失敗して、痛い。転んで、痛い。うしなって、痛い。ないがしろにされて、痛い。他者と衝突して、痛い。他者を傷つけて、痛い。この小説には、私たちが人生で相対するさまざまな痛みが、丁寧に、生々しく、埋め込まれている。
 痛い、のに、安心する。そこに痛みがある、とはっきり書かれて嬉しい。そして、その痛みは一人で背負うものではない、と強ばりをほどくよう促されているようにも感じる。
『神様には負けられない』は、義肢装具士を目指す学生たちの奮闘を描いた、明るくエネルギッシュなお仕事小説だ。主人公の二階堂さえ子は七年勤めた内装会社を退職して、現在は渋谷にある医療福祉専門学校の義肢装具科に通っている二十六歳の女性。クラスメイトは二十歳前後の若者ばかり。周囲から浮いていることを自覚しながら、さえ子は個性的な班員たちと共に義足製作に邁進する。
 義足製作の詳しい工程を、初めて小説で読んだ。義足ユーザーが脚を失った理由を聞き取り、断端(脚の切断面)をよく観察し、触れ、採寸を行い、型どりし、石膏モデルを製作し――たくさんの工程を経て、断端を収納してパイプで足部(足の外観を模した部品)とつなげるソケットと呼ばれる部分を完成させる。
 書き手によっては冗長になりそうなこうした綿密な作業の描写が、抜群に面白い。義足ユーザーとの体の距離、断端に触れる際の緊張、巻尺のもたつき、ギプス包帯の手触り、それらすべてと共にある主人公の焦り、指がうまく動かないもどかしさ、そして班員同士のなにげない助け合いが、とても自然に頭に流れ込んでくる。一切のハードルを感じさせずに、読み手を未知の現場へ連れていく。これまでに様々な職業を描いてきた著者にしかできない、臨場感のある鮮やかな表現に魅了された。
 人によって脚を失った理由はさまざまで、断端のかたちも異なるため、ソケットはみなオーダーメイドだ。サイズや形状に不備があればソケットのフィット感は失われ、義足ユーザーは痛みを感じ、立つことも歩くことも難しくなる。義足が完成したあとも、歩行には訓練が必要だ。転倒すれば、もちろん痛い。
 義足ユーザーと接するさえ子とその班員たちもまた、様々な痛みに直面する。義足ユーザーの力になりたいと思っても、まだまだ技術が足りない。その内心や状況への理解が及ばず、不用意な発言で傷つけてしまう。クライアントにバリアフリーの重要性を訴えても理解されなかったり、どんな業界にも存在するパワハラや不正義に苦しめられたりもする。自分の内部の偏見が思いがけない形で露呈し、ショックを受けることもある。
 生きて、歩く。今いる場所とは別の場所へ向かう。ただそれだけの行動をやり通すために、私たちはいくつもの痛みを乗り越えざるを得ないのだ。さえ子たちの奮闘を追ううちに、いつしかそんなシビアな事実を、静かな心持ちで受け止めていた。
 物理的な痛み、精神的な痛み、自分や周囲への失望、神様が行うひどいこと。そうした痛みだけでなく、この物語はそれらを減らしていこうとする人々の営みを丹念に描いている。義足ユーザーが歩行の際に痛みを感じない義足を作る、義肢装具士の仕事はまさにそうだ。
 一人が抱えた痛みを複数の人間が支え、持ち合うこと。培ったものを差し出して、他の誰かの痛みを減らすこと。そして他の誰かに差し出されて、自分の痛みを減らしてもらうこと。もしかしたらその繰り返しが、働くということなのかもしれない。読み終えて、なぜ自分と境遇の異なる他者のために働くのか、本当のバリアフリーとはなにか、漠然と抱えてきた問いに、一つの答えを得た気がした。
 痛みはある。必ずある。しかしたった一人で向き合うものではない。挑み続ければ、痛みの先の喜びへきっと届く。そんな風に自分を、そして社会を、信じる勇気をくれる本だ。

(あやせ・まる 作家)
波 2021年1月号より
単行本刊行時掲載

インタビュー/対談/エッセイ

「僕には向かない職業」が教えてくれること

山本幸久乙武洋匡

『神様には負けられない』で義肢装具士の卵たちを鮮やかに描いた山本さん。義肢装具士とタッグを組み、義足で歩行するプロジェクトに挑戦中の乙武さん。パラリンピック、SDGsの観点からも大注目の職業を間近で見た2人が語る「神様みたいな仕事」の面白さと進化の可能性とは?

