花の回廊―流転の海 第五部―
2,200円(税込)
発売日:2007/07/31
- 書籍
高度経済成長に沸く日本の片隅で、小学生の伸仁が見たものは?
昭和32年、財産を失った松坂熊吾は、電気も水道も止められた大阪・船津橋のビルで、来る自動車社会を見据えた巨大モータープールの設立に奔走し、妻の房江は小料理屋の下働きで一家を支える。一方、小学生の伸仁は尼崎の貧しいアパートに住み、壮烈な人間ドラマの渦に巻き込まれていく。大河小説の最高峰「流転の海」シリーズ最新作!
書誌情報
読み仮名 | ハナノカイロウルテンノウミダイゴブ |
---|---|
雑誌から生まれた本 | 新潮から生まれた本 |
発行形態 | 書籍 |
判型 | 四六判変型 |
頁数 | 400ページ |
ISBN | 978-4-10-332514-7 |
C-CODE | 0093 |
ジャンル | 文芸作品、文学賞受賞作家 |
定価 | 2,200円 |
インタビュー/対談/エッセイ
波 2007年8月号より 『花の回廊』刊行記念 著者インタビュー 宝物のような時代 宮本 輝『花の回廊―流転の海 第五部―』
――「流転の海」のシリーズは、今回で第五部までが刊行されました。それぞれの作品は、「流転の海」シリーズの中でどのような世界をなしていると考えられますか。
宮本 それはね、それぞれエポックを書いてきたんですね。
第一部の『流転の海』は、物語の始まりです。それまで南宇和に疎開していた熊吾が、戦後大阪の闇市の中に戻ってきて、そして五〇歳で突然子どもができるという、大きなエポックを体験する。あの時、子どもを得なかったら、熊吾の人生はまったく変わったものになってましたよ。
第二部の『地の星』は逆に、子どもを育てるために何もかも捨てて田舎へ引きこもった時代です。子供の伸仁は、私自身がモデルですが、か弱い子でね、何かっていうと熱を出し、二十歳まで生きられないと言われる。熊吾にとってはこの子を育てることだけがすべてになっていた時代です。南宇和は戦後当時でも魚は豊富だし、山のものもいっぱいあるし、稲だってほっといたって生えてくるようなところですから。もちろん大阪の闇市で松坂商会を続けるほうが、はるかにチャンスは多かった。でも、郷里の田舎で、ともかく一人息子をしっかりと育てようということだったでしょう。そしてその子もなんとか幼稚園へ行くぐらいの歳になって、第三部の『血脈の火』ではもう一度大阪へ出てくる。いわゆる川と川に挟まれた、いかにも大阪中之島の西端の、二つの川に挟まれた、毎日毎日両方の川にポンポン船が行き来する、まったく違った環境の中での生活が始まります。これもかなり大きなエポックです。
第四部の『天の夜曲』は、富山の時代、雪国の時代です。熊吾や妻の房江にとってはもちろん、伸仁という一人の人間にとっての成長過程における重要なエポックです。
そうすると、今度の第五部『花の回廊』という、尼崎の奇妙なアパートでの時代というものはもう欠くべからざるものとして、一冊どころか二冊ぐらいに書かなきゃいけないぐらいの大きなエポックです。あの時代が伸仁という子どもに与えたものは計り知れないものがあった。
最初は、この時代をポンと飛んで、伸仁が中学生になったところから、熊吾が経営をまかされるモータープールでの新しい生活から始まるつもりだったんですけど、編集者からそれはいけない、そこを書かなくてどうするんですかと言われて。そうやなあ……しかしこれ書くの大変やでと。デリケートな問題が腐るほどある、これをどうやって書くんやと。でもやっぱり考えてみると、こんな宝物のような時代を書かないでどうするんだ、書きにくいことはいっぱいあるけれども、この『花の回廊』を書かなくてなんの「流転の海」だと考えるようになったんです。
――今回の『花の回廊』には、貧しい人々が暮らす「蘭月ビル」というアパートが出てきます。このアパートは入り組んだ迷路のようになっていて、非常に特徴のある構造ですが、宮本さんご自身が小学生のころ親元から離れて暮したアパートですね。
宮本 変な形ですよね。どこかの部屋の壁があいてて、隣の部屋と行き来できるとか。消防署に構造上の問題を指摘されるとその都度階段をつけたりするわけです。それを消防署がまた検査して、これだけでは危ないと言われたら、ほならここにまた穴あけて、梯子つけたらよろしいんやろ、とやっているうちに、回廊状になってしまったんです。
