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とわの庭

小川糸/著

1,650円(税込)

発売日:2020/10/29

書誌情報

読み仮名 トワノニワ
装幀 井上奈奈/装画、新潮社装幀室/装幀
発行形態 書籍
判型 四六判
頁数 252ページ
ISBN 978-4-10-331193-5
C-CODE 0093
定価 1,650円

帰って来ない母を待ち、〈とわ〉は一人で生き延びる。光に守られて、前を向く。

暗い淵のなかに身を沈めて仰ぎ見る、透き通った光。「生きているって、すごいことなんだねぇ」歌う鳥たち。草木の香り、庭に降りそそぐ陽射し。虹のように現れる、ささやかな七色の喜び。ちっぽけな私にも、未来、はあるのだ。読み終えると、あたたかな空気が流れます。本屋大賞第2位『ライオンのおやつ』に続く、待望の長編小説。

インタビュー/対談/エッセイ

母とわたしの庭

小川糸

近況と新作『とわの庭』のこと(3)

『とわの庭』のこと(1)は こちらから
『とわの庭』のこと(2)は こちらから

 母は、植物をとても上手に育てる人だった。家の周りにはいくつもの植木鉢が並んでいて、時間があると、植物たちの世話に勤しんでいた。植木鉢は、母が最後まで手放さなかったもののひとつかもしれない。
 人間を相手にすると感情が空回りして、決して器用に振る舞える訳ではなかったが、相手が植物になると、物言わぬ植物たちからの、ああしてほしい、こうしてほしいという要望を見事に聞き分け、実践した。植物の声には、素直に耳を澄ますことができる人だった。植物に触れている時の母は、穏やかで優しい表情を浮かべていた。
 そういう人のことを、緑の指を持つ、と表現するそうだ。母には間違いなく、類まれな緑の指があった。
 母との記憶で、思い出すことがある。わたしがまだ、小学校に上がる前だった。ふたりでお風呂に入っていると、母が突然、自分の乳首を指先に当てて絞り、横にいたわたしに、こう言ったのだ。
「ほら、お母さん、まだおっぱいが出るんだよ」
 それから続けて、
「飲んでみる?」
 とわたしの顔の方へ、自分の上半身を近づけた。
 よく見ると確かに、母の丸い乳首の表面には、白いものが滲んでいる。わたしの下にきょうだいは誰もいなかったから、その母乳は、母の体がわたしのために用意したものだった。おそらく、当時のわたしは五歳くらい。わたしは驚いて、母の顔を見上げた。
 もう、無邪気に母の乳房に口をつけられるほどの幼児ではなかった。羞恥心とでもいうべきものがわたしの胸にもやもやと広がるのを感じた。その後、自分がどういう行動をとったのかは覚えていないけれど、その出来事は、わたしの記憶に強烈な印象を残した。
 当時、母は三十代の後半くらいだったか。もう、この先子どもを産み、育てることはないと悟り、最後にもう一度、わが子に乳房を含ませる感覚を味わいたいと思ったのかもしれない。一番近くにいて、同時に一番遠くにいたのが、母という存在だった。
 母とは、色々あった。そんな簡素な一文では到底足りるはずもないのだが、とにかくあらゆる意味で、わたしに大きく影響を与えたことは間違いない。
 母が亡くなった時、わたしは、それまでずっと母と繋がれていた透明なへその緒が切れて、ようやく母から解き放たれたような気持ちになった。そして今度は母が、わたしの胎内に入って、まるで母を宿しているような感覚をおぼえた。とても不思議な表現だけれど、母と一度死別することで、母との新たな関係性が築かれ、結果として母との一体感をもたらした。母が亡くなって以来、わたしはずっと、母と人生を共に歩んでいるような安堵感に包まれている。
 母が亡くなってから、わたしは自分の庭が欲しいと願うようになった。小さなスペースでいい、土いじりがしたい。そうすることで、母をより深く理解できるようになるのではないか。そんな淡い期待もある。母が亡くなってから気づかされたことは、少なくない。
 以前、ある本で読んだことがある。オキシトシンは、肌の触れ合いなどを通して分泌されるホルモンだが、土の匂いを嗅ぐことでもまた、分泌されるらしいと。確かに、土には独特の、心を落ち着かせる香りがある。
 新作『とわの庭』は、母と娘の物語だ。愛が大事だと簡単にいうけれど、愛ほど難しく、恐ろしいものもない。深い愛情は、時に拘束にもなりかねない。
 母親というのは、自分の胎内から子を産み落とす。だから、自分の体の延長線上に子を据え置き、自分と子との境界線が曖昧になりがちだ。けれど本当は、へその緒が切れた瞬間から、別々の道を生きている。
 目の見えないとわのために、母親は庭に、香りのする木を植える。きっと、猫の額ほどの小さな庭だったに違いない。けれどその庭が、とわに安らぎを与えてくれる。
 わたしは、母がわたしに与えてくれた、有象無象の数々をかき集め、繋ぎ合わせて、物語を書く。母が、母のような人でなかったら、わたしは物語を書く人にはなっていなかった。『とわの庭』を書き終えた今、そのことを痛切に感じている。
 自分の庭を持つことができたら、果物のなる木を植えたい。それから、母の好きだった苺も育てたい。