――山本さんはデビュー以来、様々な職業を小説に描いていらっしゃいました。このたびの新刊『神様には負けられない』は義肢装具士を目指す女性の物語ですが、この職業を書こうと思ったきっかけは何だったんでしょう。

山本 僕はせっかく小説家になったのなら、自分とは縁のない世界を覗いて、それを書いてみたいと思っているんですね。今回の場合はたまたま駅で義肢装具士を養成する専門学校の看板を見かけたのがきっかけでした。義肢装具士という名称は聞いたことがあるし、義手や義足を作る仕事だろうなということはわかる。けれど、具体的には何をどうやって作っていくんだろうと思って調べてみたら、想像以上に奥深い仕事で、ぜひ書きたいなと考えたんです。

乙武 そこを伺ってみたかったんです。目に留めるきっかけがあったとはいえ、世の中には自分と縁のない世界はたくさんありますよね。その中でなぜ義肢装具士だったんですか?

山本 単純な話で、自分には100%できない仕事だと思ったからです。一人一人に合った義手や義足をオーダーメイドで作る技術はもちろん、手足を失った理由やかなり立ち入った事情を尋ねたり、親身になって義肢の不具合を細かく聞き取ったりするコミュニケーション能力も備えていないといけない。「ちょっと神様みたいな仕事だな」と思ったんですね。ひるがえって僕自身は、ぶきっちょでモノを作るのが苦手だし、自分のことしか考えられないし、コミュニケーション能力にはハッキリと問題がある(笑)。義肢装具士は絶対に務まらない。だからこそ小説として書きたい気持ちが募ったんです。

乙武 そういうことでしたか。私はこの小説を読み終えてまず思ったのが……これは本当に褒め言葉として受け取っていただきたいんですが、「なんてコスパの悪い作品だろう」と。

山本 ハハハハ。

乙武 山本さんは義肢装具士の知識がほぼゼロだったわけですよね。そこから取材や資料の読み込みを重ねて専門知識を蓄え、それを読者に噛み砕いて伝えなくちゃいけない。その手ごわい山を越えた後にメインストーリーを展開するという第二の大きな山が待っている。僕自身も書き手として、この一冊の陰にある労力の凄まじさに驚愕しましたし、ちょっと自分を恥じました。

山本 いえいえ、15年も小説家をやってるのに、なんでこんなに要領が悪いのか自分でもイヤになります。今回も連載時は義肢装具の会社を舞台にしていたんですが、それだと主人公に知識がつきすぎて迷いや悩みが少なくなり、話が広がりにくいことに気づきまして。単行本化に際して舞台を専門学校に変え、他のキャラクターもストーリーもイチから考え直し、結局、二作ぶん書いたことになりました。

乙武 うわあ、それはすごい(笑)。義肢装具士を目指す主人公のさえ子や仲間たちが、自分って何だろうとか、どの道に進んだらいいんだろうとか若者らしく悩みながら課題をこなし、最後には自分たちの可能性を信じるに至る。その彼らにポジティブなエネルギーを与えたのが義手・義足ユーザーだというところが、なんだかとても嬉しかったです。作品全体からも「健常者だから前向きに生きられて、障害者だから後ろ向きに生きなきゃいけないなんてことは思い込みで、障害のあるなしにかかわらず、どんな人間にだって壁も可能性もあるよね」というメッセージを感じました。

山本 ありがとうございます。

乙武 特に私が好感を持ったのは主人公の同級生である真純の存在ですね。髪を派手な色に染めて、耳と鼻にピアス、ドクロ柄の服が好きで誰にでもタメ口をきく。彼女は世間がいまだ福祉関係者に対して抱いている清楚イメージをいきなり裏切ってくれて痛快でした。私も『五体不満足』を出した22年前から、障害者や福祉に対する固定イメージを打ち破ろうといろいろ活動してきたんですが、やっぱり変わらない面も多いんですよ。