――このアパートにはさまざまな匂いが立ち込めています。食べ物のいい匂いから、臓物やトイレの匂い……。
宮本 死んだ人間の匂いまで(笑)。
――自殺も、殺人事件も、朝鮮半島の問題も、それから障害者の問題も、もうありとあらゆる問題が、このビルの中に出てきます。
宮本 蘭月ビルでの出来事は、まだ終わったわけではないのでね。住人の中で、北朝鮮へ帰っていく人たちと日本に残る人たちとがはっきりと分かれていく時代をこれから書くことになります。
――住人もすさまじい死に方をしていきますし。警察が絡んでくる事件がいくつもありますね。その現場に、宮本さん自身がモデルの小学生伸仁がつねに絡んでいる。
宮本 警察に行くと「なんで事件のたびに君がおるんや、君、学校行ってんのか」と言われました。
――『花の回廊』の背景となっている昭和三十年代は、世界でも稀にみる高度経済成長を日本が成し遂げる、その始まりの時代でもありました。宮本さんが実人生でそれを実感されたのはどんなときでしたか。
宮本 僕らの世代は、その日本が経済成長していく変化と常に一緒に育ってきてますから、変化というものにたいして、麻痺してたという気がします。ぼくはだから、何かを見て、あ、日本はすごい経済復興を今やってるんだ、というふうに感じたことはまったくなかったです。もう少し大人だったら、敗戦後十数年でよくここまでなったなっていう感慨はあったでしょうけど、僕はまだそこまでの年齢に達してなかったですから。まだ十歳や十一歳の子どもには、自分の周りのことだけでびっくりすることばかりで、とくにこの蘭月ビルは、魑魅魍魎の世界でしたから。
――昭和三十年代は、三種の神器と言われた、電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビが普及した時代でもあります。この神器が宮本さんの家に入ってきたときの思い出を伺えますか。
宮本 一番ありがたかったのは、洗濯機ですね。お袋がずいぶん楽になりました。脱水用のハンドルもついてない、ただぐるぐる回るだけのものでしたが。電気冷蔵庫も一週間にいっぺんは霜を取らないといけなかった。でもあれで日本人の生活は劇的に変わりましたね。テレビは別として。
――テレビは別というのは?
宮本 テレビはその前からありましたから。自分の家になかっただけで、電気屋さんの前に行ったら見れたしね。だから「チロリン村とくるみの木」の時間だけは電気屋の前でじーっと立って見てました。
――最後に「流転の海」シリーズの今後の構想を伺えますでしょうか。
宮本 「流転の海」は、このあととにかく、熊吾が人生を終えるまで書きます。次の第六部は、伸仁が中学校に入ったところから始めようかと思っています。熊吾自身はこれからいっそう辛い時代を迎えます。人を騙そうなんて思ったことない、人が困っていたら自分ができる限りのことをしてやりたい人が、それがだんだんできなくなって、図らずも人を騙してしまうようにもなる。それが何によって起こったか。それがこの小説の眼目の一つとなると思います。あんまり書きたくないことがいっぱい出てきますが、しかし、「三つの醜い真実より一つの奇麗な嘘を」という気持ちで書いていきます。このラブレーの言葉は「流転の海」を書きつづけるぼくにはありがたいですね。
宮本 それはね、それぞれエポックを書いてきたんですね。
第一部の『流転の海』は、物語の始まりです。それまで南宇和に疎開していた熊吾が、戦後大阪の闇市の中に戻ってきて、そして五〇歳で突然子どもができるという、大きなエポックを体験する。あの時、子どもを得なかったら、熊吾の人生はまったく変わったものになってましたよ。
第二部の『地の星』は逆に、子どもを育てるために何もかも捨てて田舎へ引きこもった時代です。子供の伸仁は、私自身がモデルですが、か弱い子でね、何かっていうと熱を出し、二十歳まで生きられないと言われる。熊吾にとってはこの子を育てることだけがすべてになっていた時代です。南宇和は戦後当時でも魚は豊富だし、山のものもいっぱいあるし、稲だってほっといたって生えてくるようなところですから。もちろん大阪の闇市で松坂商会を続けるほうが、はるかにチャンスは多かった。でも、郷里の田舎で、ともかく一人息子をしっかりと育てようということだったでしょう。そしてその子もなんとか幼稚園へ行くぐらいの歳になって、第三部の『血脈の火』ではもう一度大阪へ出てくる。いわゆる川と川に挟まれた、いかにも大阪中之島の西端の、二つの川に挟まれた、毎日毎日両方の川にポンポン船が行き来する、まったく違った環境の中での生活が始まります。これもかなり大きなエポックです。