(おがわ・いと 作家)
波 2020年10月号より
著者のサイト「糸通信
単行本刊行時掲載

ベルリンでの暮らしから生まれた物語

小川糸

近況と新作『とわの庭』のこと(2)

『とわの庭』のこと(1)は こちらから

 初めてベルリンを訪れたのは、十二年前になる。某航空会社の機内誌にエッセイを書くため、取材で訪ねたのが最初だった。季節は、春。新緑のまぶしい時季だった。
 ホテルで朝食をとりながら聞こえてくる鳥の声が、妙に印象的だったのを覚えている。鳥たちが、とてものびやかに、喜んで声を上げているように感じたのだ。それまでに幾度もヨーロッパを旅したけれど、ベルリンには、それまでわたしが感じていたヨーロッパの町とは、また種類の異なる独特の空気が流れていた。
 喜んで生きているのは、鳥だけではなかった。人もまた、表情が豊かで、生き生きと楽しみながら暮らしている。
 取材もほぼ終わりかけの夕暮れ時、同行の編集者やカメラマン、コーディネーターの方とカフェで一休みすることになった。そこは、坂の下の方に店を構えており、窓からは道の往来の様子がよく見渡せる。
 飲み物を飲みながら、ぼんやりと外を見ていた時だった。ひとりの女性が、自転車に乗りながら颯爽と坂道を下りてきた。その表情が、なんとも言えず素敵だったのだ。ただ自転車に乗っているだけなのに、そのことに喜びを感じている笑顔だった。
 その光景を見た瞬間、わたしはベルリンが好きになった。恋に落ちてしまったのだ。この町でなら、自分らしく力を抜いて生きていけるかも知れない。そんな予感がした。
 以来、夏の間だけアパートを借りてベルリンに滞在するという暮らしを、数年ほど繰り返した。知れば知るほどベルリンは魅力的な町になり、少しも色あせない。毎年、夏の三ヶ月はあっという間に過ぎ去った。
 本格的にアパートを借り、一年を通して住むようになったのは、三年前の春からだ。夏だけの滞在は、いいとこ取りでもある。そのことに、自分の中で物足りなさというか、後ろめたさを感じるようになったのだ。ならばこの体で、ベルリナーたちが一様に辛いと口にする冬を体験してみようではないかと、覚悟を決めたのである。
 結果として、ベルリンの冬を知ったことで、わたしはますますベルリンが好きになった。あの、暗くて寒い、長い冬があるからこそ、太陽に感謝する気持ちがめばえ、一瞬の光でも狂喜乱舞するように心の底から喜べるのだ。
 ベルリンには、自由がある。ベルリナーは、自由というものを、本当に大切にする。それは、ひとつの町が強固な壁で東西に分断され、不自由な暮らしを肌で知っているからこそ培われたもの。自由というのは、決して空気のように当たり前にあるものではなく、人々が日々努力し、守っていかなければ簡単に掌から離れてしまう。その現実を知り尽しているから、必死で守ろうとするのだろう。
 そして、ベルリナーたちは、自分の自由と相手の自由を、同じように尊重する。結果として、いろんな背景を持った人にとって、生きやすい社会になっているので、自由を求めて世界中からたくさんの人が集まってくる。
 ベルリンを歩いていると、幾つもの「つまずきの石」に遭遇する。それはかつて、その場所から連れ去られたユダヤ人の氏名などが刻まれた金色の四角いプレートである。時には、五つや六つのつまずきの石が、ひとかたまりとなって並んでいる。負の歴史から目を逸らさずに忘れない努力をしているのも、日本との大きな違いである。
『とわの庭』は、ベルリンで執筆した二作目の作品だ。内容はベルリンとは全く関係がないけれど、でもベルリンでつまずきの石に出会わなかったら、きっと生まれていなかった物語だと自覚している。
 ベルリンにアパートを借り、四季を通して住んだことではっきりとわかったこと。それは、夏の光が美しいのは、厳しい冬があるからなのだ。けれど、決して冬が寒くて暗いだけの時間かというと、そんなことはない。暖かいセーターを身に纏ったり、蝋燭の明かりを灯したり、ホットワインを飲んだり、冬には冬しか味わえない喜びがある。
 わたしは、夏と同じくらい、冬のベルリンも好きになった。春には春の、秋には秋の、それぞれの美しさがある。
 人生にもまた、春があり、夏があり、秋があり、冬がある。喜びに満ち、笑顔だけを浮かべて生きられる人生だったら万々歳だけど、もしそうならなくても、人間には、闇を光に、束縛を自由に変える力があるのではないだろうか。
 ベルリンに生きる隣人たちが、そのことをわたしに教えてくれたのだ。『とわの庭』で書きたかったのは、きっと、そんなようなことだったんじゃないかと思っている。