山本 乙武さんは小説『ヒゲとナプキン』のあとがきに、『五体不満足』によって障害者の存在は身近に感じられるようになったと思うが、障害者の抱える社会的課題が注目されるまでには至っていない、と書いていらした。六百万部売れた本でも、乙武さんが考えていたほどには世界は変えられなかったのかなと思って、ちょっと驚いたんです。

乙武 うーん、まったく変わっていないわけでもないですが、満足のいくレベルではないかな。身体障害者に対する意識や対応、街中のバリアフリー度合いはかなり進みましたし、『ヒゲとナプキン』で描いたLGBTQへの関心も年々高まっています。でも「障害者ってこういう人たちだよね」というカテゴライズはまだあるし、発達障害のように外見からはわからない特性を持つ人たちへの対応は、ようやく意識され始めたばかりです。

どれだけウソをつけるかが勝負

山本 僕は今回、取材を通して知ることが多くありました。特に義足ユーザーのスポーツ団体「ヘルスエンジェルス(現・スタートラインTokyo)」の練習会を見学させていただいたことは大きかったですね。パラアスリートとして活躍している方から、その日初めて運動に挑戦する方までが同じフィールドで身体を動かしていて、すごくいい空間だと思いました。でも一度、見学中に義足ユーザーの男性から「お前、何見てるんだよ!」って怒鳴られたことがあるんですよ。何か失礼があったかと思って練習会後に謝りにいったら、また怒鳴られて。

乙武 え、謝ったのにですか?

山本 そうなんです。それで主宰している義肢装具士の臼井二美男さんに「どうしましょう、会員の方を怒らせてしまったみたいです」と相談したら、「ああ、あの人はいつも怒ってますから気にしなくていいですよ」って。いいトシして怒られたのは結構ショックでしたが、「当り前だ、いろんなタイプの人がいるよな」と吹っ切って小説の世界観に反映させました。また、この時の臼井さんのフラットな対応も印象的で、こういう方だから信頼されているんだなと納得しました。

乙武 臼井さんは私も存じ上げていますが、日本一有名な義肢装具士であり、強烈なキャラクターとカリスマ性を持った方ですよね。

山本 はい、義肢装具士について調べようとすると、どこをどうやっても臼井さんにたどり着いちゃいますね。

乙武 書き手にとっては魅力的だと思うんですが、臼井さんを中心に書きたくなることはありませんでした?

山本 逆にそこは小説家の意地で、絶対に書いてなるものかと(笑)。

乙武 ある意味ノンフィクションになってしまいますものね。

山本 だって、面白い人物をそのまま書くのは悔しいじゃないですか。僕は自分の作ったリアルなフィクションで読者を楽しませたいという欲望がある。取材したうえでどれだけウソをつけるか、フィクションにできるかに、懸けているところがあるんです。

乙武 山本さんは伝えたいメッセージが先にあって書き始めるんですか。それとも書いていくうちに「これが言いたかったんだ」とわかる感じですか。

山本 書き上がってから「これだったんだ」と思う方ですね。僕の小説の主人公って、自分の意思ではない形で未知の世界に飛び込んで、もがく中で自分を見つけ出していくタイプが多い。作者の僕も一緒に試行錯誤するので、もう悪夢のようですよ(笑)。コスパ、最悪です。

乙武 そうやって書いていらっしゃるんですね。私もこれまでに小説を4作発表していますけど、自分は小説家ではないと考えているんです。作品のテーマが自分や親しい友人の体験が色濃く反映されているものばかりですし、小説もTwitterやYouTubeと同じように、自分のメッセージを効果的に伝える手段の一つであると考えているものですから。しかも書き方も特殊らしくて、まずエクセルを立ち上げて、場面ごとの舞台、登場人物、出来事などを打ち込み、全体の設計図を作るところから始めるんです。

山本 ええー!

乙武 あ、やっぱり珍しいんだ。編集者からも「そんな小説家、見たことない」って言われます。このエクセルの設計図にキャラクターやセリフ、エピソードを肉付けして書いていくので、途中で修正することはありますが、骨組みや伝えたいメッセージが大きく変わることはない。文章で建築物を作っていくようなイメージです。

山本 もうね、僕はその書き方を習いたいですよ!