第四部の『天の夜曲』は、富山の時代、雪国の時代です。熊吾や妻の房江にとってはもちろん、伸仁という一人の人間にとっての成長過程における重要なエポックです。
そうすると、今度の第五部『花の回廊』という、尼崎の奇妙なアパートでの時代というものはもう欠くべからざるものとして、一冊どころか二冊ぐらいに書かなきゃいけないぐらいの大きなエポックです。あの時代が伸仁という子どもに与えたものは計り知れないものがあった。
最初は、この時代をポンと飛んで、伸仁が中学生になったところから、熊吾が経営をまかされるモータープールでの新しい生活から始まるつもりだったんですけど、編集者からそれはいけない、そこを書かなくてどうするんですかと言われて。そうやなあ……しかしこれ書くの大変やでと。デリケートな問題が腐るほどある、これをどうやって書くんやと。でもやっぱり考えてみると、こんな宝物のような時代を書かないでどうするんだ、書きにくいことはいっぱいあるけれども、この『花の回廊』を書かなくてなんの「流転の海」だと考えるようになったんです。
――今回の『花の回廊』には、貧しい人々が暮らす「蘭月ビル」というアパートが出てきます。このアパートは入り組んだ迷路のようになっていて、非常に特徴のある構造ですが、宮本さんご自身が小学生のころ親元から離れて暮したアパートですね。
宮本 変な形ですよね。どこかの部屋の壁があいてて、隣の部屋と行き来できるとか。消防署に構造上の問題を指摘されるとその都度階段をつけたりするわけです。それを消防署がまた検査して、これだけでは危ないと言われたら、ほならここにまた穴あけて、梯子つけたらよろしいんやろ、とやっているうちに、回廊状になってしまったんです。
――このアパートにはさまざまな匂いが立ち込めています。食べ物のいい匂いから、臓物やトイレの匂い……。
宮本 死んだ人間の匂いまで(笑)。
――自殺も、殺人事件も、朝鮮半島の問題も、それから障害者の問題も、もうありとあらゆる問題が、このビルの中に出てきます。
宮本 蘭月ビルでの出来事は、まだ終わったわけではないのでね。住人の中で、北朝鮮へ帰っていく人たちと日本に残る人たちとがはっきりと分かれていく時代をこれから書くことになります。
――住人もすさまじい死に方をしていきますし。警察が絡んでくる事件がいくつもありますね。その現場に、宮本さん自身がモデルの小学生伸仁がつねに絡んでいる。
宮本 警察に行くと「なんで事件のたびに君がおるんや、君、学校行ってんのか」と言われました。
――『花の回廊』の背景となっている昭和三十年代は、世界でも稀にみる高度経済成長を日本が成し遂げる、その始まりの時代でもありました。宮本さんが実人生でそれを実感されたのはどんなときでしたか。
宮本 僕らの世代は、その日本が経済成長していく変化と常に一緒に育ってきてますから、変化というものにたいして、麻痺してたという気がします。ぼくはだから、何かを見て、あ、日本はすごい経済復興を今やってるんだ、というふうに感じたことはまったくなかったです。もう少し大人だったら、敗戦後十数年でよくここまでなったなっていう感慨はあったでしょうけど、僕はまだそこまでの年齢に達してなかったですから。まだ十歳や十一歳の子どもには、自分の周りのことだけでびっくりすることばかりで、とくにこの蘭月ビルは、魑魅魍魎の世界でしたから。
――昭和三十年代は、三種の神器と言われた、電気洗濯機、電気冷蔵庫、テレビが普及した時代でもあります。この神器が宮本さんの家に入ってきたときの思い出を伺えますか。
宮本 一番ありがたかったのは、洗濯機ですね。お袋がずいぶん楽になりました。脱水用のハンドルもついてない、ただぐるぐる回るだけのものでしたが。電気冷蔵庫も一週間にいっぺんは霜を取らないといけなかった。でもあれで日本人の生活は劇的に変わりましたね。テレビは別として。
――テレビは別というのは?