(3)へつづく→

(おがわ・いと 作家)
波 2020年9月号より
著者のサイト「糸通信
単行本刊行時掲載

物語に救われる

小川糸

近況と新作『とわの庭』のこと(1)

 初めてニュースで「濃厚接触」という言葉を耳にした時、不覚にも笑ってしまった自分がいた。今年の一月のことだった。肉体関係のことを、あえて婉曲にそう表現しているのかと思ったのだ。
 その後、「濃厚接触」はあれよあれよと言う間に市民権を得て、日常会話にしばしば登場するようになった。人々がマスクを片時も離さないようになり、他者に対する疑心暗鬼の雲が世の中全体を覆うようになった。
 同じ頃、わたしの人生にも、大きな変化が訪れていた。
 三月半ば、このままではドイツに入れなくなる、と急遽、予定を早めてベルリンへ。ところが、今度はみるみるベルリンの空気が怪しくなり、日本へ戻れなくなる可能性が出てきた。
 本来の予定では、日本には五月の後半に戻るつもりでいた。けれど、その頃にはもう入国が難しくなっているかもしれない。わたしは今回、ベルリンから犬を連れて帰る計画だった。三年間住んだベルリン暮らしに、一区切りつけようと考えていたからである。
 ベルリンの友人の中には、犬はベルリンに残して誰かに面倒を見てもらい、わたしだけでも早々に日本に帰国した方がいいと助言する人もいた。けれど、次にいつベルリンに来られるかもわからない状況で、大切な犬を残していくのは不安だった。それで、一か八か、犬を連れて帰国することにしたのである。
 たった二日間で、日本の動物検疫所とやりとりして書類を書き換え、同時にベルリンの動物病院に行って健康チェックをしてもらい、国立の保健所に出向いてハンコをもらい、日本への帰国の便を新たに予約して、と、まるで台風に呑み込まれるような経験をしたものの、結果的には、なんとかギリギリ犬と共に日本に帰国することができた。あのまま予定を早めずにベルリンに残っていたら、今頃どうなっていたのか、わからない。
 二週間の自宅待機の後、今度は緊急事態宣言が出され、更に外出自粛が延長された。もともとわたしは家で仕事をするので、基本的にステイホームには慣れているはずだった。それでも、やっぱり混乱した。
 どこにでも自由に行ける状態で家にいるのと、どこへも行ってはいけない状況下で家にいるのとでは、同じ「家にいる」という環境でも、全く違うのだ。この春、わたしは今までに経験したことがないような息苦しさを覚え、情緒不安定におちいり、何度も胸が詰まりそうになった。
 その時、心の支えとなったのが物語だ。
 読む方はもちろんのこと、わたしの場合は書くことで、すぐそこで息を潜める得体の知れない恐怖から、なんとか気を紛らわすことができた。
 自分の中に、物語の種があること。そして、そこに愛情を注ぐことで、芽が出て、葉っぱが現れ、花が咲き、やがて実を結ぶこと。少しずつ物語が成長する姿に、何よりも自分自身が救われた。秋に刊行する『とわの庭』の改稿を進める時間は、わたしにとって微かな希望となった。
 わたしはずっと、自分の日常はなんてつまらないのだろうと思いながら生きてきた。基本的には、食べて、書いて、寝て、食べて、書いて、寝て、その繰り返しである。
 けれど、そんな日常生活が脅かされるという非常事態を経験すると、つまらない日常がどんなに愛おしいものかに気づかされた。
 わたしが自分を見失いかけて混乱していた時、年上の友人が「時薬」という言葉を教えてくれた。
 どんなに大変な困難を抱えても、時間が薬となって解決してくれる、という意味だ。どうしようもない、あぁもうダメだと思っても、時の流れに任せていれば、いつか傷が癒され、回復する。
『とわの庭』の主人公が、静かな時間の流れの中で、生命力を培ったように、生き物には、本来、自然治癒力が備わっている。
 春から夏へ、あれから季節がひとつ進んだ。
 わたしは早朝、犬を連れて近所を散歩する。その散歩道には、色とりどりの花が咲き、木々は豪快に葉っぱを茂らせている。
 物語は、もうすぐ完成する。
 地球全体が、平和で穏やかな、美しい庭になりますように。そんな願いを込めた、物語である。