乙武 いや、山本さんにはお勧めできません。それにコスパが良くなると『神様には負けられない』みたいな作品が生み出せなくなっちゃいます(笑)。

リアル『ONE PIECE』プロジェクト!?

山本 今回、2017年にスタートした乙武さんの「義足プロジェクト」の様子を『四肢奮迅』で拝読しましたが、ちょっと悔しいくらい面白いですね。乙武さんは義足をつけて歩きたいなんて一度も思ったことがないのに、プロジェクト発案者の義足エンジニア・遠藤謙さんの熱意に心を動かされ、「歩く広告塔」になることを引き受ける。そこへ義肢装具士、理学療法士も加わりますが、みんなキャラ立ちしているし、問題を解決していく場面も読ませるし、なにかフィクションよりもフィクションっぽいんですよ。

乙武 たしかに! オトタケという特異なキャラクターのもとに個性豊かなスペシャリストがハイテク装備や特殊技能を持って集結し、「さあ、どんな冒険ができる!?」って。まるで義足を媒介にした『ONE PIECE』(笑)。

山本 僕は若い理学療法士さん(内田直生氏)に乙武さんが肉体改造されるところが面白かった。横から見るとL字型だった乙武さんの体を、彼がストレッチと筋トレでI字型に矯正し、歩行に適した姿勢を作っていく。あと、「スムーズに足が出せない」という悩みが「仙人」と呼ばれるベテラン理学療法士の一言によって解決し歩けるようになるところは、僕が小説で書いたら「いやいやいや、できすぎでしょ」と言われちゃう。

乙武 不思議ですね。フィクションなのに、山本さんの小説のほうがリアリティを感じさせる。

山本 『神様には負けられない』を書いている間は影響を受けそうなので『四肢奮迅』を読まないようにしていたんですが、読み終えた今は……「早く読んどけばよかった」が半分、「やっぱり読まなくてよかった」が半分です(笑)。
 あの本が出た2019年11月時点で、ロボット義足をつけての歩行記録は最高20mと書かれてましたが、今はどれくらい記録が伸びてるんですか?

乙武 34・7mまでいってます。最近は距離よりもスピードにシフトして、10mを何秒で歩けるかという練習をしています。最初は50秒かかってたのが、今週は32秒まで縮まったんですよ。

山本 すごい!

乙武 これだけ記録が伸びたのも、義肢装具士の沖野敦郎さんのおかげです。この二年半、歩行するための筋トレを続けてきたことで脚が太くなり、最初に作った義足が合わなくなっていたんです。それを作り変えてもらって馴染んだところでボンとタイムが跳ね上がった。

山本 ああ、やっぱりソケット(義足の足を収める部分)の適合ってすごく大事なんですね。

乙武 そうなんです。私が違和感を訴えると、沖野さんがミリ単位で調整をしてくれるんですけど、傍目には何が変わったかわからない。でも履いてみると劇的に歩きやすくなっている。やっぱり義肢装具士はすごいですよ。

山本 ひとつ伺いたかったのは、乙武さんが「ないはずの足先を感じた」瞬間があると書いていらした、あれはどういうことなんでしょう? 僕もないはずの足の裏を感じる人物を小説に書いたんですが、いまひとつ感覚がわからなくて。

乙武 ここまでお話ししていてお気づきになったかもしれませんが、僕は手がないのに、やたら身ぶり手ぶりをつけてしゃべるクセがあるんです。手があるつもりでいるんでしょうね。それは自分でも気づいていたんですが、足があるつもりになったことは一度もなかった。それがプロジェクトを始めて2年目のある時、ふと、膝と足首をつなぐ脛骨の存在を感じたんですよ。

山本 むこうずねの太い骨ですね。

乙武 そうです。そのうち、あ、いま足の先のほうに体重が乗ってるな、とかもわかるようになってきて……。私の場合、生まれつき太ももまでしか足がありませんから、足先まで神経が通っていたこともないし、なんでそう感じるのか、正直、自分でもまったくわからない。でも内田さんによると、そういう方って結構いるみたいです。人の脳と身体って不思議ですよね。

神様と人間の狭間で

乙武 「義足プロジェクト」が始まってから義肢装具士の方と密にお付き合いするようになって、私は彼らのプロフェッショナルな姿勢に感銘を受けると同時に、これからのテクノロジー社会で義肢装具士がすごく注目されるんじゃないかと考えているんですよ。2020年に書かれた小説の中では「神様みたいな仕事」をする人たちですが、もしかしたら10年後、20年後は「神様の概念を変える仕事」として描かれているかもしれない。

山本 どういうことですか?