宮本 テレビはその前からありましたから。自分の家になかっただけで、電気屋さんの前に行ったら見れたしね。だから「チロリン村とくるみの木」の時間だけは電気屋の前でじーっと立って見てました。
――最後に「流転の海」シリーズの今後の構想を伺えますでしょうか。
宮本 「流転の海」は、このあととにかく、熊吾が人生を終えるまで書きます。次の第六部は、伸仁が中学校に入ったところから始めようかと思っています。熊吾自身はこれからいっそう辛い時代を迎えます。人を騙そうなんて思ったことない、人が困っていたら自分ができる限りのことをしてやりたい人が、それがだんだんできなくなって、図らずも人を騙してしまうようにもなる。それが何によって起こったか。それがこの小説の眼目の一つとなると思います。あんまり書きたくないことがいっぱい出てきますが、しかし、「三つの醜い真実より一つの奇麗な嘘を」という気持ちで書いていきます。このラブレーの言葉は「流転の海」を書きつづけるぼくにはありがたいですね。
(8月7日発売「新潮」9月号より抜粋)
『花の回廊』に見る昭和32年
波 2007年8月号より
『花の回廊』刊行記念
『花の回廊』に見る昭和32年
この物語の舞台は、日本が戦後の混乱から高度成長へ向かう昭和32年(1957年)。 作品にちりばめられた言葉の中から、当時の世相を窺わせるものを集めてみました。 |
【三種の神器】
ぎょうさんの洗濯物を洗剤と一緒に放り込んでスイッチを入れるだけで、きれいに洗濯ができてしまうんじゃぞ。(三七七ページ)
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫は「三種の神器」と呼ばれ、生活を大きく変える新しい電化製品として庶民の憧れの的だった。このころの洗濯機は「攪拌式」で、羽根のついた心棒が回るだけという簡素なもの。まもなく現れる「噴流式」の洗濯機には、ローラー型の脱水機がついていることが多かった。
【もはや戦後ではない】
もはや戦後ではない、か……(一五三ページ)
昭和三十一年の経済白書で使われた言葉。敗戦後の暗い空気を脱して高度成長へと突き進む、当時の気分を表現するフレーズとして大流行語となった。もともとは、『文藝春秋』に掲載された中野好夫による評論につけられたタイトル。
【朝鮮の分断】
朝鮮戦争のあと北緯三十八度線で北と南に分かれて、北は朝鮮民主主義人民共和国、南は大韓民国と名前が変わったので、南出身の人たちは韓国人と呼ばなければならないらしい。(一一ページ)
朝鮮半島では、連合国軍の軍政期を経て昭和二十三年に韓国と北朝鮮という二つの国家が成立していたが、二十七年にサンフランシスコ平和条約が発効すると、在日コリアンは植民地時代の日本国籍を失って韓国籍もしくは朝鮮籍となった。
【有楽町で逢いましょう】
ラジオから「有楽町で逢いましょう」という歌謡曲が流れていた。(一九九ページ)
この年の十一月に発売された、フランク永井の大ヒット曲。大阪に本拠を置くそごうデパートが東京進出にあたって用意したキャッチフレーズが「有楽町で逢いましょう」で、そのキャンペーンソングがこの曲だった。日本テレビ系列では四月から同名の音楽番組が放送されており、翌年には映画も公開された(島耕二監督、京マチ子主演)。
【車社会到来】
この狭い日本に自動車が溢れかえって、にっちもさっちもいかなくなる時代が到来することは火を見るよりも明らかなのだ。(一二五ページ)