(2)へつづく→

(おがわ・いと 作家)
波 2020年8月号より
著者のサイト「糸通信
単行本刊行時掲載

『とわの庭』読みました!! 書店員さんからひとこと

有隣堂 ラスカ小田原店 高橋美羽子さん
 生きるのに必要なもの、ほんとうに必要なことは何だろうか。それが満たされていれば、何がなくとも、何ができなくとも、光の中で生きていけるのかもしれない。そんなことを思う物語。音や匂いや気配、そんなものがいとしくなる。

うさぎや 矢板店 山田恵理子さん
 社会派テーマが、小川糸さんの紡ぐ言葉で伝えられる、不思議な揺らぎと癒しの物語。何度も読み返したくなり、愛情が無尽蔵にあふれてくる。未来を照らしてくれるラスト一行の言葉を、私はずっと胸に抱いていきたい。

紀伊國屋書店 加古川店 吉田奈津子さん
 前半はショッキングでしたが、最後には、人間のすごい生命力を見せられた気がしました。そして、言葉、物語、本というものに、確かに救われる、と確信できました。きっと誰かの生きる糧になる、と思うと、本を売る人間としての使命感も湧いてきました。糸さんの想いが、たくさんの人に届きますように。

丸善 丸広百貨店 東松山店 本郷綾子さん
 あふれるような光に、包まれた気がした。澱んだものをすべて脱ぎ捨てて洗い清め、ひとは変われるのだと信じさせてくれる物語でした。
 この世に存在するすべての苦しみに、この光が降り注ぐことを願ってやみません

ブックポート 大和店 櫻井もなみさん
 優しい陽だまりに包まれているような……そんな気持ちになりました。前向きに今この一瞬をどう生きてゆけばいいのかを考えるとわちゃんの姿に光を感じました。自分から一歩を踏み出すのは、とても勇気がいることですが、きっとそんな誰かの背中をそっと押してくれる、優しい物語です

あおい書店 富士店 鈴木裕里さん
 生きていると、辛いこと、悲しいこと、苦しいことがある。私たちは下を向いてしまいがちだ。でも前を向いて生きること――どんなときにも、空を見上げれば太陽が、鳥が、緑が見守っていてくれる。私たちのまわりには、支えてくれるものがたくさんあることを教えてくれます。私はスイカズラを庭に植えました。次の春が楽しみです

波 2020年11月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール

小川糸

オガワ・イト

1973年生まれ。2008年『食堂かたつむり』でデビュー。多くの作品が、英語、韓国語、中国語、フランス語、スペイン語、イタリア語などに翻訳され、様々な国で出版されている。『食堂かたつむり』は、2010年に映画化され、2011年にイタリアのバンカレッラ賞、2013年にフランスのウジェニー・ブラジエ賞を受賞。2012年には『つるかめ助産院』が、2017年には『ツバキ文具店』がNHKでテレビドラマ化され、『ツバキ文具店』『キラキラ共和国』『ライオンのおやつ』は「本屋大賞」にノミネートされた。その他の著書に『喋々喃々』『ファミリーツリー』『リボン』『あつあつを召し上がれ』『サーカスの夜に』『ミ・ト・ン』など。

糸通信 (外部リンク)

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