乙武 3、4年前に田原総一朗さんとお会いした時、「田原さんがいま真剣に取り組んでみたい分野って何かありますか」って聞いたことがあります。そうしたら「哲学」と即答されたんですね。当時でも82歳くらいだった田原さんが、なんでそんな古典的ジャンルに取り組みたいんだろうと尋ねたら「乙武さん、これからはやはりAIやロボットの時代だ。そうなった時にどこまでをAIに任せ、どこからは任せるべきでないか、僕らはきちんと議論しておくべきだ。そのために今こそ哲学や倫理の力が必要なんだよ」とおっしゃった。
 それを伺って、最近、遠藤さんたちとも話しているんですが、今の義肢装具士は、自分が意図しない状況で身体の一部を欠損した人に対し、それを補う手足を提供する人なわけですけど、将来的には、自らの意思で弱った手足を切り捨てて新しい手足を装着したいと思う人に提供する仕事になっていく可能性もあるんじゃないかと。たとえば高齢になって足の機能が弱ってきた時に、「切り落として義足をつけませんか。技術的には問題なくできます。QOLが格段に上がりますよ」と言われたら、まあ多くの人は嫌だと思うでしょうけれど、やってみようと考える人がいても不思議ではない。その場合、倫理としてOKなのか。

山本 そうか、そういう状況はたしかにありえますね。

乙武 角膜を削って視力を回復させるレーシック手術はOK、ピアスやタトゥーもOK、じゃあなぜ足を切断するのはNGなのかとか、自らの意思で障害者になった人にも障害者年金を支給するのかなど、議論しておくべき問題はたくさんあると思うんです。

山本 なるほど。今は神様の領域だと思われていることが、人間の領域になってくるかもしれないということですか。

乙武 それを義肢装具士が担うかもしれない。AIの発達によってなくなる職業があるといいますが、義肢装具士は逆にさまざまな可能性を秘めているんじゃないでしょうか。

山本 介護の世界でも活躍の機会がありそうですし、そうなると、もっと学校が増えてほしいですね。いま日本に義肢装具士を養成する学校って20校もないんですよ。それに給料だって、もっと上がっていい。

乙武 それは大いに同感です。

山本 そして障害者の働く場所を増やすのも大事なことじゃないかと思います。スターバックスが東京の国立に聴覚障害者を積極的に採用する店舗を作りましたよね。企業イメージを上げたいだけだろうなんて意地の悪いことを言う人もいそうだけれど、だとしても、まず大手チェーンがやるのは意味のあること。そういう場所が増えていけば、世界はきっともっと面白い場所になると思います。

『四肢奮迅』乙武洋匡/著
2017年10月にスタート、現在も進行中の「乙武義足プロジェクト」の全貌とは。日本人初となる四肢欠損者の二足歩行への挑戦。その苦悩と歓喜を自ら描いたノンフィクション。(講談社刊)

(やまもと・ゆきひさ)
(おとたけ・ひろただ)
波 2021年2月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

山本幸久

ヤマモト・ユキヒサ

1966年東京都生まれ。中央大学を卒業後、内装会社や編集プロダクション勤務を経て2003年『笑う招き猫』で第16回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。仕事や芸事に懸命に打ち込む人々の物語を軽妙な文体で綴り人気を博す。他の著作に『凸凹デイズ』『渋谷に里帰り』『カイシャデイズ』『ある日、アヒルバス』『愛は苦手』『寿フォーエバー』『ジンリキシャングリラ』『芸者でGO!』『店長がいっぱい』『誰がために鐘を鳴らす』『ウチのセンセーは、今日も失踪中』『ふたりみち』『あたしの拳が吼えるんだ』など多数。『笑う招き猫』『ある日、アヒルバス』は映像化もされている。

この本へのご意見・ご感想をお待ちしております。

感想を送る

新刊お知らせメール

山本幸久
登録
文芸作品
登録

書籍の分類