好景気に支えられ、このころ自動車の需要は供給を上回る状態だった。昭和三十二年にはトヨタ自動車の販売店が百店舗を超え、前年には日本道路公団が設立されて高速道路整備に本格的に着手した。一方、都会の道路では混雑も深刻になり、三十二年には交通事故件数が初めて十万件を突破した。
【切手ブーム】
ごっつう高いねん。飛行機の絵が描いてある切手がいちばん人気があるねん。(一七一ページ)
昭和三十二年、江崎グリコが「アーモンドグリコ」のおまけとして切手を採用して「世界の切手をあなたに」キャンペーンを展開した。これをきっかけに切手の大ブームが起き、切手収集家は百万人に達したと言われている。
【メートル法導入】
定規とか巻尺はなァ、とりあえず表がメートル法、裏は従来どおりの尺と寸で表示することになったから、これまでのもんは全部廃棄して、新しいのを作り直さなあかんのや(九六ページ)
日本は明治十八年にすでにメートル条約に加盟していたが、尺貫法の使用は引き続き認められており、メートル法は普及しなかった。昭和三十四年には土地・建物の表記を除きメートル法が完全実施されることになり、それに向け市民生活の中の単位も徐々にメートル法に切り替えられていった。
【すし詰め学級】
私の従姉の子ォなんて、一クラスに五十八人も教室に詰め込まれてますねん(九六ページ)
昭和三十二年の時点で、一学級あたりの生徒数が五十五人を超える小学校は全体の一割以上、五十人以上の学級は三割を超えていた。このような状況は「すし詰め学級」と呼ばれ、文部省は昭和三十三年度から五カ年計画に基づいて一学級を五十人以内にするための取り組みを行った。
【シベリア帰還兵】
「じゃあソ連はどういう名目でお前らをシベリアで強制労働させたんじゃ。戦犯という罪状をつけんかぎり、国際法に違反するじゃろう」(二六ページ)
第二次大戦後、ソ連は占領地域に在留していた多数の日本人を主にシベリアに移送し、ジュネーブ条約に反する形で採鉱、森林伐採、鉄道建設などの重労働に従事させた。抑留者の帰還は昭和二十一年から始まったがしばしば中断し、最後の集団帰国者が帰還したのは日ソ共同宣言発効後の三十一年末だった。その後も相当数の自発的・強制的残留者がいるといわれている。
【人工衛星】
「人工衛星て何?」
「私にもわかれへんねん。お店でもよう話題になるねんけど……」(一八一ページ)
昭和三十二年十月四日、ソ連は世界初の人工衛星スプートニクを打ち上げた。衛星は直径五十八センチ、重さ八十三・六キロの金属球で、表面には四本のアンテナが取り付けられ、内部温度や圧力などを地上に伝えた。宇宙開発でソ連がアメリカを一歩リードすることを示すできごとでもあり、世界的に注目された。翌三十三年に大阪で行われた国際見本市では、ソ連館に実物が展示されて大人気を博した。
著者プロフィール
宮本輝
ミヤモト・テル
1947(昭和22)年、兵庫県神戸市生れ。追手門学院大学文学部卒業。広告代理店勤務等を経て、1977年「泥の河」で太宰治賞を、翌年「螢川」で芥川賞を受賞。その後、結核のため2年ほどの療養生活を送るが、回復後、旺盛な執筆活動をすすめる。『道頓堀川』『錦繍』『青が散る』『流転の海』『優駿』(吉川英治文学賞)『約束の冬』(芸術選奨文部科学大臣賞)『にぎやかな天地』『骸骨ビルの庭』(司馬遼太郎賞)『水のかたち』『田園発 港行き自転車』等著書多数。2010 (平成22)年、紫綬褒章受章。2018年、37年の時を経て「流転の海」シリーズ全九部(毎日芸術賞)を完結させた。
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